(私が)酔って襲った氷の貴公子様にいつの間にか外堀を埋められてました。

黒田悠月

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魔女の庵。

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古びたあばら家の扉を開くと、カランとカウベルの音が奥の方で響いた。






その庵はまさしくあばら家というに相応しい有様で、外壁のあちらこちらが一部崩れ落ちては適当に修復したらしい跡がある。なかには崩れたそのままというところもあり、地震でもくればあっという間に家全体が崩れ落ちそうな風情があった。この辺りでは滅多にないが、ずっと南東の島国などでは、年に数回ほども起こるという。この家が建てられといるのがそのような土地であれば、とうにこの小さな家はぺしゃんこに潰れていることだろうと思われた。

あとわずかに東に街路を進めば貧民街へと入る、王都の外れに近い場所にこの小さな家はあった。

正直、女性が一人暮らしをするのには適した場所ではない。

未婚の女性が一人で早朝に訪れる場所でも。

辻馬車を降りたレニーは赤い屋根から突き出た煤けた煙突と、張り出した小さな出窓を見上げながら眉を顰める。
姉が先にここを訪ねたのは日も上がりきらぬ明け方。
まだ辻馬車も出ていない時間であったはずだ。

そのような時間に年若い女性が一人、徒歩でこのような場所をウロウロしていれば暴漢に襲われようと破落戸に拐かされようとなんらおかしくはない。
むしろ何ごともなく邸に帰れたことが運が良かった。

いくら姉に考えなしなところがあるとはいえ、普段ならそのようなことはしない。
昼の比較的安全な時間帯を選んでいるようであるし、辻馬車を利用しているようでもある。
では何故姉が普段行わない危険な行動に出たかというと、それだけその時の姉の精神状態が普通ではなかったということに他ならない。
おそらく半パニック状態のまま、邸を飛び出してきたのだろう。
周囲の状況だの、自分自身の状況だの、時間帯だの、そのような些末事は完全に頭の隅に追いやられていたのだ。

レニーは姉をそのような状態に追いやる原因を作った主家の御曹司たる男の顔を脳裏に思い浮かべ、抑えていたはずの怒りが再熱してくるのを感じる。
苛立ちに色褪せた木の扉をつい必要以上に強くノックをし、拳を打ち付けた形のまま固く握った。
だがそのまましばらく待つも家の中からはてんで音沙汰がない。

それで躊躇しつつもドアノブを握った。

錆びた金属製のドアノブは触れるとザラついた感触を手のひらに伝える。
軽く力を入れるとあっさりとノブは右に回り、引いてみるとギシギシと軋んだ音を立てて開いた。


カラン、とカウベルの高い音が家の奥から少しばかりくぐもって聞こえてくる。

家の中は、以前に一度だけ姉の荷物持ちとして同行した際とほとんど変わりがなかった。
入口の扉を入ると廊下はなくすぐに大量の布が頭上から四方に垂れ下がる部屋がある。小さな家の大半を占めると思われるその部屋の広さは幾重にも垂らされた布に遮られて伺いしれない。以前奥に通された時は部屋中に垂れ下がった布のせいでずいぶん狭く感じたものだが、こうしてよくよく見ると布をすべて取り去ってしまえばそれなりの広さにはなるのかも知れないなどと周りを見渡して思う。

「お客様ですか?どうぞこちらに。布を掻き分けて奥に入って下さいな」

布の向こうから女性の声がした。
姉に聞いた赫金の魔女メリー・メリー・ポリンプは自身と同じ16才で、年若いまだ少女といえる年齢のはずだが、部屋中を覆う布の波のためか、纏っているはずの魔女のローブのためか、低く、くぐもって聞こえ、ずっと年上の女性のものであるように聞こえる。
あるいは落ち着いた口調と声の響きがそう感じさせるのかも知れない。

レニーは黙ったまま布を掻き分けて奥へと進む。
いったいどれだけあるのかと辟易しかけたところで、ぽかんと開いた空間があった。

四方を幾重もの布に囲まれているせいか、まるで布で作られた檻に入り込んだ気分になる。
大きな飴色のテーブルと、それを挟んで向き合う位置に古びた椅子が一脚ずつ置かれている。
奥の一脚には、黒いローブを着た人物が座っていた。


「おかけになって少々お待ち下さいな。まさかこんな昼日向から魔女の庵にお客様が来るとは思わなくて、調合の最中でしたの。ふふ、赫金の魔女特製の自白剤ですよ?どんなに頑固な相手でもこれさえ飲ませれば秘密をペラペラ……」

手にそれぞれトロリとした液体の入った椀と小瓶を持った魔女はそう言って手元を見下ろしていてこちらを見ていない。慎重に傾けられた椀の中から液体が少しずつ小瓶に移されていく。

「よろしければ、お一ついかが?出来たてホヤ」
「いいですね。ではさっそく貴女に使わせて頂きましょうか」

ホヤホヤ、と続くはずだったのだろう魔女の言葉の先を、レニーはぶった切った。
途端、魔女の肩が大きく揺れ、俯いていた顔が正面を向く。
丸い、色とりどりの色彩に彩られた爪先から、半透明のガラス瓶が溢れ落ちてカシャンとテーブルの上で音を立てて割れた。

「すみません。急に声をかけてしまったからですね」

その様を柔和な作りものの笑みを浮かべ、レニーは冷めた目で見つめる。
こちらを見る魔女のローブに隠された目は、おそらく驚愕に見開かれているのだろう。

「…………ぁ」

魔女は指先を震わせて、ギクシャクと手にしていた椀をテーブルに置こうとした。

「危ないっ!」
「へ?……えっ?」

顔を上げたままなので、椀を置こうというテーブルをまったく見ていない。そのため魔女は割れたガラス瓶に向けて手を下ろそうとしていた。
自分の姉に何やらしたらしい魔女に思うところがないとは言わないが、だからといって年若い女性が怪我をするのを黙って見逃すわけにもいかない。
それに姉の様子がおかしいというのに、この魔女が関わっているというのは、今のところはあくまでもアルシェイドの憶測にすぎない。

それで慌てて魔女の手を掴んで止めたのだが、掴まれた魔女はというと、仰天したように椅子を蹴倒して立ち上がった。

「ひゃあっ」

小さく悲鳴を上げた魔女の手から、無事だった椀の方も下方に落下する。
それは一度テーブルの上で跳ねて床へと転がり落ちた。
硬いものが床にぶつかる甲高い音の後に、丸い椀が床の上をコロコロと転がる音がした。

「しゅみませんっ!えと、すぐ片付くますからっ!」

動揺のためか、噛んだ上に珍妙な言葉遣いの魔女がレニーが掴んだと反対の手で手近な布を引っ張ると、スルリと頭上から布が剥がれ落ちる。
それでテーブルの上のガラス瓶の残骸を包んでズリズリとテーブルの端に寄せた。

「しょ、しょれでなんのご用でごじゃりましょうか!?」

どうやら片付けはそれで終いらしい。
魔女はやはり珍妙な言葉遣いで言うと、顔を隠すローブをより下へ下へ何度も引っ張った。
が、ローブに隠れた目は、レニーがなんとなく掴んだままにしていた自身の手を見下ろしているのが気配でわかる。

魔女というのは自分が考えていたよりずいぶん面白い生き物らしいと、レニーは内心で思いながら魔女の手を放す。
ふと、ずっとこの手を握ったままにしていたら、魔女はどんな反応をしてくれていたのか、機会があれば少しばかり試してみたい気にもなった。










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