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『不願地蔵』
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佐代子の町の外れの辻には、小さなお堂が建っていて、そこには石造りの地蔵様が祀られています。首に赤いよだれかけをかけているので、子どもを護る地蔵様かとも思うのですが、土地に古くから住む年寄りは「不願地蔵」と呼んでいます。
「お母さん、なぜ不願地蔵って言うの?」
ある日佐代子がそう尋ねると、夕食の支度をしていたお母さんはすらすらこう答えました。
「不願、って言うのは『願いを叶えません』と言う意味なの。あの地蔵さんには何もお願いしては駄目よ、何も叶わないばかりか、返って祟りがあるって」
「でも、お母さん」
佐代子は不思議に思って言いました。
「お地蔵さんって、仏様の一人でしょ? なのにお願いを聞いてくれないの?」
「あら、そう言えばそうね」
お母さんは初めて気がついたように、少し首を傾げました。けれどもすぐに、
「でもねえ、間違ってるかも知れないわ、おばあちゃんから聞いたから」
佐代子は隣町に引っ越したおばあちゃんを思い出しました。はきはきして、引っ越す前にはよくお母さんと喧嘩していたおばあちゃん。家のいろいろな道具をトラックに積んで、お父さんが会社から帰る前に出て行ったおばあちゃん。そのトラックを、おかあさんはエプロンの端をつかんで見送っていました。
「……だから、お願い、叶えてくれなかったのか」
「なあに、佐代子、あんた何かお願いしたの」
「うん、おばあちゃんが家に居てくれますようにって」
お母さんは佐代子の顔を妙な顔で見ました。やがてくるりと背中を向けて、ことこと大根を切りながら、ぽんと放るように言いました。
「そ、祟りがなくて良かったわね。子どもはあれこれ考えなくていいの。それより宿題はやったの、この間先生に叱られたばっかりでしょ。お母さん、忙しいんんだから、もう学校に謝りに行かないわよ」
「わかった…」
口ではそう答えたものの、佐代子は悔しくてたまりません。おばあちゃんはお母さんだけのおばあちゃんじゃない、お父さんや佐代子のおばあちゃんでもあるのに、お母さんはおばあちゃんが出て行くのを引き止めなかった。その後、佐代子がどれほど寂しかったか、お母さんは知らないのです。お父さんやお母さんが外で働いている昼間、おばあちゃんは佐代子の一番の友達でいてくれたのです。
佐代子は、お母さんが裏へ行った隙に、すいと玄関から外に出ました。隣町までは佐代子の足で30分、今から行けば、暗くなる前におばあちゃんの家に着くでしょう。佐代子は自分勝手なお母さんに少し心配させてやろうと思いました。
家を出て、町外れに差し掛かると、佐代子は「不願地蔵」のお堂に近づきました。
雨に打たれて灰色になった木のお堂の中で、小さな地蔵様がにこにここちらを見ています。
「お願い叶えません、なんておかしなお地蔵さん……そうだ」
佐代子はお堂の前にしゃがみ込むと手を合わせて額に付けました。小さな声で、
「どうかどうかお母さんをコラシメて下さい。おばあちゃんを追い出したバツを与えて下さい」
祈ってから立ち上がり、にっこり笑ってお堂を見ました。願いは叶えてもらえなくても気持ちがすっきりするならいいや、そう呟いて、おばあちゃんの家へ行きました。
おばあちゃんは急にやってきた佐代子を、驚いて喜んで迎えてくれました。けれども、佐代子がお母さんに黙って出てきたと知ると、困った子だねえとあやすように言って、佐代子の家へ電話をかけてくれました。
「もしもし、あたしだけど……え、ああ、佐代子はこっちだけど……どうしたの? ……怪我をした?」
おばあちゃんは早口になってしばらく話し、慌ただしく電話を切って、佐代子に言いました。
「お母さん、階段から落ちて怪我をしたって。佐代子、おばあちゃんと一緒に家へ帰ろう」
「え…」
佐代子は真っ青になりました。
「おばあちゃん……あたし…」
「なに、どうしたの」
佐代子は家に帰る道すがら、おばあちゃんに、お母さんと喧嘩をしたこと、悔しくて「不願地蔵」にお母さんを懲らしめて欲しいと祈ったことを泣きながら話しました。
じっと聞いていたおばあちゃんは、深い大きな溜息をついて、叱るではなく、どこか優しく言いました。
「………ばかな子だねえ」
「だって……お願い叶えないって…」
「だからさ、そう言うお地蔵さんなんだよ。願いが叶わないと聞くと、それなら大丈夫と人間はとんでもないことを祈ったりする。人を呪ったり、残酷なことを願ったり、分不相応な願いを訴えたりする。あのお地蔵さんはね、そう言う自分の姿に気付きなさいって教えて下さるんだよ。苦しかったり辛かったりするのは、そう言うものを抱えている自分のせいだよってね」
おばあちゃんと佐代子は「不願地蔵」の前をゆっくり通り過ぎました。
木のお堂は薄暗闇の中なのに、仄かに輝いて見えました。
終わり
「お母さん、なぜ不願地蔵って言うの?」
ある日佐代子がそう尋ねると、夕食の支度をしていたお母さんはすらすらこう答えました。
「不願、って言うのは『願いを叶えません』と言う意味なの。あの地蔵さんには何もお願いしては駄目よ、何も叶わないばかりか、返って祟りがあるって」
「でも、お母さん」
佐代子は不思議に思って言いました。
「お地蔵さんって、仏様の一人でしょ? なのにお願いを聞いてくれないの?」
「あら、そう言えばそうね」
お母さんは初めて気がついたように、少し首を傾げました。けれどもすぐに、
「でもねえ、間違ってるかも知れないわ、おばあちゃんから聞いたから」
佐代子は隣町に引っ越したおばあちゃんを思い出しました。はきはきして、引っ越す前にはよくお母さんと喧嘩していたおばあちゃん。家のいろいろな道具をトラックに積んで、お父さんが会社から帰る前に出て行ったおばあちゃん。そのトラックを、おかあさんはエプロンの端をつかんで見送っていました。
「……だから、お願い、叶えてくれなかったのか」
「なあに、佐代子、あんた何かお願いしたの」
「うん、おばあちゃんが家に居てくれますようにって」
お母さんは佐代子の顔を妙な顔で見ました。やがてくるりと背中を向けて、ことこと大根を切りながら、ぽんと放るように言いました。
「そ、祟りがなくて良かったわね。子どもはあれこれ考えなくていいの。それより宿題はやったの、この間先生に叱られたばっかりでしょ。お母さん、忙しいんんだから、もう学校に謝りに行かないわよ」
「わかった…」
口ではそう答えたものの、佐代子は悔しくてたまりません。おばあちゃんはお母さんだけのおばあちゃんじゃない、お父さんや佐代子のおばあちゃんでもあるのに、お母さんはおばあちゃんが出て行くのを引き止めなかった。その後、佐代子がどれほど寂しかったか、お母さんは知らないのです。お父さんやお母さんが外で働いている昼間、おばあちゃんは佐代子の一番の友達でいてくれたのです。
佐代子は、お母さんが裏へ行った隙に、すいと玄関から外に出ました。隣町までは佐代子の足で30分、今から行けば、暗くなる前におばあちゃんの家に着くでしょう。佐代子は自分勝手なお母さんに少し心配させてやろうと思いました。
家を出て、町外れに差し掛かると、佐代子は「不願地蔵」のお堂に近づきました。
雨に打たれて灰色になった木のお堂の中で、小さな地蔵様がにこにここちらを見ています。
「お願い叶えません、なんておかしなお地蔵さん……そうだ」
佐代子はお堂の前にしゃがみ込むと手を合わせて額に付けました。小さな声で、
「どうかどうかお母さんをコラシメて下さい。おばあちゃんを追い出したバツを与えて下さい」
祈ってから立ち上がり、にっこり笑ってお堂を見ました。願いは叶えてもらえなくても気持ちがすっきりするならいいや、そう呟いて、おばあちゃんの家へ行きました。
おばあちゃんは急にやってきた佐代子を、驚いて喜んで迎えてくれました。けれども、佐代子がお母さんに黙って出てきたと知ると、困った子だねえとあやすように言って、佐代子の家へ電話をかけてくれました。
「もしもし、あたしだけど……え、ああ、佐代子はこっちだけど……どうしたの? ……怪我をした?」
おばあちゃんは早口になってしばらく話し、慌ただしく電話を切って、佐代子に言いました。
「お母さん、階段から落ちて怪我をしたって。佐代子、おばあちゃんと一緒に家へ帰ろう」
「え…」
佐代子は真っ青になりました。
「おばあちゃん……あたし…」
「なに、どうしたの」
佐代子は家に帰る道すがら、おばあちゃんに、お母さんと喧嘩をしたこと、悔しくて「不願地蔵」にお母さんを懲らしめて欲しいと祈ったことを泣きながら話しました。
じっと聞いていたおばあちゃんは、深い大きな溜息をついて、叱るではなく、どこか優しく言いました。
「………ばかな子だねえ」
「だって……お願い叶えないって…」
「だからさ、そう言うお地蔵さんなんだよ。願いが叶わないと聞くと、それなら大丈夫と人間はとんでもないことを祈ったりする。人を呪ったり、残酷なことを願ったり、分不相応な願いを訴えたりする。あのお地蔵さんはね、そう言う自分の姿に気付きなさいって教えて下さるんだよ。苦しかったり辛かったりするのは、そう言うものを抱えている自分のせいだよってね」
おばあちゃんと佐代子は「不願地蔵」の前をゆっくり通り過ぎました。
木のお堂は薄暗闇の中なのに、仄かに輝いて見えました。
終わり
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