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絶体絶命
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夕暮れの街は家路を急ぐ人達で慌ただしく、誰もが足早に通り過ぎて行く。
「最近はいつも誰かと一緒に歩いていたから、何だか一人が新鮮だなー」
乗合馬車を降りたクラリスも自宅に向けて急いでいた。先ほど降りた馬車乗り場から自宅までは徒歩で15分ほどだ。
「もうお客さん結構入ってるかな」
クラリスが食堂の前に到着したのと同じタイミングで、食堂の目の前に停まっていた馬車から男が降りてきた。
男とぶつかりそうになり、咄嗟に避けようとしたクラリスの腕を掴むと、男はニヤリと笑って言った。
「久しぶりだな。クラリス」
「誰ですか?! っつ、痛い!離してください!」
男はクラリスの腕を強く掴んだまま引き寄せると、抵抗するクラリスの首すじにナイフを突きつけ、命令した。
「さあ、クラリス、お前の部屋に案内しろ」
「な、何を言って……」
クラリスを後ろから抱き抱えるようにして、首にナイフを突きつけたまま、食堂のドアを開ける。
「いらっしゃいま……せ……?!」
客が入ってきたのかと朗らかに声をかけたクラリスの母のエリーは、クラリスの首に突きつけられたナイフと、男の姿を見て息をのむ。
「全員、店の外に出ろ!」
男がひび割れた声でがなり立てる。
「さあ、この娘を死なせたくなかったら、全員外に出ろ!早く!早くしろ!」
「いたっ」
クラリスの首に突きつけたナイフに力を入れると、その細い首から血が流れる。
何が起きたのかわからず、ポカンとしていた食堂の客達は、クラリスの首から薄く流れる血を見て、慌てて外へと出て行く。
「お前達もだ!さっさと外に出ろ!」
厨房から出てきたオーリーは男に捕らわれた我が子の姿に愕然とするが、この状況を何とかしなければ、と必死で考えていた。
「やめて、やめてください!その子を離して!」
「うるさい!早く外に出ろ!」
エリーが嘆願するが、男はイライラとするだけで、クラリスを離そうとはしない。
「……あんたは……もしかして、コモノー男爵の息子か……?」
オーリーは驚いた声で男に聞いた。
そう、貴族然としてふんぞり返っていた、あの男爵令息と同じ人物とは思えないほど、アグリーはひどい身なりをしていた。何よりもその表情はこの世の者とは思えないほどに醜悪で悪意に満ちていた。
「なぜこんなことをする。男爵はどうした」
「お前には関係ないだろう!聞こえないのか、早く外に出ろと言っているだろう!」
オーリーは自分の後ろに隠していたエリーに声をかけた。エリーを背中に隠したまま、ゆっくりとドアの方に移動する。
「エリー、お前は外に出なさい」
「でも、クラリスが!」
「いいから早く。俺が何とかする」
「何をコソコソと!早く出ろ!娘が死んでもいいのか!」
アグリーの言葉にエリーはドアを開けて外に出ると、オーリーは後ろ手にドアを閉めた。
「何をしている!おまえも外に出るんだ!」
「大事な我が子を置いて自分だけ逃げられるわけがないだろう」
「お前が外に出ないとこの娘は死ぬぞ!」
「何が望みだ。コモノー男爵令息」
「お前には関係ないことだ!それとも自分の娘が俺に犯されるのを眺めていたいのか?」
「イヤ!お父さん!助けて!」
それまで気丈に耐えていたクラリスだったが、アグリーの悍ましい言葉を聞いて、堪え切れずに助けを求める。
「うるさい!お前は黙っていろ!」
「クラリスには手を出すな!」
「うるさい、うるさい!さあ、早く外に出ろ!娘が死ぬぞ!」
クラリスの首から嫌な色の血がドロリと流れ落ちた。
エリーがドアからふらりと出ると、そこにポールが駆け寄ってきた。
「おばさん!いったい何があったんだ!」
「ポール……!」
エリーがポールに状況を説明していたところに、馬に乗ったエラリーが慌ててやってきた。
「ポール!クラリス嬢は?!」
「エラリー、詳しい話は後だ。俺は今からこの家のニ階から中に入る。お前はこのドアから中に入って、男を刺激しないようにして、できるだけ時間を稼げ」
「今は夫が中にいます!」
「おじさんが出てきたタイミングで中に入って男の注意を引きつけろ。絶対に無茶はするなよ」
「わかった、任せろ」
ポールはエラリーと目を合わせて頷くと、以前は自分達が住んでいた家の、現在の住民を探す。
「アーチボルトさん!」
「ポール、どうした?」
「すまないが、お宅のニ階に入らせて欲しい。クラリスを助けるためだ」
「もちろん構わないが、ニ階に上がってどうするんだ?」
アーチボルトから了承を得たポールは、急いでアーチボルト家の二階、かつて自分が使っていた部屋へと向かいながら、幼い日のことを思い出していた。
クラリスの兄のフレデリックの部屋と、ポールの部屋は細い路地を隔てて向かい合わせだった。手を伸ばせば届く距離で、ポールとフレデリックは窓越しに互いの部屋を行き来しては、危ないと叱られたものだった。
(こないだ久しぶりにフレディの部屋に遊びに行ったが、あの窓の鍵は壊れたままだったはずだ)
フレデリックの部屋の窓の鍵は、一見すると閉まっているように見えるのだが、錆のせいか、手で押すと簡単に開いてしまうのだ。
「どうせうちに入るような泥棒はいないから」
そう言ってずっと鍵を直さずにいる、フレデリックの笑顔を思い出しながら、ポールは窓を開け、フレデリックの部屋の窓に手を伸ばした。
「最近はいつも誰かと一緒に歩いていたから、何だか一人が新鮮だなー」
乗合馬車を降りたクラリスも自宅に向けて急いでいた。先ほど降りた馬車乗り場から自宅までは徒歩で15分ほどだ。
「もうお客さん結構入ってるかな」
クラリスが食堂の前に到着したのと同じタイミングで、食堂の目の前に停まっていた馬車から男が降りてきた。
男とぶつかりそうになり、咄嗟に避けようとしたクラリスの腕を掴むと、男はニヤリと笑って言った。
「久しぶりだな。クラリス」
「誰ですか?! っつ、痛い!離してください!」
男はクラリスの腕を強く掴んだまま引き寄せると、抵抗するクラリスの首すじにナイフを突きつけ、命令した。
「さあ、クラリス、お前の部屋に案内しろ」
「な、何を言って……」
クラリスを後ろから抱き抱えるようにして、首にナイフを突きつけたまま、食堂のドアを開ける。
「いらっしゃいま……せ……?!」
客が入ってきたのかと朗らかに声をかけたクラリスの母のエリーは、クラリスの首に突きつけられたナイフと、男の姿を見て息をのむ。
「全員、店の外に出ろ!」
男がひび割れた声でがなり立てる。
「さあ、この娘を死なせたくなかったら、全員外に出ろ!早く!早くしろ!」
「いたっ」
クラリスの首に突きつけたナイフに力を入れると、その細い首から血が流れる。
何が起きたのかわからず、ポカンとしていた食堂の客達は、クラリスの首から薄く流れる血を見て、慌てて外へと出て行く。
「お前達もだ!さっさと外に出ろ!」
厨房から出てきたオーリーは男に捕らわれた我が子の姿に愕然とするが、この状況を何とかしなければ、と必死で考えていた。
「やめて、やめてください!その子を離して!」
「うるさい!早く外に出ろ!」
エリーが嘆願するが、男はイライラとするだけで、クラリスを離そうとはしない。
「……あんたは……もしかして、コモノー男爵の息子か……?」
オーリーは驚いた声で男に聞いた。
そう、貴族然としてふんぞり返っていた、あの男爵令息と同じ人物とは思えないほど、アグリーはひどい身なりをしていた。何よりもその表情はこの世の者とは思えないほどに醜悪で悪意に満ちていた。
「なぜこんなことをする。男爵はどうした」
「お前には関係ないだろう!聞こえないのか、早く外に出ろと言っているだろう!」
オーリーは自分の後ろに隠していたエリーに声をかけた。エリーを背中に隠したまま、ゆっくりとドアの方に移動する。
「エリー、お前は外に出なさい」
「でも、クラリスが!」
「いいから早く。俺が何とかする」
「何をコソコソと!早く出ろ!娘が死んでもいいのか!」
アグリーの言葉にエリーはドアを開けて外に出ると、オーリーは後ろ手にドアを閉めた。
「何をしている!おまえも外に出るんだ!」
「大事な我が子を置いて自分だけ逃げられるわけがないだろう」
「お前が外に出ないとこの娘は死ぬぞ!」
「何が望みだ。コモノー男爵令息」
「お前には関係ないことだ!それとも自分の娘が俺に犯されるのを眺めていたいのか?」
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それまで気丈に耐えていたクラリスだったが、アグリーの悍ましい言葉を聞いて、堪え切れずに助けを求める。
「うるさい!お前は黙っていろ!」
「クラリスには手を出すな!」
「うるさい、うるさい!さあ、早く外に出ろ!娘が死ぬぞ!」
クラリスの首から嫌な色の血がドロリと流れ落ちた。
エリーがドアからふらりと出ると、そこにポールが駆け寄ってきた。
「おばさん!いったい何があったんだ!」
「ポール……!」
エリーがポールに状況を説明していたところに、馬に乗ったエラリーが慌ててやってきた。
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「おじさんが出てきたタイミングで中に入って男の注意を引きつけろ。絶対に無茶はするなよ」
「わかった、任せろ」
ポールはエラリーと目を合わせて頷くと、以前は自分達が住んでいた家の、現在の住民を探す。
「アーチボルトさん!」
「ポール、どうした?」
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アーチボルトから了承を得たポールは、急いでアーチボルト家の二階、かつて自分が使っていた部屋へと向かいながら、幼い日のことを思い出していた。
クラリスの兄のフレデリックの部屋と、ポールの部屋は細い路地を隔てて向かい合わせだった。手を伸ばせば届く距離で、ポールとフレデリックは窓越しに互いの部屋を行き来しては、危ないと叱られたものだった。
(こないだ久しぶりにフレディの部屋に遊びに行ったが、あの窓の鍵は壊れたままだったはずだ)
フレデリックの部屋の窓の鍵は、一見すると閉まっているように見えるのだが、錆のせいか、手で押すと簡単に開いてしまうのだ。
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