26 / 40
第十六章 災厄と希望の匣
百三十六話 幻夢
しおりを挟む
次の日は朝から、後宮南門の外にある人工池の様子を私は見に来ている。
いつだったか、百憩(ひゃっけい)さんを相手に沸教(ふっきょう)問答をした、あの場所である。
こういうところのゴミ掃除も私たちの仕事の一部、と言うのは建前で。
「乙さん、ちゃんと仕事してくれてるな」
池のほとりにある、座るのに良い感じの、大きく滑らかな岩。
その下部、地面との隙間に小さな紙片が挟まっているのを発見する。
私はそれを広げて、なにが書かれているか確認した。
記されている字句は。
大道既偏貶
禍深至城辺
病疫悉殺民
日嘗仰没塵
天下の正道はすでに遍(あまね)く貶められ、禍(わざわい)は深く都城の内外に至る。
病疫は民をことごとく殺し、かつて仰いだ太陽も塵の中に没するだろう。
そんな意味合いの、実に不吉な破滅の予告文。
「昂」と言う、日昇を意味する名の国に差し出された、最大級の不幸の手紙。
今頃これがお城の中だけでなく、市場や城下町一帯にもばら撒かれていることだろう。
文面は今は亡き心の師が作ったものを、大幅に借用したものだ。
「さあ、プランAの第二部も始動したぞ」
もちろんこれは私が企画して、お城に詰めている乙さんや、市場をうろついている椿珠(ちんじゅ)さんに頼んだことだ。
不吉な文言が書かれたこの怪文書を、ばら撒けるだけばら撒いてくれと。
乙さんは他にも尾州(びしゅう)の情報員仲間と連携して、お城で仕事しているはず。
彼らの協力があれば文書は瞬く間に河旭(かきょく)の街に拡散し、市中は悪い噂で持ち切りになるだろう。
けれど平時ならばこんな怪文書は、タチの悪いバカか子どものいたずらであろうと、大した騒ぎにならない可能性がある。
しかし私は先手として「大した騒ぎになってしまう可能性の種」を、すでに撒いてあるのだ。
「斗羅畏さん、ゴメンねえ。ホント、あなたに恨みはないんだけど、今だけ少し、ご迷惑をおかけします」
北東の方角を向いて、キリリとした眉の無骨なイケメンを頭に想い、手を合わせ謝罪する。
どういうことかと言うのは、視線の先からやって来る、人の好い宦官が明示してくれるだろう。
のしのしと大きい体のお肉を揺らし、汗かき息を切らして馬蝋(ばろう)総太監が早歩きして、私の前に立ち。
「せ、正妃殿下と皇太后さまが、城の周辺に出回っている怪しげな書について、麗女史に話を聞きたいと……!」
おっしゃあ、予想通り食いついたあああ!!
私が以前、正妃さまに話したこと。
「斗羅畏さんは、場合によってはやらかす男です」
その情報が、ここで正しく機能し効果を発揮したのだ。
正妃さまたちはおそらく、この怪文書を「旧青牙部勢力からの恐喝、脅迫」ではないか、その可能性は捨てきれないのではないか、そう思っているはずだ。
書かれている内容では、仕掛けた当事者、主語の部分が曖昧になっている。
そのために、誰がなんの目的でこんなビラを撒いているのか、わけがわからなくて疑心暗鬼になっている人が、朝廷首脳部の中にいるのだろう。
なおかつ、麻耶(まや)さんの師であった馬蝋さんは、この文面を記憶している可能性が高かったからね。
覇聖鳳(はせお)が後宮を襲ったときと同じく、不味いことが起きつつあるというアラームが、頭の中で鳴り響いたことだろう。
うんうん、危険や不可解への備えと警戒は、細かく鋭い方が良い。
私にとっても嬉しい対応だよ。
馬蝋さんを安心させるため、私はなるべく自然な、柔らかい笑顔を作り、言った。
「後宮を離れるなら、とりあえず漣(れん)さまに報告したいですね」
「え、ええ、それはもちろん、お断わりを入れるのが道理です。拙(せつ)も事情を話しますので、ささ、参りましょうぞ」
焦る馬蝋さんに続き、私も池から移動して南苑へ。
これこれこういう事情で、正妃さまと皇太后さまが私に話を聞きたがっている、と馬蝋さんは説明し。
「しばらく麗女史にご協力いただいても、構わぬでしょうか」
丁寧に礼を踏まえて馬蝋さんは漣さまにお願いする。
私は一向に構わーん!
呼ばれた先で、お偉方になにをどう話すか、頭の中で最終整理をしていたら。
「あかーん。おかしなことになっとるっちゅうなら、余計にここにおってもらわな困るわあ。うちらと紅(こう)ちゃんたちは、南苑から動かれへんよ」
こともあろうに漣さまが、私の思索とこれからの作戦遂行を邪魔する発言を口にしたのだ。
ええええ、ちょ、私こそ困るんですけどぉ!?
漣さまの言い分を丁寧に言語化するとこうである、という内容を孤氷(こひょう)さんが説明した。
「都城に不穏な気配があるのでしたら、なおさら漣さまは太陽と四神に祈りを捧げ、塀貴妃は護法を以て朱蜂宮(しゅほうきゅう)を守らねばなりません。その支えを部屋の侍女も全力で行わなければなりませんから、今、麗が皇太后さまのもとに赴かれることはなりません」
なんだよぉ、なんでそうなるんだよォ~!
私なんて漣さまの部屋付き侍女の中では、おまけの予備要員だったはずじゃないのか!?
私は、私の作戦のために!
なるべく自由にフラフラと歩き回りたいし、これから偉い人たちの前で一席、ブチ上げなければならないのに!!
どうにか、どうにかして。
漣さまの部屋から離れ、後宮を出なければ。
くっそお。
用意していた中で、最凶最悪の手を。
今、使わなければならないのか!?
この策はもっと、ギリギリの際まで取っておきたかったんだけれどなあ。
一回やったらもうネタがばれちゃって、そのあとは使えなくなっちゃうタイプの小細工だからね。
馬蝋さんと漣さまは押し問答を続け、孤氷さんたち侍女は、そのフォローに当たっている。
誰も私に注目していない、今一瞬。
このタイミングしか、ない!
「ごくん」
みんなの目を盗んで、あるものを一気に飲み込み、すぐに素知らぬ顔に戻る私。
体内で効果が表れるまで、適当なことを言って時間稼ぎと洒落込むかね。
「どうでしょう、私たちが漣さまの側を離れられないなら、正妃さまたちに南苑に来ていただくというのは」
「う、ううむ、それはそれで難しいことでございますが……美妃殿下、せめて夕刻のお祈りが済んでからではいけないものでしょうか?」
私の提案に難色を示した馬蝋さんが、漣さまに頼み込む。
「えー、嫌やあ」
「そ、それはいかような理由で」
「うーん、なんとなく?」
まさに糠に釘のような塩対応を決め込まれて、馬蝋さんは泣きそうになっている。
そんなふわっとした雰囲気で足止めされちゃあ、こっちもやってられねーんだワ。
事態の解明が進まない以上は、自分の周りの環境を変えたくないという気持ちが漣さまにはあるのだろうか。
そのとき、騒ぎにどう対処するかを相談すべく、硬く緊張した表情の塀(へい)貴妃が、お部屋にやって来て問いを発した。
「漣、準備しているのは厄病除けの願ですか?」
脅迫文の中には疫病に関する文言が書かれている。
それを防ぐためのお祈りをするのかと、塀貴妃は尋ねたのだな。
しかし漣さまはゆっくりと首を横に振り、答えた。
「ううん、諍(いさか)いごとの鎮静やね。人が仕掛けたことみたいやし。誰かさんと誰かさんが喧嘩でもしとんのやろ。いたずらやとしても、嫌がらせしたい相手がおるっちゅうこっちゃねんな」
素朴な直観で、漣さまは状況を見抜いていた。
そう、これは私たちと、いまだベールに包まれた敵との私闘でしかない。
戦争でもなければ天災でもなく、ただの喧嘩、いやがらせなのだ。
なるほどと塀貴妃も頷きを返し。
「ならば私も、人々の怒りや憎み合う心を安撫(あんぶ)する札を書くとしましょう」
「頼むわあー」
漣さまと塀貴妃の指示のもと、私たちは中庭に祭祀祈願の場を整える。
まるで、なにかの災いが起こることをあらかじめ予見していたかのような、動きの早さと段取りの良さであった。
漣さまが作り、塀貴妃が苦笑いで観賞したあの箱庭。
四神と、不吉な渦。
あれがなにかを暗示していて、二人の中では今の状況も想定されていたのだろうか?
もしそうだとしたら南苑コンビ、想像以上にヤバい存在だ。
良い意味でも、悪い意味でも。
敷物やかがり火、儀式に使う酒杯などを運んで用意している、そのとき。
「うぇ、うぐ、うぐぐぅ」
私は、口を掌で抑えて、その場にうずくまる。
重度の風邪やインフルエンザ、あるいはノロウイルスにかかったような。
眩暈、吐き気、悪寒、手足の痛みと痺れ、耳鳴り。
そして、幻覚と幻聴。
ありとあらゆる体調不良のオンパレードが私を襲い、しまいには全身がガクガクと痙攣する。
「ど、どうしたのです、麗!?」
孤氷さんが慌てて駆け寄り、私の背中をさすってくれた。
「あ、あっががっが、あぐギギギィ」
目の前に炎と煙が広がり、人々の鳴き叫ぶ声が頭蓋の中に反響する。
私は奥歯をガチガチと鳴らしてよだれを垂らし、呂律の回らない状態で、呻くようにうわ言を放つ。
「は、覇聖鳳(はせお)が、ぜんぶ、焼いちゃうんだ」
「れ、麗女史、しっかりなされよ。覇聖鳳はもうこの世には……」
馬蝋さんも私の傍に来て、妄言を否定する。
それでも私の悪夢は止まらない。
「覇聖鳳の亡霊が、斗羅畏(とらい)さんに乗り移って、角州(かくしゅう)も、翼州(よくしゅう)も、朱蜂宮も(しゅほうきゅう)も、燃やし尽くしちゃうんだ。あああ、うぁああ」
その場に這いつくばり、地べたを狂ったように両手の爪を立てて掻き毟りながら、涙と涎を垂らして私が慟哭する。
中庭で作業していたすべての人の姿は消えて、見渡す限りの業火、黒煙、阿鼻叫喚。
「麗! 麗! しっかり! だ、誰か、早くお医者さまを!!」
悲痛に叫ぶような、孤氷さんの声が微かに聞こえた。
「紅(こう)ちゃん、眠らせた方がええ! 札を貼ってやりいや!」
「だ、だめなのです、この子、呪符は効かないのですから……!!」
「なんっでやねん!?」
漣さまも、塀貴妃も。
こんな私を、本気で心配してくれている。
どうしようもない性悪で、嘘つきで、小娘の形をした災厄を。
自分から毒よ飲むような、大馬鹿者を。
濃縮した毒キノコのエキスがたっぷり溶けた蒸留酒を、自分から飲み込んで幻覚にうなされ卒倒するような、頭のおかしい女を。
ごめんなさい、みなさん。
許されないことでしょうけれど、私は本当に、悪いと思っているのです。
でも、これで。
南苑から、出られるぞ。
なんの病気で倒れたかわからない私を、お妃さまたちが多く暮らす後宮に置いておけるはずもない。
もしも伝染病なら、一網打尽だからね。
これから後宮の外にある薬医局に、私は運ばれるはずなのだ。
「ごめんなさい、ごめんなさい、私、また、守れなかった。助けられなかった」
過去の後悔か、未来の予知か。
私はどろどろとした罪悪感と自己嫌悪の沼に沈められて、普段は抑えて忘れていた恐怖と絶望の化物たちに体中を噛みつかれる。
キノコの毒が効果を失い、正常な意識が戻るまで、約半日。
すでに私は、自分の体で実証を済ませて知っている。
知は力であり、凶器なのだ。
半日の空白は痛いけれど、仕方がない。
私が倒れるのは計算外だから、乙さんは驚くだろう。
いつも皮肉におどけるあの顔が歪むのを見られないのが、少し残念だな。
そう思いながら、私は気を失った。
いつだったか、百憩(ひゃっけい)さんを相手に沸教(ふっきょう)問答をした、あの場所である。
こういうところのゴミ掃除も私たちの仕事の一部、と言うのは建前で。
「乙さん、ちゃんと仕事してくれてるな」
池のほとりにある、座るのに良い感じの、大きく滑らかな岩。
その下部、地面との隙間に小さな紙片が挟まっているのを発見する。
私はそれを広げて、なにが書かれているか確認した。
記されている字句は。
大道既偏貶
禍深至城辺
病疫悉殺民
日嘗仰没塵
天下の正道はすでに遍(あまね)く貶められ、禍(わざわい)は深く都城の内外に至る。
病疫は民をことごとく殺し、かつて仰いだ太陽も塵の中に没するだろう。
そんな意味合いの、実に不吉な破滅の予告文。
「昂」と言う、日昇を意味する名の国に差し出された、最大級の不幸の手紙。
今頃これがお城の中だけでなく、市場や城下町一帯にもばら撒かれていることだろう。
文面は今は亡き心の師が作ったものを、大幅に借用したものだ。
「さあ、プランAの第二部も始動したぞ」
もちろんこれは私が企画して、お城に詰めている乙さんや、市場をうろついている椿珠(ちんじゅ)さんに頼んだことだ。
不吉な文言が書かれたこの怪文書を、ばら撒けるだけばら撒いてくれと。
乙さんは他にも尾州(びしゅう)の情報員仲間と連携して、お城で仕事しているはず。
彼らの協力があれば文書は瞬く間に河旭(かきょく)の街に拡散し、市中は悪い噂で持ち切りになるだろう。
けれど平時ならばこんな怪文書は、タチの悪いバカか子どものいたずらであろうと、大した騒ぎにならない可能性がある。
しかし私は先手として「大した騒ぎになってしまう可能性の種」を、すでに撒いてあるのだ。
「斗羅畏さん、ゴメンねえ。ホント、あなたに恨みはないんだけど、今だけ少し、ご迷惑をおかけします」
北東の方角を向いて、キリリとした眉の無骨なイケメンを頭に想い、手を合わせ謝罪する。
どういうことかと言うのは、視線の先からやって来る、人の好い宦官が明示してくれるだろう。
のしのしと大きい体のお肉を揺らし、汗かき息を切らして馬蝋(ばろう)総太監が早歩きして、私の前に立ち。
「せ、正妃殿下と皇太后さまが、城の周辺に出回っている怪しげな書について、麗女史に話を聞きたいと……!」
おっしゃあ、予想通り食いついたあああ!!
私が以前、正妃さまに話したこと。
「斗羅畏さんは、場合によってはやらかす男です」
その情報が、ここで正しく機能し効果を発揮したのだ。
正妃さまたちはおそらく、この怪文書を「旧青牙部勢力からの恐喝、脅迫」ではないか、その可能性は捨てきれないのではないか、そう思っているはずだ。
書かれている内容では、仕掛けた当事者、主語の部分が曖昧になっている。
そのために、誰がなんの目的でこんなビラを撒いているのか、わけがわからなくて疑心暗鬼になっている人が、朝廷首脳部の中にいるのだろう。
なおかつ、麻耶(まや)さんの師であった馬蝋さんは、この文面を記憶している可能性が高かったからね。
覇聖鳳(はせお)が後宮を襲ったときと同じく、不味いことが起きつつあるというアラームが、頭の中で鳴り響いたことだろう。
うんうん、危険や不可解への備えと警戒は、細かく鋭い方が良い。
私にとっても嬉しい対応だよ。
馬蝋さんを安心させるため、私はなるべく自然な、柔らかい笑顔を作り、言った。
「後宮を離れるなら、とりあえず漣(れん)さまに報告したいですね」
「え、ええ、それはもちろん、お断わりを入れるのが道理です。拙(せつ)も事情を話しますので、ささ、参りましょうぞ」
焦る馬蝋さんに続き、私も池から移動して南苑へ。
これこれこういう事情で、正妃さまと皇太后さまが私に話を聞きたがっている、と馬蝋さんは説明し。
「しばらく麗女史にご協力いただいても、構わぬでしょうか」
丁寧に礼を踏まえて馬蝋さんは漣さまにお願いする。
私は一向に構わーん!
呼ばれた先で、お偉方になにをどう話すか、頭の中で最終整理をしていたら。
「あかーん。おかしなことになっとるっちゅうなら、余計にここにおってもらわな困るわあ。うちらと紅(こう)ちゃんたちは、南苑から動かれへんよ」
こともあろうに漣さまが、私の思索とこれからの作戦遂行を邪魔する発言を口にしたのだ。
ええええ、ちょ、私こそ困るんですけどぉ!?
漣さまの言い分を丁寧に言語化するとこうである、という内容を孤氷(こひょう)さんが説明した。
「都城に不穏な気配があるのでしたら、なおさら漣さまは太陽と四神に祈りを捧げ、塀貴妃は護法を以て朱蜂宮(しゅほうきゅう)を守らねばなりません。その支えを部屋の侍女も全力で行わなければなりませんから、今、麗が皇太后さまのもとに赴かれることはなりません」
なんだよぉ、なんでそうなるんだよォ~!
私なんて漣さまの部屋付き侍女の中では、おまけの予備要員だったはずじゃないのか!?
私は、私の作戦のために!
なるべく自由にフラフラと歩き回りたいし、これから偉い人たちの前で一席、ブチ上げなければならないのに!!
どうにか、どうにかして。
漣さまの部屋から離れ、後宮を出なければ。
くっそお。
用意していた中で、最凶最悪の手を。
今、使わなければならないのか!?
この策はもっと、ギリギリの際まで取っておきたかったんだけれどなあ。
一回やったらもうネタがばれちゃって、そのあとは使えなくなっちゃうタイプの小細工だからね。
馬蝋さんと漣さまは押し問答を続け、孤氷さんたち侍女は、そのフォローに当たっている。
誰も私に注目していない、今一瞬。
このタイミングしか、ない!
「ごくん」
みんなの目を盗んで、あるものを一気に飲み込み、すぐに素知らぬ顔に戻る私。
体内で効果が表れるまで、適当なことを言って時間稼ぎと洒落込むかね。
「どうでしょう、私たちが漣さまの側を離れられないなら、正妃さまたちに南苑に来ていただくというのは」
「う、ううむ、それはそれで難しいことでございますが……美妃殿下、せめて夕刻のお祈りが済んでからではいけないものでしょうか?」
私の提案に難色を示した馬蝋さんが、漣さまに頼み込む。
「えー、嫌やあ」
「そ、それはいかような理由で」
「うーん、なんとなく?」
まさに糠に釘のような塩対応を決め込まれて、馬蝋さんは泣きそうになっている。
そんなふわっとした雰囲気で足止めされちゃあ、こっちもやってられねーんだワ。
事態の解明が進まない以上は、自分の周りの環境を変えたくないという気持ちが漣さまにはあるのだろうか。
そのとき、騒ぎにどう対処するかを相談すべく、硬く緊張した表情の塀(へい)貴妃が、お部屋にやって来て問いを発した。
「漣、準備しているのは厄病除けの願ですか?」
脅迫文の中には疫病に関する文言が書かれている。
それを防ぐためのお祈りをするのかと、塀貴妃は尋ねたのだな。
しかし漣さまはゆっくりと首を横に振り、答えた。
「ううん、諍(いさか)いごとの鎮静やね。人が仕掛けたことみたいやし。誰かさんと誰かさんが喧嘩でもしとんのやろ。いたずらやとしても、嫌がらせしたい相手がおるっちゅうこっちゃねんな」
素朴な直観で、漣さまは状況を見抜いていた。
そう、これは私たちと、いまだベールに包まれた敵との私闘でしかない。
戦争でもなければ天災でもなく、ただの喧嘩、いやがらせなのだ。
なるほどと塀貴妃も頷きを返し。
「ならば私も、人々の怒りや憎み合う心を安撫(あんぶ)する札を書くとしましょう」
「頼むわあー」
漣さまと塀貴妃の指示のもと、私たちは中庭に祭祀祈願の場を整える。
まるで、なにかの災いが起こることをあらかじめ予見していたかのような、動きの早さと段取りの良さであった。
漣さまが作り、塀貴妃が苦笑いで観賞したあの箱庭。
四神と、不吉な渦。
あれがなにかを暗示していて、二人の中では今の状況も想定されていたのだろうか?
もしそうだとしたら南苑コンビ、想像以上にヤバい存在だ。
良い意味でも、悪い意味でも。
敷物やかがり火、儀式に使う酒杯などを運んで用意している、そのとき。
「うぇ、うぐ、うぐぐぅ」
私は、口を掌で抑えて、その場にうずくまる。
重度の風邪やインフルエンザ、あるいはノロウイルスにかかったような。
眩暈、吐き気、悪寒、手足の痛みと痺れ、耳鳴り。
そして、幻覚と幻聴。
ありとあらゆる体調不良のオンパレードが私を襲い、しまいには全身がガクガクと痙攣する。
「ど、どうしたのです、麗!?」
孤氷さんが慌てて駆け寄り、私の背中をさすってくれた。
「あ、あっががっが、あぐギギギィ」
目の前に炎と煙が広がり、人々の鳴き叫ぶ声が頭蓋の中に反響する。
私は奥歯をガチガチと鳴らしてよだれを垂らし、呂律の回らない状態で、呻くようにうわ言を放つ。
「は、覇聖鳳(はせお)が、ぜんぶ、焼いちゃうんだ」
「れ、麗女史、しっかりなされよ。覇聖鳳はもうこの世には……」
馬蝋さんも私の傍に来て、妄言を否定する。
それでも私の悪夢は止まらない。
「覇聖鳳の亡霊が、斗羅畏(とらい)さんに乗り移って、角州(かくしゅう)も、翼州(よくしゅう)も、朱蜂宮も(しゅほうきゅう)も、燃やし尽くしちゃうんだ。あああ、うぁああ」
その場に這いつくばり、地べたを狂ったように両手の爪を立てて掻き毟りながら、涙と涎を垂らして私が慟哭する。
中庭で作業していたすべての人の姿は消えて、見渡す限りの業火、黒煙、阿鼻叫喚。
「麗! 麗! しっかり! だ、誰か、早くお医者さまを!!」
悲痛に叫ぶような、孤氷さんの声が微かに聞こえた。
「紅(こう)ちゃん、眠らせた方がええ! 札を貼ってやりいや!」
「だ、だめなのです、この子、呪符は効かないのですから……!!」
「なんっでやねん!?」
漣さまも、塀貴妃も。
こんな私を、本気で心配してくれている。
どうしようもない性悪で、嘘つきで、小娘の形をした災厄を。
自分から毒よ飲むような、大馬鹿者を。
濃縮した毒キノコのエキスがたっぷり溶けた蒸留酒を、自分から飲み込んで幻覚にうなされ卒倒するような、頭のおかしい女を。
ごめんなさい、みなさん。
許されないことでしょうけれど、私は本当に、悪いと思っているのです。
でも、これで。
南苑から、出られるぞ。
なんの病気で倒れたかわからない私を、お妃さまたちが多く暮らす後宮に置いておけるはずもない。
もしも伝染病なら、一網打尽だからね。
これから後宮の外にある薬医局に、私は運ばれるはずなのだ。
「ごめんなさい、ごめんなさい、私、また、守れなかった。助けられなかった」
過去の後悔か、未来の予知か。
私はどろどろとした罪悪感と自己嫌悪の沼に沈められて、普段は抑えて忘れていた恐怖と絶望の化物たちに体中を噛みつかれる。
キノコの毒が効果を失い、正常な意識が戻るまで、約半日。
すでに私は、自分の体で実証を済ませて知っている。
知は力であり、凶器なのだ。
半日の空白は痛いけれど、仕方がない。
私が倒れるのは計算外だから、乙さんは驚くだろう。
いつも皮肉におどけるあの顔が歪むのを見られないのが、少し残念だな。
そう思いながら、私は気を失った。
0
あなたにおすすめの小説
【魔女ローゼマリー伝説】~5歳で存在を忘れられた元王女の私だけど、自称美少女天才魔女として世界を救うために冒険したいと思います!~
ハムえっぐ
ファンタジー
かつて魔族が降臨し、7人の英雄によって平和がもたらされた大陸。その一国、ベルガー王国で物語は始まる。
王国の第一王女ローゼマリーは、5歳の誕生日の夜、幸せな時間のさなかに王宮を襲撃され、目の前で両親である国王夫妻を「漆黒の剣を持つ謎の黒髪の女」に殺害される。母が最後の力で放った転移魔法と「魔女ディルを頼れ」という遺言によりローゼマリーは辛くも死地を脱した。
15歳になったローゼは師ディルと別れ、両親の仇である黒髪の女を探し出すため、そして悪政により荒廃しつつある祖国の現状を確かめるため旅立つ。
国境の街ビオレールで冒険者として活動を始めたローゼは、運命的な出会いを果たす。因縁の仇と同じ黒髪と漆黒の剣を持つ少年傭兵リョウ。自由奔放で可愛いが、何か秘密を抱えていそうなエルフの美少女ベレニス。クセの強い仲間たちと共にローゼの新たな人生が動き出す。
これは王女の身分を失った最強天才魔女ローゼが、復讐の誓いを胸に仲間たちとの絆を育みながら、王国の闇や自らの運命に立ち向かう物語。友情、復讐、恋愛、魔法、剣戟、謀略が織りなす、ダークファンタジー英雄譚が、今、幕を開ける。
異世界転生目立ちたく無いから冒険者を目指します
桂崇
ファンタジー
小さな町で酒場の手伝いをする母親と2人で住む少年イールスに転生覚醒する、チートする方法も無く、母親の死により、実の父親の家に引き取られる。イールスは、冒険者になろうと目指すが、周囲はその才能を惜しんでいる
ラストアタック!〜御者のオッサン、棚ぼたで最強になる〜
KeyBow
ファンタジー
第18回ファンタジー小説大賞奨励賞受賞
ディノッゾ、36歳。職業、馬車の御者。
諸国を旅するのを生き甲斐としながらも、その実態は、酒と女が好きで、いつかは楽して暮らしたいと願う、どこにでもいる平凡なオッサンだ。
そんな男が、ある日、傲慢なSランクパーティーが挑むドラゴンの討伐に、くじ引きによって理不尽な捨て駒として巻き込まれる。
捨て駒として先行させられたディノッゾの馬車。竜との遭遇地点として聞かされていた場所より、遥か手前でそれは起こった。天を覆う巨大な影―――ドラゴンの襲撃。馬車は木っ端微塵に砕け散り、ディノッゾは、同乗していたメイドの少女リリアと共に、死の淵へと叩き落された―――はずだった。
腕には、守るべきメイドの少女。
眼下には、Sランクパーティーさえも圧倒する、伝説のドラゴン。
―――それは、ただの不運な落下のはずだった。
崩れ落ちる崖から転落する際、杖代わりにしていただけの槍が、本当に、ただ偶然にも、ドラゴンのたった一つの弱点である『逆鱗』を貫いた。
その、あまりにも幸運な事故こそが、竜の命を絶つ『最後の一撃(ラストアタック)』となったことを、彼はまだ知らない。
死の淵から生還した彼が手に入れたのは、神の如き規格外の力と、彼を「師」と慕う、新たな仲間たちだった。
だが、その力の代償は、あまりにも大きい。
彼が何よりも愛していた“酒と女と気楽な旅”――
つまり平和で自堕落な生活そのものだった。
これは、英雄になるつもりのなかった「ただのオッサン」が、
守るべき者たちのため、そして亡き友との誓いのために、
いつしか、世界を救う伝説へと祭り上げられていく物語。
―――その勘違いと優しさが、やがて世界を揺るがす。
【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
仕事繁忙期の為、2月中旬まで更新を週一に致します。
カクヨム(吉野 ひな)様にも投稿しています。
ギャルい女神と超絶チート同盟〜女神に贔屓されまくった結果、主人公クラスなチート持ち達の同盟リーダーとなってしまったんだが〜
平明神
ファンタジー
ユーゴ・タカトー。
それは、女神の「推し」になった男。
見た目ギャルな女神ユーラウリアの色仕掛けに負け、何度も異世界を救ってきた彼に新たに下った女神のお願いは、転生や転移した者達を探すこと。
彼が出会っていく者たちは、アニメやラノベの主人公を張れるほど強くて魅力的。だけど、みんなチート的な能力や武器を持つ濃いキャラで、なかなか一筋縄ではいかない者ばかり。
彼らと仲間になって同盟を組んだユーゴは、やがて彼らと共に様々な異世界を巻き込む大きな事件に関わっていく。
その過程で、彼はリーダーシップを発揮し、新たな力を開花させていくのだった!
女神から貰ったバラエティー豊かなチート能力とチートアイテムを駆使するユーゴは、どこへ行ってもみんなの度肝を抜きまくる!
さらに、彼にはもともと特殊な能力があるようで……?
英雄、聖女、魔王、人魚、侍、巫女、お嬢様、変身ヒーロー、巨大ロボット、歌姫、メイド、追放、ざまあ───
なんでもありの異世界アベンジャーズ!
女神の使徒と異世界チートな英雄たちとの絆が紡ぐ、運命の物語、ここに開幕!
※不定期更新。
※感想やお気に入り登録をして頂けますと、作者のモチベーションがあがり、エタることなくもっと面白い話が作れます。
【完結】異世界に召喚されたので、好き勝手に無双しようと思います。〜人や精霊を救う?いいえ、ついでに女神様も助けちゃおうと思います!〜
月城 蓮桜音
ファンタジー
仕事に日々全力を注ぎ、モフモフのぬいぐるみ達に癒されつつ、趣味の読書を生き甲斐にしていたハードワーカーの神木莉央は、過労死寸前に女神に頼まれて異世界へ。魔法のある世界に召喚された莉央は、魔力量の少なさから無能扱いされるが、持ち前のマイペースさと素直さで、王子と王子の幼馴染達に愛され無双して行く物語です。
※この作品は、カクヨムでも掲載しています。
神々の間では異世界転移がブームらしいです。
はぐれメタボ
ファンタジー
第1部《漆黒の少女》
楠木 優香は神様によって異世界に送られる事になった。
理由は『最近流行ってるから』
数々のチートを手にした優香は、ユウと名を変えて、薬師兼冒険者として異世界で生きる事を決める。
優しくて単純な少女の異世界冒険譚。
第2部 《精霊の紋章》
ユウの冒険の裏で、田舎の少年エリオは多くの仲間と共に、世界の命運を掛けた戦いに身を投じて行く事になる。
それは、英雄に憧れた少年の英雄譚。
第3部 《交錯する戦場》
各国が手を結び結成された人類連合と邪神を奉じる魔王に率いられた魔族軍による戦争が始まった。
人間と魔族、様々な意思と策謀が交錯する群像劇。
第4部 《新たなる神話》
戦争が終結し、邪神の討伐を残すのみとなった。
連合からの依頼を受けたユウは、援軍を率いて勇者の後を追い邪神の神殿を目指す。
それは、この世界で最も新しい神話。
【完結】異世界で魔道具チートでのんびり商売生活
シマセイ
ファンタジー
大学生・誠也は工事現場の穴に落ちて異世界へ。 物体に魔力を付与できるチートスキルを見つけ、 能力を隠しつつ魔道具を作って商業ギルドで商売開始。 のんびりスローライフを目指す毎日が幕を開ける!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる