《美術館奇譚》

神田 双月

文字の大きさ
4 / 5

第四章 《影を描く写真家》

しおりを挟む
 アルセナ美術館の一室で、新しい写真展の準備が進んでいた。
 タイトルは《光と影》。
 若手写真家・三上恭一の個展であり、彼が遺した最後の作品群が並ぶ予定だった。

 ――“遺した”、というのは、
 展示の三日前、三上が自宅で死体となって発見されたからだ。

 死因は転落死。
 だが奇妙なことに、彼の部屋には割れたカメラと、現像途中のフィルムが残されていた。
 警察は事故死として処理したが、私は美術館側の依頼で調査に乗り出した。


 ---

 展示準備を担当していたのは、案内係の斎藤美咲。
 彼女はどこか疲れた表情を浮かべていた。
「翔太さん、彼の写真……見たことあります?」
「いくつか。独特のコントラストが印象的だった。」
「でも今回のシリーズは違うんです。すべての被写体が、“撮られた数日後に亡くなっている”んです。」

 私は息を呑んだ。
「それは偶然では?」
「最初はそう思いました。でも、彼自身もそのことに怯えていたようで……。」

 三上の遺作の中には、最後に撮影した一枚――《最後の光景》というタイトルの写真があった。
 現像されたのは、彼が亡くなった翌朝。
 被写体は、自分自身だった。


 ---

 私は三上のアトリエを訪ねた。
 整理途中の机の上には、黒いノートが置かれていた。
 ページの端には、こう書かれている。

 > 「影が先に写る。
 そして、影が消えたあと、被写体も消える。」



 ページをめくるたびに、奇妙なスケッチが続く。
 人影が少しずつ薄れていく連続写真のような絵。
 その最後のページには、自分の後ろ姿が描かれていた。

 ――背後の影だけが、なかった。


 ---

 美術館の準備室に戻り、私は彼のカメラを調べた。
 古いフィルム式の一眼レフ。
 だが内部には通常ではあり得ない“改造”が施されていた。
 シャッター横に小さな装置が取り付けられ、
 撮影時に極めて短い赤外線パルスを発する仕組みだ。

「これは……被写体の熱反応を同時に撮影する装置だ。」
「熱反応?」
「つまり、生命活動を映す。
 体温があるものは光として写り、死体は影になる。」

 だが問題は、
 三上がこの装置を使って“未来の状態”を写していた可能性だった。
 赤外線センサーのタイマー部分を確認すると、
 撮影時刻とは別の“予測時間データ”が入力されていた。
 つまり、シャッターを切った瞬間の被写体ではなく、
 未来の映像をシミュレートして撮る設計になっていたのだ。

「未来を写すカメラ」――
 そう呼ばれてもおかしくはない。


 ---

 その晩、私は展示準備中の写真を確認した。
 並ぶ作品はどれも静謐で、光と影のバランスが完璧だった。
 だが、一枚だけ異様なものがあった。
 タイトル《No.13》。
 黒い壁を背景に、人物の姿が半分だけ写っている。
 左側の顔が欠け、影だけが濃く残っている。
 キャプションには“被写体:S.M.”とあった。

「……斎藤美咲?」
 私は息を詰めた。

「この写真、あなたですよね?」
 私が問いかけると、斎藤は青ざめた。
「はい。でも撮影されたのは二週間前です。
 三上さんが“最後のモデルになってくれ”って言って……。」

「撮影の後、何か異変は?」
「ええ……夜、鏡を見ると、影が薄くなっていく気がして。
 それに、彼からメールが届いたんです。
 “影を撮った。次は消える順番だ”って。」

 私は展示室の照明を落とし、写真をライトで照らした。
 暗闇の中で浮かび上がる影。
 だがその“影”は奇妙な形をしていた。
 ――まるで、三上本人の姿に見えたのだ。


 ---

 翌日、私は三上の現像データを解析した。
 撮影時刻:10月3日 22時15分
 被写体:斎藤美咲
 だが、データの最後に記録されていた画像情報は、
 まったく別の人物の輪郭を示していた。
 解析の結果、それは――三上恭一自身だった。

 彼は、斎藤を撮る際に“自分の影”を投影していたのだ。
 カメラの赤外線発光装置を逆転させ、
 被写体の背後に自分の熱反応を映し込む。
 その結果、写真には“斎藤と三上の影”が重なって写った。

「つまり、彼は“影を交換する”実験をしていたんです。」
 私は館長に説明した。
「彼は自分の存在を写真に封じようとした。
 被写体の影を奪い、自分の影を残す。
 だから写真には、彼の死後も“生きた影”が残っていた。」

「では、あの《No.13》は……?」
「三上が自分の死を予告した作品です。
 斎藤の影に、自分を移すことで“永遠の被写体”になろうとした。」


 ---

 三上の死因は、屋上からの転落。
 しかし検証の結果、転落の直前にカメラを構えていた形跡があった。
 最後のフィルムには、
 夜の街を見下ろす構図と、自分の足元の影が写っていた。

 その影は、途中で途切れている。
 ――まるで、落ちていく瞬間に“影だけが残った”かのように。


 ---

 写真展は予定どおり開かれたが、
 《No.13》だけは展示リストから外された。
 しかし、奇妙な噂が広がった。
 深夜、展示室に入ると、壁に“もうひとつの影”が浮かび上がるという。
 まるで、シャッターを切る瞬間を今も待っているかのように。

 斎藤はその後、辞職願を出した。
「もう、影に見られるのは嫌なんです」と言い残して。

 私は最後に、封印された《No.13》をもう一度だけ見た。
 薄暗い部屋で、光に照らされたその影は――
 確かに、私の肩越しに笑っているように見えた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

完結 愚王の側妃として嫁ぐはずの姉が逃げました

らむ
恋愛
とある国に食欲に色欲に娯楽に遊び呆け果てには金にもがめついと噂の、見た目も醜い王がいる。 そんな愚王の側妃として嫁ぐのは姉のはずだったのに、失踪したために代わりに嫁ぐことになった妹の私。 しかしいざ対面してみると、なんだか噂とは違うような… 完結決定済み

処理中です...