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『ドライなかすみ草』(2)
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あの時、和志の部屋に招かれ、裕子は有頂天だった。付き合って半年、そろそろ何かの進展が欲しいと思うのは恋心、警戒はしたものの穏やかな和志の笑顔に気持ちを解いた。
和志の部屋はどちらかと言うと殺風景な部屋だったが、窓際の幾つかの小瓶にかすみ草のドライフラワーが飾ってあり、奇妙な違和感を醸していた。それがどういうものなのか聞くにも聞けず、1時間を和志の部屋で過ごした裕子は、突然訪ねてきた和志の同僚と名乗る女に和志を連れ出され、それから2時間放って置かれた。
外からかかってきた和志の電話は言い訳じみて腹立たしいばかり、電話の側の青色のメモを裕子は揉みくちゃにしたものだ。結局、相手の女が失恋して八つ当たりしに来たのを、宥めて帰らせるのに苦労したとわかっても、裕子はしばらく怒っていた。
そんなことを思い出しながら、裕子は和志の部屋に辿り着いた。ベルを鳴らす、と待ち構えていたように相手がドアをあけ、照れ臭そうに頷いた。
「早かったね…」
「どういうことよ、これ」
裕子はぐいと小包を突き出した。和志がますます照れた顔になり、
「だから……その、ちょっとした演出を…さ」
「だから、どうして、演出、なんかするのよ」
いつもの素っ気なさと、目の前にいる和志の態度がちぐはぐで、裕子は知らず知らず声の調子を上げた。
「変よ。いつも、こんなこと、しないじゃない。どうして急に、こんなこと、するの」
「だからさ………まあ、中に入って」
どこか曖昧な笑みを浮かべて言いかけた相手の目が、裕子の後ろを通っていく同じ階の住人に向けられたのを知って、裕子は意地になった。
「入らない。はっきりさせてくれるまで、入らない」
「……だから…さ…」
和志は裕子は頑として動きそうにないのを見ると、少し裕子に近づいて、ゆっくりした声で言う。
「だから……ね。僕ら、もう3年、だろ? …この辺りでそろそろきちんと話をつけたかったんだ。それには……あ…あ…あ…」
「別れる気、なのね」
和志は裕子の目からぼろぼろ溢れた涙に狼狽えて、後のことばを慌てて続けた。
「違うよ、そうじゃない、別れるんじゃない、逆だ、まるっきり逆だ、3年付き合ったし、もう僕がどんな男かわかっただろうし、だからもう、結婚しようか、と」
「けっ………こん……?」
「うん」
和志は裕子の横から体を伸ばしてドアを閉め、裕子を奥へ導いた。小包を抱えたまま部屋に入り、ソファに腰をおろした裕子に、ようやく安心したような顔になる。覗き込むように裕子を見ながら、
「で……このところ忙しかったし……ヘタな持ちかけ方をしたら振られそうだったし、それで、少し演出を、さ」
「で…でも、どうして? 私、すぐには分からなかったわよ?」
「…え?」
和志は呆気に取られた顔で裕子を見た。信じられないように繰り返す。
「分からなかった?」
「うん…気味が悪かった」
「だって……どうして! 君が言ったんだぞ、この花束を持って、迎えに来てね、って」
今後は裕子が呆気に取られる番だった。
「私が?」
「そう! 初めてのデートの時! もし結婚したら、なんて冗談混じりに話したら、君が『この花束を持って来てくれたら結婚してもいい』って!」
「あ…」
そこまで言われて、裕子もようやく朧な記憶を拾い出した。初めてのデートはあの花屋から、かすみ草の花束を買って貰ったのだ。君みたいだねと言われて、さすがに嬉しくて、そういうことを口走ったかも知れない。
「思い出した?」
和志はむっとした顔になった。
「それに、こうも言った、『私、誕生日にプロポーズされたいなあ』って。だから、ほんとは誕生日に小包を送るつもりだったんだけど、忙しくなってうまく送れなくて、だから3日遅れた分を演出で何とかしようって…」
「…あの」
「ほんと、女って、忘れっぽいのな」
「あの、和志」
「何だよ」
「私の誕生日、今日よ?」
「え?」
再び和志が惚けた。
「誕生日、間違えてたの?」
「だって……だってな、ここんとこ忙しかったのも、結婚資金稼ぐためで……大体、自分の言ったことを忘れるような女のために、あーあ、バカなことしたよな」
「……何よ、私が小包のこと聞いた時はトボけたくせに……それに、結婚しようっていう相手の誕生日間違えての演出なんて、大笑いよねっ」
「ったく、女ってのは!」
「っったく、男ってのは!」
薄赤くなって言い合っている2人は気づいていない。
今夜はそういう話をするために会ったわけじゃないのに。
時計の針はもうすぐ12時を越える……いずれにせよ、裕子は誕生日のプロポーズを逃してしまいそうだ。
おわり
和志の部屋はどちらかと言うと殺風景な部屋だったが、窓際の幾つかの小瓶にかすみ草のドライフラワーが飾ってあり、奇妙な違和感を醸していた。それがどういうものなのか聞くにも聞けず、1時間を和志の部屋で過ごした裕子は、突然訪ねてきた和志の同僚と名乗る女に和志を連れ出され、それから2時間放って置かれた。
外からかかってきた和志の電話は言い訳じみて腹立たしいばかり、電話の側の青色のメモを裕子は揉みくちゃにしたものだ。結局、相手の女が失恋して八つ当たりしに来たのを、宥めて帰らせるのに苦労したとわかっても、裕子はしばらく怒っていた。
そんなことを思い出しながら、裕子は和志の部屋に辿り着いた。ベルを鳴らす、と待ち構えていたように相手がドアをあけ、照れ臭そうに頷いた。
「早かったね…」
「どういうことよ、これ」
裕子はぐいと小包を突き出した。和志がますます照れた顔になり、
「だから……その、ちょっとした演出を…さ」
「だから、どうして、演出、なんかするのよ」
いつもの素っ気なさと、目の前にいる和志の態度がちぐはぐで、裕子は知らず知らず声の調子を上げた。
「変よ。いつも、こんなこと、しないじゃない。どうして急に、こんなこと、するの」
「だからさ………まあ、中に入って」
どこか曖昧な笑みを浮かべて言いかけた相手の目が、裕子の後ろを通っていく同じ階の住人に向けられたのを知って、裕子は意地になった。
「入らない。はっきりさせてくれるまで、入らない」
「……だから…さ…」
和志は裕子は頑として動きそうにないのを見ると、少し裕子に近づいて、ゆっくりした声で言う。
「だから……ね。僕ら、もう3年、だろ? …この辺りでそろそろきちんと話をつけたかったんだ。それには……あ…あ…あ…」
「別れる気、なのね」
和志は裕子の目からぼろぼろ溢れた涙に狼狽えて、後のことばを慌てて続けた。
「違うよ、そうじゃない、別れるんじゃない、逆だ、まるっきり逆だ、3年付き合ったし、もう僕がどんな男かわかっただろうし、だからもう、結婚しようか、と」
「けっ………こん……?」
「うん」
和志は裕子の横から体を伸ばしてドアを閉め、裕子を奥へ導いた。小包を抱えたまま部屋に入り、ソファに腰をおろした裕子に、ようやく安心したような顔になる。覗き込むように裕子を見ながら、
「で……このところ忙しかったし……ヘタな持ちかけ方をしたら振られそうだったし、それで、少し演出を、さ」
「で…でも、どうして? 私、すぐには分からなかったわよ?」
「…え?」
和志は呆気に取られた顔で裕子を見た。信じられないように繰り返す。
「分からなかった?」
「うん…気味が悪かった」
「だって……どうして! 君が言ったんだぞ、この花束を持って、迎えに来てね、って」
今後は裕子が呆気に取られる番だった。
「私が?」
「そう! 初めてのデートの時! もし結婚したら、なんて冗談混じりに話したら、君が『この花束を持って来てくれたら結婚してもいい』って!」
「あ…」
そこまで言われて、裕子もようやく朧な記憶を拾い出した。初めてのデートはあの花屋から、かすみ草の花束を買って貰ったのだ。君みたいだねと言われて、さすがに嬉しくて、そういうことを口走ったかも知れない。
「思い出した?」
和志はむっとした顔になった。
「それに、こうも言った、『私、誕生日にプロポーズされたいなあ』って。だから、ほんとは誕生日に小包を送るつもりだったんだけど、忙しくなってうまく送れなくて、だから3日遅れた分を演出で何とかしようって…」
「…あの」
「ほんと、女って、忘れっぽいのな」
「あの、和志」
「何だよ」
「私の誕生日、今日よ?」
「え?」
再び和志が惚けた。
「誕生日、間違えてたの?」
「だって……だってな、ここんとこ忙しかったのも、結婚資金稼ぐためで……大体、自分の言ったことを忘れるような女のために、あーあ、バカなことしたよな」
「……何よ、私が小包のこと聞いた時はトボけたくせに……それに、結婚しようっていう相手の誕生日間違えての演出なんて、大笑いよねっ」
「ったく、女ってのは!」
「っったく、男ってのは!」
薄赤くなって言い合っている2人は気づいていない。
今夜はそういう話をするために会ったわけじゃないのに。
時計の針はもうすぐ12時を越える……いずれにせよ、裕子は誕生日のプロポーズを逃してしまいそうだ。
おわり
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