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母は強いものなんだねえ。
マヒした感覚はのんびりとそう感想を書き込んでくれた。
ドアの向こうにずろずろと黒のワンピースに髪振り乱して立っている畑中さんの奥さんは、がぶりと噛んだ口に朱に塗れた何かをくちゃくちゃやっている。口からだらだら流れている赤黒い液体は自分が吐いている血なのか、それとも口に噛みしめている、それはどう見ても秋子の履いていた靴のようなものなのだけど、それを噛みしめて出た液体なのかそしてまた、その右手にはがっしりと秋子の体を片腕だけでつり下げているあたりが、ああやっぱり現実ではないようで、畑中さんは私を見つけて、にまり、と笑った。
その笑顔を覚えている。知っていると言った方がいいのかも。
小さいころに住んでいた、子どもの足でも半時間程で駆け抜けられる街の、なぜかそれも中央に、鬼子母神のお堂があった。そこは街の四方八方の道なりがゆるゆると曲がっていくのに従っていくとたどり着いてしまう場所、そうして初めてここに来たよそ者なんかはどうしてもそこへ導かれてしまうような場所だった。
お堂はぱっと見にはあせた緑の屋根のついた小さな祠といっていい。中に据えられてたのは何やらまだらに薄汚れた、子どもの腰ほどの小さな像で、ただきょろりとむいた白目に妙に鮮やかな黒い虹彩、両側をつり上げた唇は痛いほど赤く、ひねった体は虚空を切り取るように手足を躍らせていて、今思えばどうしてあの妖しい気配の女性像が鬼子母神、子どもの守り神とされていたのか不安なところ、けれど私にはその像の気配は、確かに母親と思わせた。
鬼子母神は子どもを食らう神であって、守り神となるのはわが子を失ってからのこと、けれど目の前にいる畑中さんは、子どもを食らう喜びに満ちたまがまがしい女の顔をして、くちゃくちゃくちゃと口を動かし続けている。引きずられた秋子がうう、うう、と空しく微かな声を上げて、上目がちに畑中さんを見上げれば、これまたうすら寒いような笑顔で、畑中さんはわが子をちろりと見下ろして。
ずいと一歩足を進められて、私は一歩身を引いた。
「通しなさい」「むりよ、そんなの」。
畑中さんと秋子が同時にことばを私の耳に届けてき、その重なり具合が背骨を内側からかきあげ撫でさするようなきしみ方で、鼓膜ではなく体の内の、どこか湿った膜を響かせ私の内臓に染み込んだ。
「通しなさいってば」「おかあさんは重すぎる」
再び重なる声二つ、私は思わず背後を振り返る。
そうか、畑中さんは秋子もろとも私の部屋の「流れ」を使って、どこかへ旅立とうとしているらしい。もちろん、私に止める気なぞなく、そろそろと後ろへ体を引いて部屋の中へ押されていけば、畑中さんは鮮血垂らして廊下から玄関へと秋子をひきずり押してくる。
「止めようなんて無理だから」「そんなに重くなってしまっては、止められなくてもとどこおる」
掛け合う声がわんわんと私の体の中と外、倍音のように響き渡り、私は一歩ずつしか退けない。それでも何とかダイニングへ、続いてそのまま居間の方へ、そこでようやく気がついた。このまま押されていくならば、開け放った窓からベランダへ、現実ではない幻に絡まれるように圧し続けられて、きっとこの世を踏み外す。
「ちょっと待ってよ」「いいや、待たない」「おかあさん、やめなさい」「私には関係ないでしょう」「いやあんただって一度二度、母親を殺したことがある、その責めをまだ負うてない」。
言い募られて私は体を強ばらせる。母殺し。そんな罪状どこにあっただろう。たとえば、こうして一人暮らしをしていることか、それとも母の意に添わぬ仕事を望み人生を組み直してきたことか。
マヒした感覚はのんびりとそう感想を書き込んでくれた。
ドアの向こうにずろずろと黒のワンピースに髪振り乱して立っている畑中さんの奥さんは、がぶりと噛んだ口に朱に塗れた何かをくちゃくちゃやっている。口からだらだら流れている赤黒い液体は自分が吐いている血なのか、それとも口に噛みしめている、それはどう見ても秋子の履いていた靴のようなものなのだけど、それを噛みしめて出た液体なのかそしてまた、その右手にはがっしりと秋子の体を片腕だけでつり下げているあたりが、ああやっぱり現実ではないようで、畑中さんは私を見つけて、にまり、と笑った。
その笑顔を覚えている。知っていると言った方がいいのかも。
小さいころに住んでいた、子どもの足でも半時間程で駆け抜けられる街の、なぜかそれも中央に、鬼子母神のお堂があった。そこは街の四方八方の道なりがゆるゆると曲がっていくのに従っていくとたどり着いてしまう場所、そうして初めてここに来たよそ者なんかはどうしてもそこへ導かれてしまうような場所だった。
お堂はぱっと見にはあせた緑の屋根のついた小さな祠といっていい。中に据えられてたのは何やらまだらに薄汚れた、子どもの腰ほどの小さな像で、ただきょろりとむいた白目に妙に鮮やかな黒い虹彩、両側をつり上げた唇は痛いほど赤く、ひねった体は虚空を切り取るように手足を躍らせていて、今思えばどうしてあの妖しい気配の女性像が鬼子母神、子どもの守り神とされていたのか不安なところ、けれど私にはその像の気配は、確かに母親と思わせた。
鬼子母神は子どもを食らう神であって、守り神となるのはわが子を失ってからのこと、けれど目の前にいる畑中さんは、子どもを食らう喜びに満ちたまがまがしい女の顔をして、くちゃくちゃくちゃと口を動かし続けている。引きずられた秋子がうう、うう、と空しく微かな声を上げて、上目がちに畑中さんを見上げれば、これまたうすら寒いような笑顔で、畑中さんはわが子をちろりと見下ろして。
ずいと一歩足を進められて、私は一歩身を引いた。
「通しなさい」「むりよ、そんなの」。
畑中さんと秋子が同時にことばを私の耳に届けてき、その重なり具合が背骨を内側からかきあげ撫でさするようなきしみ方で、鼓膜ではなく体の内の、どこか湿った膜を響かせ私の内臓に染み込んだ。
「通しなさいってば」「おかあさんは重すぎる」
再び重なる声二つ、私は思わず背後を振り返る。
そうか、畑中さんは秋子もろとも私の部屋の「流れ」を使って、どこかへ旅立とうとしているらしい。もちろん、私に止める気なぞなく、そろそろと後ろへ体を引いて部屋の中へ押されていけば、畑中さんは鮮血垂らして廊下から玄関へと秋子をひきずり押してくる。
「止めようなんて無理だから」「そんなに重くなってしまっては、止められなくてもとどこおる」
掛け合う声がわんわんと私の体の中と外、倍音のように響き渡り、私は一歩ずつしか退けない。それでも何とかダイニングへ、続いてそのまま居間の方へ、そこでようやく気がついた。このまま押されていくならば、開け放った窓からベランダへ、現実ではない幻に絡まれるように圧し続けられて、きっとこの世を踏み外す。
「ちょっと待ってよ」「いいや、待たない」「おかあさん、やめなさい」「私には関係ないでしょう」「いやあんただって一度二度、母親を殺したことがある、その責めをまだ負うてない」。
言い募られて私は体を強ばらせる。母殺し。そんな罪状どこにあっただろう。たとえば、こうして一人暮らしをしていることか、それとも母の意に添わぬ仕事を望み人生を組み直してきたことか。
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