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第10話 育てたトマトを食べたら、女騎士の切断された腕が再生した
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「……はぁ、はぁ、くっ……!」
魔の森での居候生活、二日目の朝。
女騎士アイリスは、家の裏手にある薪割り場で脂汗を流していた。
彼女はノエルに「なんでもする」と誓った。
騎士としての誇りにかけて、ただ飯を食らうわけにはいかない。
まずは労働で恩を返そうと、朝一番に薪割りを志願したのだ。
だが、現実は残酷だった。
ガキンッ!
「ああっ!?」
アイリスが振り下ろした斧は、薪に当たるどころか、手からすっぽ抜けて地面に転がった。
彼女の左腕が、ダラリと力なく垂れ下がっている。
「……やはり、駄目か」
アイリスは悔しげに唇を噛み、膝をついた。
彼女の左腕。それは肘から先が、どす黒く変色し、完全に動かなくなっていた。
いや、正確には「繋がっているだけ」だった。
数日前、帝国軍の特殊部隊と交戦した際、軍隊蟻の巨大な顎に挟まれ、骨ごと粉砕されたのだ。
神経も血管もズタズタに断裂し、今の彼女は片腕を失ったも同然だった。
昨晩の食事の時は、気力と魔力で無理やり動かしていたが、それも限界だった。
「騎士団長ともあろう者が……薪一本割れないとはな」
彼女は自嘲した。
剣を握れない騎士など、ただの穀潰しだ。
これでは、ノエルの役に立つどころか、足手まといになるだけだ。
「どうしたの? アイリス」
背後から声をかけられ、アイリスはビクリと肩を震わせた。
振り返ると、ノエルが不思議そうな顔で立っていた。
手には、収穫したばかりの真っ赤なトマトが入ったカゴを持っている。
「あ、いえ……ノエル殿。その、お見苦しいところを……」
「斧、飛んでったけど。怪我はない?」
「……はい。ですが、申し訳ありません。薪割りを申し出たものの、今の私には荷が重かったようです」
アイリスは意を決して、左腕を隠していた袖をまくり上げた。
露わになったのは、見るも無惨に壊死し、枯れ木のようになった腕だった。
「実は……帝国軍との戦闘で、左腕を潰されました。回復魔法も試しましたが、『壊死の呪い』を含んだ蟻の酸にやられ、もう元には戻りません」
彼女は沈痛な面持ちで頭を下げた。
「ノエル殿。ご恩をお返しすると言いましたが、片腕の騎士など役立たずです。ここを出て行けとおっしゃるなら、甘んじて受け入れま――」
「ああ、なんだ。栄養不足か」
ノエルの口から出たのは、あまりにも場違いな感想だった。
「……はい?」
「いや、植物もよくあるんだよ。栄養が行き渡らなくて、枝先が枯れちゃうこと。そういう時は、たっぷり栄養をあげれば治るから」
「い、いえ、これは植物の枝ではなく、人間の腕でして……しかも呪いによる壊死で……」
「一緒だよ。生き物なんだから」
ノエルはカゴの中から、一際大きく輝くトマトを取り出した。
『黄金トマト』。
昨日、ノエルが品種改良(という名の魔改造)をして作り出した、Sランク食材だ。
普通なら市場に出回ることさえない、伝説の果実である。
「ほら、これ食ってみな。朝採れだから栄養満点だぞ」
「は、はあ……」
アイリスは戸惑いながらも、差し出されたトマトを受け取った。
ずしりと重い。
そして、皮の表面から、チリチリとするほどの濃厚な魔力を感じる。
(これを……食べるだけで治ると?)
常識で考えればありえない。
聖女ミリアの最上級回復魔法『再生(リジェネレーション)』でさえ、欠損した部位や呪われた傷を治すには数ヶ月かかる。
ましてや、ただの野菜で。
だが、昨日のハンバーグの奇跡を思い出す。
あの料理は、瀕死だった彼女を一瞬で全快させた。
この男の作るものなら、あるいは……。
「いただきます」
アイリスはトマトを口に運んだ。
ガブリ。
瑞々しい音と共に、皮が弾ける。
その瞬間。
ドクンッ!!
「んぐっ!?」
心臓が早鐘を打った。
口の中に広がったのは、トマトの酸味と甘味……そして、マグマのような熱量だった。
果汁が喉を通ると、カッと体が熱くなる。
まるで、体の中に小さな太陽を取り込んだような感覚。
「あ、熱い……! 腕が……腕が熱いッ!!」
アイリスは左腕を押さえてうずくまった。
壊死していたはずの腕が、ドクンドクンと脈動している。
どす黒かった皮膚がペリペリと剥がれ落ち、下から桜色の新しい皮膚が再生していく。
潰れた骨がバキボキと音を立てて組み変わり、千切れた神経が稲妻のような速さで再接続される。
「う、うあぁぁぁぁぁッ!!」
激痛ではない。
強烈な「痒み」と、生命力が暴走するような「成長痛」だ。
そして、数秒後。
「……え?」
痛みが引いた後、アイリスはおそるおそる左腕を見た。
そこにあったのは、傷一つない、白くなめらかな腕だった。
指を動かしてみる。
グーパー、グーパー。
完璧に動く。
それどころか、以前よりも魔力の通りが良くなり、指先から溢れる力が制御できないほどだ。
「な、治った……? いや、再生した……?」
アイリスは呆然と呟いた。
医学の常識を覆す光景。
トマト一個で、不治の重傷が完治してしまったのだ。
「うん、顔色も良くなったな。やっぱり野菜は体にいい」
ノエルは満足げに頷いている。
彼にとっては、庭の木に活力剤を与えて、枯れた枝が元気になった程度の認識らしい。
「ノ、ノエル殿……! 貴方という人は……!」
アイリスは震える声で言った。
感謝と畏敬、そして崇拝。
あらゆる感情が胸に渦巻く。
この人は、ただの農家ではない。
生命そのものを司る、神に等しい存在だ。
「ありがとうございます……! この御恩、一生忘れません!」
「いいってことよ。あ、そうそう。治ったなら、そのトマトの残りのヘタ、コンポスト(堆肥箱)に入れといてくれよな」
「は、はいッ! 喜んで!」
アイリスは涙を拭い、力強く返事をした。
彼女の左腕には、黄金トマトの魔力が宿り、微かに金色の燐光を放っていた。
後に彼女は、この左腕で『竜の爪さえ砕く剛腕の女騎士』として名を馳せることになるのだが、今はまだ、薪割りに再挑戦しようと斧を握り直すところだった。
「よし、今度こそ!」
ブンッ!
アイリスは気合を入れて斧を振るった。
今度は手からすっぽ抜けることはなかった。
代わりに。
ドゴォォォォォンッ!!!
「え?」
斧が薪に当たった瞬間、爆音が響いた。
薪が真っ二つになるどころか、粉々に砕け散り、その下の薪割り台も粉砕され、さらには地面に深いクレーターが出来上がっていた。
衝撃波で周囲の木々が揺れる。
「あ、あれ……?」
アイリスは手の中を見た。
鋼鉄製の斧の刃が、飴細工のようにぐにゃりと曲がっていた。
「ち、力が……入りすぎてしまった……?」
「おー、すごいパワーだな。薪割りっていうか、薪割り機みたいだ」
ノエルが感心したように拍手している。
「これなら、あっちのアイアンウッドの丸太も割れるんじゃないか?」
「は、はい! やってみます!」
アイリスは自分の新たな力に戸惑いつつも、嬉しさがこみ上げてきた。
戦える。働ける。
ノエルの役に立てる。
それが何よりも誇らしかった。
こうして、俺の家に「重機並みのパワーを持つ薪割り係(兼護衛)」が正式に誕生したのだった。
◇
一方、その頃。
俺を追放した勇者パーティ『栄光の剣』の三人は、地獄を見ていた。
場所は魔の森の入り口付近。
昨日食べた『シビレダケ』の影響で、彼らは未だに全身が麻痺し、地面に転がっていた。
「うう……動けない……」
勇者ジークが、地面に顔を押し付けたまま呻く。
手足の感覚がなく、指一本動かせない。
賢者レオンも、聖女ミリアも同様だ。
意識はあるのに体が動かないというのは、想像を絶する恐怖だった。
そして、その恐怖に追い打ちをかけるような存在が現れた。
ポヨン、ポヨン……。
草むらをかき分けて現れたのは、半透明の緑色のゼリー状の魔物。
スライムだ。
冒険者なら、駆け出しの子供でも棒切れ一本で倒せる、最弱の魔物。
普段のジークたちなら、視界に入った瞬間に踏み潰していただろう。
だが、今の彼らにとって、そのスライムは死神に見えた。
「く、来るな……!」
ジークが必死に声を絞り出す。
スライムは、無防備に転がっている人間たちを見つけると、嬉しそうに体を震わせた。
彼らの装備(服)や、皮膚を溶かして吸収しようというのだ。
「ひぃっ! いやぁぁぁ!」
ミリアが悲鳴を上げる。
スライムが彼女の足元に這い寄り、ブーツの上から覆い被さった。
ジュウゥゥ……という微かな音と共に、革のブーツが溶け始める。
幸い、スライムの消化液は弱く、すぐに肉まで達することはない。
だが、ゆっくりと、確実に溶かされていく恐怖は、精神を破壊するのに十分だった。
「レオン! 魔法だ! 魔法を使え!」
「無理だ! 舌が痺れて詠唱できない!」
レオンも絶望の表情を浮かべる。
ジークの目の前にも、別のスライムが迫っていた。
あのぬるぬるした体が、顔に張り付いたら――窒息死する。
(俺は……勇者だぞ……? こんな最弱の魔物に、手も足も出ずに食われるのか……?)
走馬灯のように、過去の栄光が蘇る。
王都での称賛。
華やかなパーティー。
そして、いつも後ろに控えていた、地味な幼馴染の顔。
『ジーク、そっちにスライムがいるよ。酸を飛ばしてくるから気をつけて』
ノエルの声が脳裏に響く。
そうだ。
かつては、こういう雑魚敵の処理も、全てノエルがやってくれていた。
スライム除けの薬を撒き、夜営地には結界を張り、彼らが安眠できるように環境を整えてくれていた。
「ノエル……助けてくれ……ッ!」
ジークはプライドをかなぐり捨てて叫んだ。
だが、答えはない。
あるのは、スライムが這い回る不快な音と、仲間の悲鳴だけだ。
その時だった。
「――まったく、騒がしいですね」
頭上から、冷ややかな声が降ってきた。
ジークたちが視線を動かすと、そこには見知らぬ集団が立っていた。
全身を黒いローブで隠した男たち。
その胸には、不気味な髑髏(ドクロ)の紋章が刻まれている。
「あ、あんたたちは……?」
「通りすがりの『掃除屋』ですよ」
リーダーらしき男が指を鳴らすと、部下の一人がスライムに向けて黒い炎を放った。
ボッ!
スライムたちは一瞬で蒸発し、消え去った。
「た、助かった……」
ジークは安堵の息を漏らした。
だが、男たちの目は笑っていなかった。
「ほう、見れば『勇者』様ではありませんか。こんなところで無様に転がっているとは」
「う、うるさい! ちょっと油断しただけだ!」
「ククク……落ちぶれたものですね。ですが、好都合だ」
男はジークを見下ろし、邪悪な笑みを浮かべた。
「我々は『闇の教団』。この森に眠る『禁忌の力』を探しに来たのですが……どうやら、貴方たちを『手駒』として使うのが面白そうだ」
「な、なにを……!?」
「勇者一行が悪の教団に堕ちたとなれば、王国もさぞかし混乱するでしょう。さあ、連れて行け」
「や、やめろ! 離せ!」
麻痺して動けないジークたちは、男たちに荷物のように担ぎ上げられた。
スライムの危機は去ったが、彼らを待っていたのは、さらなる闇への入り口だった。
「ノエルゥゥゥゥゥッ!!」
ジークの絶叫が、森の闇に吸い込まれていく。
彼がノエルに会うのは、まだ少し先の話。
それも、敵対者として、最悪の形での再会となることを、彼はまだ知らない。
◇
翌日。
俺の家の食卓は、今日も賑やかだった。
「主様! 今日の薪割り、ノルマの三倍終わらせておきました!」
「はやっ! アイリス、腕は大丈夫か?」
「はい! むしろ力が有り余っています!」
アイリスが力こぶを作ってみせる。
その左腕は、昨日よりもさらに艶やかで、筋肉もしなやかになっている気がする。
気のせいか、肌が少し光っているようにも見えるが、まあ美容にいいトマトだったからな。
「あら、わたくしも負けていられませんわ。主様、庭の害虫駆除、森の半径五キロ圏内まで完了しましたわよ」
「お前もやりすぎだろティターニア」
「主様、朝のスープのおかわりはいかがですか?」
「ありがとうセラフィナ」
エルフの王女、大精霊、そして怪力女騎士。
個性豊かな(過ぎる)面々に囲まれて、俺の農家ライフは順調に拡大していた。
「今日は、新しく『薬草園』を作ろうと思うんだ」
「薬草園ですか?」
「ああ。アイリスの件もあったし、やっぱり薬は常備しておきたいからな」
昨日のアイリスの怪我を見て、俺は思ったのだ。
トマトで治ったから良かったものの、もっと酷い怪我や病気があったら困る。
万能薬とまではいかなくても、風邪薬や傷薬くらいは自家製で作りたい。
「わかりました! では、私が土壌を改良します!」
「わたくしが、希少な薬草の種を集めてきますわ!」
「私は……ええと、害獣が来ないように見張っています!」
みんなやる気満々だ。
俺たちは朝食を終えると、意気揚々と庭に出た。
そこで俺が、何気なく植えた『薬草(のつもりだったもの)』が、後に世界中の錬金術師を驚愕させる『神薬』になるとは、まだ知る由もなかった。
続く
魔の森での居候生活、二日目の朝。
女騎士アイリスは、家の裏手にある薪割り場で脂汗を流していた。
彼女はノエルに「なんでもする」と誓った。
騎士としての誇りにかけて、ただ飯を食らうわけにはいかない。
まずは労働で恩を返そうと、朝一番に薪割りを志願したのだ。
だが、現実は残酷だった。
ガキンッ!
「ああっ!?」
アイリスが振り下ろした斧は、薪に当たるどころか、手からすっぽ抜けて地面に転がった。
彼女の左腕が、ダラリと力なく垂れ下がっている。
「……やはり、駄目か」
アイリスは悔しげに唇を噛み、膝をついた。
彼女の左腕。それは肘から先が、どす黒く変色し、完全に動かなくなっていた。
いや、正確には「繋がっているだけ」だった。
数日前、帝国軍の特殊部隊と交戦した際、軍隊蟻の巨大な顎に挟まれ、骨ごと粉砕されたのだ。
神経も血管もズタズタに断裂し、今の彼女は片腕を失ったも同然だった。
昨晩の食事の時は、気力と魔力で無理やり動かしていたが、それも限界だった。
「騎士団長ともあろう者が……薪一本割れないとはな」
彼女は自嘲した。
剣を握れない騎士など、ただの穀潰しだ。
これでは、ノエルの役に立つどころか、足手まといになるだけだ。
「どうしたの? アイリス」
背後から声をかけられ、アイリスはビクリと肩を震わせた。
振り返ると、ノエルが不思議そうな顔で立っていた。
手には、収穫したばかりの真っ赤なトマトが入ったカゴを持っている。
「あ、いえ……ノエル殿。その、お見苦しいところを……」
「斧、飛んでったけど。怪我はない?」
「……はい。ですが、申し訳ありません。薪割りを申し出たものの、今の私には荷が重かったようです」
アイリスは意を決して、左腕を隠していた袖をまくり上げた。
露わになったのは、見るも無惨に壊死し、枯れ木のようになった腕だった。
「実は……帝国軍との戦闘で、左腕を潰されました。回復魔法も試しましたが、『壊死の呪い』を含んだ蟻の酸にやられ、もう元には戻りません」
彼女は沈痛な面持ちで頭を下げた。
「ノエル殿。ご恩をお返しすると言いましたが、片腕の騎士など役立たずです。ここを出て行けとおっしゃるなら、甘んじて受け入れま――」
「ああ、なんだ。栄養不足か」
ノエルの口から出たのは、あまりにも場違いな感想だった。
「……はい?」
「いや、植物もよくあるんだよ。栄養が行き渡らなくて、枝先が枯れちゃうこと。そういう時は、たっぷり栄養をあげれば治るから」
「い、いえ、これは植物の枝ではなく、人間の腕でして……しかも呪いによる壊死で……」
「一緒だよ。生き物なんだから」
ノエルはカゴの中から、一際大きく輝くトマトを取り出した。
『黄金トマト』。
昨日、ノエルが品種改良(という名の魔改造)をして作り出した、Sランク食材だ。
普通なら市場に出回ることさえない、伝説の果実である。
「ほら、これ食ってみな。朝採れだから栄養満点だぞ」
「は、はあ……」
アイリスは戸惑いながらも、差し出されたトマトを受け取った。
ずしりと重い。
そして、皮の表面から、チリチリとするほどの濃厚な魔力を感じる。
(これを……食べるだけで治ると?)
常識で考えればありえない。
聖女ミリアの最上級回復魔法『再生(リジェネレーション)』でさえ、欠損した部位や呪われた傷を治すには数ヶ月かかる。
ましてや、ただの野菜で。
だが、昨日のハンバーグの奇跡を思い出す。
あの料理は、瀕死だった彼女を一瞬で全快させた。
この男の作るものなら、あるいは……。
「いただきます」
アイリスはトマトを口に運んだ。
ガブリ。
瑞々しい音と共に、皮が弾ける。
その瞬間。
ドクンッ!!
「んぐっ!?」
心臓が早鐘を打った。
口の中に広がったのは、トマトの酸味と甘味……そして、マグマのような熱量だった。
果汁が喉を通ると、カッと体が熱くなる。
まるで、体の中に小さな太陽を取り込んだような感覚。
「あ、熱い……! 腕が……腕が熱いッ!!」
アイリスは左腕を押さえてうずくまった。
壊死していたはずの腕が、ドクンドクンと脈動している。
どす黒かった皮膚がペリペリと剥がれ落ち、下から桜色の新しい皮膚が再生していく。
潰れた骨がバキボキと音を立てて組み変わり、千切れた神経が稲妻のような速さで再接続される。
「う、うあぁぁぁぁぁッ!!」
激痛ではない。
強烈な「痒み」と、生命力が暴走するような「成長痛」だ。
そして、数秒後。
「……え?」
痛みが引いた後、アイリスはおそるおそる左腕を見た。
そこにあったのは、傷一つない、白くなめらかな腕だった。
指を動かしてみる。
グーパー、グーパー。
完璧に動く。
それどころか、以前よりも魔力の通りが良くなり、指先から溢れる力が制御できないほどだ。
「な、治った……? いや、再生した……?」
アイリスは呆然と呟いた。
医学の常識を覆す光景。
トマト一個で、不治の重傷が完治してしまったのだ。
「うん、顔色も良くなったな。やっぱり野菜は体にいい」
ノエルは満足げに頷いている。
彼にとっては、庭の木に活力剤を与えて、枯れた枝が元気になった程度の認識らしい。
「ノ、ノエル殿……! 貴方という人は……!」
アイリスは震える声で言った。
感謝と畏敬、そして崇拝。
あらゆる感情が胸に渦巻く。
この人は、ただの農家ではない。
生命そのものを司る、神に等しい存在だ。
「ありがとうございます……! この御恩、一生忘れません!」
「いいってことよ。あ、そうそう。治ったなら、そのトマトの残りのヘタ、コンポスト(堆肥箱)に入れといてくれよな」
「は、はいッ! 喜んで!」
アイリスは涙を拭い、力強く返事をした。
彼女の左腕には、黄金トマトの魔力が宿り、微かに金色の燐光を放っていた。
後に彼女は、この左腕で『竜の爪さえ砕く剛腕の女騎士』として名を馳せることになるのだが、今はまだ、薪割りに再挑戦しようと斧を握り直すところだった。
「よし、今度こそ!」
ブンッ!
アイリスは気合を入れて斧を振るった。
今度は手からすっぽ抜けることはなかった。
代わりに。
ドゴォォォォォンッ!!!
「え?」
斧が薪に当たった瞬間、爆音が響いた。
薪が真っ二つになるどころか、粉々に砕け散り、その下の薪割り台も粉砕され、さらには地面に深いクレーターが出来上がっていた。
衝撃波で周囲の木々が揺れる。
「あ、あれ……?」
アイリスは手の中を見た。
鋼鉄製の斧の刃が、飴細工のようにぐにゃりと曲がっていた。
「ち、力が……入りすぎてしまった……?」
「おー、すごいパワーだな。薪割りっていうか、薪割り機みたいだ」
ノエルが感心したように拍手している。
「これなら、あっちのアイアンウッドの丸太も割れるんじゃないか?」
「は、はい! やってみます!」
アイリスは自分の新たな力に戸惑いつつも、嬉しさがこみ上げてきた。
戦える。働ける。
ノエルの役に立てる。
それが何よりも誇らしかった。
こうして、俺の家に「重機並みのパワーを持つ薪割り係(兼護衛)」が正式に誕生したのだった。
◇
一方、その頃。
俺を追放した勇者パーティ『栄光の剣』の三人は、地獄を見ていた。
場所は魔の森の入り口付近。
昨日食べた『シビレダケ』の影響で、彼らは未だに全身が麻痺し、地面に転がっていた。
「うう……動けない……」
勇者ジークが、地面に顔を押し付けたまま呻く。
手足の感覚がなく、指一本動かせない。
賢者レオンも、聖女ミリアも同様だ。
意識はあるのに体が動かないというのは、想像を絶する恐怖だった。
そして、その恐怖に追い打ちをかけるような存在が現れた。
ポヨン、ポヨン……。
草むらをかき分けて現れたのは、半透明の緑色のゼリー状の魔物。
スライムだ。
冒険者なら、駆け出しの子供でも棒切れ一本で倒せる、最弱の魔物。
普段のジークたちなら、視界に入った瞬間に踏み潰していただろう。
だが、今の彼らにとって、そのスライムは死神に見えた。
「く、来るな……!」
ジークが必死に声を絞り出す。
スライムは、無防備に転がっている人間たちを見つけると、嬉しそうに体を震わせた。
彼らの装備(服)や、皮膚を溶かして吸収しようというのだ。
「ひぃっ! いやぁぁぁ!」
ミリアが悲鳴を上げる。
スライムが彼女の足元に這い寄り、ブーツの上から覆い被さった。
ジュウゥゥ……という微かな音と共に、革のブーツが溶け始める。
幸い、スライムの消化液は弱く、すぐに肉まで達することはない。
だが、ゆっくりと、確実に溶かされていく恐怖は、精神を破壊するのに十分だった。
「レオン! 魔法だ! 魔法を使え!」
「無理だ! 舌が痺れて詠唱できない!」
レオンも絶望の表情を浮かべる。
ジークの目の前にも、別のスライムが迫っていた。
あのぬるぬるした体が、顔に張り付いたら――窒息死する。
(俺は……勇者だぞ……? こんな最弱の魔物に、手も足も出ずに食われるのか……?)
走馬灯のように、過去の栄光が蘇る。
王都での称賛。
華やかなパーティー。
そして、いつも後ろに控えていた、地味な幼馴染の顔。
『ジーク、そっちにスライムがいるよ。酸を飛ばしてくるから気をつけて』
ノエルの声が脳裏に響く。
そうだ。
かつては、こういう雑魚敵の処理も、全てノエルがやってくれていた。
スライム除けの薬を撒き、夜営地には結界を張り、彼らが安眠できるように環境を整えてくれていた。
「ノエル……助けてくれ……ッ!」
ジークはプライドをかなぐり捨てて叫んだ。
だが、答えはない。
あるのは、スライムが這い回る不快な音と、仲間の悲鳴だけだ。
その時だった。
「――まったく、騒がしいですね」
頭上から、冷ややかな声が降ってきた。
ジークたちが視線を動かすと、そこには見知らぬ集団が立っていた。
全身を黒いローブで隠した男たち。
その胸には、不気味な髑髏(ドクロ)の紋章が刻まれている。
「あ、あんたたちは……?」
「通りすがりの『掃除屋』ですよ」
リーダーらしき男が指を鳴らすと、部下の一人がスライムに向けて黒い炎を放った。
ボッ!
スライムたちは一瞬で蒸発し、消え去った。
「た、助かった……」
ジークは安堵の息を漏らした。
だが、男たちの目は笑っていなかった。
「ほう、見れば『勇者』様ではありませんか。こんなところで無様に転がっているとは」
「う、うるさい! ちょっと油断しただけだ!」
「ククク……落ちぶれたものですね。ですが、好都合だ」
男はジークを見下ろし、邪悪な笑みを浮かべた。
「我々は『闇の教団』。この森に眠る『禁忌の力』を探しに来たのですが……どうやら、貴方たちを『手駒』として使うのが面白そうだ」
「な、なにを……!?」
「勇者一行が悪の教団に堕ちたとなれば、王国もさぞかし混乱するでしょう。さあ、連れて行け」
「や、やめろ! 離せ!」
麻痺して動けないジークたちは、男たちに荷物のように担ぎ上げられた。
スライムの危機は去ったが、彼らを待っていたのは、さらなる闇への入り口だった。
「ノエルゥゥゥゥゥッ!!」
ジークの絶叫が、森の闇に吸い込まれていく。
彼がノエルに会うのは、まだ少し先の話。
それも、敵対者として、最悪の形での再会となることを、彼はまだ知らない。
◇
翌日。
俺の家の食卓は、今日も賑やかだった。
「主様! 今日の薪割り、ノルマの三倍終わらせておきました!」
「はやっ! アイリス、腕は大丈夫か?」
「はい! むしろ力が有り余っています!」
アイリスが力こぶを作ってみせる。
その左腕は、昨日よりもさらに艶やかで、筋肉もしなやかになっている気がする。
気のせいか、肌が少し光っているようにも見えるが、まあ美容にいいトマトだったからな。
「あら、わたくしも負けていられませんわ。主様、庭の害虫駆除、森の半径五キロ圏内まで完了しましたわよ」
「お前もやりすぎだろティターニア」
「主様、朝のスープのおかわりはいかがですか?」
「ありがとうセラフィナ」
エルフの王女、大精霊、そして怪力女騎士。
個性豊かな(過ぎる)面々に囲まれて、俺の農家ライフは順調に拡大していた。
「今日は、新しく『薬草園』を作ろうと思うんだ」
「薬草園ですか?」
「ああ。アイリスの件もあったし、やっぱり薬は常備しておきたいからな」
昨日のアイリスの怪我を見て、俺は思ったのだ。
トマトで治ったから良かったものの、もっと酷い怪我や病気があったら困る。
万能薬とまではいかなくても、風邪薬や傷薬くらいは自家製で作りたい。
「わかりました! では、私が土壌を改良します!」
「わたくしが、希少な薬草の種を集めてきますわ!」
「私は……ええと、害獣が来ないように見張っています!」
みんなやる気満々だ。
俺たちは朝食を終えると、意気揚々と庭に出た。
そこで俺が、何気なく植えた『薬草(のつもりだったもの)』が、後に世界中の錬金術師を驚愕させる『神薬』になるとは、まだ知る由もなかった。
続く
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恋人に裏切られ、村を追い出された青年エド。彼の地味な仕事は誰にも評価されず、ただの「役立たず」として切り捨てられた。だが、それは間違いだった。旅の魔術師エリーゼと出会った彼は、自分の能力が秘めていた真の価値を知る。魔術と薬草を組み合わせた彼の秘薬は、やがて王国を救うほどの力となり、エドは英雄として名を馳せていく。そして、彼が去った村は、彼がいた頃には気づかなかった「地味な薬」の恩恵を失い、静かに破滅へと向かっていくのだった。
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剣と魔法の西洋風異世界。転移・転生なし。三人称。
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※小説家になろう様にも掲載中。
悪役令嬢が処刑されたあとの世界で
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悪役令嬢が処刑されたあとの世界で、人々の間に静かな困惑が広がる。
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