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第十七章 不明の果ての光
百四十八話 極みに咲く女たち
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正妃、素乾(そかん)柳由(りゅうゆう)さまがご懐妊なされた。
そのニュースを聞き、驚きと喜びに満ちる塀(へい)紅猫(こうみょう)貴妃のお部屋。
言われてみれば確かに、正妃さまは前にも体調を崩されたり、顔色が芳しくないことがあられた。
妊娠初期の不安定兆候と考えれば、まったく合点のいく話であるな。
「そうですか……ようございました。本当に、おめでたいことです。主上もお喜びになられましょう」
我がことのように感涙に目尻を濡らしているのは、塀貴妃である。
正妃が陛下の御子を産むということは、後宮に一本の強く太い筋、芯が走るようなことだ。
これから先、宮内は正妃母子を中心とし、優先させて万事が進むことになる。
強固な基準が存在するということは、後宮の秩序を保つ上でこの上ない好材料となるのだ。
朱蜂宮(しゅほうきゅう)が平穏であることを願う気持ちの強い塀貴妃にとって、正妃さま懐妊は嫉妬の挟まる余地がない、極上のグッドニュースなのである。
私としては、翠さまの赤ちゃんの立場がこれからどうなるのか、気になる話ではあるけれど。
ま、翠さまは翠さまだし、逞しく伸び伸びやるだろうという信頼がある。
「ありがとう、紅猫。その上で二人に相談なのですが」
「はい、なんなりと」
こくりと一口のお茶を飲み、喉を滑らかに潤して正妃さまは塀貴妃と漣(れん)さまに向かい、言った。
「私もお腹が大きくなれば、宮中の務めを疎かにするかもしれません。そうなる前に、今は空位となっている東苑(とうえん)の貴妃を、決めてしまいたいのです」
「そ、それは……その通りでございます」
とうとう、この日が来たか。
そう言いたげな表情で塀貴妃は言葉を詰まらせた。
いつも南苑で一緒に過ごし、姉妹のように仲良くしていた漣さまが。
東苑統括の、貴妃の位に昇られる。
塀貴妃の胸の内には、悲喜こもごもの複雑な感情が渦巻いているに違いない。
今までそれが猶予されていたのは、ひょっとしたら玉楊(ぎょくよう)さんが戻ってくる可能性が、微粒子レベルで存在するのではないか、そう思われていたからだ。
しかし、その未来はもう、ない。
自由の翼を得た玉楊さんは、朱蜂宮からも、実家のしがらみからも完全に飛び立ってしまっているのである。
真剣な顔で、正妃さまは説くように言った。
「漣を東苑の統括にと、主上と母太后(ぼたいこう)に推薦します。異論はありませんか」
「正妃殿下の、お心のままに」
寂しそうに俯きながらも、塀貴妃は確かな口調で答えた。
このときが来るのを、覚悟していたのだろう。
一方、肝心の漣さまはと言うと。
「面倒が増えるんは、嫌やなあ」
子どものような素朴なクレームを口にしていた。
正妃さまはその反応も想定内らしく、にこやかに笑って言った。
「私の部屋の侍女を二人、漣の下に付けます。もろもろの実務はその子たちを上手く使って執り行ってください。私が南苑の貴妃だったころから勤めてくれている子たちです。一通りのことは理解していますから」
「ふーん、それならなんとでもなりそうやね。今までどおりに楽させてもらうわー」
極めて軽いノリで、漣さまは東苑統括の座を引き受けたのだった。
かつて、環(かん)貴人と呼ばれていた玉楊さんの地位に、漣さまが就くのかあ。
なんだか不思議な気分だな。
銀月(ぎんげつ)さんにも、漣さまを厚くサポートしてくださいと、お願いしておこうかね。
私に言われなくても、重々わかっていると思うけれど。
その後、みなさまは漣さまが東苑に移るにあたっての現実的な段取りを話し合う。
「あ、もうお祈りせなあかん頃合いや。ややこしい話はまたあとでな」
夕方が近付き、漣さまがそう言ったので会議はお開きになる。
自分の持ち場に戻る前、川久(せんきゅう)太監が、忌々しそうな顔で漣さまに告げた。
「夕刻の祈祷ののち、麗女史の身を少々のお時間、借り受けたい」
なにか私に用がある、ということだ。
「かめへんけど、どないしたん」
「……皇太后陛下が、お話したいことがあられるそうで」
なんでこんなやつに皇太后さまが、と思っている様子がありありだった。
「へー。なんやろね。面白いことやったらあとで教えてな」
無責任に楽しんでいる漣さまをよそに、いきなり前置きもなく重大ごとを知らされた私は、冷や汗がダラッダラなのであった。
気が気でないまま迎えた、その日の夜。
「昂国(こうこく)の母なる皇太后陛下が、翼州(よくしゅう)の娘、麗にそのご尊顔を拝す機会を賜われました。万歳、万歳」
川久太監が祝す口上に合わせて、分厚い扉が開かれる。
漣さまの部屋に来る前に、皇太后さまとお目見えした、あの日と同じ部屋である。
「よく来てくれましたね、麗。いろいろいと難しいことがあったようですけれど、元気そうでなによりです」
高座に垂れ下がる御簾の奥から、優しいお言葉が下された。
「はっ、ははーっ。こっこここのたびは、かような卑しい女をお呼びいただき、まことに、まことに」
混乱緊張して平伏する私を、くすくすと皇太后さまは笑い。
「固くならなくてもいいと、前にも言ったではありませんか。楽にお話しましょう。さ、面(おもて)を上げなさい」
鷹揚な態度で、そう促してくれた。
顔を上げた私は、今回どうして呼び出されたのか、その理由が語られるのを待つ。
やっぱり、皇太后さまの声は、私のお母さんに似ていた。
徐々に緊張が解けて行く空気にすっと入り込むように、皇太后さまは話し始めた。
「以前、青牙部(せいがぶ)の旧領を治めることになった斗羅畏(とらい)大人(たいじん)から、都に使者が来たことは知っていますね」
「は、はいっ。無事に足場が固まったので、ご挨拶の通信使を派遣なされたと、聞いております」
覇聖鳳(はせお)が治めていた旧青牙部の領域を、斗羅畏さんは大きな混乱もなく引き継いだという話だ。
彼ら戌族(じゅつぞく)の過激派が破れかぶれにおかしなことをしないように、昂国としても慎重に付き合いを保たなければいけない。
喧嘩っ早さで言えば、覇聖鳳よりも斗羅畏さんの方が、むしろヤバいからね。
「私は、斗羅畏大人の頭目就任を祝し、あくまで個人的に、お祝いの品を贈ろうと思っているのです。国の公務ではなく、あくまでも私のお祝いの気持ち、ということです」
「そ、それは、斗羅畏さんもありがたく感じてくれると思います」
昂国がオフィシャルに斗羅畏さんを祝ってしまうと、白髪部本家とどのようなしがらみが生じるか、今の段階では未知数なのだ。
斗羅畏さんはあくまでも、本家に無断で自主自立を宣言した形。
この先に各勢力との融和、同盟があるか、それとも大小の衝突、戦争があるか、見通しが立たない。
だから今は、皇太后陛下が私的に斗羅畏さんに対しておめでとうと連絡するに留めたいわけだね。
政治というのは、難しいのう。
斗羅畏さんは実直な人だから、ひとまずその対応でも十分に喜んでくれるとは思うけれど。
あれこれ考えを巡らせていると、皇太后さまは続きの、本題をお話しされた。
「麗を今日、ここに呼んだのは他でもありません。私からの祝いの品とともに、斗羅畏大人の下へ向かって、親書を手渡してはくれませんか」
「はあ、って、ハァ!?」
場を弁えずに変な叫びを上げてしまった。
この麗央那に、皇太后さまから斗羅畏さんへの、メッセンジャーをやれと!?
なんか取り乱してる私に対して、川久太監の視線が痛いけれど、気にしないでおく。
いやいや、なんで私なんだよ。
その疑問を見透かすように、皇太后さまは語る。
「高官や将軍を通使にしてしまっては、そこに国としての公的な意図がどうしても出てしまいます。かと言ってこの役は誰でも良いというわけにはいきません。私の意図を汲み取ってくれて、なおかつ斗羅畏大人にも失礼でないものを選ばなければなりませんからね」
「え、あの、ちょっと、それは」
いや、皇太后さまの言うことも、わかる、わかるけれどもさ。
少なくとも私は彼らの人となり、そして土地事情を見知っている立場だからね。
「なにか問題がありますか? あなたが気にしているのは翠蝶(すいちょう)の出産のことでしょう。それにも十分、間に合うころには角州(かくしゅう)に戻れますよ。斗羅畏大人の領内と、角州は隣同士ではありませんか」
私が漣さまのお部屋を辞して翠さまのお邸に帰る途中に、その任務を寄り道でしてくれないか、ということだ。
であれば確かに、時間や手間の上での支障は、ほぼないのだけれど。
この話をやんわり、角が立たずにお断りできるような言い訳や問題は、なにか、なにかないか~~!?
そうだ!
とそのとき麗央那に、電流走る!!
「わ、私、斗羅畏さんに嫌われていると言いますか、怒らせて憎まれているんです。だから私じゃないほうが、平穏無事にことが運ぶかと思われます」
それは、疑いようもない事実。
斗羅畏さんの眼の前でうろちょろする邪魔なハエのような存在が、あの旅路での私たちだったのだ。
実際にマジ切れさせたことが一度二度、あったわけだからね。
「あら、それはいけません。なら私からも謝罪の意を文(ふみ)に書きしたためます。仲直りなさいな」
ぎゃー、逃げ道はない!
皇太后さまにそこまで配慮させてしまって、できません、無理です、と言うだけの口を、私は持っていなかった。
「うううう、わ、私でお役に立てるのであれば、精一杯、努めたいと思います」
「ええ、よろしくお願いします。麗ならそう言ってくれると思いました」
こうして私は、旧青牙部、今では白髪左部(はくはつさぶ)と呼ばれる、斗羅畏さんの領地へお遣いすることに、あいなってしまった。
お祝いの品を渡すだけ渡して、さっさと帰ろう。
私は斗羅畏さんのこと、ぶっちゃけかなり好きなんだけれど。
一緒にいる時間が長ければ長いだけ、接触すればするだけ、斗羅畏さんが私を嫌う気持ちが大きくなるのではないかという、漠然とした不安があるんだよなあ。
うー、人の心、マジ難しい。
皇太后さまの優しい圧力に、完敗して潰れた蛙のようになってしまう私だった。
そのニュースを聞き、驚きと喜びに満ちる塀(へい)紅猫(こうみょう)貴妃のお部屋。
言われてみれば確かに、正妃さまは前にも体調を崩されたり、顔色が芳しくないことがあられた。
妊娠初期の不安定兆候と考えれば、まったく合点のいく話であるな。
「そうですか……ようございました。本当に、おめでたいことです。主上もお喜びになられましょう」
我がことのように感涙に目尻を濡らしているのは、塀貴妃である。
正妃が陛下の御子を産むということは、後宮に一本の強く太い筋、芯が走るようなことだ。
これから先、宮内は正妃母子を中心とし、優先させて万事が進むことになる。
強固な基準が存在するということは、後宮の秩序を保つ上でこの上ない好材料となるのだ。
朱蜂宮(しゅほうきゅう)が平穏であることを願う気持ちの強い塀貴妃にとって、正妃さま懐妊は嫉妬の挟まる余地がない、極上のグッドニュースなのである。
私としては、翠さまの赤ちゃんの立場がこれからどうなるのか、気になる話ではあるけれど。
ま、翠さまは翠さまだし、逞しく伸び伸びやるだろうという信頼がある。
「ありがとう、紅猫。その上で二人に相談なのですが」
「はい、なんなりと」
こくりと一口のお茶を飲み、喉を滑らかに潤して正妃さまは塀貴妃と漣(れん)さまに向かい、言った。
「私もお腹が大きくなれば、宮中の務めを疎かにするかもしれません。そうなる前に、今は空位となっている東苑(とうえん)の貴妃を、決めてしまいたいのです」
「そ、それは……その通りでございます」
とうとう、この日が来たか。
そう言いたげな表情で塀貴妃は言葉を詰まらせた。
いつも南苑で一緒に過ごし、姉妹のように仲良くしていた漣さまが。
東苑統括の、貴妃の位に昇られる。
塀貴妃の胸の内には、悲喜こもごもの複雑な感情が渦巻いているに違いない。
今までそれが猶予されていたのは、ひょっとしたら玉楊(ぎょくよう)さんが戻ってくる可能性が、微粒子レベルで存在するのではないか、そう思われていたからだ。
しかし、その未来はもう、ない。
自由の翼を得た玉楊さんは、朱蜂宮からも、実家のしがらみからも完全に飛び立ってしまっているのである。
真剣な顔で、正妃さまは説くように言った。
「漣を東苑の統括にと、主上と母太后(ぼたいこう)に推薦します。異論はありませんか」
「正妃殿下の、お心のままに」
寂しそうに俯きながらも、塀貴妃は確かな口調で答えた。
このときが来るのを、覚悟していたのだろう。
一方、肝心の漣さまはと言うと。
「面倒が増えるんは、嫌やなあ」
子どものような素朴なクレームを口にしていた。
正妃さまはその反応も想定内らしく、にこやかに笑って言った。
「私の部屋の侍女を二人、漣の下に付けます。もろもろの実務はその子たちを上手く使って執り行ってください。私が南苑の貴妃だったころから勤めてくれている子たちです。一通りのことは理解していますから」
「ふーん、それならなんとでもなりそうやね。今までどおりに楽させてもらうわー」
極めて軽いノリで、漣さまは東苑統括の座を引き受けたのだった。
かつて、環(かん)貴人と呼ばれていた玉楊さんの地位に、漣さまが就くのかあ。
なんだか不思議な気分だな。
銀月(ぎんげつ)さんにも、漣さまを厚くサポートしてくださいと、お願いしておこうかね。
私に言われなくても、重々わかっていると思うけれど。
その後、みなさまは漣さまが東苑に移るにあたっての現実的な段取りを話し合う。
「あ、もうお祈りせなあかん頃合いや。ややこしい話はまたあとでな」
夕方が近付き、漣さまがそう言ったので会議はお開きになる。
自分の持ち場に戻る前、川久(せんきゅう)太監が、忌々しそうな顔で漣さまに告げた。
「夕刻の祈祷ののち、麗女史の身を少々のお時間、借り受けたい」
なにか私に用がある、ということだ。
「かめへんけど、どないしたん」
「……皇太后陛下が、お話したいことがあられるそうで」
なんでこんなやつに皇太后さまが、と思っている様子がありありだった。
「へー。なんやろね。面白いことやったらあとで教えてな」
無責任に楽しんでいる漣さまをよそに、いきなり前置きもなく重大ごとを知らされた私は、冷や汗がダラッダラなのであった。
気が気でないまま迎えた、その日の夜。
「昂国(こうこく)の母なる皇太后陛下が、翼州(よくしゅう)の娘、麗にそのご尊顔を拝す機会を賜われました。万歳、万歳」
川久太監が祝す口上に合わせて、分厚い扉が開かれる。
漣さまの部屋に来る前に、皇太后さまとお目見えした、あの日と同じ部屋である。
「よく来てくれましたね、麗。いろいろいと難しいことがあったようですけれど、元気そうでなによりです」
高座に垂れ下がる御簾の奥から、優しいお言葉が下された。
「はっ、ははーっ。こっこここのたびは、かような卑しい女をお呼びいただき、まことに、まことに」
混乱緊張して平伏する私を、くすくすと皇太后さまは笑い。
「固くならなくてもいいと、前にも言ったではありませんか。楽にお話しましょう。さ、面(おもて)を上げなさい」
鷹揚な態度で、そう促してくれた。
顔を上げた私は、今回どうして呼び出されたのか、その理由が語られるのを待つ。
やっぱり、皇太后さまの声は、私のお母さんに似ていた。
徐々に緊張が解けて行く空気にすっと入り込むように、皇太后さまは話し始めた。
「以前、青牙部(せいがぶ)の旧領を治めることになった斗羅畏(とらい)大人(たいじん)から、都に使者が来たことは知っていますね」
「は、はいっ。無事に足場が固まったので、ご挨拶の通信使を派遣なされたと、聞いております」
覇聖鳳(はせお)が治めていた旧青牙部の領域を、斗羅畏さんは大きな混乱もなく引き継いだという話だ。
彼ら戌族(じゅつぞく)の過激派が破れかぶれにおかしなことをしないように、昂国としても慎重に付き合いを保たなければいけない。
喧嘩っ早さで言えば、覇聖鳳よりも斗羅畏さんの方が、むしろヤバいからね。
「私は、斗羅畏大人の頭目就任を祝し、あくまで個人的に、お祝いの品を贈ろうと思っているのです。国の公務ではなく、あくまでも私のお祝いの気持ち、ということです」
「そ、それは、斗羅畏さんもありがたく感じてくれると思います」
昂国がオフィシャルに斗羅畏さんを祝ってしまうと、白髪部本家とどのようなしがらみが生じるか、今の段階では未知数なのだ。
斗羅畏さんはあくまでも、本家に無断で自主自立を宣言した形。
この先に各勢力との融和、同盟があるか、それとも大小の衝突、戦争があるか、見通しが立たない。
だから今は、皇太后陛下が私的に斗羅畏さんに対しておめでとうと連絡するに留めたいわけだね。
政治というのは、難しいのう。
斗羅畏さんは実直な人だから、ひとまずその対応でも十分に喜んでくれるとは思うけれど。
あれこれ考えを巡らせていると、皇太后さまは続きの、本題をお話しされた。
「麗を今日、ここに呼んだのは他でもありません。私からの祝いの品とともに、斗羅畏大人の下へ向かって、親書を手渡してはくれませんか」
「はあ、って、ハァ!?」
場を弁えずに変な叫びを上げてしまった。
この麗央那に、皇太后さまから斗羅畏さんへの、メッセンジャーをやれと!?
なんか取り乱してる私に対して、川久太監の視線が痛いけれど、気にしないでおく。
いやいや、なんで私なんだよ。
その疑問を見透かすように、皇太后さまは語る。
「高官や将軍を通使にしてしまっては、そこに国としての公的な意図がどうしても出てしまいます。かと言ってこの役は誰でも良いというわけにはいきません。私の意図を汲み取ってくれて、なおかつ斗羅畏大人にも失礼でないものを選ばなければなりませんからね」
「え、あの、ちょっと、それは」
いや、皇太后さまの言うことも、わかる、わかるけれどもさ。
少なくとも私は彼らの人となり、そして土地事情を見知っている立場だからね。
「なにか問題がありますか? あなたが気にしているのは翠蝶(すいちょう)の出産のことでしょう。それにも十分、間に合うころには角州(かくしゅう)に戻れますよ。斗羅畏大人の領内と、角州は隣同士ではありませんか」
私が漣さまのお部屋を辞して翠さまのお邸に帰る途中に、その任務を寄り道でしてくれないか、ということだ。
であれば確かに、時間や手間の上での支障は、ほぼないのだけれど。
この話をやんわり、角が立たずにお断りできるような言い訳や問題は、なにか、なにかないか~~!?
そうだ!
とそのとき麗央那に、電流走る!!
「わ、私、斗羅畏さんに嫌われていると言いますか、怒らせて憎まれているんです。だから私じゃないほうが、平穏無事にことが運ぶかと思われます」
それは、疑いようもない事実。
斗羅畏さんの眼の前でうろちょろする邪魔なハエのような存在が、あの旅路での私たちだったのだ。
実際にマジ切れさせたことが一度二度、あったわけだからね。
「あら、それはいけません。なら私からも謝罪の意を文(ふみ)に書きしたためます。仲直りなさいな」
ぎゃー、逃げ道はない!
皇太后さまにそこまで配慮させてしまって、できません、無理です、と言うだけの口を、私は持っていなかった。
「うううう、わ、私でお役に立てるのであれば、精一杯、努めたいと思います」
「ええ、よろしくお願いします。麗ならそう言ってくれると思いました」
こうして私は、旧青牙部、今では白髪左部(はくはつさぶ)と呼ばれる、斗羅畏さんの領地へお遣いすることに、あいなってしまった。
お祝いの品を渡すだけ渡して、さっさと帰ろう。
私は斗羅畏さんのこと、ぶっちゃけかなり好きなんだけれど。
一緒にいる時間が長ければ長いだけ、接触すればするだけ、斗羅畏さんが私を嫌う気持ちが大きくなるのではないかという、漠然とした不安があるんだよなあ。
うー、人の心、マジ難しい。
皇太后さまの優しい圧力に、完敗して潰れた蛙のようになってしまう私だった。
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