毒炎の侍女、後宮に戻り見えざる敵と戦う ~泣き虫れおなの絶叫昂国日誌・第三部~

西川 旭

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第十六章 災厄と希望の匣

百三十八話 れおなにおまかせ ON A PRAYER

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 霧が濃くなってきた。
 まるでこれから私が暴こうとする真相を、天が覆い隠して曖昧にしようとしているかのごとくに。
 しかし、そうはさせない。
 私はくだらないまでに残酷な真実を、世界に対して明らかにしなければいけないのだ。
 ああ、分からないままでいればなあ。
 漣(れん)さまのお部屋勤めをそれなりに楽しく続け、翠(すい)さまが快方に向かった頃合いを見て、角州(かくしゅう)に戻るだけのことだっただろうに。
 出産時期はずれ込むとしても、可愛らしい翠さまの赤ちゃんに出会い、おしめを取り替えたり、ぷりぷりのお尻を洗ったりして楽しく過ごしたかもしれないのに。

「央那ちゃん、やっぱりあんた、野放しにしとくとマズいね」

 建築木材の隙間から差し込む、ぼんやりとした月の光に照らされた、尾州(びしゅう)のスパイ、乙さんの顔。
 そこには普段の遊びもなく、殺意が明確に示されていた。
 うお、ただの威嚇かもしれないけれど、怖いなさすがに。
 けれど、私はもっと恐ろしいことを、すでに乗り越えて来たのだ。

「そりゃ、あの覇聖鳳(はせお)を殺した女ですから。目を離すとそこいらじゅうに毒と悪意をばらまきますよ」
「だからこそ後宮に囲って閉じ込めて、見張ってたつもりなんだけどな。まさか、自分で毒の量を調整して飲んで倒れたのかい。こんなに早く起きて動けるなんて……」

 確信を得られた真実その一。
 やっぱり姜さんが私を漣さまの部屋に放り込んだのは、私の自由を奪うためだった。
 いつもは国境の内外問わずに各地を走り回っている乙さんが、女官に化けてお城に留まっているのも。
 私を監視するためでしかなかったのだ。

「姜(きょう)さんの薫陶を受けた乙さんでも、読めなかったでしょう」
「フン、あたしはあいつの弟子でもなんでもないよ」

 一歩踏み出して近付こうとする乙さん。
 私は彼女に見せつけるようにして、小物入れから必殺の毒串を取り出す。
 おぼろげな月光の下で光る鋼鉄製のそれには、溝の部分にトリカブト混じりの毒性油脂が練り込まれていた。

「近付いたら私か乙さんが死にますけど、そこまでしたくないですよね、お互い」
「あんたより長く生きたお姉さんからの忠告だけどね。自分の命を簡単に賭け場に乗せるもんじゃないよ。繰り返すだけ値打ちが下がるってことがわかるだろ?」

 お説教を口にしながらも乙さんは歩みを止めて、私への接近を諦めた。
 こんなところで私を死なせてしまっては、司午家(しごけ)と姜さんの間に軋轢が生じる。
 優位とは言えなくても膠着状態を維持できそうだな。
 私は解答編の続きを口にした。

「一番の決め手は、玄霧(げんむ)さんが伝えてくれた情報と、そこに含まれる違和感でした。翠さまが呪いで倒れて赤ちゃんを産む時期が遅くなる。そんな一大事に、なぜ私は翠さまの横ではなく、よく知らない漣さまの部屋なんかにいるんだろう? そう仕向けたのは誰だろう?」

 乙さんに動きはない。
 けれど私は構わずに話し続ける。

「全部、姜さんがお膳立てしたことです。神台邑(じんだいむら)の宝箱とその中にあった思わせぶりな道具。その直後、見計らったように倒れた翠さま。私が漣さまのお部屋に赴く段取り。なにからなにまで、姜さんの掌の上でした。私たちは彼が思う通りに動かされていただけです」
「あいつはいつも何手先を読んであらゆることに準備してる。その一部が今回もたまたま当たっただけさ」

 常人にはありえないことだけれど、尾州の麒麟児、首狩り軍師こと姜さんなら、それは想定内のことだ。
 乙さんはそう言いたいのだろう。

「ええ、私もそう思いました。いえ、思わされました。神台邑に帰ってきた喜び、翠さまが倒れてしまった驚き、そんな精神的な揺さぶりとめまぐるしく激動する展開の中で、そう思うように仕向けられたんです」

 私は溜息をついて、手に握った見事な毒串を見つめる。
 命からがら覇聖鳳を倒し神台邑に戻って来て、感情が最高潮に昂った中でこんな立派な宝物を何種類も用意されたら、誰だって目を眩まされるだろう。
 黙ったままの乙さんに、私は今こそきっぱり、断言する。

「いくら姜さんと言えど、同じ人間です。人の形をした怪魔じゃないんです。そこまで状況を予測できるわけはない。ならいったいどういうことなのか? それはもう、最初から姜さんが用意した事件だったからです。だから、彼の思い通りに物事が運んだんです。簡単な逆算ですね」

 奥義マッチポンプの使い手は、私だけではない。
 むしろ、自分で毀(こわ)した尾州の街を自分で再建し、住民から怖れられながらも尊敬されるという、地域丸ごとの自作自演と自己完結をやってのけるのが、除葛姜と言う男なのだ。
 魔人であれば人知を超えたことを成し遂げるかもしれない。
 なにもかもお見通しで、準備や段取りをしているかもしれない。
 そう思わせることが、彼の策略の最大の要点だったのだ。

「でも、私は知っているんです。あの人が、重い本を四冊五冊抱えただけで、階段すら登れなくなるほどの、か弱い人間なんだってことを」

 建築途中の柱、確かこれは軽螢(けいけい)が据え付けたものだ。
 それを優しく撫でて、私は思い出す。
 なにも特別なことはない、文字通りのモヤシ男の姿を。
 この中書堂で、私はすでに見て、知っているのだ。
 彼も普通の人間であり、人としての情があることを。
 燃やされた神台邑の話を、目尻に涙を浮かべながら真剣に聞いてくれた、あの日の姜さんの顔を、私は記憶しているのだ。
 魔人の情けが、この事件の発端であると、私は物言わぬ乙さんの前で喝破する。

「翠さまより先に、漣さまに皇帝陛下の赤ちゃんを、産んで欲しかったんですよね、姜さんは」
「……参ったね。そこまでお見通しだなんて」
「事件が起こったとき、誰が最も利益を得られるかを考えるのは、推理の基本ですから」

 姜さんは、かつて起こった尾州の反乱において、漣さまの婚約者たちを処刑してしまった。
 それは生き残った親戚一同に対しての、精神的な負い目を姜さんの中に生み出すことになったのだ。
 漣さまが陛下の恩寵を授かるにあたって、おそらく姜さんは見えないところでかなりのリソース、物心問わぬ支援をブチ込んでいるのだろう。
 となれば、漣さまが御子を授かるのは時間の問題であり、それは尾州全体や除葛一族にとっても、大きなメリットとなる。
 損得と感情の両面で、いち早く漣さまがお世継ぎを宿すことが、姜さんにとってベストな展開なのだ。
 翠さまに眠ってもらったのは、その時間稼ぎだった。
 私の見解を聞き、疲れたような笑顔で乙さんは言った。

「そこまで読んでくれてるならさ、黙って見過ごしてくれても良かったんじゃないかい? 司午の貴妃さまもその赤ちゃんも、命に別状はないんだからさ」

 私の推測を、乙さんはほぼ全面的に認めたということだな。
 気に入らない言い草だけれど、それも一理ある。
 私が気付かない振りをするだけで、司午家も皇城も、それほど混乱なく事態をやり過ごすのだろうと思う。
 しかし。
 おそらく姜さんや乙さんが気付いてもいない、想定もしていない、女の園ならではの秘密が、一つだけ残っている。
 私が後宮に放り込まれたのはまったく不本意な経緯と顛末だけれど。
 この情報を知るために、天は私を漣さまの部屋に向かわせたのだろうか。
 教えてあげるよ、乙さん。

「漣さまは、避妊薬を飲んでいます。皇帝陛下との赤ちゃんを身籠ることはありません」
「はぁッ!?」

 子どもを作るために、皇子を孕むために。
 姜さんが遠く尾州から心血注いで面倒を見ている漣さま。
 そんな彼女が、はじめから子どもを作る気がないと思っていたら。
 あのモヤシ軍師、どんな顔をするだろうな。

「前に欧(おう)美人が、若い官僚と火遊びをして追い出されたって話がありましたよね」
「あったけど、それがなにさ。大した話でもないでしょうよ、あんな勘違い女」

 ひでー言われようだな、オイ。

「彼女は効果の高い避妊薬を常用して、不特定多数の男性たちと逢瀬を重ねていました。もし不埒の上で子どもができたりしたら大変ですからね」

 不特定多数の男性と色っぽいランデブーを繰り返していても、欧美人に妊娠騒ぎがなかったのはそれが理由だ。
 この情報を私たちは、火遊び相手の一人だった涼(りょう)獏(ばく)というチャラ男を通じて握っていた。
 純朴な想雲(そううん)くんには刺激の強い取調べだったに違いない。
 状況を想像するとちょっと萌える。

「え、じゃあまさか」

 乙さんの驚いた顔が見れて、私は満足してしまう。
 いかんぞ、まだ作戦は途中だ。

「はい、後宮の南苑ではその薬が出回っています。もともとは月経不順を治すための薬だったようですけど、漣さまは太陽と月の運行にとりわけ気を遣ってらっしゃるので、その薬で自分の体の生理も整えたかったんでしょうね」

 元々、避妊薬というのは女性の月経困難を緩和する薬から派生して作られたものだ。
 日々のお祈りのために薬を飲んでいるのか、妊娠したくないから薬を飲んでいるのか。
 どっちかであるかもしれないし、どっちも理由なのかもしれない。
 真実は漣さまにしかわからない。
 
「ならモヤシがやってたこれまでのこと、全部、無駄だったってのかい……」

 呆れたように、絶望したように。
 肩を落として乙さんは吐き捨てるように言った。
 答え合わせの半分ほどが終わり、私は警戒の構えを解く。

「と、言うわけでしてぇ。私も翠さまのところに帰りたいし、もう、やめません?」

 お互いに手の内を開陳した今。
 私が後宮で小間使いとお祈りを続ける意味は、もう微塵もない。
 そもそもの話としてだ。
 情報収集のために私を後宮に使わせておきながら、私が中書堂のお兄さんたちと接触できなくなった状況で、乙さん含む尾州の工作員は、解決手段を講じなかった。
 その時点で私は不信感を持っていたのだ。
 言われた仕事ができねーじゃねーか、と。
 私の情報収集をサポートする役目の乙さんなら、私の行動範囲を確保することは最優先任務のはずだからね。
 私になにもして欲しくないなら、いっそのこと、毒でも飲んでぶっ倒れてやろうか?
 ふとそう思ったところから、色々な道が開けたのである。

「あたしがここで、引き下がったとしてだね」

 もう私を制圧する意思はないのか、乙さんも四肢の力を抜いて気軽に言った。

「で、すべてお勉強してお見通しの央那ちゃんは、このままハイサヨウナラ、てわけにはいかないだろう?」
「当然です。私の翠さまに手を出された以上、相応の落とし前は姜さんに付けさせます。私がもし泣き寝入りしたって、他のみんなが黙っちゃいません。必要なら闇に陰に、翔霏(しょうひ)をけしかけて尾州にいる姜さんの周りで破壊工作を仕掛けますよ」

 最後の、たった一つの交渉。
 それは物別れに終わった。
 誰であろうと、どんな理由があろうと。
 翠さまをあんな目に合わせて、たくさんの人に心配をかけさせたことを、なかったことにさせてたまるか。
 私が引き下がる意志を見せないことを悟り、乙さんは。

「仕方ないか……」

 呟き、大きく息を吸う。
 この人も私と同じで、声がデカい。
 周囲に潜んでいるスパイ仲間に知らせて、私の身柄を取り押さえるつもりだろうけど。
 大声と仲間なら、私も持ってるんだよ。
 どっちの味方が早く来るか、勝負だ。

「翔霏ーーーーーー!! 軽螢(けいけい)ーーーーーーー!! やっちゃってーーーーーーッ!!」
「あんたたちーーーーーーーーッ!! 出番だよーーーーーーーーッ!!」

 二人の女の叫びが、中書堂の工事現場から弾けるように放たれた。
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