『朱の狩人』

segakiyui

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3.『印怒羅』(2)

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 クン……クォォォ……ン……。
 暗闇の中で6台のバイクが疾走している。いずれも軽いエンジン音、せいぜい400までの集団だが、よく見ればその塊が一団となって走っているのではないことがわかる。
 RDが、前方2台、左右に各1台、後方1台に囲まれて牽制されているのだ。
「く……」
 カーブを曲がって体勢を立て直す寸前、頭を前の2台に押さえられ、仁は歯を食いしばった。流されそうな車体を体重移動で無理矢理引き戻す。そうしている間に左右2台、後方の1台が追い迫り、6台は再びだんご状態で夜闇を突進していく。
(だめだ……抜けない……)
 仁は心の中で呻いた。何とか隙が見つからないかと、隣のバイクを盗み見る。ホンダNSR250、タンクに筆太のステッカーが銀の光を放ち、『印怒羅』、そう読める。
 最後の一走りと『デッド・ウィング』を流したのが間違いだった。いきなり背後から現れた3台のバイクがパッシング、相手になるのを避けて道を開けようとした矢先、左右と背後につかれた。再度のパッシング・ライト、待ち伏せされたと気づくと同時に前方を別の2台に押さえられた。
 NSR、CBの一群、無言で詰め寄ってくるのに殺気はなかった。ただ仁を逃がすまいとする走りで、挑発もしなければ隙も見せない。
(いったい、何者なんだろう……どうしたらいいんだろう……どうする気なんだろう)
 胸に不安が広がる。周囲を囲む5台のバイクはある種の統制を感じさせる。何か意図があって仁をどこかへ連れ去ろうと誘導している。
 確かにテレポーテーションを使えば逃げられないこともないだろう。しかし、この状態で突然仁がバイクを捨てて移動してしまえば、乗り手を失ったバイクは大惨事を引き起こす。かといって、バイクごと移動してしまえば、きっと別種の騒ぎになる……今一番引きつけたくない目を、仁自身に引きつけてしまう。
(何だ?)
 引きつけたくない目、と考えた瞬間、仁はびくりと体を強ばらせた。
 視線。
 食い入るような、けれども人間のものとは思えないほど冷ややかさをたたえた視線が、まるで獲物を見つめるような情熱を込めて仁に絡みついてくる。
(誰だ? 誰が僕を見ている?)
 仁は素早く周囲のバイクに意識を広げた。それぞれのヘルメットの中を透視しながら思考を探る。
(『印怒羅』……暴走グループ……この辺りの制圧に乗り出す……噂のRDを狩る……)
 なるほど、仁は夜の獣達に標的にされたらしい。酷薄な容赦のない表情と思考ではあったが、今仁が感じているほどの異質なものは見当たらない。
(そうだ、異質だ…人間離れした……)
 ふいにその思いが仁の心臓を締めつけた。5台のバイクに囲まれ、街中を疾走しているはずなのに、いきなりたった1人で未開の惑星に放り出されたような孤独感に襲われる。
(僕の中に…あるものと同じ…?)
 宮岸病院に出現した時にさとるを怯えさせたのは、まさにそのせいではなかったのか。マイヤにテレパシーの連絡を不可能にさせたのも、そのせいではなかったのか。
 しかもそれは既に仁の一部でもある、多くのライダーと走りながらも埋められない弧絶感と同じように。
(!!)
 クォンッ!!
「!」「!!」
 仁は急にスピードを上げた。ぎょっとした前方の2台が慌てて速度を上げる。両側の2台が隙を作るまいとするようにへばりつく。声のない怒号を上げて後ろの1台が追い縋る。何とか仁を囲み直すと、無謀なやつだ、そう言いたげな苦笑した気配が『印怒羅』の間に漂った。
 たまたま前を押さえていた2人がそれなりの腕だったからこそ、とっさに巻き込まれずにすんだのだ。並の腕ならたちまち接触して、お前もろとも火だるまになっているぞ、と言いたげな。
 だが、仁には『印怒羅』達の殺伐とした思考も生易しく感じられた。
 常人には見えなかっただろうが、仁が加速した次の一瞬、バイクの後輪ぎりぎりを掠めて、ピシッと鋭い音をたて、道路を青白い鞭のようなものが走ったのだ。
 それだけではない。
 その鞭が襲ってくる一瞬前に仁の心に押し寄せたのは明確な殺意、それも他の誰でもない、仁を狙った、痛いほどの殺意だった。
(来た!)
 突き刺さるような痛みが仁の体を貫いていく。殺意の強さは感覚を越えて体そのものを食い破りそうだ。視界の端に蒼の閃光が翻ってしなり、跳ね上がるのが見える。
「こいつ!」
 カーブを曲がりながら仁のバイクは不自然な横滑りをし、囲んでいた『印怒羅』の面々が呻いた。各々必死になって体勢を立て直す。
 その間も、仁のRDは微妙な横揺れをしていた。いや、バイクが、というより、バイクの上で、バイクと一体になりながら、それでも人ではない別の生き物のように仁の体がうねっているといった方がいいのかもしれない。避けた肩先、引いた額の少し前、背けたヘルメットの耳もと、わずかに上げた腕の少し下などを青白い閃光が次々と走る。
 周囲を取り囲む『印怒羅』は気づかない、仁が彼らに追われている上に重ねて得体の知れない『敵』の間断ない攻撃を受けているのを。仁の体を捉え損ない空間を裂いた閃光が、アスファルトに、ガードレールに蒼緑色の炎を走らせていくのを。
(逃げ、きれるか?!)
 仁の頭からは既に『印怒羅』の存在が消えつつあった。
 テレパシーの触手を精一杯張り巡らせて、次の攻撃の方向と範囲を読む、読むや否や攻撃が来る、間一髪でかわす、かわした瞬間、殺意が心臓の真後ろを貫き通り抜けていく。
「く……う……う……」
 ことばにならない呻き声が漏れる。痛みに意識が持ち去られそうになる。
 クォ……ォ……ォ……オ……ォオン……。
 バイクの咆哮が喉も裂けよとばかりに叫ぶ獣の声のように響き渡る。仁の心のどこかが、ぎりぎりの攻防に刺激されて次第に覚醒し開いてくる。
(嫌だ……・)
 金色の眼の獣、当たり前の日常の生活なら身動きさえしなかったはずの猛々しい獣が、ゆっくりと首を上げ腕を支え体を起こす。
(いや……だ……)
 逃げる。逃げる。仁は逃げ続ける。
 彼を追い詰める未来から。彼を狩る運命から。
「ぎゃっ!!」
 唐突に仁の右側のバイクが吹っ飛んだ。絶叫を残して空に舞い、ガードレールに突っ込んで火の玉と化す。
「畜生っ!!」
「てめえっ!」
 前方の1台が後退し、仁の右を詰め直す。とほぼ同時に、前触れもなく背後の1台が一瞬出遅れ、かっと炎に包まれた。置き去られた闇の中、どうん、と火柱を吹き上げる。熱気に押された残り3台のバイクに動揺が走る。
「ひっ!!」
 左のバイクがいきなり前輪を上げた。後ろへ風に飛ばされるように浮いたかと思うと、のけぞって一回転し後ろの道路に叩きつけられる。
「このっっ!!」
 前を押さえていたバイクが、それでもなお仁の左を押さえに降りた。と、その前輪に、今度ははっきりと蒼い炎が走っていくのが見えた。タイヤが白い亀裂を走らせバーストする。
「ぎゃうっ!!」
 爆発に危うく巻き込まれかけた仁ともう1台のバイクは、かろうじてその場を脱出、カーブを曲がった。背後の道路を赤々と事故の炎が照らしている。
  走り続ける仁の眼は凍てついている。生き延びることと力を制御することで手一杯で、とてもじゃないが『印怒羅』の連中を守ってやれない。しかも、残った最後のライダーは、一連の仲間の事故を仁のせいだと考えているのだろう、煮えたぎるような怒りを漲らせて仁に詰め寄り切り込んでくる。
(よせ……・) 
 仁は攻撃をかわしながら相手に向かって必死に懇願した。燃える熱い体を冷やすように、じっとりと冷たい汗が額から、頬から、背中から流れ落ちていく。
(よしてくれ……)
 仁の心の中の獣が眼を覚まそうとする。いつかの夜、『夏越』と対峙したとき、全てを破壊し呑み込もうとした獣が、より充実したその力を抱えたまま、ゆっくりとあくびをし、伸びをして瞬きする。
(頼む……から……!!)
「ぎゃああっ!!」
 追い迫るように走ってきた蒼の閃光が、右隣のライダーの体をあっさりと縦割りにするのが見えた。絶叫はすぐに虚空に消える。ほんのわずかに仁の体を掠り損ねた一条だった。ぼうん、ぼうん、と転げ落とされた乗り手、操縦者を失ったバイクが別の力で動かされて仁の方へ突っ込んでくる。そのバイクのタンクに、ちちち……と光が走る。
 仁が気づくのと、心の中の獣が金の瞳を見開くのとが同時だった。ぐわっ……と仁の前にオレンジの炎が吹き出す。炎に翻る金色に、獣の冷えた瞳の金が重なって光る。
「ふ」
 僅かな気合いが仁の唇を突いた。RDが前輪を跳ね上げてくるくると宙に舞う。仁の足下で獲物を捉え損なったバイクが、通りに紅蓮の軌跡を描きながら突っ込んでいき、耳をつんざく音と一緒に壁にぶつかり炎上する。
 それらを遥か下に眺め、夜の虚空にRDに跨がったまま浮く仁の視界に、同じ上空に浮いていた淡い真珠色の球が映った。月のような、それにして遥かに大きい球体は、不自然な確かさで空中に浮いている。
 中に一人の少女がいるのが透けて見えた、燃えるような瞳をした黒髪の、白い着物を華奢な体に巻き付けた、仁よりわずかに年下の……朱い唇がにんまりと笑い……あなたなのね、と動いた。
(君が……)
 仁は心で尋ね返した。
(君が、そう、なのか? もう1人の僕、なのか?)
 ことばは闇に呑まれた。
 仁はバイクもろとも落ちていきながら、気を失っていた。

「だからさ、『印怒羅』が例のRDを始末しとこうとしたらしい。まあ、うまく傘下に入れられれば、ぐらいのつもりだったのかもしれねえけど? どのみち、話は決裂、RDは見事に『印怒羅』の中級幹部5人の包囲を抜け出したばかりか、そいつらを屠って逃げ延びた。『印怒羅』はカンカンだぜ。まあ幽霊を仲間にはできねえだろうけどな」
「なるほど」
「じゃな、また走ろうぜ、内田」
「ああ」
 顔見知りのライダーに頷いて、内田はヘルメットを被った。
 仁の足取りを追って『デッド・ウィング』に来たものの、道路は事故で通行止め、あちらこちらを警官だの消防士だのが走り回り、救急車もパトカーも消防車もあるだけここへぶちこんだと言いたげなありさまで、とても近くによれたものじゃない。噂は凄絶で、走っていた5台のバイクが次々火を吹いて突っ込んだと言う。
(仁だ、仁に違いない)
 内田は勘に従って情報を集めた。幸い情報通のなじみが反応してくれ、事の次第は警察よりよくわかった。
 ばらばらな情報を繋ぎ合わせていくと、こうだった。
 最初はRDが5台のバイクに囲まれていた。囲んでいたのは『印怒羅』という構成員100名ほどのグループで、近々この辺りに進出する腹づもりで前哨戦代わりにRDを狩ったらしい。
 始めはRDは逃げ回っていた。そのうちに奇妙な動きを見せ始めた。いきなりの加速、けれどもそれできっかけを作って振り切る、というのでもなかった。カーブでの再三に渡る横滑りもミスにしては体勢の建て直しが見事過ぎた。それだけではない、RDのライダーは始終バイクの上で体をくねらせているようにも見えたと言う。まるで、何かが飛んできていて、それを必死に避けているように。
 やがて、ことはいきなり始まった。RDの右のバイクが弾け飛んで火を吐いた。前方の1台が右へ下がると後方を押さえていたバイクがぶっ飛んだ。左のバイクが前輪を浮かせて跳ね飛べば、残りの前方1台がタイヤをバーストさせて火柱になり、最後の1台は乗り手がいきなり飛ばされてRDにバイクだけが突っ込んだ。さすがのRDも『おしまい』かと思ったら、RDは次の瞬間空に舞い上がった。まるで何かの力に放り上げられたみたいにくるくると舞い、その下で炎上しているバイクの上に落ちてくる……が、そこで、RDは正真正銘幽霊になってしまった。
 つまり空中で『消えた』のだ。
 現場に残されたのは大破している『印怒羅』のバイク5台と死体が5つ。駆けつけた警察も、目撃証言や現場検証から6台目の存在を気にはしているが、何も跡形さえ見つからないので、今のところはバイク5台の接触事故として処理しているらしい。
(攻撃を……受けたのか)
 内田は炎渦巻く道路を駆け抜ける仁の姿を思った。
(次々と回りでやられて…自分1人生き延びて……)
 たぶん仁のことだから、『印怒羅』も守りたかったはずだ。だが、それだけの状況で攻撃をかわし、しかも自分の力を制御しながら、どうやってそんなことができるだろう。
(俺も、いなかった)
 いまいましくて舌打ちしてしまう。
 人前でテレポートするほど追い詰められた状態、では仁は一体どこに行ったのか。
 とりあえず、マンションに戻った内田は、1階の車庫に、よく知ってはいるがあるはずのないものを見つけ、慌ててバイクから降り駆け寄った。
 RD250。
 油と埃に塗れ、きな臭いのは修羅場を駆け抜けてきた証、エンジンタンクにはまだわずかに温もりが残っている。
 ばん、ときつくそのバイクを叩いて、内田は身を翻した。エレベーターを待つのももどかしく、階段を駆け上がり、部屋の鍵を開けて家に飛び込む。
「仁!」
 答えはない。
「仁?」
 内田は靴を脱ぎ捨て、居間を見回し、寝室へ入った。デジタル時計が真っ暗な中に光っている。居た。
「仁……」
 淡い碧の光にぼんやり照らされて、仁が壁際にもたれ蹲るような姿勢のまま、深い眠りに落ちていた。
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