公爵夫人が生まれ変わったのは最愛の娘の妹でした。

黒田悠月

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前編

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「ルーナ・カルディ!今この時を持って貴様との婚約は破棄する!! 」

王太子たる人の突然の宣告に、場は騒然とした。

貴族の子息子女が通う学園の卒業パーティ。
主役であるはずの卒業生たちを置き去りに、自分こそがこの場の主役であると言わんばかりに声を張り上げて、一人の少女を睥睨している王太子。
長い腰にまで届く青銀の髪と紫紺の双眸は王家の証。
まっすぐな髪を一つに結うのは私の瞳の色。
深い、光の加減によっては黒にも見える赤。
夜会やこういったパーティにおいて、エスコートしたパートナーの色を纏うのはそのパートナーが私生活においてもパートナー、つまり妻や恋人未満であることを表す。
公の場に婚約者でない女性をエスコートする。
それだけでも目を見張るほどに非常識な行為だ。
その上にその相手の色を身に纒い、あまつさえドレスの腰に腕を回している。
傍から見るともはや非常識を通り越して恥知らずの馬鹿である。

「自分は婚約者のある身でありながら公の場で堂々と不貞を働く常識知らずの屑人間です!」

と、胸を張って宣言しているようなもの。

さすがに一部を除く周囲の常識ある人間たちが眉を顰め、密やかに囁やきを交わし合う。

けれども一人悦に入っているらしい王太子バカは気づかない。

「理由をお聞かせ頂いてもよろしいでしょうか?」

声を震わせながらも凛と顔を上げて、少女は問いかける。
今にも涙を湛えそうに震える睫毛は結い上げられた髪と同じ淡いプラチナブロンド。その睫毛に縁取られた瞳は透き通るエメラルドグリーン。
どちらも紛れもなくカルディ公爵家の血筋の証。
今の私とは違う。
正当なる公爵家の後継の証だ。

声を、手を震わせてドレスを握りしめて顔を蒼白にしていてもなお、その顔は美しい。

キメの細かい白い肌も、ほっそりとした卵型の輪郭も、ぱっちりとした二重瞼の奥のエメラルドグリーンの明るい瞳も、小さなぷっくりとした唇も。
痩せすぎた感はあるが華奢な肩も細い手足も、少しばかりささやかな胸の膨らみも、ドレスを握りしめた白い手袋に隠された指先も。
すべてが美しくて可愛らしくて愛しい。

その華奢な身体を抱きしめて慰めることができればどれほど幸せか。

けれど私は少女の代わりに傍らの王太子クズに身を寄せる。
飽食ででっぷりと肥え太った二重顎を見上げ、媚びた笑みを浮かべた。
ついでに大きく開いたドレスの胸をその身体に押し付けると、王太子白ブタはグブ、と奇妙な音を喉で鳴らす。太り過ぎているせいか、コレはよくこういう気持ち悪い音を出す。どうも笑い声のつもりらしいが、脂肪で喉の奥が詰まってくぐもった奇怪な音が出るのだろう。

気持ち悪い。
気持ち悪くて吐き気がする。

顔には出さずに胸の中、悪態をつく。

「この俺が気づかないとでも思っていたか?貴様は腹違いとはいえ実の妹を妾の娘だと散々蔑んで虐めてきただろう!?」
「……そのような覚えはございませんわ」

当然だ。
覚えなどあるはずがない。
そのような事実はないのだから。
すべては私がバカの耳元で囁いた嘘。
虐めを受けていたのはむしろーー。

「嘘をつくな!ではなぜアーシャはいつも貴様のお下がりのドレスを着ていたのだ?ドレスも宝飾品も常に貴様のお下がりばかり!貴様はアーシャにはろくに身の周りの品を買い与えずに貴様が飽きたものを下げ渡してきたのだろう?」
「わたくしが?家の金銭は父母が管理しておりますのに。わたくしが買い与えるのですか?」

あくまでも感情を抑えた声音に、私の胸の奥がズキリと痛む。ふざけた理不尽な罵倒に、内心では声を荒げたくもあるだろうに、まっすぐに前を向いたまま、淑女としての姿勢を崩さない。


よくもあの家で、あの環境でここまで立派に育ってくれたものだと思う。

幼い頃からの王妃教育の賜物か。
それとも生来の性質か。

いったい誰に似たものかと少しだけ不思議に思う。
あの男であるわけでなし。
さりとて私も、それほど上等な人間でもなかった。
幼少時は我儘なお転婆だったし、年頃になってからは気位ばかりが高くて周りを見ることをしない人間だった。


私は視線を向けられてもいないのに、まるで睨まれでもしたかのようにビクリと肩を震わせてますます傍らの王太子の身体にしがみついた。
その姿だけを見れば悪意を向けられて怯えているようにも見えるだろう。
もっともその姿だけを見れば、の話である。
その場にいる生徒たちはもちろん、卒業生の門出を祝うために集まったその親たちも、たった今この場に来たわけではない。王太子の婚約破棄宣言から皆の視線はこちらに集中しているわけで。

周囲の私に対する視線は、もはや汚らしいものを見る目だ。

その中に含まれる感情はおそらく嫌悪と嘲り、そしてわずかな哀れみだろうか?

ちらりちらりと交わされる視線の中で、交わされる無言のやり取りが聞こえてくるような気がした。

「わざとらしい」
「未婚の令嬢があのように殿方にしがみつくなんて」
「さすがは愛人の娘なだけはありますわ。慎みというものをご存知ないのね」

それでいい。
私はそれでいいのだ。

私の評価が下がれば下がるほど、彼女は被害者であると周りは認識してくれる。
婚約破棄された傷物令嬢。
私が負わせてしまうその傷を、少しでも小さなものにできるなら。


「俺を馬鹿にしているのか?貴様の家の事情くらい把握している!現公爵は婿養子で、貴様が成人するまでの後見にすぎないっ!つまり財産も何も実権は貴様が握っているのだろう!?父親である現公爵も婿である以上公爵家の血を引く貴様を強くは諌めることはできん。それをいい事に貴様は散々公爵家の血を引いていないとアーシャを蔑ろにしてきたのだ!!」

鼻息も荒く言い放った王太子バカに、内心で呆れ果てる。

一応、そう一応は間違ってはいない。
カルディ公爵家の現公爵は婿養子で、その地位はあくまでも暫定的なもの。
女公爵であった夫人が亡くなって、次期公爵のルーナ・カルディが成人するまでの後見として一時的に預かっているにすぎない。
ルーナが生まれてすぐ王太子の婚約者に選ばれたため、実際にはルーナが成人した後もしばらくは預かることになる。ルーナに二人以上子供が生まれればその子供の一人が引き継ぐし、でなければ公爵家の親族から養子を取るか、あるいは妹であるアーシャが公爵家の親族から婿を取るか。だが、アーシャが婿を取るという選択はおそらくなされない。現公爵がそれを望んだとして、認められはしないだろう。アーシャでは母方の血が公爵家から遠すぎる。

この国において、候爵家以上の血筋は特別なもの。
なかでも4大公爵家は特別で特殊な家だ。

容姿よりも能力よりもその身に流れる血を重視する。
王族に至っては近新婚を繰り返しすぎて一時期は存続が危ぶまれたほど。
カルディ公爵家とて祖父母の子はルーナの母親と辺境伯に嫁いだ妹のみ。その母の子はルーナ一人だ。
もともと子が少ないから親族と呼べる血筋のものも少なく、ルーナに二人以上の子ができなければ、その母の妹の息子であるルーナの従兄が後を継ぐことになるのだろう。
辺境伯家に子供は二人。
本来は辺境伯家の跡継ぎである兄とその妹である。
国の国境を守る辺境伯家が跡継ぎであるべき男子を養子に出し、娘に婿を取る選択をしてもカルディ公爵家は公爵家の血筋の者が継がなくてはならない。

現公爵は婿入りするにあたりその辺りのことを散々滾々と聞かされていたはずだが、さて、今のこの状況を見るに、すっかり頭から抜け落ちているらしい。

公爵家にすら認められない血筋の娘が王家に認められるはずがない。

なのにこの馬鹿げた茶番劇を、私の行動を一切咎めるどころか容認した挙げ句時には嬉々として後押しすらしていた。あの自分の都合のいいようにしか物事を見ない、浅慮で先の見えない馬鹿が自分の元夫で自分の可愛い一人娘の父親だという事実は、いつも私に暗澹たる思いを抱かせる。



私、アーシャ・カルディには前世の記憶がある。
腹違いの姉であるルーナ・カルディの母親であった記憶。

私はルーナを生んですぐ、体調を崩してそのまま死んだ。
そうしてそのわずか一年後、私が死んですぐに夫が家に入れた愛人の子供として、生まれ変わったのだ。










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