『未来を負うもの』

segakiyui

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7.闇からの声(2)

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 よくわからない、と言った顔をさとるは無理に拵えた。その体を、仁は軽く叩いた。
「行こう、さとる」
「わかった」
 さとるが意識を集中し始めた。仁も、見えない視界に伸びた道に自分の意識を走らせる。
 ぶうん、と周囲が振動した。世界を構成する細かな粒子が揺れ動く。粒子が激しく動き回ることで、固定されていると思われた空間が歪み変形し、繋がりまた切れる。
 仁とさとるの回りで世界は不定形な粘液となって流れ去り過ぎ去り、再び構成される。
(これが『飛ぶ』ということなのか)
 仁にとっては、世界の中を移動すると言うよりは、世界がいったん溶け崩れて渾沌となり、そこから自分達だけが隔離されているという感じだ。
 仁にしがみついているさとるは、腕の力とはそぐわない大人びた顔で、周囲の混沌を眺めている。目は見開いているけれど何も映っていないのかもしれない、そう思わせるような、平然とした顔だ。
(こんなものをずっと小さなころから見ているとしたら。世界は決まった形などなくて、いつでも何にでも変わるのだと思ってきたのだとしたら)
 仁はさとるの不安を感じた。
 世界は一定していない。それはさとるの願いにつれて、あるいは誰か他者の意志によって、溶け崩れ流れ去るものだ。確実なものなどない。今ここにこうしているお互いだって、さとるが1人で『飛ぶ』ときには、流れ去る多彩な色の一つに過ぎなくなる。
 そこで、個人であるということはどれほどの意味を持つのだろう。自分のものとか人のものとか、そういった単純な区分けでさえ、さとるの経験している世界からは遠く隔たったものだ。
 この世界において確実なのは、さとる本人だけでしかない。
(それならきっと、僕だって力を使ってみたくなる。違う存在に、確実に手ごたえを返してくれる存在に、触れてみたくなる、頼りたくなる。それが駄目なら壊すことで、世界と自分を確かめたくなるかもしれない)
 さとるは力を使って仲間を殺す。そうすれば、その一瞬だけ、さとるはこの流れ去る世界と自分が関わっていると感じられるのだろう。
 今の仁のようにさとると同様こうして世界が流れ去ることを経験できるものだけが、さとるにとって近しくて信じられるものなのだ。
(さとるも、1人、なんだ)
 仁の腰をかろうじて抱えられる程度の幼い体は、修行僧さえ到達できない無常感を生まれながらに備えている。
(それは、きっとすごく寂しい)
 どこまでいってもわかってもらえない、どこまでいっても1人でいるしかない心に、居場所を与えると約束した『夏越』のことばは福音としか聞こえなかっただろう。
「さとる」
「うん?」
「寂しかった?」
 仁の声にさとるはびく、と体を竦めた。やがて、緩やかに緊張を解いて、
「うん、たぶん」
 依然、流れていく世界を見つめながら、さとるは淡い声で呟いた。
「けど、たぶん、ぼく、仁と会うまではさびしくなかったって思う」
「え?」
「そんなもんだと思ってたから」
 ぽつんとさとるが応えて、仁はことばを失った。
「けど、仁は内田と笑ってた。いいなあって、思った。楽しそうだなあって。なのに、ぼくには、誰も、いないんだなあって」
 さとるはことばを切った。
「仁は強いのに、仁はひとりじゃなかった。仁と内田は違ったのに、いっしょにいた。ぼくは、初めて、ひとりなんだって思った。そしたら、マイヤが」
 さとるは仁を見上げた。少し笑う、その笑みが頼りない。
「それは、さびしいってことなんだ、っていった」
「さとる」
 超能力者だって、心は人間から一歩も出られない。力は人間を越えていても、人が人の心のままなら、『夏越』の新世界は、この世界とどう違うというのだろう。今の社会の論理を破壊して、その後に自分達の論理をたてる。それは単に論理の支配者が変わるというだけのことではないのか。
 いつか、マイヤが話していた、『夏越』と仁は力の種類が似ている、と。マイヤ達とは種の段階が違うみたいだと。
(けれど)
「超能力者は新人類なんかじゃない。恐竜と同じなんだ。力に見合う心を備えなければ、きっと問題はなくならないんだ」
 仁は自分に言い聞かせるように呟いた。
 巨大な力を持っただけの人間亜種。力の扱い方を間違えれば、人類より早く消滅してしまうかもしれない進化の末裔。
「…むずかしいこと、わかんない」
 さとるは唇を噛んだ。
「でも、ぼく、力があるから、ここじゃ生きていけないなんていやだ。マイヤみたいに逃げ回るのもいや。ぼく、何も悪いことしていない。ただ、力があっただけだよ。かしこかったり、いろんなことができるのは、いいことだよね?」
 きつい目でことばを継ぐ。
「でも、『普通』よりかしこかったり、『普通』よりいろんなことができたりすると、みんながいう、あいつは『普通』じゃないって。ぼくがはみ出たんじゃない。みんながぼくを追い出したんだ」
 少し黙った後は涙声だった。
「ぼくは、『普通』にテレビ見たり、ゲームしたり、学校行ったり・…誰かと遊びたい、だけだ」
「さとる…」
 さとるはぐい、と仁の服に顔を擦りつけてから顔を上げ、大人びた顔で笑って見せた。
「ふしぎだったよ、仁。どうして、仁は違うのに、内田といっしょにいられるのかなって」
「それはきっと」
 仁は呟いた。
「違うからだ、さとる」
「え?」
 さとるはきょとんとしたように瞬きした。
「でも、『違う』と、なにもわかってもらえないよね?」
「でも、『違う』から、こうして僕は内田を助けにいける」
 仁の頭の中を豊のことばが巡っていく。
『世の中には、いろんな人間がいて、いろんな力や才能を持っている。それらを重ね合わせてこそ、人間は人間として、豊かに生きていける。全ての才能を備え、優れた凄まじいほどの力があればいいと思うかも知れないが、それは1人であるということだ。「1人」は、人間を豊かにはしてくれないんだよ』
(こういうことなんだね、父さん)
「今、ぼくが仁を『飛ばせて』るみたいに?」
 さとるがふいに気づいたように声を明るくした。
「仁は『飛べない』から、ぼくが『飛ばせて』るんだよね?」
「うん」
「じゃあ、ぼくは、仁と『いっしょに』いるんだ!」
 さとるがなおも強く自分にしがみついて、仁は切なく眉をしかめた。
(ひょっとして、『夏越』もそうなのか? 『夏越』も孤独で、だからこそ、仲間を選び集め、世界を支配したいと願っているのか?)
 ならば、先にあるのは『夏越』の忌む人類と同じ破滅の未来でしかないのではないか。
「仁、出るよ!」
 緊迫したさとるの声が響いて、仁は我に返った。
「力を」
「大丈夫、制御できる」
 仁はうなずいた。さとるがイメージを狭めて固定してくる、その光の輪の中へ苦もなく
意識を集中できる。
(図書室でも、公園でもできなかったのに。どうして、今はこんなに楽にできる?)
 周囲の光景が少しずつ安定してくる。揺れていた粒子が振動をやめ、世界が次第に形を
取り戻してくる。
 仁とさとるの目の前に、夜の街が、そこに聳える巨大な建物が戻ってくる。
「ここは」
「宮岸病院」
 へへっとさとるは得意そうに笑った。額にかすかに汗が光っている。やはり、2人は負担だったらしい。
「ここの地下に『夏越』はいるんだ…仁?」
「そうか、そうだよな」
 仁は頷いた。
 豊が入院していた病院、繰り返し舞い戻った病院、当然思いついてよかった場所だった。
「ここの院長は名前ばかりで、副院長が真竹っていうんだ。ぼく達と『夏越』の間をつなぐ奴だけど、いやな奴だった。ずっと…ぼくらを憎んでいる」
「つなぐって」
 仁は腕を解いて強ばったのを解そうとするように振り回しているさとるを見た。
「『夏越』を直接見たことがないのかい?」
「うん、いっつも声とかスクリーンの向こうとか。マイヤとかダリューとかは見てるかも知れない。秀人も知ってるかも」
「ダリュー?」
「マイヤの彼氏」
 さとるはくすぐったそうに片目をつぶった。
「秀人は中学生。人を爆発させられるって言ってた」
(じゃあ、あれが、秀人、なんだ)
 仁は公園の相手を思い出した。
(さとるは秀人を僕が葬ったと知ったら、さっきみたいに安心して僕にくっついていられるだろうか)
 それは、内田も同じだろう、と仁は思った。
(内田とも、もう同じようには付き合えないかもしれない)
 病院の玄関は石段の向こう、真っ白に見えるほどの明かりに照らされ、人気なく静まり返っている。
「『夏越』の居る場所まで『飛べる』?」
「ううん」
 さとるは真面目な顔で首を振った。
「地下に居るってことだけ。エレベーターで降りるときは真竹がボタンをいじってたし、見えないようにしていた。超能力者用に力を遮る造りになってるって聞いたことがあるよ」
「じゃあ、正面から入るしかないね」
(内田が聞いたら呆れるだろうけど)
「でも、わかるかな」
「わかるよ」
 仁は目を閉じた。頭痛はない。軽やかに意識は広がり、ある1点に集約されていく。
 その方向は、紛れもなく、この病院の奥まった棟の地下を示している。
「さっきから呼ばれてる」
「でも、それって」
 さとるが眉をしかめた。
「罠じゃないのかな」
「たぶんね」
「なのに、行くの?」
「うん」
ーじ…ぃ…ん………。
 遠く微かに内田の声が応えるかのように響き、仁は笑った。
「たぶん、きっと……それしか僕にはできないから」
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