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第十七章 不明の果ての光
百四十九話 大きな渦と小さな舟
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朝廷前の広場に、龍神に祈るための祭壇が作られている。
私が今回の後宮勤めを終わらせる前に取り組む、最後の大仕事だ。
水治め祭事の当日に巫女として祈祷を行う漣(れん)さまを、私たち侍女衆も全力でサポートしなければならない。
雨乞いと治水の成功、そこから五穀豊穣と天下泰平を願う、年季祭祀の中でも最重要クラスの宮中儀礼が、水治め神事なのである。
「こっから、こうして、こう」
さすがの漣さまもぶっつけ本番のいきあたりばったりで祈祷を行うわけにはいかない。
土を突き固めて作られている台、いわゆる土壇を前にして、自主的なリハーサル、エア祈祷に励んでいた。
祈りながら踊って、その合間合間に大麻の葉を篝火へとくべる動作のようだ。
いつになく気合が入ってきりっとしている。
「龍の神に会って以来、なんか元気になりましたよね、漣さま」
「そうですね。お気持ちが切り替わったのでしょう」
横で見守っている私と孤氷(こひょう)さんが話す。
前はもっとアンニュイというか、日中は常にだるーんとしていた印象があるけれど、最近はおもちゃで遊ぶにしても、お酒を飲んでいるときも、目がキラキラして精力的に見える。
東苑の貴妃に昇るという、この先に待っている環境の変化にも、漣さまなりにやる気を見いだせているのだろうか。
「おや、なんでしょうか、あの方は」
準備作業の合間、こちらをボッ立ちで見つめている男性に、弧氷さんが気付いた。
「玄霧(げんむ)さんだ。どしたんだろ」
簡素な平服に身を包んでいるけれど、偉そうな顔と空気は隠せない、司午(しご)玄霧どのであった。
「司午の正使どのでしたか。ならばあなたに話があるのでしょう。ここはいいから行ってきなさい」
「すみません。すぐ戻ります」
トテトテと早足で私は玄霧さんの下へ駆け寄る。
なんですか、次のお妾さんを物色してるとかだったら、叩き出しますよ。
などと失礼なことを思いながら。
「祭事の準備は順調か。大過ないか」
「ええまあ。大丈夫だと思いますけど。馬蝋(ばろう)さんたちと話した帰りですか?」
尾州(びしゅう)の宰相である姜(きょう)さんが暗躍して、翠(すい)さまを攻撃し、昏睡させた事件。
国の情報部と一部の宦官さんたち、そして玄霧さん率いる司午家の面々が協力し、事件の解明を進めている。
そのついでに私の様子を確認に来てくれたのだろう。
「うむ。相手も一筋縄で行く男ではないから、難義はするだろうがな」
「確かに。そうそう分かりやすい証拠も残してないでしょうからね」
人の形をした怪魔、魔人と呼ばれるほどの姜さんである。
そんなやつの身辺を洗って罪を明らかにするなど、並大抵の苦労では済まないだろう。
けれども、玄霧さんは口の端を片方だけ上げて、悲観なく言った。
「俺も若い頃はこの都で検使を務めていた身だ。貴族の罪を暴くことに関して多少の心得はある。なんとしても尻尾を掴んでやろうぞ」
「頼りにしてますよ、お父さん」
「誰がお前の父親だ。お前、まさか想雲(そううん)に変なちょっかいをかけてはいまいな」
「してねーですわよ、ンなこと」
「ならいい。おかしなことをあいつに吹き込むなよ。お前のような女から悪い影響を受けてはかなわん」
失礼しちゃうわね、ほんとにもー。
でもこういうところはちゃんと、一人のパパなんだねえ。
うん、私がいつか母親になったとしても、私のような女が息子に近付くのは、嫌だし。
複雑にグニャグニャと変わる表情筋を抑え、私は一つの気になることを玄霧さんに訊いた。
「でもいくら今回の事件に違和感があったからって、よくもまあ一刻も早くに私に知らせに走ってくれましたね。あれがなければこっちの負けでしたよ」
いち早く陰謀の正体に気付きかけたのは、遠く角州(かくしゅう)にいた玄霧さんなのである。
そういう意味で今回の盤面で神の一手を打ち、あり得ない所から最高の駒を飛ばしてきた玄霧さんがMVPなのだ。
一度は後宮に私を送ったこの人が、今回は私が後宮にいることに疑問を持ち、おかしいと伝えに来てくれた。
不思議な運命を感じるな。
私の問いに玄霧さんは整った顎髭を撫でて、つまらなさそうに答える。
「そもそもの話として、俺はあの参謀……除葛(じょかつ)という男を信用しておらん」
「ひどいなあ。一度は一緒に仕事した仲でしょ」
「お前は中書堂でなにかしら世話になった恩もあり、やつに心服している気持ちが少なからずあったであろうがな。馬蝋総太監に聞いたが、お前、母后(ぼごう)さまの親書を、斗羅畏(とらい)のところへ届けに行くのだとか」
「はあ、成り行きでそうなってしまいましたけど。いきなり話を変えないでくれます?」
今は、姜さんの人物評が話題だったんじゃねーのかよ。
私の戸惑いを考慮せず、玄霧さんは続ける。
「いいから聞け。斗羅畏と伯父の突骨無(とごん)の間に確執があるのは、元々が除葛の仕掛けた不和離間工作が原因だ。あいつが各所に間諜や賄賂を飛ばした結果、斗羅畏の派閥と突骨無の派閥は大きな溝を作った。両者にわだかまりがあることは、お前も現地で見たであろう」
「え、あ、でも確かに、元々上手く行ってる感じではなかったですね、はい」
それがために、突骨無さんは斗羅畏さんに手柄を渡さずに済むような策を考えたし、斗羅畏さんはその策を放棄して一人で突っ走ったのだ。
両者がしっかりコミュニケーションを取れていたら、斗羅畏さんの自立もなかったであろうことは、想像に難くない。
「俺とともに翼州(よくしゅう)の国境で白髪部(はくはつぶ)の集団と睨み合っていたさなか、除葛のやつは戌族(じゅつぞく)領内の有力者同士が反目し合うよう、ありとあらゆる手段を使った。少しはモノがわかるお前なら、なぜそうしたかも理解できるな」
「えっと、戌族同士が仲間割れや小競り合いをしてくれた方が、昂国(こうこく)に矛先が向かないから、ですかね」
神台邑(じんだいむら)の悲劇を繰り返さないためには、それも一つの方法ではあるだろう。
私の解釈に頷きを返し、玄霧さんは続ける。
「それも大きな理由だが、もう一つは、連中が紛争状態にあればあるほど、我が国から武器や物資を売る商売が潤うからだ。そしてその交易の経路を広げるために必要だったのが」
「か、環貴人のご実家が持ってる独占的権益の、解体」
おいおい、ここで繋がるのかよ!?
昂国としての利益を重視した、明確な国策であることはわかる。
しかしその結果として、戌族の地は白髪部だけではなく、他の氏族部族も巻き込んで、戦乱に飲み込まれる可能性だってあるのだ。
余所で戦争が起きてくれるときこそが、一番の稼ぎどきなのだから。
「上出来だ。あらゆる局面が互いに絡み合っている。環家切り崩しの手動を握っている正妃殿下や素乾氏(そかんし)の動きも、この大きな流れの一つに過ぎん。そういう渦の中、お前は使者として選ばれて斗羅畏の下へ赴くことになるのだ」
久しぶりに斗羅畏さんに会えるワァ、などと浮かれている場合ではなかった。
私の往く道、滅茶苦茶危険である。
「じゅ、重々、気を付けます、ハイ」
「当然だ。紺(こん)を必ず護衛に連れて行け。使者の一団に宦官も加わるようであれば、銀月(ぎんげつ)太鑑に同行してもらうのだ。あれで武門の生まれだからな。危難や有事への勘所は鋭い」
「わかりました。お願いしてみます」
あっぶねー。
この話を聞かなければ、翔霏(しょうひ)には先に神台邑なり、角州の司午本邸に戻ってもらうつもりだった。
ちょっとしたお遣いで済む話ではなくなって来たぞい。
緊張して固まる私に、玄霧さんは最後にこう言い残した。
「角州の古いことわざに『其の疾きに過ぎたる舟は即ち覆り易し』というものがある。速い舟ほど転覆しやすい。此度の務めは、お前という小舟が、大渦の中を進むようなものだ。せいぜい焦るな。不味いと思ったらすぐに紺と一緒に逃げて帰って来るのだぞ」
立場上、そんなことを言って良いものだろうか。
疑問に思う私を置いて、玄霧さんは早歩きで城の外へ去って行った。
いっつもいっつも、せわしい人だなあ。
「あれ? 央那さん、さっきまでここに、父がいませんでしたか?」
私たちを遠くから発見したらしき想雲くんが、入れ替わりの形でやって来た。
「いたよ。もうお邸の方に戻って行っちゃったけど」
「残念です。報告したいことがあったのですけど。帰ってからでもいいか」
想雲くんは社会勉強の一環として、除葛姜事件の捜査におけるアシスタントに就いている。
合間の時間で東庁のお兄さんたちに勉強を教えてもらったり、中書堂再建の工事を手伝ってもいる。
お城にいないときは剣術道場でお稽古をしているらしく、まこと忙しい少年だ。
「想雲くん」
「はい、なんでしょう、央那さん」
先日の尾州の間者を相手にした大立ち回りで、あどけないその顔には向う傷がチラホラと付いていた。
「焦らなくて、良いんだからね。なにごとも」
「え? は、はあ……」
玄霧さんに言われたことを、そのまま想雲くんにリレーして伝える。
私たちはまだまだ、小さい舟なのだ。
焦らず、生き急がず、目の前のことを一つ一つ、じっくりやって行こう。
まずは、水治めの祭祀を、みんなで協力して成功させなきゃね。
想雲くんに手を振って別れ、私は孤氷さんたちのところへと戻る。
水を司るとされる、龍の神さま。
願わくば、災厄の渦を治めてくれますように。
小さき女が、伏して願い奉ります。
私が今回の後宮勤めを終わらせる前に取り組む、最後の大仕事だ。
水治め祭事の当日に巫女として祈祷を行う漣(れん)さまを、私たち侍女衆も全力でサポートしなければならない。
雨乞いと治水の成功、そこから五穀豊穣と天下泰平を願う、年季祭祀の中でも最重要クラスの宮中儀礼が、水治め神事なのである。
「こっから、こうして、こう」
さすがの漣さまもぶっつけ本番のいきあたりばったりで祈祷を行うわけにはいかない。
土を突き固めて作られている台、いわゆる土壇を前にして、自主的なリハーサル、エア祈祷に励んでいた。
祈りながら踊って、その合間合間に大麻の葉を篝火へとくべる動作のようだ。
いつになく気合が入ってきりっとしている。
「龍の神に会って以来、なんか元気になりましたよね、漣さま」
「そうですね。お気持ちが切り替わったのでしょう」
横で見守っている私と孤氷(こひょう)さんが話す。
前はもっとアンニュイというか、日中は常にだるーんとしていた印象があるけれど、最近はおもちゃで遊ぶにしても、お酒を飲んでいるときも、目がキラキラして精力的に見える。
東苑の貴妃に昇るという、この先に待っている環境の変化にも、漣さまなりにやる気を見いだせているのだろうか。
「おや、なんでしょうか、あの方は」
準備作業の合間、こちらをボッ立ちで見つめている男性に、弧氷さんが気付いた。
「玄霧(げんむ)さんだ。どしたんだろ」
簡素な平服に身を包んでいるけれど、偉そうな顔と空気は隠せない、司午(しご)玄霧どのであった。
「司午の正使どのでしたか。ならばあなたに話があるのでしょう。ここはいいから行ってきなさい」
「すみません。すぐ戻ります」
トテトテと早足で私は玄霧さんの下へ駆け寄る。
なんですか、次のお妾さんを物色してるとかだったら、叩き出しますよ。
などと失礼なことを思いながら。
「祭事の準備は順調か。大過ないか」
「ええまあ。大丈夫だと思いますけど。馬蝋(ばろう)さんたちと話した帰りですか?」
尾州(びしゅう)の宰相である姜(きょう)さんが暗躍して、翠(すい)さまを攻撃し、昏睡させた事件。
国の情報部と一部の宦官さんたち、そして玄霧さん率いる司午家の面々が協力し、事件の解明を進めている。
そのついでに私の様子を確認に来てくれたのだろう。
「うむ。相手も一筋縄で行く男ではないから、難義はするだろうがな」
「確かに。そうそう分かりやすい証拠も残してないでしょうからね」
人の形をした怪魔、魔人と呼ばれるほどの姜さんである。
そんなやつの身辺を洗って罪を明らかにするなど、並大抵の苦労では済まないだろう。
けれども、玄霧さんは口の端を片方だけ上げて、悲観なく言った。
「俺も若い頃はこの都で検使を務めていた身だ。貴族の罪を暴くことに関して多少の心得はある。なんとしても尻尾を掴んでやろうぞ」
「頼りにしてますよ、お父さん」
「誰がお前の父親だ。お前、まさか想雲(そううん)に変なちょっかいをかけてはいまいな」
「してねーですわよ、ンなこと」
「ならいい。おかしなことをあいつに吹き込むなよ。お前のような女から悪い影響を受けてはかなわん」
失礼しちゃうわね、ほんとにもー。
でもこういうところはちゃんと、一人のパパなんだねえ。
うん、私がいつか母親になったとしても、私のような女が息子に近付くのは、嫌だし。
複雑にグニャグニャと変わる表情筋を抑え、私は一つの気になることを玄霧さんに訊いた。
「でもいくら今回の事件に違和感があったからって、よくもまあ一刻も早くに私に知らせに走ってくれましたね。あれがなければこっちの負けでしたよ」
いち早く陰謀の正体に気付きかけたのは、遠く角州(かくしゅう)にいた玄霧さんなのである。
そういう意味で今回の盤面で神の一手を打ち、あり得ない所から最高の駒を飛ばしてきた玄霧さんがMVPなのだ。
一度は後宮に私を送ったこの人が、今回は私が後宮にいることに疑問を持ち、おかしいと伝えに来てくれた。
不思議な運命を感じるな。
私の問いに玄霧さんは整った顎髭を撫でて、つまらなさそうに答える。
「そもそもの話として、俺はあの参謀……除葛(じょかつ)という男を信用しておらん」
「ひどいなあ。一度は一緒に仕事した仲でしょ」
「お前は中書堂でなにかしら世話になった恩もあり、やつに心服している気持ちが少なからずあったであろうがな。馬蝋総太監に聞いたが、お前、母后(ぼごう)さまの親書を、斗羅畏(とらい)のところへ届けに行くのだとか」
「はあ、成り行きでそうなってしまいましたけど。いきなり話を変えないでくれます?」
今は、姜さんの人物評が話題だったんじゃねーのかよ。
私の戸惑いを考慮せず、玄霧さんは続ける。
「いいから聞け。斗羅畏と伯父の突骨無(とごん)の間に確執があるのは、元々が除葛の仕掛けた不和離間工作が原因だ。あいつが各所に間諜や賄賂を飛ばした結果、斗羅畏の派閥と突骨無の派閥は大きな溝を作った。両者にわだかまりがあることは、お前も現地で見たであろう」
「え、あ、でも確かに、元々上手く行ってる感じではなかったですね、はい」
それがために、突骨無さんは斗羅畏さんに手柄を渡さずに済むような策を考えたし、斗羅畏さんはその策を放棄して一人で突っ走ったのだ。
両者がしっかりコミュニケーションを取れていたら、斗羅畏さんの自立もなかったであろうことは、想像に難くない。
「俺とともに翼州(よくしゅう)の国境で白髪部(はくはつぶ)の集団と睨み合っていたさなか、除葛のやつは戌族(じゅつぞく)領内の有力者同士が反目し合うよう、ありとあらゆる手段を使った。少しはモノがわかるお前なら、なぜそうしたかも理解できるな」
「えっと、戌族同士が仲間割れや小競り合いをしてくれた方が、昂国(こうこく)に矛先が向かないから、ですかね」
神台邑(じんだいむら)の悲劇を繰り返さないためには、それも一つの方法ではあるだろう。
私の解釈に頷きを返し、玄霧さんは続ける。
「それも大きな理由だが、もう一つは、連中が紛争状態にあればあるほど、我が国から武器や物資を売る商売が潤うからだ。そしてその交易の経路を広げるために必要だったのが」
「か、環貴人のご実家が持ってる独占的権益の、解体」
おいおい、ここで繋がるのかよ!?
昂国としての利益を重視した、明確な国策であることはわかる。
しかしその結果として、戌族の地は白髪部だけではなく、他の氏族部族も巻き込んで、戦乱に飲み込まれる可能性だってあるのだ。
余所で戦争が起きてくれるときこそが、一番の稼ぎどきなのだから。
「上出来だ。あらゆる局面が互いに絡み合っている。環家切り崩しの手動を握っている正妃殿下や素乾氏(そかんし)の動きも、この大きな流れの一つに過ぎん。そういう渦の中、お前は使者として選ばれて斗羅畏の下へ赴くことになるのだ」
久しぶりに斗羅畏さんに会えるワァ、などと浮かれている場合ではなかった。
私の往く道、滅茶苦茶危険である。
「じゅ、重々、気を付けます、ハイ」
「当然だ。紺(こん)を必ず護衛に連れて行け。使者の一団に宦官も加わるようであれば、銀月(ぎんげつ)太鑑に同行してもらうのだ。あれで武門の生まれだからな。危難や有事への勘所は鋭い」
「わかりました。お願いしてみます」
あっぶねー。
この話を聞かなければ、翔霏(しょうひ)には先に神台邑なり、角州の司午本邸に戻ってもらうつもりだった。
ちょっとしたお遣いで済む話ではなくなって来たぞい。
緊張して固まる私に、玄霧さんは最後にこう言い残した。
「角州の古いことわざに『其の疾きに過ぎたる舟は即ち覆り易し』というものがある。速い舟ほど転覆しやすい。此度の務めは、お前という小舟が、大渦の中を進むようなものだ。せいぜい焦るな。不味いと思ったらすぐに紺と一緒に逃げて帰って来るのだぞ」
立場上、そんなことを言って良いものだろうか。
疑問に思う私を置いて、玄霧さんは早歩きで城の外へ去って行った。
いっつもいっつも、せわしい人だなあ。
「あれ? 央那さん、さっきまでここに、父がいませんでしたか?」
私たちを遠くから発見したらしき想雲くんが、入れ替わりの形でやって来た。
「いたよ。もうお邸の方に戻って行っちゃったけど」
「残念です。報告したいことがあったのですけど。帰ってからでもいいか」
想雲くんは社会勉強の一環として、除葛姜事件の捜査におけるアシスタントに就いている。
合間の時間で東庁のお兄さんたちに勉強を教えてもらったり、中書堂再建の工事を手伝ってもいる。
お城にいないときは剣術道場でお稽古をしているらしく、まこと忙しい少年だ。
「想雲くん」
「はい、なんでしょう、央那さん」
先日の尾州の間者を相手にした大立ち回りで、あどけないその顔には向う傷がチラホラと付いていた。
「焦らなくて、良いんだからね。なにごとも」
「え? は、はあ……」
玄霧さんに言われたことを、そのまま想雲くんにリレーして伝える。
私たちはまだまだ、小さい舟なのだ。
焦らず、生き急がず、目の前のことを一つ一つ、じっくりやって行こう。
まずは、水治めの祭祀を、みんなで協力して成功させなきゃね。
想雲くんに手を振って別れ、私は孤氷さんたちのところへと戻る。
水を司るとされる、龍の神さま。
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