上 下
51 / 70

第51話

しおりを挟む
 大皿に盛られた料理が運ばれて来るたび、両隣の女性は丁寧に取り分けてくれた。
 そのたびに僕は礼を言い、両手首の内出血の痕を長袖のシャツで隠しつつ、慎重に口へ運ぶ。
 あたりさわりの無い会話で談笑し、楽しい時間を過ごしていると、メールの着信音が鳴る。
 現場で何か起きたのかと思い、慌てて携帯電話を開いた。
【楽しんでいますか】
 佐賀美さんから、これ一行。
 現場への心配は杞憂に終わったが、短い言葉の裏側に隠された本意は非常に恐ろしい。
「……やっぱり来たか。絶対に裏があるとは思っていたが」
「どうしたんですか。藤沢さん」
 両隣の女性が聞く。
「友達からです。こんな席ですみません」
 即座に大嘘をつく。
「いいえ。どうぞ気にせず返信なさってください」
 そのお言葉に甘え、素早く〈はい〉とだけ返信。しかし、その十五分後に【料理はどうですか】と来たので、〈豪華で美味です〉と返す。
 そのまた十五分後、【盛り上がっていますか】と来たので、〈いい感じです〉と返信。 またまた十五分後、【女性達は可愛いですか】と来たので、〈両手に花です〉と返信。だがこれには、すぐに返事が来た。
【あそこも乳首もピンク色のフジよりも可愛い花など、この世には存在しません】
「……!」
 読んだ途端、顔から火が出た。
 下品でコメント不可能なメールを寄こすな!
 両隣の女性は、僕が頻繁に携帯電話をいじるのでしらけ始める。
 当然だ。これは完全に僕が悪いし、マナー違反だ。
 僕はトイレに行くふりをして席を立ち、店の外へ出て、佐賀美さんに文句の電話をかけた。
「もしもしっ! 藤沢ですけどっ」
「おお、フジ。終わったのか。今どこだ」
「まだですよ。今、店の外です。何度もメールが来るから、女性がドン引きです。若者のお楽しみを邪魔しないでくださいっ」
「ふふん。それが目的だもんね」
 電話の向こうで舌を出しているのが目に見える。
「むむむ。それならどうして合コンに行けなんて言ったんですか」
「棚部がしつこいからだ。一回ぐらい出席しておけば、ごちゃごちゃ言わなくなるだろうと思ってな」
「それはそうかもしれませんけど」
 でも僕の立場はどうなる。場所をわきまえないメール依存男だと思われているぞ。
「なあ、フジ。そのまま店を出てしまえよ」
「え?」
「耐えられないんだよ」
「何がです」
「お前が、女といるのがさ」
「でも最後までいていいと言ってくれたではありませんか」
「それでは謹んで前言撤回しよう。すぐに退席してきなさい」
「はあ?」
「命令です」
「でも一次会すら終わってません。料理だってまだ前菜です」
 棚部の話だと、この店の名物は溢れるほどのチーズが乗ったピッツアで、それは後半に出てくるらしい。僕としてはぜひ食べたい。
「料理が全部出てから、そっち行きます」
「やだ。ここにフジがいなくて、俺は寂しい」
「あのねえ……」
「いっぱい可愛がってあげるから、早く戻ってきなさい」
 そんなふうに言われたら、こっちだって飛んで行きたくなるではないか。
 ピッツアの存在が、急にどうでもよくなってしまった。
「では夜食に、きらきら星ケーキを作ってくれますか? 中途半端に空腹なんです」
「もちろんだよ! 地下鉄駅の入口で待ってろ。すぐに迎えに行くから」
「わかりました。よろしくお願いします」
 そうと決まれば速攻退散。
 会費を払うため、そそくさと中腰で棚部の席へ行く。
「ごめん。悪いけど帰る。これ、会費」
 テーブルの下で、お金を渡す。
「何だよ。もう帰るのか」
「うん。楽しかったよ。誘ってくれてありがとう」
「どうせ、彼女に呼ばれたんだろう」
「正解」
 あんなヤキモチメールと露骨なラブコールをされたら、帰らないわけにはいかない。
「しつこいようだが、いつでも相談に乗るからな」
「ありがとう。その時は頼むね」
 永遠にないと思うけど。
 そして地下鉄駅の入口に到着した時には、佐賀美さんの車が、もうすでに停まっていた。
「すみません。待ちましたか」
 急いで助手席に乗り込む。
「いや。今来たところだ」
「よかった。ここらへん、路駐の取締が厳しいから」
「それはそうと、まずは部屋に帰ったらフジを洗わなくてはいかんな」
 鼻をクンクンさせて、車を発進させる。
「え? 僕、臭いですか。行く前にシャワー浴びたし、服も洗い立てなんですけど」
「違う。女の香水の匂いが染みついているんだ。服にも髪にも」
 そう言って、車の窓を全開にした。
しおりを挟む

処理中です...