笑わないこけし

終章:こけしの交差点

健太は、渋谷のスクランブル交差点に立っていた。  

彼は、スマホをポケットにしまい、  
ただ、人の流れを見つめていた。  

すると、彼の耳に、  
「ねえねえ、あれ、『こけし芸人』じゃない？」  
という、若い女の声が、聞こえた。  

彼は、振り向いた。  
だが、そこには、誰もいなかった。  

また、別の声。  
「あの、こけしの顔、見たことある……」  

彼は、また振り向いた。  
だが、そこには、ただ、歩き去る人影があった。  

彼は、その場で、立ち尽くした。  

そして、ふと、気づいた。  

——彼の周りの女性達は、  
全員、彼を見つめていた。  
彼女たちの目は、どこか、冷たく、どこか、優しく、  
どこか、静かに、彼を、見つめていた。  

それは、  
「こけし」を見つめるような目だった。  

彼は、その瞬間、悟った。  

「……俺は、もう、観客じゃない。  
——俺が、今、見られている。  
俺が、今、笑われている。  
俺が、今、ただの、『こけし』なんだ……」  

彼は、交差点のど真ん中で、  
口を開いた。  

「違う！  
俺は、面白いんだ！」  

だが、その声は、  
喉の奥で、張りついて、  
一音も、外に出なかった。  

彼の声は、  
静かに、消えた。  

そして、彼の体は、  
まるで、こけしのように、  
動かなくなった。  

彼は、ただ、そこに、立っていた。  
笑わず、語らず、動かず。  
ただ、そこに、ある。  

——笑わないこけし。  

その瞬間、彼の脳裏に、  
玲子の最後の言葉が、よみがえった。  

> 「あなたは、しゃべらなくていい。  
> ——ただ、俺の観客として、そこに、座っていればいいんだ。」  

健太は、その言葉を、  
今、初めて、  
「俺が、観客だったのではなく、  
——俺が、観察されていた」
という意味で、理解した。  

彼は、巨大な社会という舞台の上に、  
ただ、1人、こけしのように、  
静かに、立ち尽くしていた。  

そして、その姿は、  
誰にも笑われず、  
誰にも愛されず、  
ただ、  
そこに、あるだけだった。  

完