毒炎の侍女、後宮に戻り見えざる敵と戦う ~泣き虫れおなの絶叫昂国日誌・第三部~

西川 旭

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第十六章 災厄と希望の匣

百三十五話 信なくば立たず

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 正午を過ぎ、お祈りの時間も近付く。
 茶店を出て玄霧(げんむ)さんと別れる際、私は一つ、おせっかいを言い残す。

「想雲(そううん)くんに、会って行きますよね?」
「む。それはまあ、別邸で会えば話すくらいはするだろう。せっかく河旭(かきょく)に来たのでその仕事やあいさつ回りの合間にはなるだろうが」

 視線がよそよそしい。
 玄霧さんも一般の父親と同じく、年頃の子どもとの距離感に悩んだりするのだろうか。
 仕事の都合とは言え、離れて暮らしてばかりだからね、この親子。

「将来のこと、勉強とか仕事の話、親子でゆっくりと重ねた方がいいですよ。想雲くんはしっかりしてるし、玄霧さんをとても尊敬していますけど、まだ子どもなんですから。ちゃんと見守っているぞ、信じて応援しているぞって、玄霧さんの口から伝えてあげてください」
「ふん、ちんけな小娘が、まるで年老いた婆婆(ばばあ)のようなことを言う」

 憎まれ口を叩きながらも、玄霧さんの表情は優しく、どこか恥ずかしそうでもあった。

「私だって親から産まれた子どもの一人です。玄霧さんと想雲くんが信頼し合っているのはわかりますけど、だからって会話が少なくても良いのだということにはなりません。今のうちに、いろんなことを話し合ってください」
「みなまで言うな、わかっている。気を遣わせたな」

 ぽんぽんと私の頭を軽く叩き、玄霧さんは司午家(しごけ)の別邸へ向かった。
 私たち神台邑(じんだいむら)の子どもが、親兄弟と死別離別の憂き目に遭ったことを、誰よりも深く知っているのは、軍副使として事後処理を務めた玄霧さんだ。
 私があえてこうまで言うことの意義を、しっかり受け止めてくれたことだろう。
 玄霧さんだって危険な仕事に身を置いているわけだし、万が一のことが起きる可能性は、あるのだ。
 お互いに、悔いを残さないために、やれることはやるべきだからね。

「おろ、麗央那、今日は外に行ってたンか」
「メェメェ」

 帰りがけ、中書堂の工事現場で軽螢(けいけい)とヤギに会った。

「うん、ちょっと用事でね。工事はどんな感じ?」
「順調なんじゃねえかな。なにせ俺が手伝ってっからね」
「メェ……?」

 根拠のない自信と自己肯定感に、ヤギも首をひねる。
 けれど、神台邑の長老候補として彼が建築土木の音頭取りに関し、経験値が高いことは事実だ。

「そりゃ良かった。これご褒美にあげる」

 私は紙に包まれた小粒飴を軽螢に渡した。
 包みを開いた軽螢は、わずかに驚いたように目を見開き。

「あんがとよ。ほれ、お前も食え」
「メエ!」

 包み紙を、ヤギに食べさせた。
 ただお菓子を包んでいただけではない、私と軽螢だけが知る、紙に書かれたメッセージ。
 その証拠は、ヤギが食ってしまい、この世から消えた。
 この作戦は、私と軽螢しか知ってはいけないのだ。

「遅くなりまして」

 漣さまの部屋に戻る。
 そこではさっき市場で別れたばかりの場蝋(ばろう)総太監が、漣さまとなにやら話して揉めていた。

「そもそもなんでそないなことうちらに知らせるねん。そっちで勝手に片付けたらええやないか」
「い、いえ、それは、先ほども申しました通り、麗女史も顔見知りである以上、なにか手がかりはないかと聞きに参った次第で。それ以上の他意はございませぬ」

 額の汗を拭き拭き、馬蝋さんがうろたえながら釈明していた。
 私の名前が出ているようだな。
 会話に参加した方が良いのかと前に進もうと思ったけれど、孤氷さんにやんわりと手で止められてしまった。
 漣さまが怒っている。
 こういうとき、余計な差し出口はするな、ということだろう。

「うちら、これからお祈りやってわかっとるよな? そないややこしい話持ちかけて、邪魔したいんかじぶん?」
「け、決してそのようなことは。除葛(じょかつ)美妃(びき)のお心と、祈念の段取りを乱してしまったのであれば、深く謝するところでございます」
「もうええから帰ってえな。邪魔くさいねん」

 だるそうに手を振って、漣さまは馬蝋さんを部屋から追っ払った。
 な、なんだろう。
 私のあずかり知らぬところでトラブルが起きている。
 なにより、こんなに気分を損ねている漣さまは、はじめて見る。
 いつもやんわり上機嫌と不機嫌を行ったり来たりしている人ではあるけれど、ここまで誰かに攻撃的になることなんてない。
 馬蝋さんと入れ替わりのタイミングで、塀(へい)紅猫(こうみょう)貴妃がお祈りに参加するために、いらっしゃった。

「今日もよろしくお願いします、漣」
「んー」

 仲良しの塀貴妃相手にも、漣さまは素っ気なく返した。
 けれど、それもお祈りが終わるまでのことで。

「紅(こう)ちゃん、これ見てこれ見て。お庭ができてん」
「あら、これは、ええと……素敵ですね」

 完成した箱庭を塀貴妃に見せびらかしていた。
 漣さまにとって毎日の全力の祈りはけっこうな運動でもあるので、イライラを発散させる効果もあるのだな。
 そして塀貴妃のコメントが微妙である。
 漣さまが作った箱庭は、大きさも趣向も不揃いな四神に見立てた動物の人形が四辺に配されていて、下地の砂がぐるぐる渦を巻いているという、モダンアートのような、なにかであった。
 神さまがいるのは漣さまらしいとして。
 渦と言うのは「禍」に通じ、あまり縁起のいいものではない、とされる。
 水場の渦巻きも地上の竜巻も、人に害をなす災厄だからね。
 神は身近にいる、しかし災厄も身近にある。
 漣さまなりの世界観が、そこに表現されているのだろうか。
 ちなみに万物循環を説く沸教(ふっきょう)では、渦巻きは逆に神聖なシンボルだったりするけれど、沸嫌いの漣さまがそれを意識したわけではあるまい。

「ところで、なんで漣さまは馬蝋さんにあんなに怒ってたんですか?」

 一日の仕事を終えて、寝る準備をしている間。
 同部屋にて二段ベッドの相棒である孤氷さんに、私はことのあらましを訊いてみた。

「東庁に詰めていた、若い書官が行方知れずになったらしいです。涼(りょう)獏(ばく)という方ですね。麗なら顔や名前を見知っているでしょう」
「はい、知ってます」
「仕事にも来ていないし、下宿先にも帰っていないそうですよ。馬蝋総太監が今日、あなたと銀府に行ったのも涼書官の下宿先を覗いて見るつもりだったようです」
 
 私が玄霧さんとお茶飲んでいた時間帯の話か。
 チャラ男の獏くん、東庁から消える、の巻。
 馬蝋さんが買い物の間にその話をしなかったのは、そのときはまだ私に気を遣わせないように配慮してくれる余裕があったからだろう。
 方々をあたっても結局見つからなかったので、なにか事情を知らないかと改めて私に聞きに来たのだな。
 孤氷さんはそのときの漣さまの様子を、もう少し詳しく教えてくれた。

「いくら顔見知りだからと言って、大の男が仕事場に来る来ないと言った私的な話まで麗が知るわけないだろう。それとも麗が東庁の若い男と懇ろにでもなっていると疑っているのか。漣さまは馬蝋総太監にそう言って食ってかかりました。そんなに腹を立てることはないとも思いましたが、漣さまはあなたの名誉のために怒ってくださったのです」
「そ、そうなんですか。ありがたいことです」

 なんか、漣さまにも馬蝋さんにも、悪いことをしちゃったな。
 彼らはなにも悪くなく、行き違いがあっただけなのに。
 しょぼんとしている私を気楽にさせるためか、孤氷さんは苦笑いしてこう言った。

「もっとも、漣さまは普段から宦官への当たりが強いことで有名です。総太監は誠実で温厚な方ですが、それでも漣さまにとっては虫が好かないと言うのか、馬が合わない部分があるのでしょう。いつもニヤニヤしているのが胡散臭い、とおっしゃっていたこともあります」

 半ば言いがかりだな、そこまで行くと。
 馬蝋さんはお顔の肉が厚く目が細いので、常に笑っているように見えるのだ。
 言われてみれば、川久(せんきゅう)太監など一部の宦官も漣さまに苦手感情を持っていた。
 宦官に限らず、南苑のお妃さまの多くも漣さまと親しく交際しない。
 以前に聞かされていた通り「人付き合いに激しい偏りがある方」なのだよな。
 寝床に就き、私は静寂の闇の中で、みなさんに謝罪する。

 だって、獏のやつを拉致して世間から隠したのは、私たちなのだから。

 今は椿珠さんの手引きのもと、司午別邸で監禁、あるいは保護されているのだろう。
 先日に私が乙さんを介してみんなに授けた策略、その「プランA」が実行された形になる。

「もしも獏さんが欧(おう)美人の不倫事件に関わっていたなら、しばらく閉じ込めておいてください。まったくの無関係であるようなら、家庭教師の採用もなかったことにして、別の書官に訊問の狙いを変えてください」

 私が仲間たちに頼んだ第一の作戦が、それである。
 もし条件がAなら作戦αを、条件Bなら作戦βをという、イフ文のプログラムコードが走ったということだ。
 獏が事件の関係者の一人であるという確証を、椿珠さんたちは得ることができたのだね。
 散々に酒でも飲ませて口走らせたのか、猥談に持ち込んでうっかり白状させたのか。
 その辺りの手練手管で椿珠さんに適うやつはそうそういない。
 東庁から獏が消えたという事実が、プランAの発動を私に間接的に知らせることができる、というわけね。
 どの道、宮妃との不適切な関係が明るみになれば、獏のやつは逮捕、拷問、裁判、処罰のコンボを食らってしまうわけで。
 そうなると私たちが独自に彼から情報を得ることは不可能になる。
 この段階で獏にいちゃんの身柄を押さえて世間から隠すことは、必要な措置だったのだ。

「作戦の第二部も、上手く運んでくれるといいけど」
 
 声に出さず、祈るような気持ちで私は思う。
 私の仕掛けはこれだけでは終わらず、二部三部四部と波状攻撃を用意している。
 けれど。
 明日以降、その作戦の都合上、私は仲間たちと連絡を取ることができない。
 私は私、みんなはみんな、切り離されたスタンドアローンの状態でことを進めなければいけない。

「いくら信じていても、離れてるってことは、やっぱり不安だな」

 昼間、偉そうに玄霧さんに言ったことが、私にそのまま跳ね返る。
 人事は尽くしているし、人の和もこちらにある。
 しかし天の理が私たちに味方するかどうかは。
 ああ、祈るしかないのだ。
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