『朱の狩人』

segakiyui

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6.Deep River(2)

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 唾を呑み込み、急ぎ足にベルが鳴る部屋を探し始める。すぐ近くで鳴っていると思っていたのに、ベルの音はなぜかどんどん離れて移動していくように思える。いや、間違いない。ほとんど途切れないほどの微妙な間隔である部屋で鳴ったかと思うと、すぐ隣の部屋でまた鳴り始める。そうして仁を少しずつ導いて行く。
 やがて、ベルの音は動かなくなった。
 何のことない、さっき仁が飛び出した部屋、城崎の居た部屋だ。
 仁はじっとドアを凝視した。部屋の中にはもう誰も居ない。城崎も紺野の部屋に向かったのだろう。ノブを回して部屋の中に滑り込む。デスクの上で、電話はけたたましく仁を呼び続けている。
 受話器を取り上げ、おそるおそる耳に当てる。
『浅葱仁ね』
(『狩人』!)
 受話器の向こうで少女の艶やかな声が響いた。硬直する仁に、少しのためらいもなく、
『会いたいわ』
 甘えるように続けた。
「……僕もだよ」
 喉のたがが弛んだのを感じた。しばらく使っていないので掠れてはいる、それでも声は出た。体が熱くなっていくのに、頭の芯がひどく冷たくなっていく。
『怖がってるのね、仁』
 相手はからかうように悪戯っぽく呟いた。
「……ああ」
『臆病ね』
「……君ほどじゃない」
 仁は震える声をこらえた。冷えていく手が受話器を落としそうになって、ゆっくりと持ち直す。
『あたしが? どうして?』
 相手は邪気なく驚いた。
「……名前も教えてくれないから」
『……ふふ』
 媚びを含んだ笑みが返ってきた。
『予想通りだわ、仁……カッコいいのね……たじろぎもしない……とても、好きだわ』
 汗が冷えて貼り付いていた前髪が落ち、視界が遮られる。
 声の感じはかなり幼い。仁よりも数歳下……中学生ぐらいだろうか。しかし、声の持つ気配は数百年生きてきた者が持つ老獪さに満ちている。
 仁は目を閉じた。回線を通じて聞こえてくる声から意識を伸ばし感覚を広げ、相手の状況や容姿、居場所を読み取ろうとする。今まで試したことのない力の使い方に、久しぶりに微かな頭痛が応じ、眉を寄せた。
 旧い家だ。街はずれ、和風の由緒ある家、広い廊下の隅に置かれた黒く古めかしい電話を手に、1人の少女が話している。紺色のセーラー服、今日は通っている中学の登校日だった。学校は最近起きた暴力事件の後始末でまだごたごたしているから、出席を取って変事がないことを確認して終わり。帰ってからのんびり彼女は仁を追跡した。感覚の網を広げればすぐに仁の居場所などわかる。
『けっこう面白かった。仁、うまく隠れたわね』
 少女はくすくす笑った。大きな瞳は黒曜石のように煌めいている。その輝きはとても13、4の子どもに浮かべられるとは思えない冷たさに満ちている。森の奥深くにある底知れぬ泉、その側にただ一輪咲き誇る大輪の花。誰の評価も必要としない、他の生物の存在を無視しきったあでやかで冷たい微笑。恐ろしいけれども魅せられる。
『そこにはいっぱい力を持った人がいる……でも、無理よ、あなたは別格だから』
 誘うように夢見るように呟きが届いた。
『ねえ、仁、ほんとまぶしいほどよ。あなたの光はすぐにわかるわ。星の王子さまって知ってる? 物語は知らないけど、星々を統べるならあたしがあなたに全部あげる』
「……」
『どうしてそんなところに隠れてるの? 誰もあなたのことなんてわからないじゃない。あなたがどれほど悩んでいても、どれほど傷ついていても、みんなあなたからエネルギーを奪うだけよ。あなたに甘えて疲れさせて……それで酷い目にあったなんて言っても自業自得じゃない、そうでしょ? 自分達が弱かっただけ、なのに認められない……弱い、弱い人間達…生きるに価しない人間達』
「君は……誰だ」
『仲間よ』
 少女は打てば響くように応えた。ぎくりと自分の躯が強ばるのを感じた。
『それとも、魂の半身、とでも言いましょうか。ロマンチックよね、その方が』
「僕は……君の仲間なんかじゃない」
『……ふふ……ふふふ』
 少女は含み笑いをした。艶のある、凄みのある、1度聞けばもう1度聞かせてほしいと思わせる特殊な楽器のような声だ。
『じゃあ、内田が仲間、なの? 内田がいなくなれば、あたしの所へ来てくれる?』
「っ」
 冷たい鉄の棒を胸の奥にねじ込まれた気がした。気がつく前に唸っていた。
「内田に手を出すな」
『あたしは出さない。でも、「印怒羅」は違う……そう思わない?』
「、待て……」
 仁は茫然とした。
『競争しましょうよ、仁。あなたがあたしを探すのが早いか、「印怒羅」が内田を探すのが早いか』
「待ってくれ……どういうことだ」
 声が掠れてうまく続かない。必死に喉から声を絞り出す。
『簡単なことよ。「印怒羅」はあの夜のRDを探してる。それが内田だっていう情報が入ったらどうするか……わかるでしょう、仁』
「『印怒羅』に……君がそう吹き込んだのか……?」
『まさか』
 少女は楽しくてたまらないと言うように笑い転げた。
『向こうが勝手にそう思っただけよ、あのバイクショップのお兄さん方みたいに、ね』
  仁は受話器を握りしめた。
『許さないって怒ってた。5人も仲間を殺した人間を同じ目にあわせてやるって。野蛮ね』
 くすくすくす。可愛らしい笑い声が続く。
「く…」
『動くなら早い方がいいわよね。さすがの内田クンも10対1じゃ大変じゃない? 20ぐらいまでは行けるかな……もう少し集めましょうか』
「君は」
『あたしだって許さない』
 ふいに相手の声が冷ややかな怒りを含んで、仁は息を呑んだ。
『あなたはあたしのものよ。あなただけを探し回ってようやく見つけたのに、そのあなたが他の誰かの側にいるなんてこと、認められるわけ、ないじゃない? すぐに来て、仁。でなければ、あなたに関わる人全部を消してでも、あなたを手にいれるから』
 吹きつけるような激しさを、回線だけではなく直接意識で受け止めて、目眩を感じた。
(関わる人間全部を消してでも、僕を手に入れる……?)
 それほどの強さ激しさで望まれる者が、この世界に何人いるだろう。それこそ、仁を求める呼び声、仁だけを望み求める声だ。どこにも行き場所のない仁が唯一生き延びられるのは、ひょっとしてその声を上げる者の腕の中だけではないのだろうか。
 危うい誘惑が体の奥で渦を巻く。
『あたしは朱乃、真駒朱乃よ。仁、私を捜せる?』
(真駒、朱乃)
 その名前を胸に刻んだ。
「……探してみせるよ」
『待ってるわ』
 電話は突然切れた。受話器を置き、周囲を伺いながらそっと診療室から抜け出す。
 事情を知らない人間が聞いたら、今の会話も恋人同志の甘い囁きに聞こえただろうか。
 仁は首を振って唇を噛み、外へ向かって駆け出した。

「ったく、うろたえてるよな」
 内田は苦笑いしながら首を振った。
「夏休みに学校へ飛び込んでも仕方ねえのに」
 勢いで宮岸病院を飛び出してきたものの、いくら連絡があったからとは言え中学校へ、しかも大型バイクで乗りつけるなどすれば、いらぬ騒ぎを引き起こしかねない。とりあえずは紺野につなぎをつけてもらった方が無難だと思い直して、城崎と連絡を取り直したところだった。
(あいつが今にも死にそうで)
 昼近くなった夏の日射しは目を射るほどまばゆい。焼けた道路に立つ陽炎に、部屋から消えてしまった仁を思い出す。
(このまま永久に戻ってこなくなりそうで)
 横に置いたバイクにもたれて煙草に火をつける。深く吸い込むと日射しがよけいにまばゆくなったように感じた。
 真駒中学は街の中心部から少し離れた場所に位置している。
 もっとも元々そちらの方が中心部にあたっていた。真駒というのは古くからある地名の1つで、文献によれば昔この辺りをおさめていた地方豪族の名前らしい。子孫を名乗る旧家はいまだにあちこちあるはずだ。
 だが、12年前の事件を覚えているものにとっては、その名前は禍々しい響きを持つ。

 奇妙な事件だった。
 人が消えたのだ。
 蒸発や行方不明の類ではない。文字どおり、衆人環視の中、忽然と人が空中に溶けて消えてしまった。
 事の起こりは、ある家の周囲の猫や犬が姿を消し始めたことだった。
 のら犬のら猫が少なくなったと街の人間が噂をしているうちに、やれ隣のミーがいなくなった、向かいのシロを見かけないと話が広がり、ついには鎖につないでいたはずの飼い犬までが姿を消した。
 妙だ妙だと騒がれ出したのに追い打ちをかけるように、その旧家の庭へボールを取りにいったはずの子どもや、御用聞きの誰それまでが姿をくらますに至って、警察も重い腰を上げた。事情聴取に出かけはしたものの、相手は古くから住む名家、かててくわえてそこに今住んでいるのは若夫婦と1歳にもならぬ女の子という家族構成、疑うにも種がない。
 事件がおぞましい展開をしたのは、次の日のことだった。
 その夜、酔漢が1人、道をぶらぶら歩いていた。
 と、旧家の入り口あたりから転がるように飛び出してきた1人の女がいた。年の頃、22、3。
 そう言えば、ベビーシッターに1人雇われたと聞いたな。
 思った男は、次の瞬間目を疑った。
 不格好な走り方だとは思った。両手をぴったり脇につけ、上半身を激しく揺らしながら走ってくる。その姿が街灯の下に浮かんだ時、酔いは一気に醒めた。血の気が引いた。上げかけた悲鳴は喉の奥で鉄の塊となった。見たくもない姿に目が吸いつけられて離せない。
 女の両手は腹にめりこんでいたのだ。
「ひ……」
 相手の女は男を見ると、口をパクパクさせながら涙で汚れた顔を引きつらせた。剥げかけたルージュの唇を歪ませて、
「は……ひ」
 笑った。
「うあ、あああーっっ!!」
 思わず知らず絶叫して、それが呪縛を解いた。悲鳴をあげながらへたりこむ。目を閉じても視界にはくっきりと『それ』が焼きついている。
 指先が溶け、衣服を巻き込み、ずぶりと腹に喰われている両手が。
 悲鳴に周囲の家の者が駆けつけた時には娘の姿は既になく、狂乱しかけた男が喚き騒いでいるだけだった。
 これだけなら、酔っ払いのたわ言、軽く容易く事はすんだ。
 だが、数日後、今度は真っ昼間、新しく雇われたらしいベビーシッターの女子大生が切れ切れの悲鳴を上げながら警察に駆け込んで、事件は再燃した。
 どうした、何があったんだ、と問いかける人々に、娘は震えながら旧家のある方向を指差し、焦点の合わぬ目をより一層見開いて訴えた。
「犬の塊が…っ……壁でっ……吠え……てっ!!  あ……あ……はっ」
 そこで娘の精神の糸は切れてしまった。唐突に虚ろな笑いを響かせて座り込む。
「は……はっ……は……あ……ははは……」
 遠く抜けてしまった声で頼りなく笑い出す娘、嘘寒い顔を見合わせる人々、改めて事情を聞こうと屈み込んだ警察官。だが、真の異変は次にこそ起こった。
「あ……いや……ヒ……イッ!!」
 周囲の人間が声にならぬ悲鳴を上げた。突然苦しみだし見悶えた娘が見る見る幻の画像のようにかすんでいき、ついには髪の毛一筋も残さずにその場から消えてしまったのだ。

 銜えた煙草からゆっくり立ち上ってくる紫煙を、内田はぼんやりと眺めた。
 確かに一般常識からすれば出来の悪いオカルト話だが、『夏越』との対決に巻き込まれ、間近に仁の能力を見なれている身にしてみれば、『何かの力』によるものだと想像はつく。
(問題は、意図、だよな)
 旧家とやらの人間に超能力者がいたのはほぼ明らかだが、なぜそいつは周囲の犬や猫を消し、人間を消し、雇った者を面白半分のように変形させたり消したりしてしまったのか。
 そこには無気味で容赦のない感情があるような気がする。
 さとるや紺野やマイヤを脅かすためだけに襲った遣り口に似ているもの、潜在的な、しかも社会に受け入れられている超能力者を1人1人追い詰め屠っていく『狩人』の冷ややかな感情とそっくりなもの。
 それは絶対的な能力を持つものが下位の者に向ける哄笑と軽蔑のようなものだ。
(かなり性格の悪いやつ……そうか、『女』だったな)
 それもまたまずい、と内田は思った。
 仁は自分の圧倒的優位を感じている。だからこそ苛立たないし粘り強い。
 大抵の男は女が自分より弱いと信じているし、どこかで最後は自分が勝つと思っている。仁も例外ではない。
 けれど、最後のぎりぎりの瞬間に優位に立つのは女の方が遥かに多い。追いつめられた生物が種の保存のために雌性形態を取るのはよく知られていることだ。
(種を守るための存在、だからな)
 内田はそれなりに『女』の強さもしたたかさも知っている。
 けれど、仁はそうではない。仁にとっては『女は守るべきもの』であって離脱し踏み越えていくものではないのだ。
(それが一番まずい)
 能力以前に仁は無意識に相手を守ろうとしているはずだ。ダリューにしたように、相手の状況と気持ちを理解しようとするだろう。だがそれは、仁を殺しても平気だと言う相手に対しては致命的な弱点になる。
 内田は深く溜息をついて、短くなった煙草を捨てた。再びヘルメットを被り、紺野がつないでくれた真駒中学の荒木尾真奈美の待つ喫茶店に向かおうとして……動きを止めた。
「……何か、用か?」
 いつの間に囲まれていたのだろう。周囲に暑苦しい黒の革つなぎを着込んだ男達が立っている。年齢層は15ぐらいから20歳ぐらいか。
「内田、正宗か」
 中心にいた20歳ぐらいの男が静かな声で尋ねた。もっとも静かなのは声だけで、それを合図に周囲にいた連中が辺りに睨みをきかせ、他人が輪に近づかないように身構えているところを見ると、集団のリーダー格なのだろう。
「人違いじゃなさそうだな」 
 悪気はないがあまりにも仰々しくてつい鼻先で嗤ってしまうと、相手は切れ長の目をゆっくりと細めた。
「『印怒羅』、と言えばわかるか」
「……ああ、この辺りの交通整理に来たんだってな」
 喧嘩を売るつもりはなかったが威圧されると反発してしまうのは昔からの悪い癖だ。
「確認しておきたいんだが」
 相手はちらりと内田のバイクに目をやった。挑発に乗らないあたり、どうやらただの下っ端でもなさそうだ。
「RDはお前か?」
(こいつら…仁を狙って)
 内田は無意識に舌打ちした。よりにもよってこんなときに仕掛けてこなくてもよかっただろうに、という思いからだが、相手は別な意味に取ったようだ。うっすらと笑って、
「バイクを変えればわからないと思っていたのか」
「…だと、言ったら……どうする気なんだ?」
「ついてきてもらおう……いろいろと話がしたい」
 相手はまた笑みを深めた。低音で穏やかな声音だけに凄みがある。
 内田は背後を振り返った。そこにも案の定、黒革つなぎが立っている。このまま何とかこの場を逃げても、何度も追い迫ってくるのは間違いない。そのうちに最悪のまずいこと、RDのライダーが内田ではないということに気づかれてしまうかもしれない。
(早め早めの手当ては必要だな)
 内田はちろっと舌で唇をなめた。仁があまりにも刺激的なことをしてくれるから、最近はそれ以外の刺激なぞ求めていなかったが、もともと嫌いな性質ではない。むしろこのところ頭ばかり使ってかなり疲れてはきたところ、それなりに運動になるかもしれない。
「わかった…どうすればいい?」
 相手は無言でバイクに顎をしゃくった。話がついたと見たのだろうか、周囲に散っていた男達がそれぞれにバイクを引き出し、エンジンをかけ始める。総勢15、もう少しいるだろうか。
(仁の3倍な、ま、いいか)
 身体の奥底が猛ってくるような満足を感じて薄笑いした内田に、リーダー格の男がゆったりとまたがったのはCB750F、エンジンタンクは目を見張るような紅、そこに銀文字で『印怒羅』が躍るのがうるさいぐらいの色調だ。
「趣味の悪いやつ……」
 呟いた内田の声は爆音に消された。

 周囲を包まれるようにして、内田が連れていかれたのは真駒中学に近い山手の空き地にある廃ビルだった。
 バブル期に街の中心部が郊外の住宅地に移ったのを憂えた地主の一人が、ショッピングモールを1階に持つマンションを作ろうとしたのだが、お定まりの資金繰りの悪化で、大雑把にコンクリートで区分けがなされた後に内装外装ともされないまま放置され、雨風にさらされて一種のお化け屋敷の様相を呈している。
 中央広場を囲い込む4階分の居住区域を持つ建物は、粘りつくようなねっとりとした真夏の昼の中、静まり返って白々とそそりたっている。入り込んでしまえば見咎められることもないせいか、飾りタイルの石畳にはたき火や花火の跡、コンビニの屑やビールや酒の空き缶がちらばり、誰が持ち込んだのか天井が残っている小部屋にはマットレスまで置かれていた。
「ここがあんたらの本拠になるのか」
 しずしずと広場前まで連行されてきた形の内田は、ヘルメットを脱ぎながら周囲を見渡しうんざりした声を上げた。
「えらくチンケな場所を選んだな」
「この……!」
「……人数が多いからな」
 街中とは違い我慢する気はなくなったのだろう、内田とたいして変わらない年齢の男が噛みつこうとするのを、さっきのリーダー格が押さえた。相変わらず苛立ちもしていない静けさに、微かに殺気がこもり始めている。短く刈り上げた髪は薄い茶色、始終伏せているような目が鋭い視線で内田を値踏みしているのがわかる。
「どうして、仲間を殺した」
「そっちが仕掛けたんじゃねえのか」
 内田はバイクに跨がったまま、相手を睨みつけた。いざとなれば蹴散らしてこの場から消えるつもりだったが、相手が指示するまでもなく周囲の道路につながる出口に男達が散ったところを見ると、そうそう気楽に帰してくれるつもりはなさそうだ。手にヘルメットを持ったまま、バイクを跨ぎ越え、臨戦態勢に入る。
「無理はさせなかったはずだ。凄腕だと聞いた、できれば傘下に入れたかった。だから、穏やかに招待したはずだ」
「穏やかに? 『デッド・ウィング』を追い回しておいてか?」
「そちらが逃げたからだろう」
「逃げるだろう、普通」
 内田は呆れて肩を竦めた。ひと昔前の暴走族マンガのようなこんなキャラクターが実在しているあたりがくすぐったくてたまらない。ついつい皮肉な笑みがこぼれる。
「第一、大人社会の中でいいように遊ばれときながら、傘下も組織もないだろう。それとも何か、リッパに暴力団の下部組織に属してるとか」
「そんなんじゃねえ!」
 さっきも食ってかかった若いのが喚いた。
「榊さんは暴力団に入るなって、それぐらいならこっちに来いって言ってくれたんだ!」
「へえ……そうか」
 内田は多少あっけに取られて思わず苦笑いした。
「そりゃよかったな、人生間違えずにすんで」
「この!」
「猛るな」
  榊と呼ばれた男は一声で噛みついたのを押さえた。
「……どうやら人違いだな」
「何?」
「お前は楽しんでる」
 榊はわずかに肩を竦めた。
「RDはいつも怯えている。何かから逃げようとしている。だから無謀な走りも苦にならない。あれは、お前と噛み合わない」
(こいつ)
 内田は笑みを引っ込めた。どうやら遊び相手ですむような人間ではないようだ。じり、と周囲の輪が縮まる。なるほど、伊達や酔狂で100人からの集団を率いているのではないということか。
「けれど、RDを知ってるのも確かなようだ。できれば話してもらいたいが、一筋縄で話してくれるとも思えない。叩きのめしてから聞くしかないようだ」
「ち!」
 榊のことばに煽られたようにいきなり数人が飛びかかってきた。右側の1人をヘルメットで殴り飛ばしながら足下を蹴り上げて倒し、そのまま開いた空間から崩れかけた建物に向かって走り出す。わあ、と声を上げて追い縋る『印怒羅』の後ろで榊は腕を組み、見物に回ったらしい。出入り口はやはり数人が固めているから、追跡者を1人ずつ倒していくしかないだろうが、榊にはもうRDが内田ではないことが知れてしまっている。そのことが面倒だった。
(読みが甘かった)
 足下でざらついた音をたてる古びたコンクリートを蹴り、階段を駆け上がる。踊り場で追いついた1人にヘルメットを投げつけ、できた隙に胸元を蹴って落とし、身を翻してなおも上へ駆け上がる。コンクリートの廃虚には鳩達が住みついているのだろうか、角を曲がり段を跳ね上がると埃と一緒に白く淡い羽根が舞い上がった。荒くなる呼吸は夕べからの不眠と休みなしの動きが疲れを速めているせいだ。
「こっちだ!」
「回り込め!」
「ちいいいっ!」
 2階部分の廊下を走り抜けていこうとした矢先、両側の壁から突然飛び出してきた相手に挟み撃ちされ、さすがに1発顔にくらって視界が暗くなった。沈む体をいいことにそのままもう一方をやり過ごし、倒れたと見て深追いしてきた相手に背後についた手で体を捻って蹴りをかませ、転がって追撃から逃げる。
 さすがにエネルギーが有り余っている連中、1発2発入ったところで転がってはすぐ跳ね起きて飛びかかってくるしつこさ、きっちり重い拳を入れて動きを奪い人数を減らしていきたいところだが、それだけの隙を与えてくれない。壁を背に跳ね起きてもすぐに身を縮めないと確実に首か頭を狙ってくる攻撃、かわして足を狙っての蹴りも読まれ出したのか微妙に逸らされてしまい、決定打にならない。
「……くしょっ……」
 ようやくしのいで転がり込んだ部屋の壁で乱れた息を整えながら、内田は目に流れ込んできた汗を拭った。ゆっくり傾き始めた赤い日射しはコンクリートに反射してぎらつき、舞い上がる埃と羽根が鼻や口に張りついてくる。乾いた喉に飲み込める唾液も粘度を増して、明らかに動きの落ちてきた体を内側からも拘束していくようだ。
「……はっ……はっ」
「どこだ!」
「そっちに行ったぞ!」
(何人倒した? 何人残ってる?)
 響き渡る声に首を竦めながらそっと真下の広場を隙間から覗くと、榊はさっきの場所から1歩も動かずにこちらを見上げている。見えるはずはないのだが、一瞬内田と視線が合った気がしてどきりとする。
 その榊の手が胸のポケットを探った。取り出したのは煙草と携帯、頭上で起こっている修羅場に興味もなさそうに煙草を銜えて火をつけ、悠々とした仕草で携帯を耳に当てた。ちら、とこちらを再び見上げる顔には静かな微笑、ただし人の気持ちを凍らせるほど冷酷な笑みだ。
「高尾か? いや、まだだ、狩りの最中だ」
(仲間か!)
 やばい、と初めて内田は焦った。これ以上人数を呼ばれるとさすがの内田も無事にデートというわけにはいかないだろう。それに人が走り回っているのに榊が悠然としているのも十分気に触った。
「ああ、いや、RDではない、だが面白い狩り……!」
 突然振り落ちるように飛び下りてきた内田に榊はとっさに体を逸らせた。仰け反った手の携帯を蹴り飛ばされて、すぐに後ろに飛び退る。
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