その感情が足りてない

一片澪

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35.量だけが、毒を作る。①

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Dosisドーシス solaソーラ facitファーキト venenumウェネーヌム――量だけが、毒を作る。
形は違えど“薬”に携わる人間が、一度は聞いたことがあるであろうとても有名な言葉だ。

実際祥司が仕事で面識のある薬剤師の先生も「薬とは本来、身体にとって毒であるものを人体に害がないように調節したものに過ぎない」と言っていた。

水や酸素、塩といった生命活動に必須なものですら、過剰に摂取すると身体に害を及ぼす。
だから、毒性はどんなものであっても“質”ではなく“量”で決まると言われている。


もしそれが本当なら、東海林という男は祥司にとって“薬”なんだろうか、それとも“毒”なのだろうか。
いずれにせよ、中毒性と依存性がある点だけは、現時点でも否定しようがない。

ただ祥司が今まで結果的に摂取していたものは、確かに心の中に蓄積している。
東海林から向けられる優しさは――これ以上摂取したら、もしかして祥司にとっての“毒”に変わるのかもしれない。

かつて祥司が元カレから向けられる愛情に同じ熱量で返せない息苦しさを、“誤った優しさ”という形で返し続けたことが、彼を苦しませたように。



「あー……やっぱ久し振り過ぎて、キチぃわ……。しばらくは頑張らねぇと」

自宅の寝室でひとり、祥司は捨てることも面倒でしまったままだった道具を取り出して、久し振りの手順で自分の身体を拓く。
流石にローションだけは新しいものを買って来たけれど、それ以外は最近は全く使っていなかっただけで以前から所持していたものだ。

セックスは、別に嫌いじゃない。
でも同棲中のそれは、正直楽しみなものではなくていつからか恋人という関係を結んでいる相手への義務の延長になっていた。

だから祥司は準備に関するものも後始末も一切合切を全て自分で行い、決して元カレには見せなかったし、させなかった。
毎週していたものが、二週に一回、三週に一回……月に一回。

普通なら恋人同士にとってセックスが減っていくことはある種の危険信号なのに、祥司はわざと気付かないフリをしていた。

さらに言うと毎週抱き合っていた頃も理由を付けて後ろを使うことを避けて、相手だけを良くしてやったり素股で済ませたりすることで切り抜けていたことも、今思えば自分の身体を明け渡すことに忌避感を抱いていたからに他ならない。

そんな空っぽのセックスだから、仮に後ろを使って繋がったって快感なんてほぼなかった。
ただ「切れないように」、「次の日に響かないように」そして「早く終わるように」だけを願っていたのだから、相手はさぞ虚しかったことだろう。


二度と会うことはないと思う。
仮に街で見掛けたって、お互いもう素知らぬ他人としてすれ違うだけだ。
だから、祥司は心の中だけであっても元カレを思い出すことを、今日限りでやめようと決める。

「でも、ごめんな……本当に、ごめん」

東海林という男との出会いは、祥司にとって大きな人生の転換点だった。
東海林を知ったから、自分の愚かさと残酷さを知った。


――本当に、ごめん。
あの時の俺が、俺なりに本当にそうだと思って……その時は真実だと思って口にしていた“好き”の温度も深さも質量も、今思えば圧倒的に全てが足りてなかった。


「あー……かってぇなぁ、おい。マジでまた使えるように戻るのか?」


せめて何処かで誰かと幸せになって欲しいと、本当にどこまでもそれしか思えなくて――ごめん。
どうか元気で、さようなら。



***



あの日、ケーアンで祥司が送ったメッセージにはかなり早いタイミングで返信があった。

そこで東海林が候補として挙げた複数の日にちの中から祥司はとある週の金曜日の夜を選び、二人は“その日“を決めた。
その時のメッセージのやり取りは何故かとても単調だったが、祥司は気付けばそれを何度も見返して過ごしている。

『ケーアンで少し飲んでから一緒に向かいましょうか?』
『いいえ、直接伺いますので住所を教えてください』
『迎えに行きますよ』
『いいえ、自分で行きます』

決して祥司が引かないと悟った東海林が、トーンを変えることなく自宅の住所を教えてくれた。
「通勤に時間を取られるのが嫌なので」とアッサリ宣う大企業の出世頭は、会社にも程近いたいそう良い場所にお住いのようだ。

東海林との予定を入れた金曜日の為に「この日だけは定時で上がります」と祥司が事前に同僚たちに共有する。
祥司がそんなことを言ったのはここに勤めてから恐らく初めてだったこともあり、同僚たちの協力は手厚かった。

「久住さん、なんだったら溜まってる代休をたまには消化したらどうですか?」

なんて言われて、上司からも即オッケーが出てしまった時にはさすがに困った。
しかし「ここ数年久住は精力的に仕事をし過ぎていて、実は心配だった」とまだ五十代前半なのにすっかり寂しくなった頭皮を時おり悲しそうに鏡で確認している上司に言われてしまえば、祥司の口からは「では……お言葉に甘えて」としか出て来ない。
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