毒炎の侍女、後宮に戻り見えざる敵と戦う ~泣き虫れおなの絶叫昂国日誌・第三部~

西川 旭

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第十四章 新しい力、未だ知らぬ世界

百十四話 四方領域の巫女

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 その妃の部屋の中にあるものは、なにからなにまで四角であった。

「あー、新しい子が来る言う話やったっけ……」

 部屋の主である朱蜂宮(しゅほうきゅう)は南苑、その「美人」の位階にある、気だるげな艶女。
 背面と座面が四角い板で作られ、垂直の角度で組みつけられた無機質にも見える長椅子に腰かけて、眠そうに言った。
 彼女の姓は除葛(じょかつ)、名は漣(れん)。
 私が新しく仕えることになる、後宮のお妃さまである。
 西方の訛りが、言葉から感じられた。

「は、はい。尾州(びしゅう)の宰相、姜(きょう)さまのご紹介で、こちらで勤めさせていただくことになりました、姓は麗(れい)、名は央那(おうな)と申します」

 様々な事情と経緯から、私は今回もこの通名を使って後宮入りした。
 私は部屋の中をちらりと眼だけ動かして見渡す。
 卓も、椅子も、棚も、窓も、中柱も。
 すべて、きっちりと四角い。
 オフィスビルの事務所の中なんて目じゃないほどに、この空間は、なにからなにまで、水平垂直を基準とした、四角形面や直方体で構成されている。
 花瓶に挿された花は、風車のように十字四枚の花弁を広げていた。
 そんな四角四面の、かっちりした空間にあって。
 主人である漣美人だけが、柔らかく、まるで不定形であるかのように、だらりと体を崩し、手足を投げ出して長椅子にもたれかかっている。
 私が言葉を繋げないでいると、眠たげな眼を浮かべながら、漣さまがおっしゃられた。

「えーと、なんや……部屋の細々したことは、うちはようわからんさかい、他の子に教えてもろてな」
「は、はいっ。一生懸命、勤めさせていただきますっ」
 
 拝跪して答えた私に、漣美人は特になんの興味も持たず。

「……中書堂、いつ直るんかなあ」

 一人の思索に入ってしまった。
 後宮の外、すぐ近くにある図書館兼、高級官僚の学習施設が中書堂だ。
 先の秋に異民族の襲撃を受けて燃やされてしまい、今は再建工事中である。
 中に収められていた書籍類は、別の場所に必ず写しが存在するということで、貴重な本の集積が消え去ったという悲劇はない。
 それでも朝廷の人たちにとっては、大量の書と優秀な学官がまとまってそこに居てくれるということが重要なのである。
 分からないことを聞きに行ったり、重要な政策の相談をするためにもね。
 中書堂は皇帝陛下の諮問機関の役割も兼ねているので、再建は優先されているはずだ。

「工事のみなさんも頑張ってくれていますし、きっと近いうちに直りますよ」
「ふうん」

 私の言葉にも全くと言っていいほど関心を示さず、漣さまは椅子にだらんと体を預け、お茶飲みマシーンと化した。
 中書堂の再建工事には、私の知り合いたちも汗を流している。
 
「後宮の偉いお妃さまが、みんなの頑張りを褒めてくれてたよ!」

 なんて素敵なメッセージを届けるために話を振ったのだけれど、上手く行かないものだね。
 漣美人への挨拶は終わったものだと判断して、私は仕事の指示を受けるために先輩侍女たちのもとへ。
 私の教育係は、目も眉毛も細く、直立する姿勢までもマッチ棒のように細い人だった。

「博(はく)弧氷(こひょう)と言います。よろしく」

 クールに名乗った孤氷先輩と、職場スキルについて軽く話し合う。

「掃除、洗濯、物品整理、計算、簡単な文書作成と文書管理。それに多少の力仕事ですか」

 私のできることを聞いて、これまた四角い業務用の書記板を抱え、四角柱の形をした墨筆をカリカリと走らせる。

「読みだけでなく書き物ができるのは、結構なことです。さすが姜帥(きょうすい)のご紹介ですね」

 抑揚のない口調だけれど、どうやら褒めてくれたらしい。
 自分の寝所に荷物を置いて、その日は弧氷さんの後を追っかけ回し、仕事のイロハを見聞きした。
 掃除洗濯などの基本的なことは、どうやら翠(すい)さまのところにいたときと、大差ないな。
 そして、陽が沈む前の夕方近くになり。

「ぼちぼち、行こかー」

 日がな一日、部屋でだらけていただけの漣美人が、突然に立ち上がり、言った。
 その後に続き、先輩侍女たちがそれぞれの手に、敷物になるゴザや小さなテーブルのような台、食器類のような道具を持って、部屋を出る。

「あなたもこれを」
「ハ、ハイ」

 私も弧氷さんに丸めたゴザを渡され、付いて行く。
 向かう先は南苑の中庭のようだ。
 ピクニックのように庭の地面に敷物を広げて、小さな卓が構えられた。
 卓上には、四隅が尖って突き出したような形の杯。
 井戸から汲んだ、清澄な冷水がほんの少しだけ、入っている。
 卓を前にした漣さまを先頭にして、全員、敷物に座り。
 太陽が沈み行く、西側を向く。

「あー」

 叫ぶでも、歌うでも、呼ぶでもなく。
 まるで赤ん坊が、この世に出てはじめて放つような声を、漣さまは口から出して、夕陽に向かって拝跪叩頭した。

「うー、あぁー、ぇおー」

 西日を四度、漣さまは座して拝み。

「ふー、ふーっ」

 息を整えて。

「ぅあー、あー、おー、ぇえー」

 また四度、太陽に向かって拝礼を繰り返した。
 私たち侍女は、その様子をただ座って、無言で見届けるだけ。
 漣さまは最終的に、四度の拝礼を十回、合計四十回、繰り返して。

「……お休みなさいませ、天の父上、地の母上、ゆっくりと、お休みくださいませ」

 そう言って、祈りを締めくくり、立ち上がった。
 文字通り、言葉通り。
 天と大地とに祈りを捧げるのが、除葛漣美人の、お役目なのだ。
 四は世界のどこかにいるという、見えざる神の数であり、十(じゅう)の祈りは「終(じゅう」を、すなわち一日の終わりを意味しているのか。

「あ、あれ、なんだろう」

 真冬の屋外、もう陽の沈む時刻であるというのに。
 漣さまの祈る姿を見ていたら、私は自分の体温が上がったかのような、ポカポカした感覚に包まれた。
 ただ座っていただけだというのに、額に気持ちのいい汗の玉まで浮かんでいる。
 まるで、元気な子どもと一緒に野山を遊び回って、気持ちも体も温まった直後であるかのような。
 不思議なほど、幸せな気分で、私は満たされたのだった。

「お疲れさまでございました」
「うん」

 部屋に戻り、夕餉の時間。
 弧氷さんが注ぐお酒を、思いのほか勢い良く飲みながら、漣さまは手掴みで果物や骨付き肉をかじる。
 先に漣さまだけ食事を済ませ、就寝なさってから、私たち侍女が食事を頂くスタイルであるらしい。
 ちなみに朝夕の一日二食である。
 そして漣さまは、箸もフォークも、スプーンも、決して自分で使うことはなかった。
 器から直接に汁モノを飲むか、おかずやお団子、蒸しパンやモチ類を手掴みで口に運ぶか。
 大きな食材なら、侍女が事前に細かく切ったり、潰したりして差し出す。
 まるで赤ちゃんのように、横に控える弧氷さんが、優しく手や顔を拭きながらの、食事である。

「翠さまのところとは、流れる空気が随分違うなあ」

 漣さまが、就寝なさった後。
 私は声に出さず、食事の間、そんなことを考えるのだった。
 それぞれ流儀は違うのだから、比べるのも失礼ではあるかな。
 私の気持ちを見透かしてか、孤氷さんが釘を刺すように言った。

「司午(しご)貴妃のところでどうしていたのか知りませんが、ここは朝早くお勤めがあります。寝坊は厳禁です」

 想像するに、一日の始まりである日の出に対しても、漣さまはお祈りを捧げているのではないか。
 恒教(こうきょう)や泰学(たいがく)を読んでいたおかげで、なんとなくパターンが読める気がするぞ。

「は、はい。わかりました。しっかり、勤めさせていただきますっ」
「結構なことです。体の調子が思わしくない時は、その都度、私に言いなさい。無理をされても迷惑ですから」

 優しいのか厳しいのかいまいち掴み切れないクールな先輩に言われて、私は素直に頷くのだった。
 来たばかりだし、ここでつまらない失態を演じてしまえば、私の後見人である司午家のみなさんの顔に、泥を塗ってしまうもんね。
 私の恥は、翠さまの恥、という心構えで臨まねば。
 真面目ぶって食事を切り上げ、卓の上を片付けていると。

「それは私が」
 
 漣さまが飲み残した四突の杯の中にあるお酒を、孤氷さんがさっと呷って、飲み干してしまった。

「今のは、秘密です。わかってますね」

 あくまでもクールにそう言ってのけた弧氷さん。

「ぶぐぐ、は、はい、秘密にします」

 私は、吹き出すのをこらえ、必死で腹筋に力を入れるのであった。

「結構です。さあ、早く寝なさい。姜帥(きょうすい)からも知らされています。あなた、中書堂の再建も手伝うのだそうですね。本の分類に詳しいから、ということで」
「え? あー、そ、そうなんですよ。いやもう忙しくて忙しくて」
 
 姜さんの根回しか?
 私は翠さまの呪いに関して、調べもので動き回る必要があるから、侍女の仕事に余裕が出るよう、便宜を図ってくれているのだな。
 素直に褒めたくはないけれど、さすがは名軍師、段取りの鬼や。
 彼が与えてくれた機会を、せいぜい有効に使わせていただきましょう。

「大変でしょうが、頑張りなさいな。天はその役目を、あなただからこそ、きっと与えたのです」

 口調はあくまでもクールだったけれど。
 その日初めての笑顔を私に向けて、弧氷さんはそう言った。
 私も緊張がいくらか解けて、笑顔を返し、朝に備えて早めに寝たのであった。

「ギィ寒~~ッ」

 翌朝。
 真冬の早朝、未明とも言って良い時間のお祈りは、さすがに凍えそうになって、私は心が折れかけたのであった。
 そんな環境でも、漣さまはしっかりと日の出前に体を冷水で清め。

「ぁあー、うあー、あーい、ぇえおぉー」

 柔らかな声を太陽に捧げながら、四度の拝礼を四セット、しっかりと成し遂げられた。
 四は「始」に繋がる縁起の良い数字で、夜明けの祈りにはふさわしい。

「漣さまのお祈りは毎日、朝夕に必ず行われます。なにがあっても、必ずです」

 孤氷さんが、感情を見せない顔でそう私に教えた。
 後宮が覇聖鳳(はせお)に襲われ、私が北苑を焼いて毒煙を放ち、翠さまが殺されそうになっていた、あの秋の夕方にも。
 漣さまはいつもと変わらず、ひたすらに祈っていたのだろうか。
 初日に感じた体がホカホカ温まる神通力は、それ以来なかった。
 この祈りに、はたしてなんの意味が、どれだけあるのだろう。
 私には、よくわからなかった。
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