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『グッド・ペイシャント』(1)
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また、ナースコールが鳴った。
静まり返った病棟に響き渡らないよう配慮して締め切ってあるナースステーション、だからこそ一層小うるさく聞こえる。
西川伴代は鬱陶しくボードを見上げた。
やっぱり15号室、竹井の部屋だ。
溜息をついて立ち上がる体が、さっきのコールよりなお重くなった気がする。
「今度は何かな」
呟く声がうんざりしているのを聞きつけたのだろう、ペアで働いている野上がPCから目を上げてくすりと笑った。
「竹井さんの側なんて、ついてないわね」
独特の引っかかる物言いで続ける。
「でも、気取られないようにしなくてはね。夜中の2時に、例の『師長を呼べ!」をやられたくはないでしょ?」
西川は肩を竦めて答えず、ナースステーションを出た。野上は西川を可哀想だなんて思っていない、面白がっているだけなのだ。それが透けて見えるだけに腹立たしい。それを察する己の勘の良さが恨めしくなる。
廊下を急ぎ足に歩くとパタパタと足音が広がった。早く行かないとすぐにナースコールが押し直される。竹井は待てない患者なのだ。
「竹井さん?」
「おう、来たか」
暗い個室で竹井はきょときょと大きな目を動かしていた。入って来た西川を見もせずに、上、下、右、左、右と忙しく目を移しながら、
「何だかな、暑いんだ、どうしてかな、わしだけかな、熱があるのかも知れん、空調設備が壊れてるのかも」
「竹井さん…」
そりゃ暑かろう、と言いかけて、西川は危うく口を閉じた。いくら秋とは言え、室内温度設定は38度にまで上げてある。30分ほど前のコールで、体中凍えて肺炎を起こすと息巻き、設定し直させたのだ。
「お熱測ってみましょうか」
「当たり前だ、そんなこと。早く測れ。わしが暇を持て余して入院しているとでも思ったのか」
西川は枕元の体温計を竹井の脇に挟ませた。竹井の入院理由は疲労による全身倦怠感だが、身動きできないほど弱っているわけではない。昼間は自分勝手に外出したり、病室内に仕事を持ち込んだりして医師を困らせる。そして、その疲れを夜に全て取ろうとするように、毎夜毎夜ナースコールを繰り返す。
「お熱は36度1分。大丈夫のようですね」
「じゃあさっさと空調を調節しろ、この…」
さすがにその後を竹井は呑み込んだ。まだ夜中の2時なのだ。次の勤務者に交代するまで4時間以上、西川と顔を合わせなくてはならないことを思い出したらしい。
「では、お休みになりやすいように温度を下げました。まだ調子がおかしいようなら、コールして下さい」
「患者が呼ばなくてもくるのが看護師だろう、お前らそれで給料貰ってるんだろう、大体わしはこんなとこへは…」
「おやすみなさい、竹井さん」
西川は強い口調で言った。びくっとしたように竹井が大きな目をより大きく開いて、西川を見る。先に目をそらせたのは竹井だった。
15号室を出ると、隣の部屋のドアを開けて、ほっそりとした坪内が出て来た。
「お疲れさまですね」
浴衣姿でそっと頭を下げる。優しい物腰で品のいい、初老の婦人だ。そのままトイレへ向かう坪内に、西川は嘆息した。
患者が、坪内とまではいかなくとも、もう少し物分かりが良ければいいのに。
そう思った。
静まり返った病棟に響き渡らないよう配慮して締め切ってあるナースステーション、だからこそ一層小うるさく聞こえる。
西川伴代は鬱陶しくボードを見上げた。
やっぱり15号室、竹井の部屋だ。
溜息をついて立ち上がる体が、さっきのコールよりなお重くなった気がする。
「今度は何かな」
呟く声がうんざりしているのを聞きつけたのだろう、ペアで働いている野上がPCから目を上げてくすりと笑った。
「竹井さんの側なんて、ついてないわね」
独特の引っかかる物言いで続ける。
「でも、気取られないようにしなくてはね。夜中の2時に、例の『師長を呼べ!」をやられたくはないでしょ?」
西川は肩を竦めて答えず、ナースステーションを出た。野上は西川を可哀想だなんて思っていない、面白がっているだけなのだ。それが透けて見えるだけに腹立たしい。それを察する己の勘の良さが恨めしくなる。
廊下を急ぎ足に歩くとパタパタと足音が広がった。早く行かないとすぐにナースコールが押し直される。竹井は待てない患者なのだ。
「竹井さん?」
「おう、来たか」
暗い個室で竹井はきょときょと大きな目を動かしていた。入って来た西川を見もせずに、上、下、右、左、右と忙しく目を移しながら、
「何だかな、暑いんだ、どうしてかな、わしだけかな、熱があるのかも知れん、空調設備が壊れてるのかも」
「竹井さん…」
そりゃ暑かろう、と言いかけて、西川は危うく口を閉じた。いくら秋とは言え、室内温度設定は38度にまで上げてある。30分ほど前のコールで、体中凍えて肺炎を起こすと息巻き、設定し直させたのだ。
「お熱測ってみましょうか」
「当たり前だ、そんなこと。早く測れ。わしが暇を持て余して入院しているとでも思ったのか」
西川は枕元の体温計を竹井の脇に挟ませた。竹井の入院理由は疲労による全身倦怠感だが、身動きできないほど弱っているわけではない。昼間は自分勝手に外出したり、病室内に仕事を持ち込んだりして医師を困らせる。そして、その疲れを夜に全て取ろうとするように、毎夜毎夜ナースコールを繰り返す。
「お熱は36度1分。大丈夫のようですね」
「じゃあさっさと空調を調節しろ、この…」
さすがにその後を竹井は呑み込んだ。まだ夜中の2時なのだ。次の勤務者に交代するまで4時間以上、西川と顔を合わせなくてはならないことを思い出したらしい。
「では、お休みになりやすいように温度を下げました。まだ調子がおかしいようなら、コールして下さい」
「患者が呼ばなくてもくるのが看護師だろう、お前らそれで給料貰ってるんだろう、大体わしはこんなとこへは…」
「おやすみなさい、竹井さん」
西川は強い口調で言った。びくっとしたように竹井が大きな目をより大きく開いて、西川を見る。先に目をそらせたのは竹井だった。
15号室を出ると、隣の部屋のドアを開けて、ほっそりとした坪内が出て来た。
「お疲れさまですね」
浴衣姿でそっと頭を下げる。優しい物腰で品のいい、初老の婦人だ。そのままトイレへ向かう坪内に、西川は嘆息した。
患者が、坪内とまではいかなくとも、もう少し物分かりが良ければいいのに。
そう思った。
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