『朱の狩人』

segakiyui

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6.Deep River(3)

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「人が忙しい思いしてんのに、のんびりしゃべってんなよ」
 くす、と笑みを零した内田に榊は呆気に取られた顔でこちらを見た。煙草が中途半端な位置に張りついている。それをもぎ取って放り捨てた榊の唇に嬉しそうな笑みが広がった。
「ほう、まだ無事か……どっから降ってきた」
「あそこ」
 ひょいと立てた親指で上空を示してやると、相手は機嫌よさそうに眉を上げた。
「私としてはRDよりお前の方が気に入ったな……どうだ、仲間にならないか」
「悪いが……」
 応じながら内田はするすると間合いを詰めて踏み込んだ。
「それほど暇じゃねえ!」
「そうか、残念だ」
 がしっ、と骨同士がぶつかる音が響いて双方同時に顔を歪めた。とっさにお互い飛び離れたのは接近戦の難しさを知っているからこそ、距離を保って睨み合う。
「つう……バカ力」
「ガキのくせに」
「ほっとけ」
「RDはお前の何だ」
 榊が構えを解かないままに問いかけて内田は一瞬ことばに詰まった。その瞬間を逃さずに榊が間合いを詰めて打ち込んでくるのをかわしながら反撃する。だが、それで捕らえられる相手ではなかった。首筋に痛烈な一撃を食らい、必死に肩を庇って飛び退る。右腕がふいに重く痺れて垂れ下がり、動かない。
「榊さん!」
「下だ!」
 上の階から降ってくる声に榊は内田から目を逸らさないまま応じた。ばたばたっと足音が一斉に階段へ向けてなだれ込んでくる。
「時間切れだな」
(くそ!)
 榊が笑う声に体が無意識に竦んだ。自分が傷つく分は構わないが、それだけ『狩人』を追う時間を失うのが惜しい。今さらながら自分の軽卒さが悔やまれた。
(ほんと俺もガキだよな)
「もう1度聞く……RDはお前の何だ?」
 榊が繰り返す。今自分の軽さを悔やんだばかりだが、それでも生真面目すぎる相手の口調についついからかいたくなって、にやつきながら口を開きかけたとき、
「ぐあ!」
「!?」
 ふいに上の階で悲鳴が響いた。はっとして見上げる内田の耳に、続けさまに何か柔らかくて重いものを叩きつける音と絶叫が入り交じって届く。
「がふ!」「ぎゃう!」
「何だ?」
 さすがの榊もうろたえた顔で周囲を振仰いだ。
 何かふわふわとしたものが空から舞い降りてくる。さっきから内田が走り回るたびに舞い上がっていた鳩の羽根、だが、その羽根が夕日のせいか奇妙にオレンジがかって見える気がする。
「血……?」
 内田は目の前まで落ちてきたそれを掴み、掌が朱に染まっているのに気がついた。ちらちらと時ならぬ真夏の雪のように振り落ちてくる羽根が確かにまだらに紅を浴びている。
「一体……誰の……?」
(まさか)
 ざわっと首筋の毛が逆立つような不安が広がった。
「ひい!」
 と、その広場の上空に3階部分から何かが放り出された。
 人だ。ついさっきまで内田を追いかけ回していた連中の1人が悲鳴を上げながら落ちてくる。着ている黒の革つなぎが日を跳ねる。とっさに内田も榊も落下地点から飛びすさって逃げた。へたに重さを食らえばこちらが命を落としかねない。
 が、叩きつけられ血肉飛び散る予感に体を竦めた内田の目の前で、落ちてきた人間のすぐ側に別の姿が出現した。落ちてきた人間に寄り添うように片腕を差し入れて支え、重みに腕をしならせて顔を歪めながらも勢いを殺して静かに地面に相手を降ろす。
 奇妙な沈黙が満ちた。
 凍りついた顔で目を見開いている榊と息を呑んで見守る内田の真中、投げ出された体が巻き込んできた埃と細かな羽根の漂う向こう、横たわって白目を剥いている『印怒羅』にも周囲の殺気立った気配にも不似合いな、水色のカッターシャツにベージュの綿パン姿の仁が片膝をついている。
 だが、その衣服は点々と赤黒い染みで汚れていた。乱れた髪の下の蒼白な顔、緊張した面持ちで荒い息を吐きながら内田を見上げた仁の唇から、唐突に目を奪うような鮮やかさで真紅の糸が垂れ落ちる。
「仁!」
 ぞっとして呼び掛けた内田に我に返ったように、口元を横殴りに擦った仁の姿が陽炎に揺れて消えた。すぐさま再び上の階で悲鳴と怒号が上がり、どぐっ、と何かがぶつかりあう激しい音が響く。
「あいつ!」
 内田は必死に階段を目指して走った。駆け上がる間にも、踊り場に、階段の途中に、コンクリートの床の上に、まるで魂を抜かれたような顔で『印怒羅』の連中が転がり蹲っている。その側に点々と鮮血が散り、紅に染まった羽根が舞っている。
「この野郎!」
 叫び声に振り返れば、顔の前で腕を交差させて防いだ仁が例の『印怒羅』の若い奴に吹っ飛ばされるところだった。体重のなさが災いしたのか、踏み止まることも出来ずに背後のコンクリートに叩きつけられる。
「!!」 
 仁が跳ね上がるように体を強ばらせて口を開いた。仰け反った体が壁から浮き、前のめりに崩れる。壁との接点から夕闇に開く巨大な花のような紅が散った。仁の背中から引き抜かれていくのは赤錆の浮いた鉄棒、割れ砕けたコンクリートから、中に組まれていた骨組みがねじ曲がり突き出ていたのだ。
「わああっ!」「仁!」
 好機と見たのか襲いかかる『印怒羅』、走り寄ろうとした内田の前で、仁の体が倒れかけながらふわりと翻った。朱に塗れた手が『印怒羅』の腕をくぐり抜けて相手の首筋に触れる。
「くは!」
 相手が奇妙な悲鳴を上げて倒れるのと、その上に仁が崩れ落ちるのがほとんど同時だった。衝撃に傷の痛みが増したのだろう、自分の体を抱えるようにして蹲った仁が声も出さないまま震えている。
「仁、仁!」
 内田は必死に足を速めた。だが、それでもやはり遅い。内田の目の前で仁の体が霞んで消え、見えない空間を飛ぶ仁を追うように顔を巡らせた内田の視界を遥かに越え、コンクリートの廃虚のどこかでまた衝撃音と悲鳴が響く。
「仁! よせ! もうやめろ!」
 内田は音の場所を探して走り回った。
 コンクリートの壁で作られた迷路のような視界の中、遠くに、近くに、仁の姿が現れては消える。その度ごとにシャツの赤黒い染みが増し、血に染まった羽根が舞う。まるで、天使が我が身と羽根を引き裂きながら飛び回っているようにさえ見える。
 仁は1度もこちらを振り向かない。相手からの蹴りを、こぶしを受け止めて吹き飛び、跳ね飛ばされながら、悲鳴を上げるように口を開きながら、けれども声になっていない。悲鳴を上げれば耐えられる痛みが、声が出せない分だけ体に押し込められていくようで、とても見ていられない。
「仁!」
(どうして止めればいい、どうしたら止められる)
 加熱していく頭の中で繰り返しながら、内田は仁を追いかけた。殴り飛ばされながら、一瞬の隙に体をひねって仁は相手の首筋に触れる。そのとたん、相手はふっと我を失ったように動きを止めて腰を落とす。相手の動きが止まった瞬間、仁も痛みをこらえるように体を抱えて蹲る。だが、内田がそこに辿り着くまでは待ってはくれない。内田には見えない次の敵を視界に入れたように、血に塗れた唇を噛んで姿を消してしまう。
「く……そお!」
 内田は苛立ち身を翻した。階段を駆け降り、何が起こっているのかまったくわからないと言った顔の榊を怒鳴りつける。
「仲間を退かせろ!」
「な、何がいったい」
「いいから、仲間を退かせろ、全滅するぞ!」
「どういう、ことなんだ」
「あいつはお前らの想像外のやつなんだ、これ以上近づくと大怪我するぞ!」
「わ、わかった」
 我を失うほど激怒している内田の気迫にさすがに榊もただごとではないと感じたらしい。
 榊が応えた瞬間、すぐ側に仁が実体化した。もう攻撃態勢に入っている姿は指先も鮮血に塗れている。虚ろな視線は内田を避けるように動いて榊を捉え、空気をかき分けるように緩やかな、けれど逃れようのない鋭い動きで榊の首に両手を伸ばす。どこで打ったのか、仁の額からまた紅が頬へと這いおりる。
「仁、よせ!」
 内田は2人の間に滑り込みながら仁の体を抱き止めた。濃厚な血の匂いは目眩がするほど、ぬるりとした感触が腕にも胸にも伝わって、怪我の酷さを思わせる。力を入れた両腕にびくっと体を強ばらせた仁は、短い息を吐いて体を引こうとした。離すまいとより力を込めた内田に首を振って仁が拒む。なお離さないと知ると、仁が集中するのがわかった。見る見る腕の中から仁の体がゆらめくように感触を消していく。
(ここからテレポーテーションする気か?)
 内田はぎょっとした。これほど密着している状態で自分だけテレポーテーションできる能力はさすがにさとるも備えていない。『印怒羅』とのやり合いで身に付けてしまったのだろうか。
 無言でするする腕の中から消えていく相手を止めようがない。
「逃げるな、仁!」
 内田は必死に仁を抱えて叫んだ。今度逃せば二度とは捕まらない、そんな不安に自分が怯えているのがわかる。
「そんな体で逃げるな、お前が死んじまう!」
 内田は懇願した。そんなことばで止められるとは思わなかったが、ほんの一瞬でも引き止めたいという一心、それが届いたのか、腕の中で細かく振動するように消えかけていた仁の体がふと止まる。やがて、それがゆるやかに重みを増してくる。
「榊……さん」
「リーダー……」
 階段の方から弱々しい声が聞こえ、内田は仁をしっかり抱えたまま振り向いた。
 倒されていたはずの『印怒羅』の連中がよろよろと1人、また1人と階段を降りてこちらに近寄ってくる。
「お前ら……無事、だったのか?」
 榊が呆然とした顔で問いかけるのに、虚ろな顔で頷きながら、
「俺達……何してたんでしたっけ」
「頭が痛えな……」
「そいつ……何者です……どうしたんです……?」
 口々に不安そうな顔で訴えながら集まってきた。
「じゃあ、この血は……」
「こいつの、だよ」
 内田は胸の奥にひんやりとしこってくる痛みに眉をしかめた。血塗れになりながら、『印怒羅』には最小限の攻撃しか加えないで飛び回っていた仁の姿が脳裏を過って息苦しくなる。
「馬鹿だから、攻撃受けてんのに反撃しやがらなかったんだ……あんたらにはたいした怪我させてねえはずだぜ……多少物覚えが悪くなったかもしれねえがな」
 ついつい殺気立ってくる口調を押さえるのに苦労する。
「さっさと消えろ、榊。二度と俺達に関わるな」
「俺達……じゃあ、そいつが」
 内田は舌打ちした。自分がみっともないほどうろたえ慌てているのを改めて感じ取る。こういうときには言わなくてもいいことまで口にしてしまう。
「今度はこいつを止めねえぜ」
「…わかった……今日は退く」
 榊は微かに体を引いた。
「今日は、じゃなくて永久に消えろ」
「……考えておく」
 榊は未練ありげに目を閉じている仁を覗き込んだが、内田の視線に溜息をつき、ゆっくりと向きを変えた。そのまま訳がわからずぼうっとしている仲間を率いて廃虚を出ていく。
 バイクの爆音が遠ざかっていくのと入れ違うように、少しずつ曇り出していた空に地鳴りのような音が響いた。たれ込めてきた灰色の雲が次第に重い空気を含み始める。
「仁……仁……?」
 力を緩めてもどうやら消えそうにないと確かめてから、内田はそっと腕を開いた。浅くせわしい呼吸をしながら、仁が瞬きをし、目を開ける。
「大丈夫か?」
 仁は頷いた。固く結んだ唇は動かない。
「どうしてあいつらを庇った?」
 仁は応えない。内田の腕に身を委ねながらもどこか遠くを見つめている。手は静かに傷ついた部分に当てられていて、そこに意識を集中しているようだ。
 気がついて内田は急いで仁の体を見回した。あちこち血に塗れて汚れているのに、裂けたり破れたりしている部分に傷が見つからないところがある。
「お前……まさか、治しながら……」
(あいつらの相手をしていたのか?)
 内田は凍りつくような思いに襲われた。
 仁はいつからここへ入り込んだのだろう。下で内田が榊とやり合っている頃からだろうか。すぐ上の階にいたはずなのに、なかなか降りてこなかった『印怒羅』は、ひょっとして仁が1人で引き止めていたのだろうか。
 喧嘩慣れしていない仁が傷1つなく『印怒羅』に近づけたとは思えない。さっきのように攻撃を受けながら隙を見て意識を奪って倒す、そうしか術がなかっただろう、合間に傷ついた部分を回復させながら。
『大丈夫』
 ようやく仁が血で汚れた唇を動かした。やっぱりまだ声が出ないのだろう、掠れた吐息だけが口から漏れた。なぜか一瞬、戸惑ったように瞬きしたが、吐息をついて淡い笑みを浮かべながら目を閉じて口を動かす。
『治る』
「違うだろう!」
 胸にしこった冷たい塊がどろ、と熱く溶けた気がして、内田は仁のことばを遮った。
「治るから傷ついていいってことじゃねえ!」
『いい』
 仁が目を開いた。体から手を外し、そろそろと体を起こす。だが、内田の顔を見ないまま、ゆっくりと唇を動かした。
『大丈夫』
「仁」
『治せる……から』
 苦しそうに顔を歪めながら、支えかけた内田の腕を押し返し立ち上がろうとする。その何ものも寄せつけないような拒否に、寝不足で疲れ切っていた内田の気持ちがふっと境界を越えた。自分を見ないで背けている仁の顔を振り向かせたい、そんな思いもあったかもしれない。
 閃いた内田の手に、ぱん、と仁の頬が鳴った。
『うちだ』
 仁が茫然とした顔で内田に殴られた頬を確かめるように指で触る。
「ちったあ、痛えか」
 内田はふいに幼くなった仁の顔を睨みつけた。
「自分が痛えのがわからなくなっちまったやつは、人が痛えのもわからなくなるんだ。……そんなことも忘れちまったのか」
 ゆら、と仁の瞳が潤んだ。
 ぽつ、と雨粒が血と埃で汚れた頬に落ちる。見る間に数を増し、夏の夕立ち、荒れた広場に座り込んだ内田と仁の上に降り注いでくる。
「答えろ、仁」
 内田は困ったように俯いた相手に尋ねた。
「お前には俺達は不要なのか。邪魔で荷物なばっかりか」
 びく、と仁が身を竦める。
「それなら俺には引き止める権利なんかない。けど」
 仁はそっと内田を見上げた。
「俺には俺のやり方があるから、邪魔だと言われようとお荷物だと言われようと、そんなこと知ったことじゃねえけどな」
 ひょいと眉を上げてみせると、仁は泣き出しそうに顔を歪めた。何かを振り切るように立ち上がる。気配が次第に淡くなる。
「死ぬときぐらい、1人じゃねえほうがいいだろ?」
 圧倒的なほどの絶望感が仁から伝わってきて、身内が冷えた。必死にことばを続けるが仁はひどく優しい目で見返しただけ、降りしきる雨の中でその姿が見る見る薄れて消えていく。
「仁」
(俺じゃ、だめなのか)
 そのことばがなぜか口に出せなくてもどかしい。
「仁!」
「……ありがと……内田」
 雨音にかき消されるような、けれどもそれは確かに仁の声だった。だが、その姿は波に呑まれるあぶくのように、小やみになっていく雨と一緒に再びどこかに消え去って行った。
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