毒炎の侍女、後宮に戻り見えざる敵と戦う ~泣き虫れおなの絶叫昂国日誌・第三部~

西川 旭

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第十六章 災厄と希望の匣

百三十六話 幻夢

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 次の日は朝から、後宮南門の外にある人工池の様子を私は見に来ている。
 いつだったか、百憩(ひゃっけい)さんを相手に沸教(ふっきょう)問答をした、あの場所である。
 こういうところのゴミ掃除も私たちの仕事の一部、と言うのは建前で。

「乙さん、ちゃんと仕事してくれてるな」

 池のほとりにある、座るのに良い感じの、大きく滑らかな岩。
 その下部、地面との隙間に小さな紙片が挟まっているのを発見する。
 私はそれを広げて、なにが書かれているか確認した。
 記されている字句は。

 大道既偏貶 
 禍深至城辺 
 病疫悉殺民 
 日嘗仰没塵
 
 天下の正道はすでに遍(あまね)く貶められ、禍(わざわい)は深く都城の内外に至る。
 病疫は民をことごとく殺し、かつて仰いだ太陽も塵の中に没するだろう。

 そんな意味合いの、実に不吉な破滅の予告文。
「昂」と言う、日昇を意味する名の国に差し出された、最大級の不幸の手紙。
 今頃これがお城の中だけでなく、市場や城下町一帯にもばら撒かれていることだろう。
 文面は今は亡き心の師が作ったものを、大幅に借用したものだ。

「さあ、プランAの第二部も始動したぞ」

 もちろんこれは私が企画して、お城に詰めている乙さんや、市場をうろついている椿珠(ちんじゅ)さんに頼んだことだ。
 不吉な文言が書かれたこの怪文書を、ばら撒けるだけばら撒いてくれと。
 乙さんは他にも尾州(びしゅう)の情報員仲間と連携して、お城で仕事しているはず。
 彼らの協力があれば文書は瞬く間に河旭(かきょく)の街に拡散し、市中は悪い噂で持ち切りになるだろう。
 けれど平時ならばこんな怪文書は、タチの悪いバカか子どものいたずらであろうと、大した騒ぎにならない可能性がある。
 しかし私は先手として「大した騒ぎになってしまう可能性の種」を、すでに撒いてあるのだ。

「斗羅畏さん、ゴメンねえ。ホント、あなたに恨みはないんだけど、今だけ少し、ご迷惑をおかけします」

 北東の方角を向いて、キリリとした眉の無骨なイケメンを頭に想い、手を合わせ謝罪する。
 どういうことかと言うのは、視線の先からやって来る、人の好い宦官が明示してくれるだろう。
 のしのしと大きい体のお肉を揺らし、汗かき息を切らして馬蝋(ばろう)総太監が早歩きして、私の前に立ち。

「せ、正妃殿下と皇太后さまが、城の周辺に出回っている怪しげな書について、麗女史に話を聞きたいと……!」

 おっしゃあ、予想通り食いついたあああ!!
 私が以前、正妃さまに話したこと。

「斗羅畏さんは、場合によってはやらかす男です」

 その情報が、ここで正しく機能し効果を発揮したのだ。
 正妃さまたちはおそらく、この怪文書を「旧青牙部勢力からの恐喝、脅迫」ではないか、その可能性は捨てきれないのではないか、そう思っているはずだ。
 書かれている内容では、仕掛けた当事者、主語の部分が曖昧になっている。
 そのために、誰がなんの目的でこんなビラを撒いているのか、わけがわからなくて疑心暗鬼になっている人が、朝廷首脳部の中にいるのだろう。
 なおかつ、麻耶(まや)さんの師であった馬蝋さんは、この文面を記憶している可能性が高かったからね。
 覇聖鳳(はせお)が後宮を襲ったときと同じく、不味いことが起きつつあるというアラームが、頭の中で鳴り響いたことだろう。
 うんうん、危険や不可解への備えと警戒は、細かく鋭い方が良い。
 私にとっても嬉しい対応だよ。
 馬蝋さんを安心させるため、私はなるべく自然な、柔らかい笑顔を作り、言った。 

「後宮を離れるなら、とりあえず漣(れん)さまに報告したいですね」
「え、ええ、それはもちろん、お断わりを入れるのが道理です。拙(せつ)も事情を話しますので、ささ、参りましょうぞ」

 焦る馬蝋さんに続き、私も池から移動して南苑へ。
 これこれこういう事情で、正妃さまと皇太后さまが私に話を聞きたがっている、と馬蝋さんは説明し。

「しばらく麗女史にご協力いただいても、構わぬでしょうか」

 丁寧に礼を踏まえて馬蝋さんは漣さまにお願いする。
 私は一向に構わーん!
 呼ばれた先で、お偉方になにをどう話すか、頭の中で最終整理をしていたら。

「あかーん。おかしなことになっとるっちゅうなら、余計にここにおってもらわな困るわあ。うちらと紅(こう)ちゃんたちは、南苑から動かれへんよ」

 こともあろうに漣さまが、私の思索とこれからの作戦遂行を邪魔する発言を口にしたのだ。
 ええええ、ちょ、私こそ困るんですけどぉ!?
 漣さまの言い分を丁寧に言語化するとこうである、という内容を孤氷(こひょう)さんが説明した。

「都城に不穏な気配があるのでしたら、なおさら漣さまは太陽と四神に祈りを捧げ、塀貴妃は護法を以て朱蜂宮(しゅほうきゅう)を守らねばなりません。その支えを部屋の侍女も全力で行わなければなりませんから、今、麗が皇太后さまのもとに赴かれることはなりません」

 なんだよぉ、なんでそうなるんだよォ~!
 私なんて漣さまの部屋付き侍女の中では、おまけの予備要員だったはずじゃないのか!?
 私は、私の作戦のために!
 なるべく自由にフラフラと歩き回りたいし、これから偉い人たちの前で一席、ブチ上げなければならないのに!!
 どうにか、どうにかして。
 漣さまの部屋から離れ、後宮を出なければ。
 くっそお。
 用意していた中で、最凶最悪の手を。
 今、使わなければならないのか!?
 この策はもっと、ギリギリの際まで取っておきたかったんだけれどなあ。
 一回やったらもうネタがばれちゃって、そのあとは使えなくなっちゃうタイプの小細工だからね。
 馬蝋さんと漣さまは押し問答を続け、孤氷さんたち侍女は、そのフォローに当たっている。
 誰も私に注目していない、今一瞬。
 このタイミングしか、ない!

「ごくん」

 みんなの目を盗んで、あるものを一気に飲み込み、すぐに素知らぬ顔に戻る私。
 体内で効果が表れるまで、適当なことを言って時間稼ぎと洒落込むかね。

「どうでしょう、私たちが漣さまの側を離れられないなら、正妃さまたちに南苑に来ていただくというのは」
「う、ううむ、それはそれで難しいことでございますが……美妃殿下、せめて夕刻のお祈りが済んでからではいけないものでしょうか?」

 私の提案に難色を示した馬蝋さんが、漣さまに頼み込む。

「えー、嫌やあ」
「そ、それはいかような理由で」
「うーん、なんとなく?」

 まさに糠に釘のような塩対応を決め込まれて、馬蝋さんは泣きそうになっている。
 そんなふわっとした雰囲気で足止めされちゃあ、こっちもやってられねーんだワ。
 事態の解明が進まない以上は、自分の周りの環境を変えたくないという気持ちが漣さまにはあるのだろうか。
 そのとき、騒ぎにどう対処するかを相談すべく、硬く緊張した表情の塀(へい)貴妃が、お部屋にやって来て問いを発した。

「漣、準備しているのは厄病除けの願ですか?」

 脅迫文の中には疫病に関する文言が書かれている。
 それを防ぐためのお祈りをするのかと、塀貴妃は尋ねたのだな。
 しかし漣さまはゆっくりと首を横に振り、答えた。

「ううん、諍(いさか)いごとの鎮静やね。人が仕掛けたことみたいやし。誰かさんと誰かさんが喧嘩でもしとんのやろ。いたずらやとしても、嫌がらせしたい相手がおるっちゅうこっちゃねんな」

 素朴な直観で、漣さまは状況を見抜いていた。
 そう、これは私たちと、いまだベールに包まれた敵との私闘でしかない。
 戦争でもなければ天災でもなく、ただの喧嘩、いやがらせなのだ。
 なるほどと塀貴妃も頷きを返し。

「ならば私も、人々の怒りや憎み合う心を安撫(あんぶ)する札を書くとしましょう」
「頼むわあー」

 漣さまと塀貴妃の指示のもと、私たちは中庭に祭祀祈願の場を整える。
 まるで、なにかの災いが起こることをあらかじめ予見していたかのような、動きの早さと段取りの良さであった。
 漣さまが作り、塀貴妃が苦笑いで観賞したあの箱庭。
 四神と、不吉な渦。
 あれがなにかを暗示していて、二人の中では今の状況も想定されていたのだろうか?
 もしそうだとしたら南苑コンビ、想像以上にヤバい存在だ。
 良い意味でも、悪い意味でも。
 敷物やかがり火、儀式に使う酒杯などを運んで用意している、そのとき。

「うぇ、うぐ、うぐぐぅ」

 私は、口を掌で抑えて、その場にうずくまる。
 重度の風邪やインフルエンザ、あるいはノロウイルスにかかったような。
 眩暈、吐き気、悪寒、手足の痛みと痺れ、耳鳴り。
 そして、幻覚と幻聴。
 ありとあらゆる体調不良のオンパレードが私を襲い、しまいには全身がガクガクと痙攣する。
 
「ど、どうしたのです、麗!?」

 孤氷さんが慌てて駆け寄り、私の背中をさすってくれた。
 
「あ、あっががっが、あぐギギギィ」

 目の前に炎と煙が広がり、人々の鳴き叫ぶ声が頭蓋の中に反響する。
 私は奥歯をガチガチと鳴らしてよだれを垂らし、呂律の回らない状態で、呻くようにうわ言を放つ。

「は、覇聖鳳(はせお)が、ぜんぶ、焼いちゃうんだ」
「れ、麗女史、しっかりなされよ。覇聖鳳はもうこの世には……」

 馬蝋さんも私の傍に来て、妄言を否定する。
 それでも私の悪夢は止まらない。

「覇聖鳳の亡霊が、斗羅畏(とらい)さんに乗り移って、角州(かくしゅう)も、翼州(よくしゅう)も、朱蜂宮も(しゅほうきゅう)も、燃やし尽くしちゃうんだ。あああ、うぁああ」

 その場に這いつくばり、地べたを狂ったように両手の爪を立てて掻き毟りながら、涙と涎を垂らして私が慟哭する。
 中庭で作業していたすべての人の姿は消えて、見渡す限りの業火、黒煙、阿鼻叫喚。

「麗! 麗! しっかり! だ、誰か、早くお医者さまを!!」

 悲痛に叫ぶような、孤氷さんの声が微かに聞こえた。

「紅(こう)ちゃん、眠らせた方がええ! 札を貼ってやりいや!」
「だ、だめなのです、この子、呪符は効かないのですから……!!」
「なんっでやねん!?」

 漣さまも、塀貴妃も。
 こんな私を、本気で心配してくれている。
 どうしようもない性悪で、嘘つきで、小娘の形をした災厄を。
 自分から毒よ飲むような、大馬鹿者を。
 濃縮した毒キノコのエキスがたっぷり溶けた蒸留酒を、自分から飲み込んで幻覚にうなされ卒倒するような、頭のおかしい女を。
 ごめんなさい、みなさん。
 許されないことでしょうけれど、私は本当に、悪いと思っているのです。
 でも、これで。
 南苑から、出られるぞ。
 なんの病気で倒れたかわからない私を、お妃さまたちが多く暮らす後宮に置いておけるはずもない。
 もしも伝染病なら、一網打尽だからね。
 これから後宮の外にある薬医局に、私は運ばれるはずなのだ。

「ごめんなさい、ごめんなさい、私、また、守れなかった。助けられなかった」

 過去の後悔か、未来の予知か。
 私はどろどろとした罪悪感と自己嫌悪の沼に沈められて、普段は抑えて忘れていた恐怖と絶望の化物たちに体中を噛みつかれる。
 キノコの毒が効果を失い、正常な意識が戻るまで、約半日。
 すでに私は、自分の体で実証を済ませて知っている。
 知は力であり、凶器なのだ。
 半日の空白は痛いけれど、仕方がない。
 私が倒れるのは計算外だから、乙さんは驚くだろう。
 いつも皮肉におどけるあの顔が歪むのを見られないのが、少し残念だな。
 そう思いながら、私は気を失った。
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