その感情が足りてない

一片澪

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21.どの角度から考えても、浮かばなかった。①

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東海林から提案して貰って自分で買った香水が肌に馴染んだ頃、祥司は朝だけつけるテレビの電源を入れた。

普段しっかりと娯楽としてテレビを見る習慣はもう随分前になくなったから、天気予報とヘッドニュース、そして為替の値動きや簡単な世界情勢などをラジオ代わりに耳に入れる為だ。

しかし、SNSをはじめとしたネットの台頭でオールドメディアの信頼性が揺らいでいる側面は職業柄もあって強く感じるので、真に受けるのではなく聞くだけ聞いて後で自分できちんとエビデンスのあるソースで裏付けを取ることへの前段階に過ぎないのだが。

祥司は朝食はしっかりと取らないと学生時代から頭が回らないタイプなので、定番のメニューを用意しながら耳だけテレビに意識を向けていたが、聞こえて来た自分と同世代のアナウンサーの明るい言葉に思わず視線をテレビに移す。

「20XX年をもって無期限で活動を休止していたロックバンド、AstroNerdsが再結成を発表しました」
「――は?」

懐かしすぎるその名前に、祥司は食事を用意する手を止めてテレビに足早に近寄る。
そして目の前のフローリングに両膝をついて、画面を凝視した。

懐かしい映像と共にアナウンサーが続けた言葉を拾うと、なんとあの活動休止ライブを行った同じ日付に、同じ武道館でライブを行うらしい。

「なんだソレ、クッソ熱いな!」

AstroNerdsアストロナーズ――通称「アスナ」は、祥司の青春ど真ん中のバンドだった。
自身が軽音楽部でバンドを組んでいたこともあり、文化祭で当時一番好きだったアスナの曲を演奏したこともある。

しかし、青春を捧げたと言っても過言ではない大人気バンドは、今は法律が変わっているが奇しくも祥司が成人を迎える二十歳の時に、活動を休止してしまったのだ。

あの頃祥司は大学生だったが、なんだか見えもしない大人と子供の線引きを大好きな彼らから見せ付けられたような気がして、大学に入ってからは控えめになっていた音楽活動から完全に撤退したという思い出すら連なっている。

でも、もういい大人になってしまった今の祥司が感じたのは、純粋な懐かしさと「今思えばよくあそこまで毎日テンション上げて生きてたよな」と苦笑いするくらいの密度が濃い楽しかった記憶だけ。

「うっわ、やっぱすげぇな」

情報収集の為だけに使用している、決して呟くことのない呟き系SNSのアプリを立ち上げると既にもうアスナの名前はトレンドになっていた。

ちらりと時計を見て、時間にはまだ余裕があることを確認した祥司は少しだけその呟きを追った。

『武道館は熱すぎる!』
『でもチケットの当選確率を思うとせめてドームでやって欲しかった』

「確かになぁ」

恐らく今呟きを通り越して叫んでいる連中は、自分と同世代なのだろう。
年々本当の意味で心が動く機会が減っていくのを痛感しているからこそ、青春時代の象徴の輝きが眩しいし、何より恋しい。

「行きてぇなー……」

――まあ無理だろうけど、出来る申し込みは全て挑もう。
そして、転売ヤー関連の奴らはチケット販売開始の前に速やかに滅べ。

祥司はそんなことを思いながら、少し急いだ様子で出勤の準備を再開した。



***



「はいはい、もう元気を出ーす!」

カウンターの中でパンパンと手を叩きながらアキが言った言葉に、祥司は珍しく低いテンションのまま返事を声ではなく頷きだけで返した。

ちょっと今の祥司は……本気で元気が出せない。

「気持ちは分かるが、活動を再開したのならその内どこかのライブには行けるだろう?」

そう言ったケイだったが、祥司の気持ちを本当に理解してくれているようで浮かべている表情は心底複雑そうだ。

アスナが活動再開を発表したのが先月。
そして、肝心の記念ライブは――まさかの来月。

活動再開の発表からライブの開催までのスケジュールはたった三ヶ月という異例のスピードで組まれており、当然チケットの争奪戦は熾烈を極めた。
熾烈を極めて、祥司は見事に敗北したのだ。

本当に、本当に最後の希望だった抽選結果メールが届いたのが今日の午後なんだから、まだ気持ちの整理なんてついていない。

「……はぁ」

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