『コニファーガーデン』

segakiyui

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「…クーリス?」
「……」
「ねえ、クリスったら」
「……」
 薄明るい朝の陽射し。隣に横になったクリスは、背中を向けてこちらを向かない。起きているのはわかっているけど。
「ねえ、お願い、いい加減にこっちを向いて?」
「……」
「いーい、このままだと私はあなたにうんと嫌われてがっかりされたって思っちゃうわよ? 泣くかも」
 びくりとしたクリスがのそのそと向きを変え、それでもそっと枕に顔を押し付けてしまった。頬が赤い。しかめた顔は不愉快そうで、いやむしろ泣き出しそうだ。
「ねえ、いいじゃない、一晩に1回きりでも?」
「……」
「凄く素敵だった。今までに経験したことないほどだった。十分満たされて、それで2人とも眠っちゃった。それのどこがいけないの?」
「俺は」
 ぼそりと枕の中からクリスが唸る。
「もっと君を愛したかった」
「…ええ」
「…もっと君を、一晩中、愛したかった」
 ようやく見せてくれた片目がちろりとマリアを伺う。まるでふて腐れた子どものようだ。
「なのに、あれっぽっちで眠るなんて」
「ええ、あの、えーと」
 どう応じていいのかわからなくて、それでも可愛くていとおしくて、込み上げる笑みを隠し切れなくて、マリアは微笑む。
「今までの男は?」
「え?」
「今までの男は君を何度ぐらい愛した?」
「えーと、あの」
 ふと顔を上げたクリスがばさばさの髪の間から瞳を光らせた。
「何度ぐらい、君の虹色の瞳を見た?」
「虹色って何?」
 側に寄ってきてくれた体を抱き締める。ベビードールはいつの間にか剥がれていて、素肌で寄り添っているけれど、不思議なことにあれほどの熱は今は波立たなかった。ただただ温もりが甘くて優しくて、このままずっと漂っていたいほどだ。
 よいしょ、とクリスが腕枕に切り替えてくれたので、頭を載せて力を抜く。重みがかかったのに、満足そうにクリスが目を細めて微笑んだ。
「知らないの? 君の目、色が変わるんだ……その、一番気持ち良くなった時に」
 もう片方の手でくしゃくしゃになっているだろう、マリアの髪を弄ぶ。
「そう…」
 さっきはすっきり目が覚めたのに、また眠くなってきてマリアは小さく欠伸をした。
「今までそんなことを言った人はいないわね…」
「1人も?」
「ひとりも…」
 クリスの指が頬を撫でる。そっと静かに優しく。
 ああ、この撫で方を私は知ってるわ。
 大切なもの、かけがえのないもの、壊したくないもの、守りたいもの。
 そういうものを人はこうやって撫でるものだ、人でも動物でも、たとえ無機物であったとしても。
 その存在がここにあるのだと確かめるように。
 撫でていとしんで、微笑むものだ、その側に居る喜びに。
「じゃあ、俺は…」
 声が近づいて額にキスが落とされる。
「君の唯一の男だ」
 ふう、と優しい溜め息が零れた。
「ただ1人の番の相手」
「つがい…」
 古いことばだ、つがいとは。鍵と錠前、羽根の片方ずつを受け持つ存在。
「マリア…?」
「ん…?」
 うとうとしているマリアの寝息を伺うような間の後、掠れた声が響く。
「昔、うんと、うんと昔、夢を見たことがある」
「…うん…」
 離れてしまった婚約者のことを話そうというのかしら。それとも、失ってしまった恋人のことを思い出したのかしら。
 普段なら不安になりそうな話題だろうけど、不思議ね、この距離とあれだけの望みを向けられた今は不安の欠片も浮かばない。ただじっと、愛しい人が語ろうとする、語ろうとしてくれるその傷みを、全て受け入れて聞いてあげたいと思うだけ。
 満たされているというのは、こういう感覚を言うんだわ。
「そんなことがあるはずはないから、そんなことが起こるはずがないから、ずっと思い出しもしなかった夢なんだけど」
 現実は、まるで奇跡だね。
 低い声が震えた。
「俺は……君と会っている…」
 え?
 驚いた声を封じた。そんなもので遮ってはいけない何かがあると、心が止めた。
 それでも体の緊張は伝わったのだろう、クリスが頬を髪にすり寄せてきた、消えてなくならないかと不安がるように。お返しにそっと抱き締め返す、安心が再び満ちるまで。
「たぶん……650年ほど、前だと思うけど」
 あらまあ。
 私なんて細胞1つも存在していないわね。
「……蒼い空港だった。ガラス張りの、きらきらした空港」
 胸が一瞬鼓動を打ち損ねる。
「あれは…天国の空港だったんだと思うけど」
 頼りなげに消える声。
 不老不死の一族が口にする『天国』なんて、どれほど遠い場所だろう。
 そこに行けば傷みがなくなる。哀しみもなくなる。孤独もなくなる。
 小さなクリスが憧れただろう場所。
「俺は…迷子になった」
『どこへ行けばいいのかわからない』
 幼い声が重なる。
「…そこへ……君が…やってきた」
 たくさんの中から、俺を見つけてくれて、たった1人、歩み寄ってきてくれて、尋ねてくれた、どうしたの、と。
 頭に頬が押し当てられる。
 大事な大事な、これは守りたい、大切なもの。
「居場所が欲しいと言った……生きていける場所が欲しいって。そうしたら君が笑って、言った、あなたはアシュレイでしょう、と」
 ほう、と静かな息が額にかかる。
「俺達は、宇宙から来たと言われている」
 少し黙ってから、
「そこなら、居場所が在るかもしれないと考える仲間がいる」
「じゃあ…考えて…くれなくちゃ」
 夢現で繰り返す、何度も読んだ脚本のように。
「私も…その船に…乗るんだから…」
「…マリア」
 囁く声が切なげに濡れた。
「君は…あの時もそう言ったよ…?」
 しゃくりあげるのを堪えるような痛々しい声。
「これは…夢かい…? それとも…俺はまた…幻を……追うのかな…?」
 あの肖像画の前で、君は奇跡のように存在した。
 俺の隣に現実に生きていた。
 愛するだろうと知っていた。
 愛することしかできないとわかっていた。
 コニファーガーデンを作りながら、その伸びる樹々の先に広がる空をずっと見上げて尋ねていた。
 そこへ還ってもいいかい?
 ここで1人で居るのは辛い。
 夢と生きる時間は苦しい。
 奇跡は俺の指先を擦り抜ける。
 一瞬の幻では嫌だと思う弱さのせいかい?
 兄のように強くあれば、芽理のようにかけがえのない人を得ることができたのかい?
 なのに君は現れた。
 なのに君はコニファーガーデンを愛してくれた。
 この奇跡を、今度こそ失いたくないと願う俺は、弱さからまた君を失ってしまうのかい?
「クリス……」
 声になっているかしら。
「……宇宙へ……帰り……ましょ……」
 蒼い空港に柔らかな音楽が響き渡った。
『長らく、お待たせいたしました』
 女性の声が聞こえてくる。
『ふねの準備が整いました。皆様、ゲートへお越し下さい』
 繰り返します。
『ふねの準備が整いました。皆様、ゲートへお越し下さい』
 マリア!
 小さな手が握りしめて引っ張る。
 見上げてくるきらきら光る瞳。興奮して赤くなる頬。喜びを溢れさせる唇。
 準備ができたって!
 行こう、マリア!
 ええ。
 歩き出す。
 マリアもまた、胸躍らせながら。
 行きましょう。
 かつっと、足元でヒールが高らかに鳴る。
 引きずるウェディングドレスを片手に掬い上げ、走り出す。
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