その感情が足りてない

一片澪

文字の大きさ
17 / 49

17.この香りであってこの香りではない。①

しおりを挟む
翌日の土曜日、平日の寝不足を補うようにいつもより少し遅めに起きた祥司は顔を洗って簡単な食事をとった後に週末の予定を脳内で組み立てる。

少し前までは同棲解消の影響で家の中を整理したり、仕事の忙しさにかまけて家事を怠ったりしていた分の帳尻合わせで消えていた時間がぽっかり空くと何をしたら良いのかすぐには浮かばない。

しかし、一日中家でダラダラ過ごす気分ではなかったので外出することだけは早々に決定していた。
洗面所の大きな鏡の前で身嗜みを整え、以前までは習慣になっていたけれど最近は省いていた工程を祥司はふと思い出す。

「(香水……)」

祥司が最近――そう、元カレと別れるまでは使用していた香水の硝子瓶がバニティシェルフにまだ並んでいる。

それは元カレから『祥司のイメージに合うと思って買って来た。一緒に使おう!』と言ってプレゼントされたものだ。
シトラスにバニラが重なる万人受けする王道の香りは、正直なところ嫌いではなかったけれど特に好きでもなかった。

「(自分で金を出して選ぶかっていうと、選択肢にも上がらないな。実際別れてからは一度も付けていないし)」

それだけを思って、祥司は久し振りにそのボトルを手に取った。
残りはあとほんの少しだけ。
それでも、「ちゃんと使い切って捨てる」という選択肢が浮かばない祥司は、自治体の規定に沿った方法を調べて後でちゃんと処分しようと考え、それを持ってダイニングまで移動する。

外出中にこれの存在を忘れても、帰宅してテーブルの上に置いてあったら流石に思い出すだろう。

「香水」

香水について考えると、どうしても昨夜の東海林のあの重厚感のある香りが思い出される。
嗅いだのはほんの一瞬のことだったのに、不思議なほど記憶にしっかりとこびり付いてしまった付ける人を明らかに選ぶ香りの正体を、祥司はまだ思い出せない。

「……買いに、行くか。必要な物だもんな」

誰もいない部屋でまるで言い訳のように呟いてから、祥司はよく買い物をする新宿の百貨店のメンズ館に行くことにした。

付け過ぎて香害になったら本末転倒だが、職業柄クライアントとも接する機会が多い祥司にとって香りは重要な身嗜みの一つでもある。

別に答え合わせをしに行くのではない。
自分は、自分の必要な物を買いに行くだけだ。――祥司はそう結論付けて、家を出た。



***



欲しい物が決まっているのならそのブランドや専門店に直行するが、祥司は今日「今の自分に合っていて純粋に好きだな」、と思える香水を探しに来たので複数ブランドを扱うフレグランスコーナーに向かう。

様々なデザインのボトルが並ぶその一角は土曜日ということもあり少しだけ混んでいたが、逆にそれがこちらが呼ぶ前に店員に声を掛けられる可能性を下げてくれるから入りやすい。

「(……何にしようか)」

自分で香水を選ぶのは、約二年ぶりだ。
その前に使用していた香水のブランドと名前は当然憶えているが、二十九歳になった自分の今を思うともう少し落ち着きが欲しい。

価格帯とブランドのランクごとに少しずつ展示されているボトルたちを眺めながら、祥司は無意識にボトルの横に立てられている小さなカードを流し見しつつ『サンダルウッド』の言葉を探していた。

「(……コレでは、ないな)」

あまり試香紙に振って直接嗅ぎすぎると鼻がすぐに馬鹿になるから、祥司はボトルを手に取ってキャップを開けてそこからの香りだけを確認し始める。

その動作を数回続けているとこれだ! と断言できる物を見付けた。
ブランド名と製品名を見て確信を深めた祥司が「そういえばこんな名前の製品だったな」と思いながら、カードに書いてある説明書きを読む。
そこには昨日の夜に確かに感じた「サンダルウッド」と「ウード(沈香)」も書かれているから、間違いはないだろう。

――でも。

間違いないのは理解出来たし、喉に引っ掛かっていたようなもどかしさも消えた。
しかし、昨日祥司が嗅いだのは……この香りであってこの香りではない。

香水は付ける人が持つ自然な体臭と体温とが混ざり合って完成されるものだから、昨日の夜に感じたものと全く同じ香りを探すことはとても難しい。
そこまで考えて、祥司はボトルを少し性急な動作で元あった場所に置いて、心の中だけで叫んだ。

「(だからっ! 俺は、今日、自分の分を買いに来たんだよ!!! いくら商品名を当てられなくて気になってたからって、ここまで探すのはおかしいだろうが!)」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

相性最高な最悪の男 ~ラブホで会った大嫌いな同僚に執着されて逃げられない~

柊 千鶴
BL
【執着攻め×強気受け】 人付き合いを好まず、常に周囲と一定の距離を置いてきた篠崎には、唯一激しく口論を交わす男がいた。 その仲の悪さから「天敵」と称される同期の男だ。 完璧人間と名高い男とは性格も意見も合わず、顔を合わせればいがみ合う日々を送っていた。 ところがある日。 篠崎が人肌恋しさを慰めるため、出会い系サイトで男を見繕いホテルに向かうと、部屋の中では件の「天敵」月島亮介が待っていた。 「ど、どうしてお前がここにいる⁉」「それはこちらの台詞だ…!」 一夜の過ちとして終わるかと思われた関係は、徐々にふたりの間に変化をもたらし、月島の秘められた執着心が明らかになっていく。 いつも嫌味を言い合っているライバルとマッチングしてしまい、一晩だけの関係で終わるには惜しいほど身体の相性は良く、抜け出せないまま囲われ執着され溺愛されていく話。小説家になろうに投稿した小説の改訂版です。 合わせて漫画もよろしくお願いします。(https://www.alphapolis.co.jp/manga/763604729/304424900)

エリート上司に完全に落とされるまで

琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。 彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。 そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。 社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。

幸せな復讐

志生帆 海
BL
お前の結婚式前夜……僕たちは最後の儀式のように身体を重ねた。 明日から別々の人生を歩むことを受け入れたのは、僕の方だった。 だから最後に一生忘れない程、激しく深く抱き合ったことを後悔していない。 でも僕はこれからどうやって生きて行けばいい。 君に捨てられた僕の恋の行方は…… それぞれの新生活を意識して書きました。 よろしくお願いします。 fujossyさんの新生活コンテスト応募作品の転載です。

宵にまぎれて兎は回る

宇土為名
BL
高校3年の春、同級生の名取に告白した冬だったが名取にはあっさりと冗談だったことにされてしまう。それを否定することもなく卒業し手以来、冬は親友だった名取とは距離を置こうと一度も連絡を取らなかった。そして8年後、勤めている会社の取引先で転勤してきた名取と8年ぶりに再会を果たす。再会してすぐ名取は自身の結婚式に出席してくれと冬に頼んできた。はじめは断るつもりだった冬だが、名取の願いには弱く結局引き受けてしまう。そして式当日、幸せに溢れた雰囲気に疲れてしまった冬は式場の中庭で避難するように休憩した。いまだに思いを断ち切れていない自分の情けなさを反省していると、そこで別の式に出席している男と出会い…

共の蓮にて酔い咲う

あのにめっと
BL
神原 蓮華はΩSub向けDom派遣サービス会社の社員である。彼はある日同じ職場の後輩のαSubである新家 縁也がドロップしかける現場に居合わせる。他にDomがいなかったため神原が対応するが、彼はとある事件がきっかけでαSubに対して苦手意識を持っており…。 トラウマ持ちのΩDomとその同僚のαSub ※リバです。 ※オメガバースとDom/Subユニバースの設定を独自に融合させております。今作はそれぞれの世界観の予備知識がないと理解しづらいと思われます。ちなみに拙作「そよ風に香る」と同じ世界観ですが、共通の登場人物はいません。 ※詳細な性的描写が入る場面はタイトルに「※」を付けています。 ※他サイトでも完結済

死ぬほど嫌いな上司と付き合いました【完結】

三宅スズ
BL
社会人3年目の皆川涼介(みながわりょうすけ)25歳。 皆川涼介の上司、瀧本樹(たきもといつき)28歳。 涼介はとにかく樹のことが苦手だし、嫌いだし、話すのも嫌だし、絶対に自分とは釣り合わないと思っていたが‥‥ 上司×部下BL

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

【R18+BL】空に月が輝く時

hosimure
BL
仕事が終わり、アパートへ戻ると、部屋の扉の前に誰かがいた。 そこにいたのは8年前、俺を最悪な形でフッた兄貴の親友だった。 告白した俺に、「大キライだ」と言っておいて、今更何の用なんだか…。 ★BL小説&R18です。

処理中です...