『指令T.A.K.I.』〜『猫たちの時間』12〜

segakiyui

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2.報告書 I(2)

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 3日後。
「ほら!」
「わ…志郎兄さん、どこへ飛ばしてるんだよ!」
「だから言ったろ! 俺は下手だって!」
「もっとましかと思ってた!」
「セイヤ!」
 あははは、と明るい笑い声を上げながら、セイヤはめちゃくちゃな方向へ飛んだ球を取りに走っていく。昼近い陽射しの中、子犬のように球と遊ぶセイヤの姿は、本当に楽しげで邪気がなく、数日前、雨の中で倒れていた人間とは別人に見えた。
(俺も、キャッチボールなんて、久しぶりだな)
 周一郎は陽射しの中に出られない体質だし、大学の仲間はキャッチボールなんて素朴な遊びをするには歳を取り過ぎていると言わんばかり、もちろん、お由宇や高野が相手をするわけがない。
 それでも、キャッチボールという遊びには独特の郷愁じみたものがあって、父母の記憶がない俺にさえ、なぜか遠い昔、父親の速い球を受けた覚えがあるような気にさせる。
「志郎兄さん!」
 セイヤが投げた球は、小気味いいほど俺の胸元めがけて飛んできた。
 志郎兄さんと言う呼び名は、セイヤが考え出した。滝さんじゃ何かよそよそしいし、せっかく助けてもらった人への親しみもない。セイヤも両親の顔は知らないが、この屋敷にいる間だけは兄ができたみたいで嬉しいから、そう呼ばせて欲しいと言われたのだ。俺にしても、家族のいない心細さをまんざら知らないわけじゃないし、セイヤの言うことに反対する理由もなかったので、いつの間にか、セイヤからは『志郎兄さん』と呼ばれることに慣れていた。
「わたっ!」
 セイヤの投げた球は直球、だが俺の運動神経は肝心な時に主人を裏切ると言う甚だ良くない性格をしている。今がまさにそうで、俺の手は見事に球を受け損ね、球は弾かれて転々と転がって行った。何せ、朝倉邸の庭でやっているのだから、一度弾かれるとどこへ行くか知れたものじゃない。
「ひえええ…」
 慌てて追っていく俺の後ろで、セイヤが大笑いをしている。
「頑張ってね! 志郎兄さん!」
「ああ! …っても…んなろ……どこに…」
 転がっていったと思しき辺りを俯きながらうろついていると、
「ここです、滝さん」
 ふいに声がして、ぎょっとして地面から顔を上げた。
 若芽萌える木の下、緑の光に染まり、腰を下ろして幹にもたれ、どうやらずっと本を読んでいたらしい周一郎の姿があった。その手が白い球を軽く差し上げている。目元のサングラスと異様なほどに不似合いだ。
「…珍しいな」
「僕が外に出ていることが?」
 ひゅっ、と周一郎の手が僅かに風を切った。手首のスナップを効かせた絶妙のコントロール、俺の掌を狙ったかのようにパシリと受け止めさせてくれる。
「僕だって、たまには出ますよ」
 なぜか、周一郎は微妙に不機嫌だった。
「いつから居た?」
「さっきから」
「大丈夫か?」
「大丈夫です」
 返答も、味もそっけもない。
「仕事がうまくいってないのか?」
「いいえ」
「高野と揉めたとか」
「まさか」
「…そう、だよな」
 話を続けられなくなって、球を手の上で右から左、左から右へと移し替える。周一郎の読んでいる本に目をやり、無理に明るく話しかけて見た。
「えーと…その本、面白いか?」
「はい」
「何読んでるんだ? 俺も今度読もうかな」
「無理だと思いますけど。ジェームズ・ワッシャーの『近未来経済学におけるパラエントリー評論とその課題及び二、三の考察について』ですから」
 読むのさえ長ったらしい舌を噛みそうな表題を、確か目もせず、周一郎はすらすらと口にした。
「志郎兄さん!」
「行かなくていいんですか『志郎兄さん』?」
 セイヤの呼び声に、からかうように周一郎が重ね、俺の神経を完全に逆撫でした。
「わかった、行くよ。邪魔して悪かったな」
「いいえ」
 淡々と答える周一郎に背を向ける。せっかくの楽しい気分も見事にぶっ壊れた。
(ったく、俺が何をしたって言うんだ?)
「放って! 投げてよ!」
「おう! 行くぞ、セイヤ!」
「うん!」
 両手を振って跳ねるセイヤに、思いっきり球を投げる。それは当然、思いっきり方向を外れた。
「わああっ」
「すまんっ!!」
「ん! これじゃ、キャッチボールと言うより遠投記録だよ!」
 文句を言いながらも、セイヤは気分を害した様子もなく、再び走って木立の向こうへ転がっていった球を追いかけて行く。見送りながら、俺は額に滲んだ汗を拭いた。別に、セイヤのようになれとは言わんが、もう少し素直になってもいいだろうに、本当にあいつときたら、と胸の内でぼやきかけ、手の甲を濡らした汗に気づく。今日はかなり陽射しも強い。いくら木陰でサングラスをかけていても、若葉の多い木は大した影を落としてくれないだろう。本当に『あのバカ』は大丈夫なんだろうな、と振り返り、次の瞬間走り出す。
 周一郎がぐったりと幹に倒れこむようにもたれかかり、その手から本が滑り落ちているのが目に入ったのだ。
「志郎兄さん?!」
 驚いたようなセイヤの声に、振り返らないまま叫ぶ。
「セイヤ! 高野にベッドを用意させてくれ! 1階の俺の部屋でいいから!」
「あ、はい!」
 走り去って行く足音を耳に、急いで周一郎にしゃがみ込む。青ざめた頬、ずれかけたサングラスの下、眉が苦しそうに寄せられている。
「おい! 周一郎!」
 抱き起こして声をかけると、ぴくりと指先が震えた。
「めま……だけ………騒が…い……で……く……」
 最後の方は掠れてよく聞こえない。噛み締めた唇は白く、額に冷や汗が浮いている。浅い呼吸が引き付けるように止まり、ぐう、と喉を鳴らして周一郎は体を硬直させた。
「苦しいのか? むかむかするのか?」
「…」
 微かに首を縦に振る。
「ったく! だから言ったろーが! 本なんてのは、家の中で読むもんだ!!」
「ちが…」
「違う? 何が違うんだ、えい、このくそっ! しっかり乗ってろよ!」
 この間から人を背負ってばかりだ。俺は救急隊員かっつーんだ。
 ぐったりして冷たい周一郎を背負い、ジェームズなんとかの本を蹴飛ばし、俺は急ぎ足に邸内に戻った。

「これを……滝様と坊っちゃまのお食事です」
「あ、うん、ありがとう」
 俺はみっしりと載せられた2人分の夕食の盆をなんとか受け取った。食堂を出ようとすると、高野が物思わしげに引き止め、遠慮がちに口を開いた。
「あまり…坊っちゃまをお叱りにならないで下さい」
「俺が?」
「それでなくとも、ここ数日、あまりお休みになっていなかったのですし」
「寝てない? また仕事か?」
「いえ…多少関わりはございますが」
 高野は言うか言うまいか悩んでいた様子だったが、意を決したように顔を上げた。
「実は数日前、朝倉家に、あなたが狙われていると言う情報が入りました。ちょうど、あの、滝様がコーヒーを浴びられ辞書で殴られ…」
「その先は知ってるからいい」
 俺は慌てて遮った。この高野と言う奴は、坊っちゃま可愛さのため、時々第三者に対する配慮や思いやりをなくす癖がある。俺の制止に我に返ったように、こほん、と咳払いをして、高野は先を続けた。
「…の日だったと思いますが」
「ふうん」
 ほうら出た。
 思わず胸の中で舌打ちする。そういやあの日、食堂に入った時、どうも雰囲気がおかしいと思ったっけ。
「あれから坊っちゃまはずっとご心配なさっておいでで……何とかもっと確実な情報をと手配りを続けておられました。未だ十分な情報(もの)が掴めておりませんが…」
「…ったく。『当事者』に一言も知らせないで!」
「ご卒業のレポートがお有りでしょう? 今年こそと仰られてましたし。他のことで煩わせたくないと坊っちゃまもお考えで………申し訳ありません」
「いや…まあその、高野が謝ってくれても、だな。……バカなのはあいつなんだから」
 本当になんて奴だ。いくら俺が素人だからと言って、守ってくれるのは確かに嬉しいが……そりゃ、レポートのこともあったし、知らない方が良かっただろうが……にしても、なんつー阿呆だ!!
「それに」
「それに? まだあるのか?」
「セイヤ様です。坊っちゃまが他人を側に置いて休まれるご気性でないことはご存知のはずですが」
「あ…」
 高野の恨めしげな声にひやりとした。そうか、そいつをすっかり忘れていた。いくらセイヤが子どもだからと言って、周一郎にしてみりゃ気を許せない相手には違いない。
「悪かった。気をつけるようにするよ」
「よろしくお願いいたします」
 深々と頭を下げる高野を背中に廊下を進み、自室の部屋の扉を足で開けた。物音にベッドに横になっていた周一郎が、びくりと体を起こす。
「ああ、寝てろ」
「…はい」
 のろのろと体を倒す周一郎の前で、再び足で扉を閉め、テーブルに盆を置く。
「食べるか?」
「…」
 周一郎は無言で首を横に振った。
「じゃ、もう少し後にするか」
「滝さんは…食べて下さい」
「後で一緒に食うよ。レポートまとめをしなきゃならん」
 あえて俺が狙われていると聞いたことには触れなかった。言えば、周一郎が眠るわけがないのはわかっている。
「滝さん…」
 しばらくして、バサバサとレポート用紙をめくる俺に、周一郎が話しかけてきた。
「んー?」
「…どうして……出て行こうと思ったんですか」
 素直な声音だった。枕に左頬を埋め、俺のベッドで横になっている周一郎は、お気に入りの場所で体を長くして眠っている猫よろしく、ひどく寛いで見えた。
「ま…いろいろ……な。元気になったら話すよ」
「……僕が…」
「え?」
「いえ…」
 周一郎は煙るような色を浮かべて俺を見つめた。と、唐突にくすっと笑って目を閉じた。
「? 何だ?」
 珍しい。
「……僕は……まだ…子どもなんだな、と思って。……それとも…」
 ふわぁ、と眠そうに欠伸をする。手足を引き寄せ、枕にくったりと頭を預け、半分眠りかけの、ぼんやりした淡い声で呟く。
「…それとも…ただ……あなたの……」
 少し待ったが続かない。
「俺の、何だって?」
 顔を上げる。
 周一郎は既に寝息を立て始めている。それでも、ようよう、唇が動いて、最後の台詞を紡いだ。
「せ…い…なの……か…な…」
「俺のせい?」
 俺のせい? 何が? どういうことが俺のせいだって? 周一郎が子どもだということが? だとしても、俺に何の関わりがある?
「あのな、周一郎」
 混乱してくる頭を持て余し、とっくに熟睡して柔らかな吐息を重ねている相手にぼやく。
「いい加減、その謎かけの癖、やめてくれる気はないか?」
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