『朱の狩人』

segakiyui

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6.Deep River(1)

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 内田が飛び出していった後、診療室から緊張が抜けた。
「ダリュー」
 城崎の深い声に膝を抱えて顔を伏せていたダリューはよろよろと立ち上がった。
「どうしたんだ、いったい」
 机の上のカルテをまとめながら城崎が呟くように問いかけてくる。
「あんなことを言う奴だとは思ってなかったぞ」
「……僕は…」
 ダリューは口を開いた。掠れた不安定な声が部屋に散っていく。
「……仁を傷つける…つもりなんて……」
(嘘だ) 
 ダリューの胸の中で低い声が反論する。
「ただ……あんなことになっても…仁を信じている……マイヤが可哀想で……」
(そんなことは嘘だ)
「お前はもう仁を信じていないのか?」
 城崎の声に弾かれたように顔を振り向けてしまうと、いつの間にかこちらを凝視している静かな目にぶつかった。
「信じて…?」
 繰り返すと改めてダリューの心は揺れ動いた。
(僕は仁を……信じていたのか?)
「僕は…僕は…」
(いや、たぶん、違う)
 ダリューが信じていたのは、最初からそして最後まで、マイヤだけ、マイヤただ1人だけ。
「信じる、とか言うんじゃなさそうだな」
 城崎が苦笑いした。
「なのに、なぜ仁に裏切られたって怒ってるんだ?」
「怒って……?」
 城崎が指摘する気持ちのどれもが、まるで全く知らない他人のことを話しているようで、ダリューは不安になった。
「お前がマイヤ以外のことで、そこまで熱くなってるのは初めて見たぜ。他人は何もしてくれない、が持論だったはずだろ」
 『夏越』の下で関わっていたから、城崎との付き合いは内田や仁よりはるかに古い。それだけに、ダリューがダリューらしくないと言われたことが内田に殴られたことより衝撃的だった。
「だって……仁は……仁は……」
 もやもやとした熱いものが胸の裡を巡ってダリューは口ごもった。
「仁は?」
 城崎が深い溜息をつきながら促し、どさりと椅子に腰を落とした。そのまま煙草に火をつけ、頭の後ろで腕を組み、椅子の背にもたれて伸び上がりながら天井を向く。
「罪なやつ、だよなあ……」
 ためらうように低い声で城崎は呟いた。
「これだけ人の気持ちを掻き回しときながら、自分なんていつでも捨てちまえる……俺達の知らない、どっかの誰かのために。……自分がどれだけ『特別』かなんて、きっと思ってやしねえぞ」
 ダリューは城崎が何を言いたいのかわからなくて瞬きした。
「それとも、俺達があいつに期待しすぎなのか? まだ16のガキに頼りすぎてるのか?」
「俺…達?」
 くす、と城崎はどこか自分を哀れむような笑みをこぼした。
「なあ、ダリュー、さっきのヒステリーな、俺にはこう聞こえたぜ、仁はどうして僕んとこへ1番に来てくれなかったんだよ、って」
「!」
 一瞬体中が強ばって、見る見る顔まで熱くなってくるのがわかった。震え出した体を知られまいと身を翻してドアノブを掴み、診療室を出て行きながら、
「あんたの頭は腐ってる」
 言い捨てる。無言の城崎が次のことばを言い出さないうちに、急いでドアを閉め、廊下に出た。
 さっきの大騒ぎはもう終わったことになっているのだろう。静まり返った廊下にダリューが買ってきた飲み物を入れた売店のビニール袋がちんまりと置かれたままになっている。
 袋の中身を確かめ、手に下げてのろのろとマイヤの待つ奥の病室に向かいながら、ダリューの頭には内田のことばと城崎のことばがぐるぐると吐き気のしそうな渦を作っている。渦の中心に、ダリューの罵倒をじっとうなだれて聞いていた仁の小さな体が今さらのように浮かんでくる。
(16のガキに)
 細くて脆そうな手首だった。
『ひょっとしたら、 仁は自分の体を食い潰しながら、能力を使ってるのかもしれねえな』
 城崎がいつか唸っていた。
 巨大な能力を支える膨大な精神活動、それをコントロールしながら生き延びることには、想像以上のエネルギーを使うはず、それを人間1人の体で、加えて成長期にある不安定な身体で、どの程度まで補えるものなのか、と。
『だから、内田という「安全弁」がいるのかもしれねえ。種が進化するときに試してみる新システムってやつかもしれねえ……いや、共生体と考えればわかりやすいか。まあ、そうなると、内田がいったい何を仁に頼ってるのかってあたりが問題になるけどな』
 城崎はその後妙な顔で微笑んで「内田が仁に頼ってるって図はちょっと笑えねえか?」などとも言っていたが。
(でも…僕は……わからなくもない……)
 ダリューは機械的に足を運びながら、ぼんやりと髪をかきあげた。
 『夏越』とぶつかったあの時、病院の待ち合い室にさとるを連れて現れた仁。
 内田を助けるために乗り込んできたはず、『夏越』を屠るために来たはずの巨大な力を持つ少年は、緊張感でぴりぴりしてはいたものの、立ち塞がったダリューに殺意を向けてこなかった。力の限り、そしてマイヤを助けるために死ぬ気で立ち向かっていたダリューの気持ちを読み取ったばかりか、ダリューの無茶な攻撃がダリュー自身を傷つけそうになったときに、体を張って庇ってくれた。
 今でもダリューの脳裏には、あのとき床に点々と落ちていた紅の仁の血が鮮やかに蘇る。
(かなわない、そう思った)
 かなわない、能力の面でも、何かそれ以外の部分でも。
 殺されると思っていた。命を狙ったのだから、そしてまた、それは確かに本気だったのだから。仁が自分を助けてくれるなんてことは考えていなかった。
 自分は仁に比べて圧倒的に劣っていて、しかも弱い。屠られるのは仕方ない。ただ1つの慰めは、ダリューが仁との戦いを引き受けたことで、マイヤの命を助けられたことだ。そう思い定めていた……現実には、ダリューに約束を与えた真竹という男は、マイヤの命を助ける気などさらさらなかったと、後で思い知らされたのだが。
(それでも、僕はそれに縋るしかなかった)
 弱いから。他に何もできない、何の力もないから。
 自分に比べて仁はいつも強者で、それゆえダリューやマイヤを、力及ばぬ弱い者を助けてくれる、いや、助けてくれなくてはならないはずだった。
(でも……僕にもわかっている、いや、わかっていたんだ)
 仁がどれほどの負担を抱えながら日々を暮しているのかも、それが綱渡りのような生き方であることも。
 内田の支えがなければ、すぐに暴走し崩壊してしまう巨大な兵器のような能力であることも。
 仁は『万能』ではないことも。
 けれど、次々と回りで超能力者が襲われて、しかもその狙いがじわじわと身近に迫ってきて、ついにはマイヤまで襲われたとき、まっさきにダリューの心を占めたもの……それは恐怖だった。
(次は僕かもしれない…って)
 仁とマイヤのつながりはひどく深いような気がした。そのマイヤの命の危機にも、仁は反応してくれなかった。そう感じたとたん、ダリューの胸の底に深くて暗い穴が口を開けたのだ。
(僕は仁を襲っている……マイヤさえ助けてくれない仁が…僕を助けてくれるわけがない…って)
 マイヤが襲われたとき、実はダリューはすぐ側にいた。
 何だかずっと苛々しているマイヤと口喧嘩して、もちろんそれは『狩人』への不安から来るものだったけど、1つには急にコンタクトしにくくなった仁との接触に神経を尖らせているのがだんだん見ていられなくなって、あのとき少し離れた自販機でコーヒーを買っていた。
 マイヤがせっかく買ったコーヒーが飲めないなんておかしなことを言い出してーそれは今では妊娠初期の気分不快だとはわかったのだけどーなお苛々してジュースを買い直していた時、マイヤが悲鳴を上げて倒れた。
 「ダリュー、あいつよ!」
 叫ばれたとたん、体の内側が竦んだ。『夏越』の記憶が心の底深くに埋め込まれていて、突然芽を吹いたような気がした。真っ黒な刺のある血まみれの蔓に肉そのものを食い破られるような衝撃、とっさに呼んだ名前は「仁!」、それこそ溺れかけたあの濁流で父母の名前を呼んだように。
 そして、その祈りは、今度も実りはしなかった。
 抱き起こしたマイヤが、裂かれた肩より必死に庇った腹部に、ダリューを見上げたその顔に、そして足下に流れる鮮血に、悪夢が全て集約されたような気がした。
「ダリュー、赤ちゃんが……だめかも……しれない……っ!」
 朦朧としたマイヤが『狩人』とのやりとりを夢現に口にするに従って、ダリューの心は凍って冷えた。
 どうして、どうして。
 どうして、来てくれなかったんだ、仁。
(もし、また今度『狩人』が襲ってきたなら、そのとき僕はどうしたらいいんだ……)
「っ!!」
(ああ……そうか)
「おかえり…ダリュー?」
 マイヤの病室にノックもせずに入っていき、いきなり戸口で立ち止まってしまったダリューにマイヤは不審そうな顔を向けた。
 青ざめてやつれたマイヤの白い顔、誰よりも愛しい大切な人、その相手をダリューは守り切れなかった。しかも、そのとき考えたのは、自分の命は誰が守ってくれるのかということだったのだ。
(傷ついたマイヤが側にいるのに……僕が、彼女の側にいたのに。僕は自分の命のことばかり考えてた)
 幼い日のあの濁流の中、ダリューは本当に何もできなかったのだろうか。母親が自分を助けてくれようとしているのに気づいていたのに、自分だけが助かりたくて、自分の命の方が大事で、知らぬふりをしたのだろうか。
 ずっとずっとそうやって、ダリューは自分1人が悲劇の主人公であるようにふるまい、その役割に慣れ親しんでしまっていたから、あの夜マイヤを助けられず、間に合わなかった仁を憎んでいたのだろうか。
 あまりにひどい考えだったので、ダリューは見ないふりをした、考えないようにした、全ての原因を、仁に向けた。
(仁さえ間に合えばよかったんだ、と)
「どうしたの? 何かあったの?」
 マイヤが問いかけてくる、髪が日の光に銀に輝く、眩く、ダリューの心の隅々までを照らすように。
 煌めく光にふいに、喫茶室の明るい日射しの中で、暗く深く虚ろになった仁の瞳が重なった。ごめん、ごめんなさい、と繰り返した仁の、声なき声の奥に押し込められ潰された気持ちを感じ取った。
(君が…謝るものじゃ……なかったのに)
 わかっていたのか?
 ああ、わかっていただろう。
(だって……仁、だものな……僕達を遥かに越える力を持っているものな)
 きっと『夏越』のときのように、ダリューの心の奥底まで、あの一瞬に理解したに違いない。それこそ、ダリューが今ようやくわかった、自分の闇の気持ちまで。
(だから……逃げなかった? ……黙って聞いていてくれた……?)
 その仁をダリューはひたすらののしった。見下し、見損ない、見捨ててしまった、 いつかの夜、仁は自分が傷つくことさえ構わずにダリューを庇ってくれたのに。
 同じように、ダリューは知らずに仁の背中に庇われていたのだ。そして、ダリューがしたことは、その仁の背中、1番無防備な部分に鋭い刃物を突き立てたようなもので。
「マイヤ……」
 ダリューは振り落ちてきた理解に顔を覆った。零れ落ちた涙が唇の傷にしみて痛む。
「マイヤ……どうしよう……僕は…とんでもないことをしてしまった……」
 仁が消えた、と内田は言った。もう帰って来ないつもりだと。
(僕の…せいだ……今度こそ…僕のせいなんだ)
「ダリュー…どうしたの?……ここへ来てよ」
 呼ばれるままに、マイヤの枕元で膝をついた。無邪気に自分を見上げている瞳に耐え切れなくなって、頭を彼女の近くに乗せて泣き崩れる。
「僕は…仁を…追い詰めてしまって…」
「え?」
「どうしよう、マイヤ…どうしたらいいんだ、僕は」
「どうしたの、話してよ、ダリュー」
(話すときっと……マイヤは僕を軽蔑するだろう)
 それでも、ダリューは途切れそうになる声を励ましながら、事の顛末をすっかり話した。
 素晴らしい能力でマイヤの信頼を勝ち得ている仁がうらやましかった。その能力の庇護下にあると信じていたのに、仁が必ずしも助けてくれないかもしれないとわかった。それでもマイヤは仁を信じていて、しかもその信頼は絶対だった。
 自分は仁を信じ切れない。自分1人が取り残されて不安な場所に置かれている。自分の能力は、この社会の中では何の役にも立たないばかりか、『狩人』に対しても無力でしかなくて……一体どうやって生きていけばいいのだろう。
「僕は…仁がうらやましかった……君は絶対的に彼を信じている……でも…僕は…僕の力は……何もできない…それがくやしいのは僕なのに……僕は仁のせいにして……」
(当たり前じゃないか)
 これほど1人が怖くて、命を失うことに怯んで、他の誰かを、それこそ愛しい人さえ犠牲にするような魂に、あれほどの力が与えられるわけがない。
 あの力は仁だからこそ、あそこまで伸び開花していったものなのだ。でなければ、とうの昔に持ち主そのものを食い尽くし、世界を滅ぼしていたはずのものなのだ。
「ダリュー」
 そっと、柔らかく温かなものが髪に押し当てられて、ダリューは顔を上げた。ダリューの頬を両手で挟むように掬いあげながら、体を起こしたマイヤが再びそっと唇をあててくれる。
 くちづけが、まるで天使にされたもののように、無限の許しをたたえているような気がして、ダリューは思わず体を震わせた。
「この姿勢、きついの、だから、あなたが屈み込んでくれる?」
「うん」
 ダリューは立ち上がり、横になったマイヤに唇を押し当てた。今度は自ら許しを乞うように、許されなくてもなお繰り返し許しを求めるように。
 マイヤが受け入れる、受け止める。やわらかく、しっかりと。おそるおそる唇を離すと、マイヤは静かに微笑んだ。
「ダリュー、私がキスするの、あなただけよ」
「……うん」
 キスなんて繰り返し慣れたことだったのに、なぜか体が熱くなって、ダリューは震えながら頷いた。
「仁にひどいこと言ったって、わかったんでしょう?」
「……ああ」
「なら、大丈夫よ」
 マイヤは微笑みを深めた。
「きっとこの先、あなたが仁を助けることが出てくるわ」
「僕が?」
(仁ほどの力もなくて、内田ほどの覇気もない、誰かに責任を押しつけて逃げ回っているこの僕が?)
「うん、ダリューしか仁を助けられない時がきっと来る。だから、ダリュー」
 銀色の、眩く輝く瞳がダリューをまっすぐ射抜く。
「その時こそ、逃げないで」
「……わかった」
 その目に浮かんでいるのが紛れもなく信頼だと……それこそ、仁に向けられているものに勝るとも劣らない強い信頼だと気づいてダリューはまた視界がかすみ、流れ落ちるのを感じた。
「わかったよ、マイヤ」
 低く、けれどはっきりと誓う。
「この次はきっと助ける……逃げないで助けてみせるから」

(逃げて、しまった)
 内田が病棟の廊下を走り抜けていく。一筋離れた通路で仁は壁に背中をつけてじっとその気配を追いかけていた。
(遠ざかる……遠ざかっていく)
 内田もまさか仁がまだ病棟に残っているとは思わなかっただろう。
 本当ならとっくにこの場を離れていなくてはならなかった。ここには傷ついたマイヤや回復途中の紺野、彼らを支える城崎がいる。もし、ここに『狩人』が何かをしかけてきたら、それこそ、取り返しがつかない。
 けれど、昨日からいろんなことがたて続けに起こって、何かもう、どこにも行き場所がなくなったような気もしていた。必死に制御をかけながら能力を駆使していても、疲れきった心に隙間があく。その隙間にねじ込むように、滑り込むように、あの獣の金色の瞳が、夜空に浮かぶ巨大な月が入り込み、仁の意志を砕いていきそうになる。
 少しでいいから休みたかった。
 仁は壁に沿って崩れるように座り込んだ。
 午前中の診療が終わった外来の端に位置する廊下には人気はない。
(巻き込んじゃいけない……狙われているのは僕だ……僕さえ標的になっていればいい)
 だから、城崎にそう伝えるつもりでここに来た。この一件から手を引き、後は全て仁に任せて関わるな、と。襲われた紺野やマイヤのことも気になった。テレパシーで伝えればよかったのかもしれないが、連絡係であるマイヤと紺野を封じられては動くしかない。
 もっとも、それが……つまり、仁を仲間から切り離すことが『彼女』の目的なのかもしれないが。
 それでも、つながりを切った方がいいのは夜の電話からもわかりきったこと、一晩かけて思い切ったことだった。城崎から内田にも手を引いてくれるように話してもらおうと思っていた。
(もう…会えない、な)
 吐息をついて目を閉じ、壁に頭をもたせかける。
 仁に気づいて振り返ったときの内田の顔が忘れられない。自分がどれほど約束を気持ちの拠り所にしていたのか、今も繰り返し思い知らされている。もし、もう一度、あの顔……仁の能力への恐怖、を見せられたら最後、もう自分はもたないだろうと思っている。
(だから……逃げている)
 ダリューの怒りも、マイヤの傷みも受け入れられる。紺野を庇う城崎のうろたえも、さとるの怯えも耐えられる。けれど、内田は……。
 夕暮れの約束が消えてくれない。
 あの幻のような誓いにすがりついて正気を保っている自分がいる。
(決定的な拒否を…見たくなくて……逃げている……そうだ…逃げてるんだ)
 見なければなくなる、というものでもないのに。
 どんなにもがこうとも、気づかぬふりをしてみようと、そこにあり、じわじわと仁を追い詰めつつある、ただ早いか遅いかというだけのことなのに。
(逃げて、どうする?)
  内田がこちらにやってくる。わかった瞬間に体が竦んだ。もう2度と自分を拒む顔を見たくなかった。
 けれどまた、どんなに逃げても、内田はきっと痕跡を見つけて探し出してくれるだろう……そう思った自分の甘えが腹立たしかった。それでも。
  それでも。
『「大丈夫」なわけねえじゃねえか!』
  診療室に響いた内田の声を思い出す。声に含まれた心配そうな温かい響きに気持ちが引きずられそうになる自分がいる。ひょっとしてひょっとしたら、それでも内田は側に居てくれるんじゃないか、と。『夏越』とのあれほど危険な状況の後でも、仁が望む未来まで一緒に行こうと約束してくれたのだから、と。
 けれど、今はもう、正面切って確かめる気にはなれなかった。
(無理だ、と言われたら……今度こそ、はっきり言われたら)
 ぞく、と体の内側を冷えたものが走り上がった。
 仁は巨大な質量を抱えて内部崩壊を起こしていく恒星のように、何もかもを呑み込むブラックホールになってしまうのではないか。それこそ、『狩人』の比ではない破滅を周囲にもたらすしかないのではないか。
 遅かれ早かれ、仁とあの少女はぶつかることだろう。力はおそらく五分と五分、今のままではどちらが勝つとも言い切れないが、仁には不利な条件が2つある。
 1つは力の扱い方だ。
 仁は自分の力を恐れていて、1人の時に今まで1度もフル・オープンしたことがない。それはすなわち全力状態での制御方法を訓練できていないということだ。あの少女に相対するのなら手加減は命取り、けれども内田が側に居ない今、フル・オープンしたが最後、その力の奔流に流されずにいられるか自信がない。
 そして、もう1つ。自分の中に動いている不吉な気持ちを仁は感じ取っている。
 仁は、あの少女に魅かれているのだ。
 なぜかはわからない。同情なのかもしれない。
 あの攻撃の最中、死の恐怖と力の解放に怯えながら、一方では相手を探し求めてひきつけられていく自分がいたのに、仁は気づいていた。
 力を使い慣れており、しかも容赦のない相手と、力に怯え、そのうえ敵に魅かれている仁、たとえ闘いが相討ちに終わったとしても、深手を負うのは仁の方だろう。そうなったとき、側に内田が居ればどうなるかは火を見るより明らかだ。いつかの『印怒羅』のように、いや仁を守ろうとする内田はもっと酷い状態、死ぬより惨い目に合わせかねない。
(そうなる前に……そんなことになるぐらいなら……僕は……)
 逃げて、逃げ回って……そして、その間に少しでもわずかでもいい、自分の力が伸びることを願っている。あれほど負担にしていた能力、けれども敵を屠るためにはそれこそが今唯一の手立てになっている。
 唇を噛みしめて自分の体を抱き締めた。
(結局は誰かを傷つけるためにしか使えない力、ということなのか)
 きっと、自分は『本当に』この世界に居てはならなかった存在、なのだろう。ダリューが指摘したように、意味がなくて存在している力、なのだろう。
 仁は苦く笑って顔を歪めた。
(だから、内田……もう追わなくていいんだ……『彼女』は僕が始末をつけるから……僕が…僕ごと)
 深い溜息をつき、顔を俯せ、より強く膝を抱える。 
 と、そのとき、
「?」
 仁はふと耳をそばだてた。
 どこかで電話のベルが鳴っている。外来も終わって、誰もいなくなった部屋に、まるで誰かがそこにいることを確信しているかのように、ベルはゆっくりとしつこく鳴っている。
 仁は立ち上がり、周囲を見回した。ベルの音はまだ鳴っているが、人が来る様子はない。耳をすませていた仁の胸に、ふいにある予感が閃いた。
(まさか) 
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