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第9話 害虫に追われていた女騎士を保護。ご飯をあげたら胃袋を掴んでしまった
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「……んぅ……」
どこか甘い、花の香りで目が覚めた。
重い瞼を開けると、視界に入ってきたのは知らない天井だった。
いや、ただの天井ではない。
黒光りする鱗のような素材が幾重にも重なり、隙間なく敷き詰められている。
まるで、ドラゴンの腹の中にいるような威圧感と、それでいて絶対的な安心感を与える堅牢な屋根だ。
「ここは……天国、か?」
私は体を起こそうとして、自分が信じられないほど柔らかい何かに包まれていることに気づいた。
シーツの下にあるのは、深紅の毛皮。
触れるだけで指が埋まるほどの厚みと弾力。そして、そこから伝わってくる温かな魔力。
「まさか、これ……Aランク魔獣『レッドグリズリー』の毛皮!? しかも、最上級の冬毛……!?」
私は驚愕に飛び起きた。
こんな希少な素材を寝具に使うなど、王族でもありえない。
「おや、気がつきましたか?」
声をかけられ、私はハッとして身構えた。
部屋の隅、大きな窓のそばに一人の女性が立っていた。
長い耳、透き通るような金髪。そして、その身から溢れ出る圧倒的な魔力。
エルフだ。それも、ただのエルフではない。
「貴様、何者だ! ここはどこだ! 私は……」
言いかけて、記憶が蘇る。
私はアイリス・ラインハルト。王国の第三騎士団長だ。
帝国軍の特殊部隊が国境を越え、北の『魔の森』へ侵入したとの情報を得て、部下を率いて追撃していた。
だが、魔の森の環境は過酷を極めた。
強力な魔物の襲撃、尽きる食料、そしてはぐれる部下たち。
最後は単身で森を彷徨い、空腹と疲労で意識を失ったはずだ。
「落ち着いてください。貴女は私の主様(マスター)に助けられたのです」
エルフの女性――セラフィナと名乗った彼女は、穏やかに微笑んだ。
「主様? 貴女ほどの強大なエルフが従う人物がいるというのか?」
「ええ。この森の、いえ、この世界の理すら書き換えるお方です」
「ふあぁ……。朝から騒がしいわねぇ」
今度は、窓際のソファで寝転がっていた緑髪の美女が欠伸をした。
彼女からは、森そのもののような深淵な気配を感じる。
ま、まさか、大精霊!?
「な、なんだこの場所は……。魔境か?」
私が混乱していると、部屋の扉が開いた。
「お、起きたか」
入ってきたのは、黒髪の青年だった。
エプロンをつけ、手にはお盆を持っている。
見た目は二十歳そこそこ。どこにでもいそうな、優しげな顔立ちの青年だ。
だが、私の長年の勘が警鐘を鳴らした。
この男、隙がない。
歩き方に一切の無駄がなく、自然体でありながら、周囲の空間を支配しているような……。
「腹、減ってるんだろ? とりあえず飯にしようぜ」
彼がテーブルにお盆を置いた瞬間。
ドォォォォォンッ!!
部屋中に、暴力的なまでの「匂い」が爆発した。
焼けた肉の香ばしさ、濃厚なソースの香り、そして食欲をそそるスパイスの刺激。
それは私の鼻腔を貫き、脳髄を揺さぶり、空っぽの胃袋を鷲掴みにした。
「ぐぅぅぅぅぅぅぅッ!!!」
私の腹が、雷鳴のような音を立てた。
騎士としての尊厳もプライドも、その音と共にかき消された。
「あ、あああ……」
顔から火が出るほど恥ずかしい。
だが、体は正直だった。視線が料理に釘付けになって離れない。
「はは、いい音だ。さあ、冷めないうちに食ってくれ」
青年――ノエルは、私の前に皿を置いた。
そこには、私の顔ほどもある巨大なハンバーグが鎮座していた。
表面はこんがりと焼け、ナイフを入れる前から肉汁が溢れ出している。
その上には、黄金色に輝くソースがたっぷりとかかっていた。
「い、いただきます……!」
私は震える手でフォークとナイフを握った。
ナイフを入れる。
抵抗がない。まるで雲を切るようにスッと刃が通り、切り口からジュワアアッと肉汁の滝が流れ出した。
湯気とともに立ち昇る香りに、理性が飛びそうになる。
パクリ。
口に入れた瞬間だった。
「んんんんんんんッ!!!」
美味い。
美味いとかいう次元ではない。
噛みしめるたびに、濃厚な肉の旨味が口の中で爆発する。
肉質は極めて柔らかいのに、しっかりとした弾力があり、脂は驚くほど甘い。
そして、この黄金色のソース。
酸味と甘味のバランスが絶妙で、肉の油っこさを中和しつつ、さらに旨味を引き立てている。
「な、なんだこれは……! 私の知っている肉料理ではない!」
私は夢中でハンバーグを頬張った。
王城の晩餐会で出される最高級のステーキでさえ、これに比べれば革靴の底のようなものだ。
食べるごとに、体の奥底から力が湧いてくる。
冷え切っていた手足に血が巡り、枯渇していたマナが奔流となって全身を駆け巡る。
「はぐ、むぐ……! こ、この肉は一体……!? 牛肉ではない、豚肉でもない……!」
「ああ、それ? アースドラゴンの合い挽き肉だぞ」
ノエルがあっさりと言った。
「ぶふっ!?」
私は思わず吹き出しそうになった。
「ド、ドラゴン!? Sランク魔獣の、あのアースドラゴンか!?」
「うん。庭に変なトカゲが迷い込んでさ。穴掘って邪魔だったから『駆除』したんだ。少し硬かったから、ミンチにしてハンバーグにしてみた」
トカゲ……? 駆除……?
この男は何を言っているんだ?
アースドラゴンと言えば、一個師団で挑んでも勝てるかわからない災害級の怪物だ。
それを、庭のモグラか何かのように?
「そ、それで、このソースは……?」
「ああ、それは畑で採れた『黄金トマト』のソースだ。今朝採れたてだから新鮮だろ?」
黄金トマト。
聞いたことがある。神話の時代に存在した、万病を治し寿命を延ばす幻の野菜。
それを、ただのソースに……?
「……主様のお料理は、世界最強のバフ(身体強化)アイテムでもありますのよ」
向かいの席で、優雅にサラダを食べているティターニアが教えてくれた。
「その一皿で、貴女の魔力容量は倍増し、傷ついた内臓も筋肉も完全に修復されますわ。感謝して食べなさいな」
言われるまでもない。
私は涙を流しながら完食した。
皿に残ったソースまで、パン(これまた絶品だった)で拭って食べた。
「ふぅ……生き返った……」
満腹感と共に、凄まじい活力が体に満ちていた。
気絶する前よりも、明らかにコンディションが良い。
いや、騎士団に入団して以来、最高の状態かもしれない。
「ごちそうさまでした。……命を救っていただき、感謝します」
私は椅子から立ち上がり、ノエルに向かって騎士の礼をとった。
満腹になったことで冷静さを取り戻した私は、改めてこの青年の異常性を認識していた。
ドラゴンを食材にし、伝説の野菜を育て、エルフと精霊を従える男。
彼こそが、この魔の森の支配者なのかもしれない。
「お礼なんていいよ。困った時はお互い様だ」
「いえ、そうはいきません。私は王国の騎士、アイリス・ラインハルト。必ずこの恩は返します」
私は名乗った。
すると、ノエルは少し首を傾げた。
「騎士様か。こんな森の奥まで、何しに来たんだ?」
「……任務です。帝国軍の特殊部隊がこの森に侵入したとの情報を得て、追撃していました」
私は悔しげに唇を噛んだ。
「ですが、恥ずかしながら部隊を見失い、遭難してしまいました。彼らは『鋼鉄の甲虫』と呼ばれる精鋭部隊……危険な連中です」
「ああ、甲虫か」
ノエルがポンと手を打った。
「黒光りしてて、たくさん足が生えてて、硬そうな殻を被ったやつらか?」
「! ご存知なのですか!?」
特徴が一致する。
やはり、彼らはこの近くまで来ていたのか。
「うん、昨日来たよ。庭の野菜を食い荒らそうとしてたから、追い払った」
追い払った……?
あの精鋭部隊を?
彼らは最新鋭の魔導アーマーと軍隊蟻を操る、帝国の切り札だぞ?
「ど、どうやって……?」
「スプレーで」
「スプレー?」
「ああ。特製の殺虫剤を作って撒いたんだ。酸と毒を混ぜたやつ。そしたら、殻がドロドロに溶けて逃げていったよ。いやー、最近の害虫は薬剤耐性が強くて困るよな」
ノエルは「やれやれ」といった風に肩をすくめた。
私は戦慄した。
酸と毒を混ぜた霧……。
それは広範囲殲滅魔法『アシッド・ミスト』の極大版ではないか。
しかも、対魔法コーティングが施された帝国の最新装甲を溶解させるほどの威力。
それを「殺虫剤」と呼び、涼しい顔で散布したというのか。
(この男……やはり、ただ者ではない。帝国の精鋭部隊を「害虫」扱いし、単身で壊滅させるとは……)
私はゴクリと唾を飲んだ。
もしや彼は、王国がひた隠しにしている『森の賢者』か、あるいは守護神の類なのだろうか。
「あの……その『害虫』たちは、全滅したのですか?」
「いや、何匹かは逃げたかな。でも、仲間が溶かされるのを見てパニックになってたから、二度と寄ってこないと思うぞ」
全滅させずに、恐怖を植え付けて逃した。
これは高度な心理戦だ。
生き残りが国に帰れば、「北の森には勝てない怪物がいる」という情報が広まり、帝国の侵攻を抑止できる。
彼はそこまで計算して……!
「素晴らしい……」
私は思わず呟いた。
武力、知略、そして生産能力。全てにおいて規格外だ。
こんな人物が、人知れず森の中で暮らしているなんて。
「ノエル殿。お願いがあります」
私は膝をついた。
「どうしたの? 急に」
「私を、ここに置いていただけないでしょうか」
騎士団に戻るべきだとはわかっている。
だが、私の騎士としての勘が告げている。
この人物の傍にいれば、私はもっと強くなれる。
そして何より――。
(あのご飯を、もう一度食べたい……!)
胃袋が、完全に彼に降伏していた。
ドラゴンのハンバーグの味が忘れられない。
もしここを出て行ったら、一生後悔する気がする。
「えー? また増えるのか? まあ、部屋は余ってるからいいけど……」
「ありがとうございます! 掃除でも薪割りでも、警備でも何でもやります!」
「警備かぁ。まあ、熊とか猪が出たら追い払ってくれると助かるかな」
「お任せください! この剣にかけて、ノエル殿の『庭』は私が守り抜きます!」
こうして、私はノエルの家に居候することになった。
エルフの王女、大精霊、そして私。
奇妙な共同生活が始まったが、私はすぐに思い知ることになる。
彼が言う「熊や猪」が、AランクやSランクの魔物のことであると。
そして、彼が守ろうとしている「庭」が、世界のバランスを左右するほどの聖域であることを。
◇
一方、その頃。
勇者パーティのジークたちは、未だに魔の森を彷徨っていた。
雨は上がったが、彼らの体力は限界に達していた。
「腹減った……もう動けない……」
賢者のレオンが、泥の中に座り込む。
聖女のミリアも、虚ろな目で宙を見つめている。
勇者のジークだけが、剣を杖代わりにして立っていたが、その足は震えていた。
「食い物……何か食い物を……」
ジークは森の中を見回した。
ふと、足元に紫色のキノコが生えているのが見えた。
毒々しい色をしているが、ジークの記憶が反応した。
『あ、これ……ノエルがよくスープに入れてたやつだ』
以前、ノエルが作ったスープに入っていたキノコに似ている。
あのスープは美味かった。滋養強壮に効くとノエルが言っていた。
これなら食べられるかもしれない。
「お、おい! これを見ろ! ノエルが採っていたキノコだ!」
「本当!? やったぁ!」
「でかしたぞジーク!」
三人は飛びついた。
火をおこす元気もなかったので、生のまま貪り食った。
強烈な苦味と痺れが口の中に広がったが、彼らは「これが薬効だ」と思い込んで飲み込んだ。
だが、彼らは知らなかった。
ノエルが使っていたのは、確かにそのキノコだが、『草むしり』スキルで「毒素」と「痺れ成分」を完全に『除去』したものだったということを。
自然界に生えているそれは、ただの猛毒キノコ『シビレダケ』でしかない。
「ぐっ……!?」
「う、うあぁ……舌が……!」
「お腹が……痛い……!」
数分後。
三人は激しい腹痛と麻痺に襲われ、地面を転げ回っていた。
「ノエル……貴様……! こんな毒物を俺たちに食わせていたのか……!」
ジークは泡を吹きながら、完全に的外れな恨み言を吐いた。
「あいつ……戻ってきたら、ただじゃおかないぞ……」
彼らの苦難は続く。
自業自得とはいえ、ノエルの「無自覚な加護」を失った彼らにとって、魔の森は地獄そのものだった。
一方、ノエルたちはその頃、
「お昼は、さっき採れたカボチャでプリンでも作ろうか」
「賛成です! 私、かき混ぜます!」
「わたくしは味見係をしますわ!」
「騎士として、毒見の任は私が!」
と、平和で甘い午後を過ごしていたのだった。
続く
どこか甘い、花の香りで目が覚めた。
重い瞼を開けると、視界に入ってきたのは知らない天井だった。
いや、ただの天井ではない。
黒光りする鱗のような素材が幾重にも重なり、隙間なく敷き詰められている。
まるで、ドラゴンの腹の中にいるような威圧感と、それでいて絶対的な安心感を与える堅牢な屋根だ。
「ここは……天国、か?」
私は体を起こそうとして、自分が信じられないほど柔らかい何かに包まれていることに気づいた。
シーツの下にあるのは、深紅の毛皮。
触れるだけで指が埋まるほどの厚みと弾力。そして、そこから伝わってくる温かな魔力。
「まさか、これ……Aランク魔獣『レッドグリズリー』の毛皮!? しかも、最上級の冬毛……!?」
私は驚愕に飛び起きた。
こんな希少な素材を寝具に使うなど、王族でもありえない。
「おや、気がつきましたか?」
声をかけられ、私はハッとして身構えた。
部屋の隅、大きな窓のそばに一人の女性が立っていた。
長い耳、透き通るような金髪。そして、その身から溢れ出る圧倒的な魔力。
エルフだ。それも、ただのエルフではない。
「貴様、何者だ! ここはどこだ! 私は……」
言いかけて、記憶が蘇る。
私はアイリス・ラインハルト。王国の第三騎士団長だ。
帝国軍の特殊部隊が国境を越え、北の『魔の森』へ侵入したとの情報を得て、部下を率いて追撃していた。
だが、魔の森の環境は過酷を極めた。
強力な魔物の襲撃、尽きる食料、そしてはぐれる部下たち。
最後は単身で森を彷徨い、空腹と疲労で意識を失ったはずだ。
「落ち着いてください。貴女は私の主様(マスター)に助けられたのです」
エルフの女性――セラフィナと名乗った彼女は、穏やかに微笑んだ。
「主様? 貴女ほどの強大なエルフが従う人物がいるというのか?」
「ええ。この森の、いえ、この世界の理すら書き換えるお方です」
「ふあぁ……。朝から騒がしいわねぇ」
今度は、窓際のソファで寝転がっていた緑髪の美女が欠伸をした。
彼女からは、森そのもののような深淵な気配を感じる。
ま、まさか、大精霊!?
「な、なんだこの場所は……。魔境か?」
私が混乱していると、部屋の扉が開いた。
「お、起きたか」
入ってきたのは、黒髪の青年だった。
エプロンをつけ、手にはお盆を持っている。
見た目は二十歳そこそこ。どこにでもいそうな、優しげな顔立ちの青年だ。
だが、私の長年の勘が警鐘を鳴らした。
この男、隙がない。
歩き方に一切の無駄がなく、自然体でありながら、周囲の空間を支配しているような……。
「腹、減ってるんだろ? とりあえず飯にしようぜ」
彼がテーブルにお盆を置いた瞬間。
ドォォォォォンッ!!
部屋中に、暴力的なまでの「匂い」が爆発した。
焼けた肉の香ばしさ、濃厚なソースの香り、そして食欲をそそるスパイスの刺激。
それは私の鼻腔を貫き、脳髄を揺さぶり、空っぽの胃袋を鷲掴みにした。
「ぐぅぅぅぅぅぅぅッ!!!」
私の腹が、雷鳴のような音を立てた。
騎士としての尊厳もプライドも、その音と共にかき消された。
「あ、あああ……」
顔から火が出るほど恥ずかしい。
だが、体は正直だった。視線が料理に釘付けになって離れない。
「はは、いい音だ。さあ、冷めないうちに食ってくれ」
青年――ノエルは、私の前に皿を置いた。
そこには、私の顔ほどもある巨大なハンバーグが鎮座していた。
表面はこんがりと焼け、ナイフを入れる前から肉汁が溢れ出している。
その上には、黄金色に輝くソースがたっぷりとかかっていた。
「い、いただきます……!」
私は震える手でフォークとナイフを握った。
ナイフを入れる。
抵抗がない。まるで雲を切るようにスッと刃が通り、切り口からジュワアアッと肉汁の滝が流れ出した。
湯気とともに立ち昇る香りに、理性が飛びそうになる。
パクリ。
口に入れた瞬間だった。
「んんんんんんんッ!!!」
美味い。
美味いとかいう次元ではない。
噛みしめるたびに、濃厚な肉の旨味が口の中で爆発する。
肉質は極めて柔らかいのに、しっかりとした弾力があり、脂は驚くほど甘い。
そして、この黄金色のソース。
酸味と甘味のバランスが絶妙で、肉の油っこさを中和しつつ、さらに旨味を引き立てている。
「な、なんだこれは……! 私の知っている肉料理ではない!」
私は夢中でハンバーグを頬張った。
王城の晩餐会で出される最高級のステーキでさえ、これに比べれば革靴の底のようなものだ。
食べるごとに、体の奥底から力が湧いてくる。
冷え切っていた手足に血が巡り、枯渇していたマナが奔流となって全身を駆け巡る。
「はぐ、むぐ……! こ、この肉は一体……!? 牛肉ではない、豚肉でもない……!」
「ああ、それ? アースドラゴンの合い挽き肉だぞ」
ノエルがあっさりと言った。
「ぶふっ!?」
私は思わず吹き出しそうになった。
「ド、ドラゴン!? Sランク魔獣の、あのアースドラゴンか!?」
「うん。庭に変なトカゲが迷い込んでさ。穴掘って邪魔だったから『駆除』したんだ。少し硬かったから、ミンチにしてハンバーグにしてみた」
トカゲ……? 駆除……?
この男は何を言っているんだ?
アースドラゴンと言えば、一個師団で挑んでも勝てるかわからない災害級の怪物だ。
それを、庭のモグラか何かのように?
「そ、それで、このソースは……?」
「ああ、それは畑で採れた『黄金トマト』のソースだ。今朝採れたてだから新鮮だろ?」
黄金トマト。
聞いたことがある。神話の時代に存在した、万病を治し寿命を延ばす幻の野菜。
それを、ただのソースに……?
「……主様のお料理は、世界最強のバフ(身体強化)アイテムでもありますのよ」
向かいの席で、優雅にサラダを食べているティターニアが教えてくれた。
「その一皿で、貴女の魔力容量は倍増し、傷ついた内臓も筋肉も完全に修復されますわ。感謝して食べなさいな」
言われるまでもない。
私は涙を流しながら完食した。
皿に残ったソースまで、パン(これまた絶品だった)で拭って食べた。
「ふぅ……生き返った……」
満腹感と共に、凄まじい活力が体に満ちていた。
気絶する前よりも、明らかにコンディションが良い。
いや、騎士団に入団して以来、最高の状態かもしれない。
「ごちそうさまでした。……命を救っていただき、感謝します」
私は椅子から立ち上がり、ノエルに向かって騎士の礼をとった。
満腹になったことで冷静さを取り戻した私は、改めてこの青年の異常性を認識していた。
ドラゴンを食材にし、伝説の野菜を育て、エルフと精霊を従える男。
彼こそが、この魔の森の支配者なのかもしれない。
「お礼なんていいよ。困った時はお互い様だ」
「いえ、そうはいきません。私は王国の騎士、アイリス・ラインハルト。必ずこの恩は返します」
私は名乗った。
すると、ノエルは少し首を傾げた。
「騎士様か。こんな森の奥まで、何しに来たんだ?」
「……任務です。帝国軍の特殊部隊がこの森に侵入したとの情報を得て、追撃していました」
私は悔しげに唇を噛んだ。
「ですが、恥ずかしながら部隊を見失い、遭難してしまいました。彼らは『鋼鉄の甲虫』と呼ばれる精鋭部隊……危険な連中です」
「ああ、甲虫か」
ノエルがポンと手を打った。
「黒光りしてて、たくさん足が生えてて、硬そうな殻を被ったやつらか?」
「! ご存知なのですか!?」
特徴が一致する。
やはり、彼らはこの近くまで来ていたのか。
「うん、昨日来たよ。庭の野菜を食い荒らそうとしてたから、追い払った」
追い払った……?
あの精鋭部隊を?
彼らは最新鋭の魔導アーマーと軍隊蟻を操る、帝国の切り札だぞ?
「ど、どうやって……?」
「スプレーで」
「スプレー?」
「ああ。特製の殺虫剤を作って撒いたんだ。酸と毒を混ぜたやつ。そしたら、殻がドロドロに溶けて逃げていったよ。いやー、最近の害虫は薬剤耐性が強くて困るよな」
ノエルは「やれやれ」といった風に肩をすくめた。
私は戦慄した。
酸と毒を混ぜた霧……。
それは広範囲殲滅魔法『アシッド・ミスト』の極大版ではないか。
しかも、対魔法コーティングが施された帝国の最新装甲を溶解させるほどの威力。
それを「殺虫剤」と呼び、涼しい顔で散布したというのか。
(この男……やはり、ただ者ではない。帝国の精鋭部隊を「害虫」扱いし、単身で壊滅させるとは……)
私はゴクリと唾を飲んだ。
もしや彼は、王国がひた隠しにしている『森の賢者』か、あるいは守護神の類なのだろうか。
「あの……その『害虫』たちは、全滅したのですか?」
「いや、何匹かは逃げたかな。でも、仲間が溶かされるのを見てパニックになってたから、二度と寄ってこないと思うぞ」
全滅させずに、恐怖を植え付けて逃した。
これは高度な心理戦だ。
生き残りが国に帰れば、「北の森には勝てない怪物がいる」という情報が広まり、帝国の侵攻を抑止できる。
彼はそこまで計算して……!
「素晴らしい……」
私は思わず呟いた。
武力、知略、そして生産能力。全てにおいて規格外だ。
こんな人物が、人知れず森の中で暮らしているなんて。
「ノエル殿。お願いがあります」
私は膝をついた。
「どうしたの? 急に」
「私を、ここに置いていただけないでしょうか」
騎士団に戻るべきだとはわかっている。
だが、私の騎士としての勘が告げている。
この人物の傍にいれば、私はもっと強くなれる。
そして何より――。
(あのご飯を、もう一度食べたい……!)
胃袋が、完全に彼に降伏していた。
ドラゴンのハンバーグの味が忘れられない。
もしここを出て行ったら、一生後悔する気がする。
「えー? また増えるのか? まあ、部屋は余ってるからいいけど……」
「ありがとうございます! 掃除でも薪割りでも、警備でも何でもやります!」
「警備かぁ。まあ、熊とか猪が出たら追い払ってくれると助かるかな」
「お任せください! この剣にかけて、ノエル殿の『庭』は私が守り抜きます!」
こうして、私はノエルの家に居候することになった。
エルフの王女、大精霊、そして私。
奇妙な共同生活が始まったが、私はすぐに思い知ることになる。
彼が言う「熊や猪」が、AランクやSランクの魔物のことであると。
そして、彼が守ろうとしている「庭」が、世界のバランスを左右するほどの聖域であることを。
◇
一方、その頃。
勇者パーティのジークたちは、未だに魔の森を彷徨っていた。
雨は上がったが、彼らの体力は限界に達していた。
「腹減った……もう動けない……」
賢者のレオンが、泥の中に座り込む。
聖女のミリアも、虚ろな目で宙を見つめている。
勇者のジークだけが、剣を杖代わりにして立っていたが、その足は震えていた。
「食い物……何か食い物を……」
ジークは森の中を見回した。
ふと、足元に紫色のキノコが生えているのが見えた。
毒々しい色をしているが、ジークの記憶が反応した。
『あ、これ……ノエルがよくスープに入れてたやつだ』
以前、ノエルが作ったスープに入っていたキノコに似ている。
あのスープは美味かった。滋養強壮に効くとノエルが言っていた。
これなら食べられるかもしれない。
「お、おい! これを見ろ! ノエルが採っていたキノコだ!」
「本当!? やったぁ!」
「でかしたぞジーク!」
三人は飛びついた。
火をおこす元気もなかったので、生のまま貪り食った。
強烈な苦味と痺れが口の中に広がったが、彼らは「これが薬効だ」と思い込んで飲み込んだ。
だが、彼らは知らなかった。
ノエルが使っていたのは、確かにそのキノコだが、『草むしり』スキルで「毒素」と「痺れ成分」を完全に『除去』したものだったということを。
自然界に生えているそれは、ただの猛毒キノコ『シビレダケ』でしかない。
「ぐっ……!?」
「う、うあぁ……舌が……!」
「お腹が……痛い……!」
数分後。
三人は激しい腹痛と麻痺に襲われ、地面を転げ回っていた。
「ノエル……貴様……! こんな毒物を俺たちに食わせていたのか……!」
ジークは泡を吹きながら、完全に的外れな恨み言を吐いた。
「あいつ……戻ってきたら、ただじゃおかないぞ……」
彼らの苦難は続く。
自業自得とはいえ、ノエルの「無自覚な加護」を失った彼らにとって、魔の森は地獄そのものだった。
一方、ノエルたちはその頃、
「お昼は、さっき採れたカボチャでプリンでも作ろうか」
「賛成です! 私、かき混ぜます!」
「わたくしは味見係をしますわ!」
「騎士として、毒見の任は私が!」
と、平和で甘い午後を過ごしていたのだった。
続く
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ただいま後日談の加筆を計画中です。
2025/06/22
何かと「ひどいわ」とうるさい伯爵令嬢は
だましだまし
ファンタジー
何でもかんでも「ひどいわ」とうるさい伯爵令嬢にその取り巻きの侯爵令息。
私、男爵令嬢ライラの従妹で親友の子爵令嬢ルフィナはそんな二人にしょうちゅう絡まれ楽しい学園生活は段々とつまらなくなっていった。
そのまま卒業と思いきや…?
「ひどいわ」ばっかり言ってるからよ(笑)
全10話+エピローグとなります。
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