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『海に降る』
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浜の東、岬を少し回った辺りに、『おばばさま』の家がある。
岩のくぼみに板と布を貼り付けたような家だが、この辺の家はどこもそんなもんだ。
『おばばさま』は大抵、その家の中にちょこんと座って、海藻を広げたり選り分けたりしている。ずいぶんと年寄りだが、本当のところは幾つなのか、誰も知らない。
じゃあ何で年寄りだとわかるのかと言うと、『おばばさま』には大きな黒い目が2つ、顔についているからだ。
『オオユレ』からこっち、日の光は滅多に射さなくなった。空にでっかい『ふた』をしたものがいると言う話だが、どうだか。
光がほとんど射さないから、物が見えてもあまり役に立たない。『オオユレ』の後で産まれた子どもには目がなかった。その『オオユレ』だって、かなり昔のことだもの、目がある『おばばさま』はうんと年寄りに違いない。
それから、もう1つ。
『おばばさま』はいろんな話を知っている。『オオユレ』が起こる前の話もたくさん知っている。それほどの話を体の裡に入れるには、それは長い年月がいる。そういうもんだ。
分別のある大人なら、『おばばさま』の話をみいんな聞きたいなんて考えない。けど、子どもらは違う。
今日も岬を回って、幼子混じりの子どもらが、いそいそ『おばばさま』の家へ行く。
「おばばさま、おばばさま!」
「はいよう、にぎやかなんがやってきた」
「お話して、お話!」
「何のお話」
「空を『ふた』したもんのお話」
「今降ってる雪の話」
「『オオユレ』のずっと前のお話」
「はいよう、お話いたしましょう」
「はいよう、お話いたしましょう!」
子らは『おばばさま』の口調を真似して、きゃっきゃっと騒いで円になる。真ん中に『おばばさま』を囲んでまあるい輪を作る。
「それはな、わしらより大きな生き物の話」
「わしらより大きな生きもんの話」
「『人』と呼ばれて生き物が、滅んでしまう、その時の話」
『おばばさま』がまだ本当に小さなものだった頃、地上には日の光溢れ、緑が茂り、川が流れていた。
町と呼ばれる群れがあった。岩のようだが岩ではない固くてザラザラしたものと、かねとつるつるした溶けない氷で作られた箱で、その中に『人』が飼われていた。
『人』は箱を区切って巣を作り、外へ出かけて食べ物を取ってきたり、巣の材料や子どもの服になるものを集めたりした。
『人』は、町の外では脆そうに見えた。いつも何人かが寄り添って、怒ったり泣いたり、ほんの時々笑ったりした。
そうそう。『人』は特に雪には弱くて、雪がいっぱい降り積もると、箱から出てくる『人』は少なくなった。『人』を集めて乗せたまま走る箱もあったけど、『オオユレ』の少し前に降った雪の後は、あまり走らなくなってしまった。
それは黒い雪だった。
何度も黒い雪が降り、激しい稲光とまばゆい光の球が世界のあちらこちらで跳ね回り、砕け散り、そしてまた黒い雪が降った。
雪が降るたび『人』は静かになって行った。箱も町も静かになって行った。
世界が静まり返った頃、『オオユレ』が襲ってきた。何もかもをひっくり返して圧し潰し、よいしょと両手で持ち上げて、ぐっしゃり粉々にしていった。
世界の粉は空を『ふた』し、やがて、白い雪が降り始める。
「じゃあ、おばばさま、今こうして降っているのは雪ではないの」
「そうさな、世界の粉だわな」
「『人』はどこへ行ってしまったの」
「世界と一緒に降っているのさ」
「なら、この世もいつか粉になるの」
口々に尋ねる子どもらに、『おばばさま』は深い溜息をついた。
「『人』も世界も多くの箱も、みんな細かな粉になって、上から下へと降って来るのさ。昔、岬は『にっぽん』と呼ばれていたんだよ。『人』はいろんなものに名前をつけて、それで何もかもわかったつもりでいたけれど、ほんとは何もわかっていなかったんだよ。『オオユレ』が起ころうと『人』が滅びようと、全ては粉になり塵になり、彼方の深みへと降り積もっていくものなのさ」
『おばばさま』が『人』の話をするうちに、何となあく不機嫌になるのもいつものことだから、子どもらは気にした様子もない。ただ、『おばばさま』が疲れてきたのは察して、ひょいひょい身軽に立ち上がる。
「面白かった、『おばばさま』」
「そろそろ行くね」
「また今度」
「はいよう、はいよう、また今度」
子らを見送って戸口まで出た『おばばさま』は顔を上げる。ゆったりと闇の中を落ちて来る白いものを目を細めて見守りながら、小さく小さく呟いてみる。
「そうだわね、いずれはわしらも降るのだわね。この地を離れて、もっと遠い深みへな」
『おばばさま』は口をつぐむ。
ふと、この身を置いて浮き上がり、世界と共に消えそうで。
『おばばさま』は首を竦め、そそくさと家に戻って、甲羅に手足を縮め込んだ。
終わり
岩のくぼみに板と布を貼り付けたような家だが、この辺の家はどこもそんなもんだ。
『おばばさま』は大抵、その家の中にちょこんと座って、海藻を広げたり選り分けたりしている。ずいぶんと年寄りだが、本当のところは幾つなのか、誰も知らない。
じゃあ何で年寄りだとわかるのかと言うと、『おばばさま』には大きな黒い目が2つ、顔についているからだ。
『オオユレ』からこっち、日の光は滅多に射さなくなった。空にでっかい『ふた』をしたものがいると言う話だが、どうだか。
光がほとんど射さないから、物が見えてもあまり役に立たない。『オオユレ』の後で産まれた子どもには目がなかった。その『オオユレ』だって、かなり昔のことだもの、目がある『おばばさま』はうんと年寄りに違いない。
それから、もう1つ。
『おばばさま』はいろんな話を知っている。『オオユレ』が起こる前の話もたくさん知っている。それほどの話を体の裡に入れるには、それは長い年月がいる。そういうもんだ。
分別のある大人なら、『おばばさま』の話をみいんな聞きたいなんて考えない。けど、子どもらは違う。
今日も岬を回って、幼子混じりの子どもらが、いそいそ『おばばさま』の家へ行く。
「おばばさま、おばばさま!」
「はいよう、にぎやかなんがやってきた」
「お話して、お話!」
「何のお話」
「空を『ふた』したもんのお話」
「今降ってる雪の話」
「『オオユレ』のずっと前のお話」
「はいよう、お話いたしましょう」
「はいよう、お話いたしましょう!」
子らは『おばばさま』の口調を真似して、きゃっきゃっと騒いで円になる。真ん中に『おばばさま』を囲んでまあるい輪を作る。
「それはな、わしらより大きな生き物の話」
「わしらより大きな生きもんの話」
「『人』と呼ばれて生き物が、滅んでしまう、その時の話」
『おばばさま』がまだ本当に小さなものだった頃、地上には日の光溢れ、緑が茂り、川が流れていた。
町と呼ばれる群れがあった。岩のようだが岩ではない固くてザラザラしたものと、かねとつるつるした溶けない氷で作られた箱で、その中に『人』が飼われていた。
『人』は箱を区切って巣を作り、外へ出かけて食べ物を取ってきたり、巣の材料や子どもの服になるものを集めたりした。
『人』は、町の外では脆そうに見えた。いつも何人かが寄り添って、怒ったり泣いたり、ほんの時々笑ったりした。
そうそう。『人』は特に雪には弱くて、雪がいっぱい降り積もると、箱から出てくる『人』は少なくなった。『人』を集めて乗せたまま走る箱もあったけど、『オオユレ』の少し前に降った雪の後は、あまり走らなくなってしまった。
それは黒い雪だった。
何度も黒い雪が降り、激しい稲光とまばゆい光の球が世界のあちらこちらで跳ね回り、砕け散り、そしてまた黒い雪が降った。
雪が降るたび『人』は静かになって行った。箱も町も静かになって行った。
世界が静まり返った頃、『オオユレ』が襲ってきた。何もかもをひっくり返して圧し潰し、よいしょと両手で持ち上げて、ぐっしゃり粉々にしていった。
世界の粉は空を『ふた』し、やがて、白い雪が降り始める。
「じゃあ、おばばさま、今こうして降っているのは雪ではないの」
「そうさな、世界の粉だわな」
「『人』はどこへ行ってしまったの」
「世界と一緒に降っているのさ」
「なら、この世もいつか粉になるの」
口々に尋ねる子どもらに、『おばばさま』は深い溜息をついた。
「『人』も世界も多くの箱も、みんな細かな粉になって、上から下へと降って来るのさ。昔、岬は『にっぽん』と呼ばれていたんだよ。『人』はいろんなものに名前をつけて、それで何もかもわかったつもりでいたけれど、ほんとは何もわかっていなかったんだよ。『オオユレ』が起ころうと『人』が滅びようと、全ては粉になり塵になり、彼方の深みへと降り積もっていくものなのさ」
『おばばさま』が『人』の話をするうちに、何となあく不機嫌になるのもいつものことだから、子どもらは気にした様子もない。ただ、『おばばさま』が疲れてきたのは察して、ひょいひょい身軽に立ち上がる。
「面白かった、『おばばさま』」
「そろそろ行くね」
「また今度」
「はいよう、はいよう、また今度」
子らを見送って戸口まで出た『おばばさま』は顔を上げる。ゆったりと闇の中を落ちて来る白いものを目を細めて見守りながら、小さく小さく呟いてみる。
「そうだわね、いずれはわしらも降るのだわね。この地を離れて、もっと遠い深みへな」
『おばばさま』は口をつぐむ。
ふと、この身を置いて浮き上がり、世界と共に消えそうで。
『おばばさま』は首を竦め、そそくさと家に戻って、甲羅に手足を縮め込んだ。
終わり
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