(元)引きこもりダンジョンマスターが異世界生活をやり直してみた件

黒田悠月

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ローウィル子爵領

その5

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俺の姉、ミリア・ローウェルは俺や母には似ていないスレンダー美人だ。
 父親譲りの黒目黒髪に女性にしては高い背丈。
 多少出るべきところは控えめだけど、しっかり括れるところは括れていて手足も長い。
 ちょっとキツめの目許に性格がにじみ出てるけど、きちんと手入れされた長い黒髪といい、意思の強い大きな黒い瞳といい、小ぶりだけどポッチャリな唇といい、全体的なバランスが絶妙にいいのだと思う。たぶん10人中8人が美人と評する容姿をしている。
 ちなみに残りの二人はデブ専とかロリ……とかの悪くはないんだけどちょっと世間一般からは好みが隔絶している人。
 領内一の美人って言われてるらしいしね。

 そんな我が麗しの姉上様は、母の隣で長い脚を組み、テーブルに頬杖をつくという普段なら即効で母からの叱責が飛ぶ格好をしてるんだけど……。
 うん。
 それどころじゃないよね。

 母上さまはというと、姉の格好など目に入らない様子でさっきからずっとさめざめ泣いている。
 時折「アイクちゃんが、アイクちゃんがおかしくなってしまったわ……」との声が洩れ聞こえてくる。

 ーー失礼な。

「……ふーん」

 俺から事のあらましを聞いた姉は、頬杖をついたままでちら、と母の様子を横目に見る。

「私は悪くないと思うわよ?」

 くわっ!とばかりに目と口を開いた母が椅子を鳴らした。

「あ、貴女はなにを!」
「はいはい。少し落ち着いてちょうだい。お母さま」

 組んでいた脚を下ろし、頬杖をほどいた指で母の前にテーブルに置かれた焼き菓子を引き寄せる。
 姉は近頃焼き菓子作りにはまっていて、夕食後にいつも手ずから運んできてくれる。

「男の子が自分がやりたいと思ったことを応援するのは良くないこと?」
「そんなことは言ってません!」
「でも許さないんでしょう?」
「……だって、だって、よりによって魔法科だなんて!」

 またもさめざめと泣き出した。

「危険すぎます!しかも野蛮だわ!!」
「偏見ね。魔法師だって、立派な職業よ?それに貴族の五男が魔法師を目指すのは珍しくもなんともないわ」

 そう。
 むしろ良くあることなんだよね。
 なんだけど。

「アイクちゃんには必要ないと言ってるんです!」

 う~ん。

「お母さま?領内の民がアイクのことをなんて言っているかご存知?」
「なんです急に。今はそんな話をしているのでは」
「領主の家の馬鹿息子ですって。確か箱入り娘ならぬ箱入り息子とかいうのもあったかしら?あとは引きこもりのネクラとかいうのもあったわね」

 グサリ。
 知ってたけど。
 ……知ってたけどね。
 改めて聞かされると胸にくるな。

「……なっ?誰です!いったいどこの誰が!」
「あえて言うならみーんなかしら?お母さまがアイクの婿入りをお話しされているお宅の奥様方も影では言っているそうよ」
「……っ」
「……ねえ、お母さま?私はアイクが魔法科に通う話、悪くないと思うわ。これまで将来のことなんて何も考えずにダラダラゴロゴロ引きこもってたこの子がようやく自分で先のことを考えてるんですもの。いきなり王立学校の魔法科というのは驚きだけど。貴族科っていうならまだありそうだけど」

「どうしたのかしらね」と俺に流し目をくれる。
 俺はというと笑って誤魔化した。
 貴族科の方が確かにウチの場合現実的だろうけどそれじゃ駄目なんだよ。
 貴族科は官吏を目指す者が入るだけあって規則も授業も厳しいしね。
 その点魔法科は冒険者をしながら通う生徒が結構いるから、わりと時間の自由がきく。
 日本の大学の授業にちょっと近いかも知れない。
 ま、俺は中学の途中までしか日本にいなかったから詳しくは知らないけど。
 特定の授業以外は自分の取りたい授業をある程度選べるらしい。
 必要科目の試験にさえ合格しておけば卒業は出来る。
 だからすでに冒険者をしている人間が一部の風の魔法とか、火の魔法なんかを武器の一つとして得るためにダンジョンに入る合間に通っていたりする。

 俺が学校に通いたい理由はただこの領から出て出来るだけダンジョンのある土地の側に行きたいってもので、勉強がしたいとかいう理由じゃない。
 王立学校のある街には国が管理するダンジョンがある。
 俺が用があるのはそこだ。

 けどそんなことは言えるはずもない。
 言ったら監禁くらいされそうだ、マジで。

「貴族科……そうよ、せめて貴族科なら……駄目だけど、でもまだ……」
「いいえ、駄目よ。お母さま」
「なによ。貴女」
「貴族科はお金がかかるのよ。ウチにアイクまで通わせる余裕があると思って?そもそも入学試験に受かると思う?」

 思わない。
 うん。
 逆立ちしてもムリだよ。
 さすがお姉さま、弟の頭の中身までよくご存知で。

「その点魔法科なら貴族は試験は免除されるし、学費も安いし、考えてみればホント悪くないのよね。外の世界を見てみるのもいいと思うし。このままだとこの子一生この土地から出ずに終わりそうだもの」

 はい。そのとおりです。
 まったくこの姉にはやり直しても頭が上がらない。

「だけど!やっぱり魔法科なんて!」

 頑なに反対姿勢を崩さない母の耳許にそっと姉がなにやら耳打ちした。
 母の顔色が変わる。

「……本当よ。カイオウ商会はすでにこの国からの撤退も視野に入れています」
「まさか……そんな。停戦条約が」

 なんだかよく分からないといった顔で、二人の会話を見守る。
 おそらく姉が耳打ちしたのは二年後に本格化する隣国との戦争のことだ。
 婚約者の家である商家の掴んだ情報だろうがさすがに早い。
 っていうか今の時点ですでに一部とはいえ商人に情報が出回っているとは、大多数の住民が知らぬ間に水面下では色々動いているというわけか。
 それもそうか、という気もする。
 戦争を始めようというんだ。

 一年や二年かけて準備を始めていてもおかしくはない。
 まして本気で相手を完全に征服しようとするのなら。

「この土地にも優秀な魔法師が一人くらいいてもいいと思うわ」

 母に向けられた姉の言葉に背筋がヒヤリとする。
 姉が言っているのは、いざという時戦場で他の魔法兵士を指揮する者ということだ。
 王都から、あるいは伯爵から軍を要請された場合の準備をしておけということだ。

「大丈夫。いってもまだその可能性があるという程度だから」

 蒼白になった母の顔色に、姉がそう言葉を続ける。

「でも魔法師などになったら余計に駆り出されることになるんじゃ……!」
「お母さま、それは貴族として言ってはならないことよ?それに魔法師でなくても駆り出されるでしょうし、だったら魔法師として力を付けておいた方が賢いんじゃなくて?」
「……お父様にお話ししてみます。詳しくはそれからよ」

 ふらふらと部屋を横切りながら小さく言って、母は食堂を出て行った。
 なんだかその背が小さく見える。

「お父様は賛成するでしょう。あなたの将来を心配していたからね。……これまではお母さまに逆らえなかったけど」

 ふう、と息をついて、テーブルの上の冷めてしまったお茶を口にした姉が言うのに、俺は頭を下げた。

「ありがとうございます。けど、なんで?」

 上手くいけば賛成してくれるかも、くらいには思っていた。
 けどここまで全面的に後押ししてくれるとは思ってなかった。
 俺の出る幕なんてなかったからな。

「言ったでしょう?この土地にも魔法師の一人くらいいた方がいいって。……なんて、ふふ、そうね。これまで一度もこうしたいって言い出したことのない弟が始めて自分から言いだしたことだもの。少しは手助けしてあげるわよ」
「……そうでしたっけ?」

 俺的には俺ってワガママボンボンイメージなんだけど?
 あれ?
 そういえば自分から何かしたいとかほしいとか言ったことってないかも知れない。
 別にこれといってしたいこともなかったしな。
 ほしいものは、だいたい言わなくても与えられてたし。

「けど行くからにはしっかり勉強してきなさいよ。……あ、これ食べて。感想を聞かせてちょうだい」

 う、このままスルーして退散しようと思ってたのに。
 ずずいとお手製焼き菓子を手元に差し出されて手に取る。
 口に入れると。
 ああ、予想した通りの味だ。

「どう?」
「美味しいです。ただちょっと味が薄いかな?」

 嘘だ。
 ホントは味がない。
 料理にしてもお菓子にしても姉の作るものは中間の味というものがない。
 ものすごく濃いか、薄すぎて味がないか。

「あらそう?だったら次はもう少し砂糖を多めに入れなくちゃかしら」

 やめてください。
 お願いします!
 味がないのはまだいい。
 うん、ほんのり小麦粉の味がするし。
 けど濃いのはホントにキツいんです。
 正直不味いんです。

「じゃ、また明日味見をよろしくね」

 機嫌よく部屋を出ていく背中に無言のお願いをする。
 え?
 口に?
 出せるわけないでしょ、そんなの。
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