毒炎の侍女、後宮に戻り見えざる敵と戦う ~泣き虫れおなの絶叫昂国日誌・第三部~

西川 旭

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第十六章 災厄と希望の匣

百三十七話 塗り潰し、塗り損ない

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 キノコの毒がもたらす譫妄(せんもう)と、忌まわしき幻覚が過ぎ去ったのち。
 まだ眠り続ける私が夢に見た光景は、荒野を歩く若者たちだった。
 あれは、私だ。
 私と、翔霏(しょうひ)と、軽螢(けいけい)、そして雄の白ヤギ。
 並んで椿珠(ちんじゅ)さん、玉楊(ぎょくよう)さん、最後尾を頼もしく守る巌力(がんりき)さん。
 六人と一頭のおなじみ面子が、砂塵吹き荒れる不毛の土地を進んでいる。
 みんな今より痩せて日焼けして、顔や手肌に小さな傷を多く覗かせて。
 きっと罪人として昂国(こうこく)を追い出された私たちは、彼方へ逃げるように宛てもなく、彷徨の旅路に就いているのだろうか。
 神台邑(じんだいむら)の故地に新たな楽園を築くことは、できなかったのだ。
 けれど。
 それでも、夢の中の私たちは。
 全員が、笑っていた。
 寒風も痛く、食うに困る貧しい旅でも倦むことなく。
 みんな今よりも引き締まった逞しい顔つきで、実にイイ笑みを浮かべていた。
 大変な思いをしているけれど、それ以上にみんな一回りも二回りも成長し。
 過酷な運命という旅を、楽しんでいる表情だった。

「どこに向かってるんだろう」

 暗さも悲壮感の欠片もない彼らの姿。
 自分のことなのに、羨ましいと感じてしまう。
 誰一人欠けることなく、みんな一緒だから。
 きっと、幸せに違いない。
 姿のない視点者としての私が、そんな感想を抱いたとき。

「うわ冷たい」

 額にべちゃりと水の気配を感じて、私は現実世界に覚醒するのだった。

「お、起きた……?」

 横たわる私を見下ろすのは、いつぞやの小刀侍女ちゃん。
 欧(おう)美人にけしかけられて、私に嫌がらせを仕掛けた、彼女だ。
 私の額には冷水で濡れた手拭が乗せられているので、小刀ちゃんが看病してくれていたのだろう。

「どうして、あなたがここに?」

 当然の疑問を、頭に布巾を乗せたまま上体を起こし、私は投げかける。
 毒を飲んで倒れた私は、目論見通りに後宮の外に運ばれたのだろう。
 小刀ちゃんは、私の問いに順を追って答えてくれた。

「私、麗さんに言われた通り、司午家(しごけ)のお邸に次の職の相談に行ったんです。ひとまずそこで掃除洗濯をしてくれないかって言ってもらって、ありがたいことにすぐお仕事が見つかって」
「それはなによりです。頑張って丁寧な字で紹介状を書いた甲斐がありました」

 急な頼みを受け入れてくれた、司午別邸のみなさんに感謝。

「それで、麗さんにお礼を言おうと朱蜂宮(しゅほうきゅう)に来たら、中庭でいきなり倒れて吐いたって聞いたので。私は手が空いていると言ったら、付き添って看ていてくれないかと、塀(へい)貴妃に仰せつかったんです」

 私とこの子が仲直りしたことは、漣(れん)さまや塀貴妃には伝えてある。
 だから私の看病を安心して任せたのだろう。
 はっきりした意識が戻る中で確認すると、確かに私はいつの間にか、着替えられている。
 下着まですっかり新しいものになっているので、嘔吐だけではなく失禁までしたのかもしれないな。
 うう、汚い後始末をさせて、ごめんなさい。

「なにからなにまでありがとうございました。ところでここはどこですかね」
「お城の女官さんたちの詰め所です。空いている部屋と寝床があったので、ひとまずここで看病しようと。さっきお医者さまも来たんですけど、熱はないし震えも収まったから様子を見よう、とだけおっしゃって」
「そうでしたか。お騒がせしました」

 完、璧!
 時間のロス以外は、完ッッ璧な展開だ!
 私は今、誰にも干渉されずに行動する自由をこの手に握った!
 今、病床にある私の行動を知る人は、目の前にいる気弱な小刀侍女ちゃん、ただ一人しかいない!!

「もう、気分は大丈夫なの? 喉が渇いているなら、白湯でも……」
「じゃあ、それと一緒に私の小物入れをお願いします」

 言われて小刀ちゃんは。お湯の入った土瓶と一緒に、私の布ポーチを持って来てくれた。
 気付け薬代わりに、私は常備している小粒の飴をざらざらと、大量に口の中に放り込む。
 ちなみに小物入れは二重底になっていて、そこに鋼鉄の毒串を隠している。
 どうやら怪しまれなかったようで助かった。

「あ、その飴」

 苦い顔で見る小刀ちゃん。
 そうだね、嫌な思い出だよね、あなたにとっては。
 あの物品庫でのやり取りと同じく私は今、北原流詭弁詐術奥義、靺致翻腐(まっちぽんぷ)の大規模実行展開中である。
 この子が隣にいるなんて、不思議な縁もあるもんだなと感じた。
 
「別に薬でも毒でもないですよ。ただの目覚ましです」
「ええ、わかってるわよ」

 微妙な含み笑いで返す小刀ちゃんであった。
 とは言え、糖分もビタミンもたっぷり含まれている果汁飴である。
 白湯と一緒に飲めば、点滴を打ってもらうのに近い効果を得られるはずだ。
 強烈な甘味と酸味が脳を覚醒し、次第に五臓六腑と手足にも力が戻るだろう。

「塩があるなら、それももらっていいですか?」

 お互いに少し気安くなった空気を感じ取り、私は注文を重ねる。

「わかったわ。ちょっと待ってて」

 糖分、ビタミン、塩分の摂取、ヨシ。
 動き始めた頭を動員し、まずは情報の確認である。

「南苑のみなさまは、お祈りにかかりっきりですか?」
「そう。変な書が出回ってることと、あなたが倒れたことと、いっぺんにお祈りしてお浄めしてるみたい。夜中までずっと灯りがついてたわ」
「となると今は小休憩で、このあとすぐに日の出のお祈りかあ」

 小窓から外の様子を窺うに、現在は真夜中。
 いわゆる丑三つどきかその手前あたりだろうな。

「塀貴妃はどんな様子でした?」

 漣さまはきっと、なにがあっても、いやなにかがあったからこそ、全力で祈っているに違いない。
 しかし、塀貴妃は。

「麗さんがここに運ばれるまで、付き添って下さったわ。様子を逐一知らせてくれって言われたの。目が覚めたんだから、すぐに知らせに行かないと」

 そう言って部屋を出ようとする小刀ちゃんの手を、私はぎゅっと握って引き留めた。

「あと一つだけ、お願いしていいですか?」
「え? い、いいわよ、一つと言わずなんだって。そのためにここにいるんだし。そ、その……お仕事を紹介してくれたことも、私、すごく、麗さんに感謝してるから……」

 いえ、それは司午家の方々とか、おそらくいいように口を聞いてくれた椿珠さんにお礼を言ってくださいな。
 ともあれ、彼女の好意に付け込んで、私はろくでもない頼みごとを押し付けるのだった。

「なら少しの間、私の代わりにここで寝込んでいてください。塀貴妃にもまだしばらく、私が目覚めたと知られたくないんです」
「は?」

 予想外の懇願を受けて、彼女は明確に困惑した。

「あとで誰かに見つかっても『疲れたから横になっているうちに麗は消えてしまった』とか言っておけばいいです。こっちで適当に口実はでっちあげますから」
「い、意味が分からないんだけど」
「わからなくてもいいんです。今はどうしても、そうして欲しいんです。お願いします。どうしても、そうしなければいけないんです」

 握った手を離さずに、睨むような勢いで食い下がる私を見て。

「あ、あなたがなにを考えているのか、私にはわからないけれど……」

 呟いたのちに小刀の侍女さんは、呆れた微笑を浮かべて、言った。

「言う通りにしないと、今度こそ本当に毒の飴を飲まされちゃうわね」
「やだなあ、そんなこと」

 ないとも言い切れない、私であった。
 こうして私は小刀侍女ちゃんと服を交換し、適当な化粧で顔を変えて。

「あっ」

 目の前の彼女が驚いて止める間もなく、肩まで伸びていた髪をバツリと頭の後ろでまとめて切る。
 何者でもない「おかっぱ頭の誰か」に変身した。
 コソコソと女官さんたちの目を盗み、建物の通用口を出て。
 さあ、答え合わせを、始めよう。
 私の出した解答は、何点をもらえるだろうか。

「今までさんざん、コケにしてくれたな。何万倍にもして返してやる。首を洗って待っていろよ」

 深夜未明の皇城。
 朝のお祈りを前に静かに控えるその区画を、私は足音を殺して歩き回る。
 正妃さまや皇太后さまに会って話したい事情もあるけれど、それは後回しだ。
 最後のピースを埋めるために、私は目的の人物を探し求める。
 今、私が出て来た建物と、後宮正門を同時に観察できるポイントと言えば。

「工事途中の、中書堂か」

 どこまでも、私の因縁に絡む建物だなあ。
 少し楽しくなって、私はぐるりと遠回り。
 中書堂工事現場の陰に、必ず隠れているはずの相手、その背後を突ければいいけれど。

「相手もバカじゃないし、近付く前に気付かれるかな」

 私の下手なストーキングが通用するかどうかは、朧月夜の今、不確定のギャンブルである。
 歩きながら、ふーふーと深呼吸。
 自作自演の服毒、からの病み上がりで、若干手足も痺れが残っているけれど。

「デカい声なら、負けねえ」

 一番の武器が健在であることを確認し、私は。

「ど、どうして……!?」

 今回の難問、その解答の末端である人物の、驚愕に満ちた表情を掴み取ったのだった。
 想定通り「彼女」は未完成な中書堂の工事足場の陰に、隠れるように立っていた。
 どうして私が気付いたか、分かったか。
 この答えに辿り着くことができたのか。
 今までの付き合いもあるし、親切心で教えてあげよう。

「解答がわからないときは、消去法しかないんですよ。起きたことから逆算して考えれば、あなたたちの仕業でしかありえないじゃないですか」

 これでも結構な受験戦士だったんでね。
 選択肢を潰して、最後に残ったものを拾うのは、常套手段なのだ。
 舌打ちを放って周囲を窺う「彼女」から、私は距離を保ちつつ呼びかける。

「ねえ、乙さん。いや、全部を仕組んでたのはもちろん、姜(きょう)さんでしょうけど」

 認めたくないと全力で心が叫んでいる、その答え。
 なまじっか本気で取り組んでしまったために、私はそこに辿り着いてしまった。
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