『BLUE RAIN』

segakiyui

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24.KHAKI DREAM

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 ナタシアの家屋の床に転がっていたシーンの姿を思い出すと、疑似体液が沸騰する。
 胃液を吐き戻しながらのたうっていた彼をルシアは首を掴み上げて吊るした。唾棄するようなことばを耳にした時は既に手が動いていた。
 『グランドファーム』の命令はシーン・キャラハンの護衛であり、障害の破壊ではなかった。だが、止まらなかった。俺のシステムは崩壊の危機にある。『トータル・チェック』も効果がない。
 それによくわからない。
 なぜ俺はシーンの涙が辛かったのか?  むかつくと固いものを殴る癖をどうして忘れていないのか?
 こめかみに触れ『グランドファーム』にパターソンの行方を照会する。署長を連れて逃亡したのは、おそらく俺から自分を守るためだろうが逆効果だ。署長と同行する限り、俺にはパターソンの行方が掴める。
「南へ移動……空港に向かってるのか」
 車のアクセルを踏む。入り組んだ街を抜け切るまでに捕獲する。
 ハンドルを操りながらまたシーンのことを考えてしまう。
 もし署長がパターソンの下でB.P.に携わり、ナタシアのアパート203に出入りし、ラルゴを殺し、パターソンが動き易いように捜査妨害までしていたとシーンが知ったなら。ましてや、自分の上にいた相手が実はROBOTだったとわかったら。
 署長ばかりではない、既にこの世界のほとんどがROBOTで構成され、社会はほんの一握りの人間のために演じられている巨大な芝居だと気づいたら。
 サイコのことをなぜDOLLだと教えなかったと責められた。俺が隠していたのは何かの企みではないかと疑われた。
 本当は、あまりのDOLLの多さにシーンが気づかないかと思ったせいだ。絡む犯罪者が全てDOLLだなんて、いくら鈍いものでもおかしいと思う。ROBOTは重いという先入観でごまかされた真実、人間なみのDOLLが世界を占めているという現実に気づかせてしまう。
 シーンが傷つくのが辛い。体だけではなく、気持ちにも心にも、どんな傷も負わせたくない。
 これはB.P.に侵食されつつある俺だからだろうか。
『人』を守るのではなく、俺は『シーン』を守りたい。
 前方にテールランプを確認。照合し、乗員2名を視認。速度を上げる。狭い路幅をぎりぎりにすり抜けて前へ回り、横滑りさせて道路を塞ぎ飛び出す。ブレーキ音を響かせて突っ込みかけた相手の車は寸前でターン、側の壁に鼻先を突っ込む。
 止まったとたんに二つの人影が路地に走り込むが、それは想定していた。通り過ぎて一筋向こうから走り込み、追っ手がいないと安心しかけて速度を緩めたところへ、斜め上の非常階段から振り落ちてやる。
「ひ、いいいいいっ」
「ぐお!」
 悲鳴を上げたパターソンを背中に、署長が間髪入れずに抜き放った銃が光った。昼間でもお構いなしか。
 破裂音を残して路上に残った雪を跳ねる弾の上を走り抜ける。パターソンを突き飛ばして、署長が見かけによらず素早い動きでとんぼ返りしながらこちらに迫る。
 だが、目まぐるしい動きであっても、ROBOTはDOLLにはかなわない。特に『オリーブ・ドラゴン』に匹敵するROBOTなどありはしない。
 回り込んだ俺は跳ねる署長の中心を捉えて一気に左手を突き入れる。
「ぎゅああああっ!」
 絶叫は一瞬、データ確保のためさっさと首だけはね飛ばして、それ以上損傷しないように頭部を車に放り込んだ。
 あたふたと逃げるパターソンは冷凍状態の亀より遅い。雪を這った背中を踏みつけた。
「ぐああっ」
「動かないように」
「うあうあうあ」
「静かにして頂きたい」
「うがああ、あ!」
 軽く力を加えると、激しく息を吐いて黙った。
「どちらへ行かれますか、管理官」
「……」
「事件は終息していませんが」
「う、ぐぐ」
「俺はシーンの護衛です」
 ひくりと相手が震えた。
「どういう意味だかわかりますね?」
「……DOLL風情が」
「はい?」
「人間さまのコピーでしかない、このくそ人形が!」
 居直ったのか、パターソンは喚いた。
「さっさとその汚い脚をのけろっ」
 俺は微笑んだ。静かに脚を浮かせる。
 はっとしたように前へ這ったパターソンが、そのままくるりと身体を振り向かせた。白い顔に緊張と警戒を浮かべながら俺を見上げる。
「私はパターソン管理官だ」
「心得ております」
「お前が今殺したのは署長だぞ!」
 きりきり眉を逆立てた顔が次第に赤く染まってくる。
「お前らDOLLは人間の未来のために奉仕するために造られたんだぞ!」
「それも心得ております」
 俺は頭を下げてみせた。
「なら、なぜこんなことをするっ」
 パターソンは俺の態度に勢いを得たように、座り込んだままヒステリックに喚き続けた。
「何をやってるのかわかってるのかっ。私は貴重な任務のため、空港へ急いでいたのだっ。何の誤解でこのような暴挙に出たのか、説明しろっ」
「おや、そうでしたか」
 俺は驚いた顔で応じてみせた。
「それは失礼いたしました。お許し下さい」
「なにっ」
「私はパターソン管理官が、シーンを傷つける意図があったとずっと誤解しておりました。そうではなかったのですね?」
「あたりまえだっ」
「いつか、病室へいらしたときも?」
「もちろんっ」
 こういうのを盗人猛々しいと表現したのではなかったか。
 シーンは知らないが、パターソンはシーンの病状を尋ね、何か工作ができないかと企んでいた。俺がべったり側についていなければ、弱り切ったシーンは確実に死亡していたはずだ。
 俺は深く頭を下げた。
「大変な誤解をしておりました。どうすれば償えるのでしょう?」
「何?」
「あなたがシーンの古くからのお知り合いであることは存じております」
 ことさらへりくだったことばを使う。
「シーンはあなたのことをよき思い出として語ってくれています」
「そうか?」
「ずいぶんお世話になった、と」
「ふうむ」
 ちら、とパターソンの目が車に放り込まれた署長の首と俺を比べたのを感じた。
「では」
「はい?」
「空港までの護衛を頼む。シーンには私から話しておく」
「わかりました。では、まず、お手を」
 俺はしゃがみこみ、パターソンの側に近づき手を差し出した。
「なんだ……酷い格好だな?」
 今さらながら気づいたようにつぶやき、パターソンが眉をひそめる。
「凄まじい臭いだ……血……か?」
「はい」
 俺は不安そうに目を伏せて見せた。
「ちょっと事故がありましたもので……こんな状態ではお役に立てないでしょうか?」
「う」
 ゆっくりと上目遣いに視線を動かす。
「俺はあなたのお役に立ちたいんです」
「う、む」 
 視線にわずかに顔をひきつらせたパターソンがちらちらと俺の身体に視線を泳がせる。
「お前は……」
「はい?」
「DOLLなのか」
「はい」
「うむ」
 パターソンの嗜好はわかっている。自分の欲望にとても脆いその精神も。
 路上の雪で汚れた手を浄め、ゆっくり襟元のボタンを外す。息苦しくなったような動作でさりげなく押し下げる。相手の視線がシャツの内側に吸い込まれるのを確認してから囁く。
「どなたも満足して下さいますが」
「う、む」
 ごくんと唾を呑み込んだパターソンが俺の顔を凝視した。
「それが?」
 微笑んでみせた。弱々しく、保護を必要とするように。
「今度のことが済んだら」
「はい」
「シーンには違う護衛を配置する」
「え?」
「お前は私を護衛するように」
「それは」
「いろいろな面で私を支えてほしい」
「有難き、幸せ……」
 微笑みながら俺はパターソンに近づいた。キスするように顔を寄せ、パターソンのくたくたになったネクタイを掴む。座り込んでだらしなく開いた脚の間に膝を押し付けていきながら、冷えた声で付け加えた。
「などと言うとでも?」
「! っぐあっ!」
 膝で急所を押さえられたパターソンが仰け反り倒れるのを、ネクタイ一本で引き寄せる。
「ぐ、ぐ、ぐ、あ」
「俺はシーンにしか従わない」
「ぐうううっ」
「俺を所有できるのはシーンだけだ」
「ぎゃあっ!」
 膝に力を入れるとパターソンが痙攣した。ネクタイを離した上半身が雪の中に倒れ込む。それになおものしかかり、止めを刺そうとした瞬間、こめかみの奥から信じられない指示が来た。
「な、に?」
 あっけにとられる。内容が把握できない。
「もう、『人』を守らなくていい?」
 困惑し、既に泡を吹いているパターソンを見下ろす。
『人』を守らなくていい。だからこいつを殺していい。だが、『人』を守らなくていい。ならば、こいつを殺す意味がない。
 なら。
「俺は」
 俺は、どうすればいい?

「スープ」
 ふいに、優しい声が俺を呼んだ。また、もう一回。
「スープ」
「!」
 弾かれたように振り返る。道の向こう、止まったばかりなのか湯気を吐いてる車から降りた人間が、腹を押さえながら俺に笑いかけている。
「シー……ン」
 二度と会えないと思っていた、会ってはいけないと思っていた。
 黒いくしゃくしゃの髪、深い黒の目、俺に何度もキスをくれた甘くて熱い唇。一瞬にして記憶が頭の中を駆け巡り、混乱して茫然とする。
 固まってしまった俺にシーンはまるで何にも起こってないように笑いかけてきた。
「もういいだろ?」
「え?」
「そいつは放っておけ」
「でも」
「もう何もできやしない」
「だって!」
 視界が歪んだ。今も腹を押さえて苦しそうなシーンの首には真っ赤な跡がついている。
「放っておけません!」
「どうして」
「こいつはまたあなたを傷つける」
「大丈夫だ」
「大丈夫じゃないっ」
 頬を流れ出した涙に俺はますますパニックになった。
「大丈夫なんかじゃない」
「大丈夫だって」
「あなたはそんなに傷ついて」
「すぐに治る」
「ええ、今回は。でも、次はどうだかわからない」
 体の中が冷えてぞわぞわした。
「いつか俺は」
「うん?」
「いつか俺は、あなたを失ってしまう」
 シーンがゆっくり瞬きした。溜息をつき、眉を上げる。
「今だってそうだろ?」
「え?」
「俺はここにいて、お前はそこにいて」
 シーンが困ったように笑った。
「俺も今にもお前を失いそうで怖いんだが」
 甘い声だった。俺の耳から滑り込み、いつかの夜に俺の身体に落ちた吐息ほど甘かった。
「で、でもっ」
 ふらふら頷きそうになって、かろうじて堪える。
「俺は」
「大丈夫だって」
「でもっ」
「またお前が守ってくれんだろ?」
「あ」
 どうしてここまでこの人は、ただの一度も守り切れなかった俺を。
 どうしてここまでこの人は、傷つけることしかしなかった俺を。
「スープ?」
「俺は……っ」
「うん」
「もう、壊れる」
「……うん」
「もう、あなたを守り切れない」
「うん」
「俺は……あなたと一緒にいられないんだ……っ」
 叫んだ瞬間気がついた。
 俺はシーンを失いたくなかった。シーンが俺の世界から消えてほしくなかった。
 けれど、それはシーンの中に俺がいるからだ。シーンが生きていれば俺が消えても、俺は消えずにすむからだ。俺は、俺が消えるのが怖かったんだ。シーンと一緒にいられない俺が、世界から消えるのが怖かった。
 がたがた自分が震えているのがわかった。
 俺は本当に壊れてるのかもしれない。ROBOTなのに。造られたものなのに。金属とプラスティックの塊なのに。俺はシーンが消えるのと同じぐらい、俺が消えるのが怖い。
 体の芯から寒くなる。俺はいつか俺が生き延びるためにシーンを犠牲にするかもしれない。
 だめだ。だめだ。そんなこと、許せない。俺はシーンの護衛なのに。俺はシーンを好きなのに。俺はいつかシーンを殺すかもしれない。
「ああ」
 気づく。そうか、俺は。
 震えながらシーンを見る。
 俺は本当は、シーンを殺してしまいそうで、それでシーンから逃げたのか? シーンの記憶を消したのか?
 それなら同じじゃないか、サイコ野郎と、パターソンと。ROBOTのくせに、護衛のくせに、守るべきシーンを殺すかもしれないなんて? シーンの信頼を利用して。まっすぐに向けられた好意に便乗して。
 だからあんな酷いこともできた。無理矢理シーンを。
 シーンはじっと俺を見ている。俺の中の殺意に気づいたのだろうか。
 あのスティックをシーンに渡したのも、自分の気持ちに気づいていたからだ。今あのスティックで刺されたら、俺はやっぱり反撃してしまうのだろうか。するような気がする。でも、そうやってシーンを傷つけた後、俺には何にも残らない。
 どうしよう、シーン。
 どうしたらいいのかわからない。どんどん自分がからっぽになっていくみたいだ。
 黙ってシーンを見つめる俺から、シーンは目を逸らさなかった。ジットの血で汚れてパターソンを押さえつけて、それこそ世界を破壊する竜みたいな目で俺は彼を見返してるはずなのに。俺の殺意を感じてるはずなのに。シーンの目は静かで優しい。
「なあ、スープ?」
「……はい」
「なら、壊れるときまで一緒にいよう?」
「は、い?」
 思ってもいなかったことばを投げられてぽかんとした。
「俺だっていつ死ぬかわかんねえよ、人間だからな」
「あ」
「だから、一緒にいられるときまで、一緒にいよう」
 いられるときまで一緒に。そのことばの甘さに打ちのめされる。
 そうしたい、俺だって、そうしたい。このままずっとシーンの側にいたい。
 でも、けれど、だって、シーン。ことばに出せない声が身体の底に溜まる。
 俺は『オリーブ・ドラゴン』だ。人類の滅亡を防ぐために造られて、そのためにシーンの護衛になって、今そのためにパターソンを処刑する。シーンの目の前でだって、俺は必要とあれば人間を殺す。
 そして、俺は自分の役割を果たすためだけではなくて、自分を守るためだけにシーンを殺すかもしれない。そんな危険なDOLLを、誰が側に居させたい?
 シーンはしばらく待っていたが、俺が応えないのに生真面目な顔で銃を取り出した。
「シーン……」
 わかっていたけれど、微かな衝撃を感じた。
 銃で俺を始末するのか。そうやって『人』を殺すDOLLを片付ける。
 今の俺はシーンにとって暴走したDOLLに過ぎない。『スープ』なんかじゃないんだろう。
 スティックはどうしたんだろう。それとも距離があるから銃なのか。
 俺は隙を見て逃げようとしたパターソンを改めて押さえつけた。呻きがあがる。
「こいつを始末しろ、シーン・キャラハン! こいつはおかしくなったんだぞ!」
 俺はシーンをじっと見返した。
 いい、それなら構わない。俺がシーンを殺す前に、シーンに壊されるならそれがいい。
「やめろ、スープ」
 体が大きく震えた。まだスープと呼んでくれる。優しいシーン。でも。だからこそ。
「いやです」
「知ってるはずだろ? もう『人』を守らなくていい」
「わかってます、だからこいつを殺していい」
 銃が俺に向けられる。
「撃って下さい、シーン」
 俺は笑った。
「あなたに撃たれても、俺はこいつをしとめる」
「スープ」
「いやだ、こいつだけはここに残せない、あなたと一緒の世界に残しておけない」
「……スープ」
 シーンはふ、と吐息をついてなおも困った顔で笑った。
「俺にお前が撃てると思うか?」
「え?」
「俺はお前に惚れてんだよ」
「でも……俺っ……」
「仕方ねえなあ」
 次の瞬間、システムが全部吹っ飛びそうになった。苦笑いしたシーンが銃を自分のこめかみに当てたのだ。震えが止まり、周囲の音が消えた。必死に叫ぶ。
「シーンっ! 何するんですかっ?!」
「何って」
「やめて下さい!」
「じゃあ、止めに来いよ、スープ」
「!」
 きら、とシーンの黒い目が光った。息を呑む俺に銃の引き金に指をかけたまま、うっそりと笑う。
「なあ、どっちを選ぶんだ?」
「っ」
「そいつをしとめるか、俺を止めるか」
「シ、シーンっ!」
「お前は一人だから、どっちかしかできねえよ?」
 安全装置が外される。
「俺か、そいつか」
 シーンの指に力がこもる。本気だ。世界が凍りつく。選ぶまでもない、選択肢など始めからない。
 俺はパターソンの上から飛び退いてシーンに走り寄った。銃口を左手で包み引き下げる。暴発したって俺に当たるぐらいなら構わない。いや構うのか。もし俺の爆薬に当たったら。けどそれは一緒にいなくなるってことだ。それならいい、それならもういい。
 思った瞬間にぞっとした。俺はシーンを残すぐらいなら殺してしまえばいいと思ってる。『人』を守るはずのROBOTなのに。シーンを守るはずの護衛なのに。いや、もう『人』は守らなくていいのか。だからシーンを守らなくても? ああ、もう何がなんだかわからない。
 混乱しきって、それでも近づいたシーンの体の熱がたまらなく嬉しい。右手がなくて抱き締められない、こんな状況でそれだけ悔やんでいる。もっと近くに引き寄せたい。もっと側に、シーンの温もりを感じたい。
 銃をシーンの手から引き抜き、安全装置をかけておさめる。ようやく空いた左手で力いっぱいシーンを抱き締める。温かな体がしなって俺の胸にくっつき、ふいにどすんと重いものが宿った。
 ここだ。ここだ。ここしかない。
 俺の居る場所。俺の所在地。
 俺の心はシーンの中にしか存在しない。
 だから、シーンが生きていなくちゃだめだ。それ以外の何もいらない。過去も未来も、俺自身だっていらない、シーンさえ居てくれればいい。シーンがいないなら、世界も『人』もいなくていい。
 俺がシーンを殺した瞬間、俺は自分を殺すんだ。俺の居る世界を壊すんだ。だから俺はシーンを殺さない。俺のために。俺が生きてくために。
 込み上げるものを我慢できずに俺はぼろぼろ泣いた。
 その俺をシーンがそっと抱き返してくれた。唇を寄せて、優しく重ねながら囁いてくれた。
「おかえり、スープ」
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