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第三章 《失われた旋律》
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秋の夜風が吹き抜けるアルセナ美術館。
その一角に、新たに寄贈された古いピアノがあった。
黒檀の鍵盤に金の装飾が施された美しいアップライトピアノ。
ラベルには「F.シュナイダー・1887年」と刻まれていた。
しかしその夜、夜警の一人が青ざめた顔で館長室に駆け込んだ。
> 「誰もいない展示室から、ピアノの音が聞こえるんです!」
録音機器を確認しても、確かに夜の2時過ぎに微かな旋律が残されていた。
音は優しく、悲しげな子守唄のようだった。
館長の依頼を受け、私は再び美術館に呼ばれた。
私は横山翔太。元刑事で今は美術関連の調査を請け負っている。
過去に《赤い庭》《静かな彫像》の事件を解決したことで、
この館の“奇妙な出来事”の相談役のような存在になっていた。
---
ピアノは展示室の中央に置かれていた。
鍵盤は磨かれており、譜面台には一枚の古びた楽譜が載っている。
題名は《ノクターン・エレナ》。
誰の作曲かも分からず、ただ“E・S”のイニシャルだけが記されていた。
「このピアノはどこから?」
「先週、寄贈されたものです。」案内係の斎藤美咲が答えた。
「寄贈者は“新堂玲子”という女性。
亡き娘が愛したピアノを、美術館に置いてほしいと。」
私はその名を手帳に書き留めた。
ピアノを調べると、特定の鍵盤――“E”の音――だけが、ほんのわずかに沈み込んでいる。
打鍵の痕が新しい。
まるで最近、誰かがその音だけを繰り返し弾いたかのようだ。
「夜に鳴る曲は、どんな旋律でしたか?」
「録音をお聞きになりますか?」
斎藤が再生ボタンを押す。
スピーカーから流れた音は、確かに子守唄のようなメロディ。
だが途中で一度、音が途切れ、最後に「E」の音だけが強く響いた。
その瞬間、私は奇妙な違和感を覚えた。
――まるで“誰かが呼ばれている”ような響き。
---
翌日、私は新堂玲子の自宅を訪ねた。
彼女は70代ほどの穏やかな女性だった。
「娘さんがピアノを弾かれていたと伺いました。」
私がそう言うと、玲子は目を伏せた。
「ええ。エレナは音楽の天才でした。
でも…10年前、コンクールの前日に亡くなったのです。」
「事故ですか?」
「いいえ。誰も真相を知らないんです。
ただ、夜中に家の中でピアノが鳴って……
その音を最後に、彼女は二階から落ちて……」
玲子の声は震えていた。
「彼女が最後に弾いていた曲が、《ノクターン・エレナ》です。」
私はそのタイトルに首をかしげた。
「娘さんの名前と同じ?」
「はい。あの曲は彼女自身の作曲なんです。」
---
その晩、美術館に戻り、私はピアノを再び調べた。
裏面の木材には、かすかな刻印があった。
> “To E.S. from R.S.”
R.S.――玲子の旧姓が“新堂麗(れい)”だとすれば、
このピアノは母から娘へ贈られたものだ。
だが、もう一つ気になる点があった。
ピアノの脚の裏に、うっすらと血のような黒い染み。
そして譜面台の端に、古い爪の跡のような傷。
まるで、誰かが必死に何かを掴もうとした痕跡だった。
私は録音データをもう一度聴き直した。
――そして、気づいた。
音の中に「異音」が混じっている。
わずかに“打鍵ではないノイズ”。
波形を拡大して確認すると、それは“何かが鍵盤を擦る音”だった。
「つまり、夜に弾いているのは人間ではない。」
だがそれは超常現象ではなかった。
私はその仕組みを突き止めるため、ピアノの内部を開けてみた。
そこに仕込まれていたのは、古いオルゴールの機構だった。
内部に小さな金属棒と巻きゼンマイが取り付けられ、
特定の時間になると自動で“ノクターン・エレナ”が演奏されるようになっていた。
だが、なぜそんな仕掛けが?
巻きゼンマイの奥には、小さな紙片が挟まっていた。
そこには走り書きでこう記されていた。
> 「母へ。これが私の最後の曲。
でも、本当の終わりはEの音で。」
---
私はすぐに新堂玲子に連絡した。
「エレナさんは、自動演奏装置を仕込んでいた可能性があります。」
「そんな……あの子は、そんなことを……?」
「事故ではなく、自殺の可能性があります。」
玲子は息を呑んだ。
「“Eの音で終わり”という言葉。
Eは、彼女の名前の頭文字。
つまり、エレナ自身を意味していたのではないでしょうか。」
私は静かに続けた。
「彼女は最後の曲を完成させた後、自分自身を“終わらせた”んです。」
しばらく沈黙が流れた。
やがて玲子は涙を拭きながら微笑んだ。
「……あの音が聞こえるたび、私はあの子がまだ弾いていると思っていました。
でも、これでようやく……眠れる気がします。」
---
後日、ピアノは修復工房に移され、内部の仕掛けが撤去された。
だが、音の謎が解けた後も、夜の展示室には時折、誰かが“E”の音だけを鳴らすという。
まるで、母に別れを告げるように。
私は最後に譜面を手に取った。
《ノクターン・エレナ》――
その最後の小節には、ひとつだけ音符が記されていた。
“E”。
それが、エレナの“終わり”であり、
そして母への“最後の手紙”だったのだ。
その一角に、新たに寄贈された古いピアノがあった。
黒檀の鍵盤に金の装飾が施された美しいアップライトピアノ。
ラベルには「F.シュナイダー・1887年」と刻まれていた。
しかしその夜、夜警の一人が青ざめた顔で館長室に駆け込んだ。
> 「誰もいない展示室から、ピアノの音が聞こえるんです!」
録音機器を確認しても、確かに夜の2時過ぎに微かな旋律が残されていた。
音は優しく、悲しげな子守唄のようだった。
館長の依頼を受け、私は再び美術館に呼ばれた。
私は横山翔太。元刑事で今は美術関連の調査を請け負っている。
過去に《赤い庭》《静かな彫像》の事件を解決したことで、
この館の“奇妙な出来事”の相談役のような存在になっていた。
---
ピアノは展示室の中央に置かれていた。
鍵盤は磨かれており、譜面台には一枚の古びた楽譜が載っている。
題名は《ノクターン・エレナ》。
誰の作曲かも分からず、ただ“E・S”のイニシャルだけが記されていた。
「このピアノはどこから?」
「先週、寄贈されたものです。」案内係の斎藤美咲が答えた。
「寄贈者は“新堂玲子”という女性。
亡き娘が愛したピアノを、美術館に置いてほしいと。」
私はその名を手帳に書き留めた。
ピアノを調べると、特定の鍵盤――“E”の音――だけが、ほんのわずかに沈み込んでいる。
打鍵の痕が新しい。
まるで最近、誰かがその音だけを繰り返し弾いたかのようだ。
「夜に鳴る曲は、どんな旋律でしたか?」
「録音をお聞きになりますか?」
斎藤が再生ボタンを押す。
スピーカーから流れた音は、確かに子守唄のようなメロディ。
だが途中で一度、音が途切れ、最後に「E」の音だけが強く響いた。
その瞬間、私は奇妙な違和感を覚えた。
――まるで“誰かが呼ばれている”ような響き。
---
翌日、私は新堂玲子の自宅を訪ねた。
彼女は70代ほどの穏やかな女性だった。
「娘さんがピアノを弾かれていたと伺いました。」
私がそう言うと、玲子は目を伏せた。
「ええ。エレナは音楽の天才でした。
でも…10年前、コンクールの前日に亡くなったのです。」
「事故ですか?」
「いいえ。誰も真相を知らないんです。
ただ、夜中に家の中でピアノが鳴って……
その音を最後に、彼女は二階から落ちて……」
玲子の声は震えていた。
「彼女が最後に弾いていた曲が、《ノクターン・エレナ》です。」
私はそのタイトルに首をかしげた。
「娘さんの名前と同じ?」
「はい。あの曲は彼女自身の作曲なんです。」
---
その晩、美術館に戻り、私はピアノを再び調べた。
裏面の木材には、かすかな刻印があった。
> “To E.S. from R.S.”
R.S.――玲子の旧姓が“新堂麗(れい)”だとすれば、
このピアノは母から娘へ贈られたものだ。
だが、もう一つ気になる点があった。
ピアノの脚の裏に、うっすらと血のような黒い染み。
そして譜面台の端に、古い爪の跡のような傷。
まるで、誰かが必死に何かを掴もうとした痕跡だった。
私は録音データをもう一度聴き直した。
――そして、気づいた。
音の中に「異音」が混じっている。
わずかに“打鍵ではないノイズ”。
波形を拡大して確認すると、それは“何かが鍵盤を擦る音”だった。
「つまり、夜に弾いているのは人間ではない。」
だがそれは超常現象ではなかった。
私はその仕組みを突き止めるため、ピアノの内部を開けてみた。
そこに仕込まれていたのは、古いオルゴールの機構だった。
内部に小さな金属棒と巻きゼンマイが取り付けられ、
特定の時間になると自動で“ノクターン・エレナ”が演奏されるようになっていた。
だが、なぜそんな仕掛けが?
巻きゼンマイの奥には、小さな紙片が挟まっていた。
そこには走り書きでこう記されていた。
> 「母へ。これが私の最後の曲。
でも、本当の終わりはEの音で。」
---
私はすぐに新堂玲子に連絡した。
「エレナさんは、自動演奏装置を仕込んでいた可能性があります。」
「そんな……あの子は、そんなことを……?」
「事故ではなく、自殺の可能性があります。」
玲子は息を呑んだ。
「“Eの音で終わり”という言葉。
Eは、彼女の名前の頭文字。
つまり、エレナ自身を意味していたのではないでしょうか。」
私は静かに続けた。
「彼女は最後の曲を完成させた後、自分自身を“終わらせた”んです。」
しばらく沈黙が流れた。
やがて玲子は涙を拭きながら微笑んだ。
「……あの音が聞こえるたび、私はあの子がまだ弾いていると思っていました。
でも、これでようやく……眠れる気がします。」
---
後日、ピアノは修復工房に移され、内部の仕掛けが撤去された。
だが、音の謎が解けた後も、夜の展示室には時折、誰かが“E”の音だけを鳴らすという。
まるで、母に別れを告げるように。
私は最後に譜面を手に取った。
《ノクターン・エレナ》――
その最後の小節には、ひとつだけ音符が記されていた。
“E”。
それが、エレナの“終わり”であり、
そして母への“最後の手紙”だったのだ。
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