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第8話 庭に「害虫(帝国軍の偵察部隊)」が出たので、殺虫剤(極大魔法)を撒いた
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「……む」
爽やかな朝の光が差し込む庭園で、俺は眉をひそめた。
目の前にあるのは、丹精込めて育てている『黄金トマト』の苗だ。
その青々とした葉の上に、一匹の小さな芋虫が乗っていたのだ。
「害虫か」
俺は指先でその芋虫を摘まみ上げた。
緑色の、どこにでもいそうな芋虫だ。
俺はそれを「庭に不要なもの」として認識し、軽くデコピンで森の彼方へと弾き飛ばした。
キラーンと光って消える芋虫。
だが、俺の懸念は晴れなかった。
一匹いるということは、百匹いると思え。
これは農家の祖父ちゃんが遺した格言だ。
「これだけ美味しい野菜が育ってるんだ。虫が寄ってくるのも無理はないけど……放置はできないな」
葉っぱを食い荒らされ、病気を運ばれてはたまらない。
俺は決意した。
『殺虫剤』を作ろう。
「主様、どうなさいましたか? そんなに険しいお顔で」
洗濯物を干していたセラフィナが、心配そうに声をかけてくる。
エプロン姿も板についてきた元王女様だ。
「ああ、ちょっと虫が出てね。消毒しようかと思って」
「虫、ですか? この家の結界を通り抜ける虫など、そうそういないと思いますが……」
「いや、実際にいたんだよ。だから、特効薬を作る」
俺は家の裏にある『素材置き場』へと向かった。
殺虫剤を作るには、虫が嫌がる成分が必要だ。
以前、森の探索中に見つけた、強烈な刺激臭のする毒々しい花や、痺れる成分を持つキノコを採取しておいたのが役に立つ時が来た。
「えーと、まずはこの『紫色のドクダミ』と、この『痺れキノコ』をすり潰して……」
俺は石臼(ミスリルゴーレムの破片で作った)に材料を放り込み、ゴリゴリとすり潰した。
さらに、効果を高めるための展着剤として、先日倒した『アシッド・スライム』の粘液を混ぜ合わせる。
「うっ……すごい匂いですわね、主様」
窓際で日向ぼっこをしていたティターニアが、鼻をつまんで顔をしかめた。
「ちょっと刺激臭が強いかな? でも、これくらいじゃないと虫には効かないからな」
俺は出来上がったドロドロの液体を、水で薄めた。
水は、ミスリルのジョウロで浄化した聖水だ。
不思議なことに、聖水と混ぜ合わせた瞬間、毒々しい紫色の液体は、無色透明の綺麗な水へと変化した。
匂いも、ハッカのような爽やかな香りに変わる。
「よし、完成だ。名付けて『特製虫除けスプレー』」
俺はそれを、手製の噴霧器(アースドラゴンの胃袋を加工したタンクに、世界樹の枝で作ったノズルを付けたもの)に入れた。
これで、レバーをシュコシュコと動かして圧力をかければ、霧状の殺虫剤が噴射される仕組みだ。
「早速、試し撃ちといこうか」
俺は噴霧器を背負い、勇ましく庭へと出た。
セラフィナとティターニアも、興味津々といった様子でついてくる。
◇
その頃。
俺の家の敷地の外縁部、森の木陰に、数十の影が潜んでいた。
「……報告。ターゲットの拠点を視認」
それは、銀色の甲冑に身を包んだ一団だった。
帝国軍第三偵察部隊『鋼鉄の甲虫(アイアン・ビートル)』。
昆虫のような形状をした特殊な魔導アーマーを装備し、森の中を自在に移動する精鋭部隊だ。
彼らが乗っているのは、軍用に調教された巨大な『軍隊蟻(アーミーアント)』。
その顎は岩をも砕き、集団で襲い掛かればAランクの魔物さえも食い尽くすという。
「昨晩の暗殺部隊からの連絡が途絶えた。おそらく失敗したのだろう」
隊長らしき男が、低い声で部下たちに告げる。
「だが、我々は違う。隠密行動などという生ぬるいことはせん。この『甲虫甲冑』の防御力と、軍隊蟻の圧倒的な数で蹂躙し、エルフの王女を拉致する!」
「隊長、あの建物……要塞のようですが」
「フン、見た目だけだ。所詮は辺境の隠れ家。我らが誇る『酸のブレス』と『破壊の大顎』で、壁ごと食い破ってやるわ!」
彼らの狙いは、セラフィナと、彼女が持つ精霊の宝珠。
そして、暗殺部隊を全滅させた「謎の戦力」の排除だった。
「総員、突撃準備! 敵に反応させる暇も与えるな! 一気に押し潰せ!」
隊長の号令と共に、五十騎近い軍隊蟻と、重装甲の兵士たちが一斉に動き出した。
彼らの姿は、上空から見れば、まさしく地面を埋め尽くす「害虫の群れ」そのものだった。
◇
俺が庭でスプレーのノズルを調整していると、森の向こうから「カサカサカサ……」という不快な音が聞こえてきた。
「ん?」
顔を上げると、木々の隙間から、何やら黒い塊が大量に湧き出てくるのが見えた。
大きさは犬くらいあるだろうか。
黒光りする甲殻を持ち、六本の足でワシャワシャと動く生き物たち。
そして、その背中には、これまた虫のような硬そうな殻を被った何かが乗っている。
「……うわぁ」
俺は思わず声を上げた。
セラフィナが悲鳴を上げる。
「き、キャアアアアッ! 主様、あれは帝国軍の『重装甲機動部隊』です! しかも軍隊蟻に騎乗しています! あんな数が攻めてくるなんて……!」
「ああ、やっぱりか」
俺は冷静に頷いた。
「今年は虫が多い年だとは聞いていたが、まさかあんなデカいのが群れで来るとはな」
「へ?」
セラフィナがキョトンとする。
「主様、あれは人間です! 帝国の兵士です!」
「いやいや、よく見てみろよセラフィナ。あんな硬そうな殻を被って、蟻に乗ってるんだぞ? どう見ても『寄生虫』か、そういう種類の『共生昆虫』だろ」
俺にはそうとしか見えなかった。
庭の作物を狙って、大群で押し寄せる害虫たち。
蟻(アブラムシの牧畜をする奴もいるしな)と、それに乗っかる甲虫。
まさに、農家の敵だ。
「放置しておけば、庭の野菜を食い荒らされる。……駆除するぞ」
俺は噴霧器のレバーを力強くポンピングした。
シュコッ、シュコッ、シュコッ。
タンク内の圧力が極限まで高まる。
「ティターニア、風向きは?」
「え、ええと……今は南風、敵に向かって吹いていますわ。あの、主様? あれは本当に人間で……」
「風上だな。好都合だ」
俺は二人の制止を聞かず、迫りくる害虫の群れ――帝国軍の精鋭部隊の最前列に向かって、ノズルを構えた。
「我が家の庭に土足で踏み入る害虫どもめ。この特製スプレーでイチコロだ!」
レバーを握る。
プシュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!!
ノズルの先から、きめ細やかな霧が噴射された。
俺が『草むしり』スキルで「拡散範囲」と「付着率」を『最適化』した霧は、風に乗って広範囲に広がり、白い雲のように軍隊蟻の群れを包み込んだ。
「グルァッ!?」
「な、なんだこの霧は!? 煙幕か!?」
霧の中に突っ込んだ先頭集団――隊長を含む数騎が、驚きの声を上げる。
だが、次の瞬間。
ジュワアアアアアアアアアッ!!!
「ギャアアアアアアアアアアッ!?」
「あ、熱いッ! 鎧が、鎧が溶けるぅぅぅッ!?」
凄まじい悲鳴が上がった。
俺の特製スプレー(猛毒と強酸のハイブリッド)を浴びた軍隊蟻たちの甲殻が、飴細工のようにドロドロに溶け始めたのだ。
さらに、兵士たちが着ていたミスリル合金製の魔導アーマーまでもが、霧に触れた端から腐食し、ボロボロと崩れ落ちていく。
「お、おい! どうなってるんだ! ただの水じゃなかったのか!?」
「空気が! 吸うと肺が焼けるッ! ガハッ、ゴホッ!」
兵士たちが喉をかきむしり、蟻から転げ落ちる。
軍隊蟻たちは、自慢の大顎が溶けてなくなり、パニックを起こして同士討ちを始めている。
それを見ている俺は、首を傾げた。
「おー、効いてる効いてる。やっぱり酸性の液体が苦手だったか」
害虫というのは、得てしてアルカリ性や酸性の急激な変化に弱いものだ。
苦しんで暴れまわっている様子を見るに、即効性は抜群らしい。
「ひぃぃぃッ……!」
後ろで見ていたセラフィナが、腰を抜かして震えていた。
「あ、あれは伝説の禁呪……『アシッド・クラウド(酸の雲)』と『ポイズン・ミスト(猛毒の霧)』の複合魔法……! いいえ、それ以上の威力です! 対魔法防御が施された帝国の最新鋭アーマーを一瞬で溶解させるなんて……!」
「あらあら、ひどい有様ですわね」
ティターニアも扇子(葉っぱ)で口元を隠しながら、目を細めている。
「物理的な酸だけではありませんわ。あの霧には『麻痺』と『幻覚』の成分も含まれています。見てごらんなさい、あの兵士たち、自分の腕を木の枝だと思って必死に折ろうとしていますわよ」
俺には二人が何を言っているのかよくわからなかったが、とにかく虫たちが退散し始めているのは確かだった。
「た、隊長! 撤退! 撤退だァァッ!」
「こんな化け物がいるなんて聞いてないぞ! 生物兵器だ!」
鎧を失い、下着姿(あるいは全裸)になった男たちが、屁っ放り腰で逃げ出していく。
軍隊蟻たちも、我先にと森の奥へと逃げ去った。
「ふぅ。逃げたか」
俺は噴霧のレバーを戻した。
庭の芝生が少し変色しているが、まあすぐに生え変わるだろう。
何より、野菜たちが無事だったのが一番だ。
「よし、駆除完了。これでしばらくは寄ってこないだろう」
俺は爽やかな笑顔で振り返った。
セラフィナとティターニアが、俺の背負っている噴霧器を、まるで『魔王の最終兵器』を見るような目で見つめていた。
「主様……そのタンクの中身、絶対にこぼさないでくださいね……」
「この森が死の荒野になりますわ……」
大げさだなぁ。
ただの虫除けなのに。
《対象:帝国軍第三偵察部隊『鋼鉄の甲虫』を壊滅させました》
《称号『害虫駆除業者』改め『猛毒の王』を獲得しました》
《スキル『調合』が『錬金術(神級)』に進化しました》
また変なアナウンスが聞こえたが、俺は気にせず、残った農作業に戻ることにした。
逃げていった虫たちが、国に帰って「北の森には毒ガスを操る魔神がいる」と触れ回り、帝国軍がパニックに陥ることになるのだが、それはまた別の話だ。
◇
一方、その頃。
俺を連れ戻すために旅を続ける勇者パーティの一行は、魔の森の手前にある『湿地帯』に足を踏み入れていた。
「痛っ! また刺された!」
「ううっ……痒い……全身が痒いよぉ……」
聖女のミリアが涙目で腕をかきむしる。
彼女の白く滑らかな肌は、今や赤く腫れ上がり、無数の虫刺されの跡でボコボコになっていた。
湿地帯名物、『吸血ブヨ』の大群だ。
物理的な攻撃力は皆無だが、その数と執拗さ、そして刺された時の痒みは、冒険者の精神を削り取るのに十分だった。
「くそっ! レオン、虫除けの魔法はないのか!」
「ない! 風魔法で吹き飛ばしても、すぐに戻ってくるんだ!」
勇者のジークも、顔中を腫らして叫ぶ。
彼らは知らなかった。
以前ここを通った時、彼らが快適に歩けていたのは、ノエルが事前に『虫除け香(特製)』を焚き染めていたからだということを。
ノエルが作るその香は、半径百メートル以内の虫を完全にシャットアウトする効果があった。
「あいつ……こんな地味な嫌がらせを……!」
ジークは勘違いしていた。
ノエルがいなくなったから「普通の状態」に戻っただけなのだが、彼はそれを「ノエルがいないせいで酷い目に遭っている=ノエルのせいだ」と脳内で変換していた。
「見てろよノエル……! 会ったら絶対に、最強の虫除けを作らせてやるからな!」
ジークは痒みに耐えながら、泥沼の中を歩み続けた。
その足取りは重く、彼らの装備は泥と湿気で錆びつき始めていた。
「勇者様……私、もう帰りたい……」
「馬鹿野郎! ここまで来て帰れるか! 金も食料もないんだぞ!」
彼らに退路はなかった。
前に進むしかない。
その先に待っているのが、さらなる地獄(ノエルの無自覚な攻撃)だとも知らずに。
◇
帝国軍を撃退した数日後。
俺の家の庭に、また新たな珍客が迷い込んできた。
夕方、畑の見回りをしていた俺は、生垣の外で倒れている人影を見つけた。
泥だらけの銀色の鎧。
長い金髪。
腰には立派な剣を差しているが、鞘ごとボロボロだ。
「……女の人?」
近づいてみると、それは女騎士だった。
年齢は二十歳くらいだろうか。
凛とした顔立ちをしているが、今は憔悴しきって気絶している。
その腹部からは、グゥゥゥ……と盛大な音が鳴り響いていた。
「空腹、か」
行き倒れだ。
この森で餓死寸前まで追い込まれるとは、よほど運が悪かったのか、あるいは何かに追われていたのか。
「見捨ててはおけないな」
俺は彼女を背負った。
エルフ、大精霊に続いて、今度は女騎士か。
俺の家がどんどん賑やかになっていく予感がした。
「う……にく……肉ぅ……」
背中で女騎士がうわ言を呟く。
どうやら相当お腹が空いているらしい。
俺は苦笑しながら、今日の夕飯を少し多めに作ることに決めた。
続く
爽やかな朝の光が差し込む庭園で、俺は眉をひそめた。
目の前にあるのは、丹精込めて育てている『黄金トマト』の苗だ。
その青々とした葉の上に、一匹の小さな芋虫が乗っていたのだ。
「害虫か」
俺は指先でその芋虫を摘まみ上げた。
緑色の、どこにでもいそうな芋虫だ。
俺はそれを「庭に不要なもの」として認識し、軽くデコピンで森の彼方へと弾き飛ばした。
キラーンと光って消える芋虫。
だが、俺の懸念は晴れなかった。
一匹いるということは、百匹いると思え。
これは農家の祖父ちゃんが遺した格言だ。
「これだけ美味しい野菜が育ってるんだ。虫が寄ってくるのも無理はないけど……放置はできないな」
葉っぱを食い荒らされ、病気を運ばれてはたまらない。
俺は決意した。
『殺虫剤』を作ろう。
「主様、どうなさいましたか? そんなに険しいお顔で」
洗濯物を干していたセラフィナが、心配そうに声をかけてくる。
エプロン姿も板についてきた元王女様だ。
「ああ、ちょっと虫が出てね。消毒しようかと思って」
「虫、ですか? この家の結界を通り抜ける虫など、そうそういないと思いますが……」
「いや、実際にいたんだよ。だから、特効薬を作る」
俺は家の裏にある『素材置き場』へと向かった。
殺虫剤を作るには、虫が嫌がる成分が必要だ。
以前、森の探索中に見つけた、強烈な刺激臭のする毒々しい花や、痺れる成分を持つキノコを採取しておいたのが役に立つ時が来た。
「えーと、まずはこの『紫色のドクダミ』と、この『痺れキノコ』をすり潰して……」
俺は石臼(ミスリルゴーレムの破片で作った)に材料を放り込み、ゴリゴリとすり潰した。
さらに、効果を高めるための展着剤として、先日倒した『アシッド・スライム』の粘液を混ぜ合わせる。
「うっ……すごい匂いですわね、主様」
窓際で日向ぼっこをしていたティターニアが、鼻をつまんで顔をしかめた。
「ちょっと刺激臭が強いかな? でも、これくらいじゃないと虫には効かないからな」
俺は出来上がったドロドロの液体を、水で薄めた。
水は、ミスリルのジョウロで浄化した聖水だ。
不思議なことに、聖水と混ぜ合わせた瞬間、毒々しい紫色の液体は、無色透明の綺麗な水へと変化した。
匂いも、ハッカのような爽やかな香りに変わる。
「よし、完成だ。名付けて『特製虫除けスプレー』」
俺はそれを、手製の噴霧器(アースドラゴンの胃袋を加工したタンクに、世界樹の枝で作ったノズルを付けたもの)に入れた。
これで、レバーをシュコシュコと動かして圧力をかければ、霧状の殺虫剤が噴射される仕組みだ。
「早速、試し撃ちといこうか」
俺は噴霧器を背負い、勇ましく庭へと出た。
セラフィナとティターニアも、興味津々といった様子でついてくる。
◇
その頃。
俺の家の敷地の外縁部、森の木陰に、数十の影が潜んでいた。
「……報告。ターゲットの拠点を視認」
それは、銀色の甲冑に身を包んだ一団だった。
帝国軍第三偵察部隊『鋼鉄の甲虫(アイアン・ビートル)』。
昆虫のような形状をした特殊な魔導アーマーを装備し、森の中を自在に移動する精鋭部隊だ。
彼らが乗っているのは、軍用に調教された巨大な『軍隊蟻(アーミーアント)』。
その顎は岩をも砕き、集団で襲い掛かればAランクの魔物さえも食い尽くすという。
「昨晩の暗殺部隊からの連絡が途絶えた。おそらく失敗したのだろう」
隊長らしき男が、低い声で部下たちに告げる。
「だが、我々は違う。隠密行動などという生ぬるいことはせん。この『甲虫甲冑』の防御力と、軍隊蟻の圧倒的な数で蹂躙し、エルフの王女を拉致する!」
「隊長、あの建物……要塞のようですが」
「フン、見た目だけだ。所詮は辺境の隠れ家。我らが誇る『酸のブレス』と『破壊の大顎』で、壁ごと食い破ってやるわ!」
彼らの狙いは、セラフィナと、彼女が持つ精霊の宝珠。
そして、暗殺部隊を全滅させた「謎の戦力」の排除だった。
「総員、突撃準備! 敵に反応させる暇も与えるな! 一気に押し潰せ!」
隊長の号令と共に、五十騎近い軍隊蟻と、重装甲の兵士たちが一斉に動き出した。
彼らの姿は、上空から見れば、まさしく地面を埋め尽くす「害虫の群れ」そのものだった。
◇
俺が庭でスプレーのノズルを調整していると、森の向こうから「カサカサカサ……」という不快な音が聞こえてきた。
「ん?」
顔を上げると、木々の隙間から、何やら黒い塊が大量に湧き出てくるのが見えた。
大きさは犬くらいあるだろうか。
黒光りする甲殻を持ち、六本の足でワシャワシャと動く生き物たち。
そして、その背中には、これまた虫のような硬そうな殻を被った何かが乗っている。
「……うわぁ」
俺は思わず声を上げた。
セラフィナが悲鳴を上げる。
「き、キャアアアアッ! 主様、あれは帝国軍の『重装甲機動部隊』です! しかも軍隊蟻に騎乗しています! あんな数が攻めてくるなんて……!」
「ああ、やっぱりか」
俺は冷静に頷いた。
「今年は虫が多い年だとは聞いていたが、まさかあんなデカいのが群れで来るとはな」
「へ?」
セラフィナがキョトンとする。
「主様、あれは人間です! 帝国の兵士です!」
「いやいや、よく見てみろよセラフィナ。あんな硬そうな殻を被って、蟻に乗ってるんだぞ? どう見ても『寄生虫』か、そういう種類の『共生昆虫』だろ」
俺にはそうとしか見えなかった。
庭の作物を狙って、大群で押し寄せる害虫たち。
蟻(アブラムシの牧畜をする奴もいるしな)と、それに乗っかる甲虫。
まさに、農家の敵だ。
「放置しておけば、庭の野菜を食い荒らされる。……駆除するぞ」
俺は噴霧器のレバーを力強くポンピングした。
シュコッ、シュコッ、シュコッ。
タンク内の圧力が極限まで高まる。
「ティターニア、風向きは?」
「え、ええと……今は南風、敵に向かって吹いていますわ。あの、主様? あれは本当に人間で……」
「風上だな。好都合だ」
俺は二人の制止を聞かず、迫りくる害虫の群れ――帝国軍の精鋭部隊の最前列に向かって、ノズルを構えた。
「我が家の庭に土足で踏み入る害虫どもめ。この特製スプレーでイチコロだ!」
レバーを握る。
プシュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!!
ノズルの先から、きめ細やかな霧が噴射された。
俺が『草むしり』スキルで「拡散範囲」と「付着率」を『最適化』した霧は、風に乗って広範囲に広がり、白い雲のように軍隊蟻の群れを包み込んだ。
「グルァッ!?」
「な、なんだこの霧は!? 煙幕か!?」
霧の中に突っ込んだ先頭集団――隊長を含む数騎が、驚きの声を上げる。
だが、次の瞬間。
ジュワアアアアアアアアアッ!!!
「ギャアアアアアアアアアアッ!?」
「あ、熱いッ! 鎧が、鎧が溶けるぅぅぅッ!?」
凄まじい悲鳴が上がった。
俺の特製スプレー(猛毒と強酸のハイブリッド)を浴びた軍隊蟻たちの甲殻が、飴細工のようにドロドロに溶け始めたのだ。
さらに、兵士たちが着ていたミスリル合金製の魔導アーマーまでもが、霧に触れた端から腐食し、ボロボロと崩れ落ちていく。
「お、おい! どうなってるんだ! ただの水じゃなかったのか!?」
「空気が! 吸うと肺が焼けるッ! ガハッ、ゴホッ!」
兵士たちが喉をかきむしり、蟻から転げ落ちる。
軍隊蟻たちは、自慢の大顎が溶けてなくなり、パニックを起こして同士討ちを始めている。
それを見ている俺は、首を傾げた。
「おー、効いてる効いてる。やっぱり酸性の液体が苦手だったか」
害虫というのは、得てしてアルカリ性や酸性の急激な変化に弱いものだ。
苦しんで暴れまわっている様子を見るに、即効性は抜群らしい。
「ひぃぃぃッ……!」
後ろで見ていたセラフィナが、腰を抜かして震えていた。
「あ、あれは伝説の禁呪……『アシッド・クラウド(酸の雲)』と『ポイズン・ミスト(猛毒の霧)』の複合魔法……! いいえ、それ以上の威力です! 対魔法防御が施された帝国の最新鋭アーマーを一瞬で溶解させるなんて……!」
「あらあら、ひどい有様ですわね」
ティターニアも扇子(葉っぱ)で口元を隠しながら、目を細めている。
「物理的な酸だけではありませんわ。あの霧には『麻痺』と『幻覚』の成分も含まれています。見てごらんなさい、あの兵士たち、自分の腕を木の枝だと思って必死に折ろうとしていますわよ」
俺には二人が何を言っているのかよくわからなかったが、とにかく虫たちが退散し始めているのは確かだった。
「た、隊長! 撤退! 撤退だァァッ!」
「こんな化け物がいるなんて聞いてないぞ! 生物兵器だ!」
鎧を失い、下着姿(あるいは全裸)になった男たちが、屁っ放り腰で逃げ出していく。
軍隊蟻たちも、我先にと森の奥へと逃げ去った。
「ふぅ。逃げたか」
俺は噴霧のレバーを戻した。
庭の芝生が少し変色しているが、まあすぐに生え変わるだろう。
何より、野菜たちが無事だったのが一番だ。
「よし、駆除完了。これでしばらくは寄ってこないだろう」
俺は爽やかな笑顔で振り返った。
セラフィナとティターニアが、俺の背負っている噴霧器を、まるで『魔王の最終兵器』を見るような目で見つめていた。
「主様……そのタンクの中身、絶対にこぼさないでくださいね……」
「この森が死の荒野になりますわ……」
大げさだなぁ。
ただの虫除けなのに。
《対象:帝国軍第三偵察部隊『鋼鉄の甲虫』を壊滅させました》
《称号『害虫駆除業者』改め『猛毒の王』を獲得しました》
《スキル『調合』が『錬金術(神級)』に進化しました》
また変なアナウンスが聞こえたが、俺は気にせず、残った農作業に戻ることにした。
逃げていった虫たちが、国に帰って「北の森には毒ガスを操る魔神がいる」と触れ回り、帝国軍がパニックに陥ることになるのだが、それはまた別の話だ。
◇
一方、その頃。
俺を連れ戻すために旅を続ける勇者パーティの一行は、魔の森の手前にある『湿地帯』に足を踏み入れていた。
「痛っ! また刺された!」
「ううっ……痒い……全身が痒いよぉ……」
聖女のミリアが涙目で腕をかきむしる。
彼女の白く滑らかな肌は、今や赤く腫れ上がり、無数の虫刺されの跡でボコボコになっていた。
湿地帯名物、『吸血ブヨ』の大群だ。
物理的な攻撃力は皆無だが、その数と執拗さ、そして刺された時の痒みは、冒険者の精神を削り取るのに十分だった。
「くそっ! レオン、虫除けの魔法はないのか!」
「ない! 風魔法で吹き飛ばしても、すぐに戻ってくるんだ!」
勇者のジークも、顔中を腫らして叫ぶ。
彼らは知らなかった。
以前ここを通った時、彼らが快適に歩けていたのは、ノエルが事前に『虫除け香(特製)』を焚き染めていたからだということを。
ノエルが作るその香は、半径百メートル以内の虫を完全にシャットアウトする効果があった。
「あいつ……こんな地味な嫌がらせを……!」
ジークは勘違いしていた。
ノエルがいなくなったから「普通の状態」に戻っただけなのだが、彼はそれを「ノエルがいないせいで酷い目に遭っている=ノエルのせいだ」と脳内で変換していた。
「見てろよノエル……! 会ったら絶対に、最強の虫除けを作らせてやるからな!」
ジークは痒みに耐えながら、泥沼の中を歩み続けた。
その足取りは重く、彼らの装備は泥と湿気で錆びつき始めていた。
「勇者様……私、もう帰りたい……」
「馬鹿野郎! ここまで来て帰れるか! 金も食料もないんだぞ!」
彼らに退路はなかった。
前に進むしかない。
その先に待っているのが、さらなる地獄(ノエルの無自覚な攻撃)だとも知らずに。
◇
帝国軍を撃退した数日後。
俺の家の庭に、また新たな珍客が迷い込んできた。
夕方、畑の見回りをしていた俺は、生垣の外で倒れている人影を見つけた。
泥だらけの銀色の鎧。
長い金髪。
腰には立派な剣を差しているが、鞘ごとボロボロだ。
「……女の人?」
近づいてみると、それは女騎士だった。
年齢は二十歳くらいだろうか。
凛とした顔立ちをしているが、今は憔悴しきって気絶している。
その腹部からは、グゥゥゥ……と盛大な音が鳴り響いていた。
「空腹、か」
行き倒れだ。
この森で餓死寸前まで追い込まれるとは、よほど運が悪かったのか、あるいは何かに追われていたのか。
「見捨ててはおけないな」
俺は彼女を背負った。
エルフ、大精霊に続いて、今度は女騎士か。
俺の家がどんどん賑やかになっていく予感がした。
「う……にく……肉ぅ……」
背中で女騎士がうわ言を呟く。
どうやら相当お腹が空いているらしい。
俺は苦笑しながら、今日の夕飯を少し多めに作ることに決めた。
続く
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ただいま後日談の加筆を計画中です。
2025/06/22
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