『コニファーガーデン』

segakiyui

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 マリアは夜、ぐっすり寝た。
 図太さに呆れ返るほどだけど、やることをやらなくてはならない時にはちょうどいい。
 身支度を整え、朝食の席に着く。
「…旦那様はまだお休み?」
「いえ、もう出かけられました」
「そう」
 予想はしていたけれど、それならそれで好都合だ。
 クリスは警告を受け取った。だからマリアと距離を置こうとしている。
 『同じこと』を繰り返さないために。
「アルディッドは?」
「は?」
「いえ、いいわ」
 今朝食卓についてくれたのは昨日の彼ではなかった。夜のシフトと昼間のシフトは違うのかも知れない。
 温かなクロワッサンとあんずといちごとベリーのジャム、生クリームにクリームチーズ。コーヒーとオレンジジュース、ミニサラダにはブロッコリとトマト。
 しっかり食べて空腹を満たして立ち上がる。
「いいお天気ね」
「そうですね」
「ごちそうさま。おいしかった」
「お気に召して頂き、何よりです」
 静かに微笑む黒服に頷き、自分の部屋へ戻る。帆布で作ったバッグにスケッチブックと鉛筆と消しゴムを入れる。
「さて、魔女に会いに行くわよ」
 自分を励まして、屋敷の中を進んだ。誰にも咎められずに回廊を通り抜けて、奥の扉を押し開ける。微かにきしむ音はクリスと来た時は聞こえなかった。
「…重いのね」
 安っぽい板1枚のように軽々と開いたクリスの腕が恋しくなる。
 森は途切れそうな小道を奥へと伸ばしている。入り込みながら周囲を振り向いても、全てが同じような樹々の重なり合いに見える。
 けれど、マリアには問題にならなかった。
「この樹を過ぎて……あの樹の右を…あら」
 歩いて行きながら、途中で小道から外れたのに気づく。
「そういうこと」
 数歩入って背後を振り返った。
 あの小道はフェイクなのだ。
 侵入者を別方向へ導く通路。ひょっとすると、罠なんか準備されていたりして。
「やりかねないわね、マースなら」
 冷ややかにマリアを見ていた薄い色の瞳を思い出す。
 スティングレイ財団? よろしい、もちろん歓迎しよう、ただし、こちらの不利益にならないレベルで。
 微笑みの陰に冷たい計算が透けて見える。
 這い回る根を乗り越え、ビロードのように柔らかく輝く苔を踏みながら、奥へと進む。
 そのうちに少しずつ見えてきた。
「…凄いわ、クリス」
 何と言う配置だろう。
 この森が人の手による計画だとは思えない。
 樹々の高さに差があり、枝の広げ方も違っている。成長の速いものと遅いものを組み合わせてある。足元を這うような類もあるようだ。
 教会で見た曲線の重なり合い、作り掛けの庭のライン、そして、この森の樹々の配置は、同じ思想と感覚の元に構築されている。
 マリアは立ち止まって、スケッチブックを取り出した。
 クリスが気づいて追ってくる間に、早く芽理のところへ行かなくてはと思うのに、あまりにも見事過ぎて美し過ぎて、自分の手で紙の上に写し取りたくてたまらない。
「ちょっと失礼。背中を借りるわ」
 近くの樹にもたれ、開いたスケッチブックに見上げた森の樹々を描いていく。手を止めて、別の頁を開き、頭の中に残っている庭の配置を描き出す。また再び森の樹々に戻る。途中でまた、今度は教会の天井の曲線を別の頁に描く。
 何度もそれを繰り返すうちに、どこか別のところでもこの曲線を見たという気がしてならなくなった。
「何かしら」
 スケッチを重ねていく。頭上遥かな一点で結ばれていくのに、交差したラインがそのまま伸びて彼方の地平へ流れていく。くるりと地球を取り巻いて、再びこの点に戻って結ばれていくような。
「人ではないわ」
 鳥でもない。動物でもない。昆虫でもない。
「入江? 山脈? 島?」
 どれも違う。
 何かとても近しいものを見た気がするのだけど。
「ん~」
 脳裏にひらめいたものに訝しく眉を寄せる。それは教科書だ。学生の頃の、数学の、集合を学んだ2つの円。ほんの僅かな重なり合いが示された部分の、あのライン。
「そうね、そうだわ」
 寸分違わず重なったイメージにマリアは微笑んだ。
「約束事に基づいてるってこと」
 それはとてもふさわしいものに感じた。人とアシュレイとが重なり合う、ほんの僅かな小さな場所。
 そこにマリアは立っている。
 スケッチブックを閉じてバッグに片付け、歩き出す。それほど苦労することもなく、小屋が見える場所に来た。
「あ」
 そうだ。セキュリティを解くものをマリアは何も持っていない。
 へたに踏み込むとレーザーなどで灼かれてしまうのかしら。
「…芽理!」
 防音設備も万全だったかしらと悩みながら、声を張り上げた。
「マリアよ! 会いに来たの! 迎えに来て!」
 仁王立ちになって少し待つ。
 留守だとは思わなかった。窓辺のカーテンが揺れたから。梨々香か慎が飛び出してきてくれるといいけど。できたらマースは願い下げ。今眺めたい顔じゃない。
「あら」
「クリスは一緒じゃないのか?」
 残念ながら、出て来たのはマース・アシュレイだった。
「1人よ」
「どうして?」
「芽理に会いに来たの」
「なぜ?」
「話したいの。彼女は留守?」
「君は」
 手招きしてマリアを呼んでおきながら、マースは扉にもたれて腕を組んだ。
「言うことを聞かないタイプ?」
「時と場合によるわね。あなたは過保護なタイプ?」
 この番犬は道を譲ってくれないらしい。くっきりと眉間に皺を寄せて、
「クリスの妻だからと言って、何でも自由にできると思ってもらっては困る」
「クリスの兄だからと言って、弟を脅すのはどうかと思うわ」
「…」
「当たった?」
「…森をどうやって抜けてきた?」
「記憶力はいいの」
 記憶力だけはね、と胸の中で繰り返す。燃え盛る炎の中で縮れて黒くなっていった何枚もの絵。
『あなたの絵には表現というものが見つかりません、マリア』
『精密なのは特技です、けれど芸術ではない』
『カメラが普及しているのに現実そのものを描く絵のどこに意味が?』
「マース?」
 小屋の中から声が響いた。くい、とマースの背中から扉が押される。
「誰が来てるの? まあ、マリア!」
「芽理、もうちょっと寝てないと」
 ますます険しいしかめ面でマースが肩越しに振り返る。
「あのね、風邪なの、誰でも引くの、ちゃんと休めば治るの。どっちかというと、そこに立ち塞がって押し問答をされている方がストレス。入って、マリア」
 芽理がひょっこりと顔を覗かせ、同じぐらいに鬱陶しそうにマースに顔をしかめて言い放った。見る見る困った顔になったマースが、仕方なさそうに場所を譲る。
「ありがとう」
「ごめんなさい、マスクしておくわ」
 こほこほと咳き込みながら、芽理は笑った。
「梨々香か慎からもらったみたいなの。昨夜から熱が出て、朝はもう大丈夫なのに、マースったら過保護で」
 マースが咳払いした。
「コーヒーでも淹れよう」
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