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『ワンピース・オバサン』(4)
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4.割れた風船
その夜、鏡子は夢を見た。
鏡子は公園に居て、片桐サンと木を見ている。葉っぱがまだ緑なのに何枚も散ってきて、鏡子と片桐サンの周りに積もっていく。どうしてなの、と片桐サンに尋ねると、片桐サンは静かに言う。
「命は伝言ゲームなの」
葉っぱがもっと散る。公園の入り口から平田先生が走ってきて、急に立ち止まって泣き始める。
「赤ちゃんがいない、私の大事な赤ちゃんが」
先生の足元に真っ赤な血が溜まっている。そしてそこにも葉っぱが散る、とてもきれいな緑の葉っぱが。
何度も目を覚まして、その度ごとに家で寝てるんだと確かめて、それでも眠ると同じ夢を見た。
翌朝、鏡子はお母さんと平田先生のお見舞いのために、花屋さんでかすみ草と小さなランの花束を買って行った。
でも、病室をノックして出てきた平田先生の旦那さんは、気まずそうな顔を振った。
「すみません、会いたくないって……言うもんですから……会ったらひどいことを言いそうだって」
「……申し訳、ありません」
昨日の夜、帰ってきた片桐サンと学校から話を聞かされたお母さんは、喉に何か詰まったような声で言って、頭を下げた。
旦那さんも辛そうに顔を背けて、微かな声で付け加えた。
「一度、流産していて……二度目なものですから……」
お母さんは黙って、もっと深く頭を下げた。鏡子も慌てて頭を下げ、お母さんの後について病院を出た。
「花束、いらなかったね」
タクシーに乗ってから鏡子が言うと、お母さんは大きな息を吐いた。
「……そうね」
「花束、家に飾る?」
「ううん」
お母さんは家に入る前に、花束をゴミバケツに押し込んだ。それからぼんやり、
「二度目の流産……なんて……」
呟いて、鏡子を見た。
「学校で何が会ったか、話してくれる?」
鏡子は答えられなかった。お母さんの目がひどく黒々としていて、穴のようだった。
「先生は、鏡子を探して走り回って下さったのよ? 大事な赤ちゃんだったのに………もう、平田先生、赤ちゃん、産めないかも知れない」
「……公園に……行ってくる」
「鏡子!」
お母さんの声を背中に、鏡子は走り出した。
夢の中の真っ赤な血。もう赤ちゃんが産めないってどう言うこと? 平田先生は鏡子を探して走ったから、あんなことになったって? でも鏡子はそんなことが起こるなんて思わなかったのに。
速さがどんどん落ちて、鏡子はいつの間にか走るのを止めていた。一歩、一歩、体が倒れていくのを支えていくように足を進める。気がつくと、小さな店の前に居た。ふらふら入って、風船を一つ、買った。
公園には誰も居なかった。居ると思っていた片桐サンもいなかった。
鏡子は風船を膨らませた。そして、ぷっくり丸い風船をスカートの下からお腹に押し込んだ。
スカートが小さく膨らんでいる。いつかの平田先生のお腹のように。服の上からそっと撫でてみた。とても大事なもののように両手で抱えこみ丸くなってみた。その中に、風船ではなくて赤ちゃんが入っている、と想像してみた。ぷくぷくした、ふわふわした、小さな体、小さな手足。
パンッ!!
どうしたのだろう、突然、風船が弾けた。風船の上に乗っかるように体を丸めていた鏡子は、いきなり支えを外されて、がくんと地面にのめってしまった。
お腹のあたりがぽっかりしている。たった今まで風船があったのを、体全部が覚えていて、なくなってしまったのにまだまだあるようで、何か奇妙にぽかりとしている。
「こういう……ことかなあ…」
鏡子は呟いた。
割れてしまった風船。いなくなってしまった赤ちゃん。それが鏡子のせいだと言う。破れた上靴、泥の詰まった下駄箱、ゴミが入った机も落書きされたノートさえ、鏡子が悪いからだと言う。
「う…あん…」
鏡子は小さく声を出してみた。
体の中に一杯詰まった、苦しくて切ないものを吐き出したかった。いきなり目の中と頭の中が熱くなり、ぼろぼろ涙が零れてきた。
お腹を抱えて前にのめったまま、鏡子はしばらく泣き続けた。泣いて泣いて、このまま涙でみんな溶けて、水になって地面に染み込んで消えてしまいたいと思った。
どれほどそうやって泣いていただろう。それとも、少し眠ってしまったのか。
目を開けると、片桐サンの言っていたポプラの木が正面にあった。地面に頬をつけたまま、そっと見上げていく。やがて、それでは見えなくなって、鏡子は体を起こした。
ポプラは風に揺れていた。葉の一枚一枚が、それぞれ違う形になって動いている。枝は少し揺れながら、葉っぱを纏めて掴んでいる。
光が跳ねる。葉に、枝に、幹に。そしてそれらの間にある、何か透き通った眩いものにキラキラ跳ねている。
鏡子を涙を拭くのも忘れて、その木に見入っていた。
ふいに、もう、自分は、あきちゃんやヒロくんのことが好きじゃないんだ、と思った。そして、あきちゃんやヒロくんも、もう鏡子のことを好きじゃない。だから、あんなことをしても平気だったのだ。だから、鏡子はとても悲しくて辛かったのだと思った。
クラスメイトのことを一人一人思い出す。それから、同じように、自分はもう、みんなを好きじゃないんだと思った。
「友達って……いないんだ……」
友達のいない学校。鏡子が好きじゃない人と、鏡子を好きじゃない人しかいない学校。平田先生も、もう鏡子を好きじゃない。
そんな所へどうやって行けと言うんだろう。
鏡子はぼんやりとポプラを見上げ続けていた。
その夜、鏡子は夢を見た。
鏡子は公園に居て、片桐サンと木を見ている。葉っぱがまだ緑なのに何枚も散ってきて、鏡子と片桐サンの周りに積もっていく。どうしてなの、と片桐サンに尋ねると、片桐サンは静かに言う。
「命は伝言ゲームなの」
葉っぱがもっと散る。公園の入り口から平田先生が走ってきて、急に立ち止まって泣き始める。
「赤ちゃんがいない、私の大事な赤ちゃんが」
先生の足元に真っ赤な血が溜まっている。そしてそこにも葉っぱが散る、とてもきれいな緑の葉っぱが。
何度も目を覚まして、その度ごとに家で寝てるんだと確かめて、それでも眠ると同じ夢を見た。
翌朝、鏡子はお母さんと平田先生のお見舞いのために、花屋さんでかすみ草と小さなランの花束を買って行った。
でも、病室をノックして出てきた平田先生の旦那さんは、気まずそうな顔を振った。
「すみません、会いたくないって……言うもんですから……会ったらひどいことを言いそうだって」
「……申し訳、ありません」
昨日の夜、帰ってきた片桐サンと学校から話を聞かされたお母さんは、喉に何か詰まったような声で言って、頭を下げた。
旦那さんも辛そうに顔を背けて、微かな声で付け加えた。
「一度、流産していて……二度目なものですから……」
お母さんは黙って、もっと深く頭を下げた。鏡子も慌てて頭を下げ、お母さんの後について病院を出た。
「花束、いらなかったね」
タクシーに乗ってから鏡子が言うと、お母さんは大きな息を吐いた。
「……そうね」
「花束、家に飾る?」
「ううん」
お母さんは家に入る前に、花束をゴミバケツに押し込んだ。それからぼんやり、
「二度目の流産……なんて……」
呟いて、鏡子を見た。
「学校で何が会ったか、話してくれる?」
鏡子は答えられなかった。お母さんの目がひどく黒々としていて、穴のようだった。
「先生は、鏡子を探して走り回って下さったのよ? 大事な赤ちゃんだったのに………もう、平田先生、赤ちゃん、産めないかも知れない」
「……公園に……行ってくる」
「鏡子!」
お母さんの声を背中に、鏡子は走り出した。
夢の中の真っ赤な血。もう赤ちゃんが産めないってどう言うこと? 平田先生は鏡子を探して走ったから、あんなことになったって? でも鏡子はそんなことが起こるなんて思わなかったのに。
速さがどんどん落ちて、鏡子はいつの間にか走るのを止めていた。一歩、一歩、体が倒れていくのを支えていくように足を進める。気がつくと、小さな店の前に居た。ふらふら入って、風船を一つ、買った。
公園には誰も居なかった。居ると思っていた片桐サンもいなかった。
鏡子は風船を膨らませた。そして、ぷっくり丸い風船をスカートの下からお腹に押し込んだ。
スカートが小さく膨らんでいる。いつかの平田先生のお腹のように。服の上からそっと撫でてみた。とても大事なもののように両手で抱えこみ丸くなってみた。その中に、風船ではなくて赤ちゃんが入っている、と想像してみた。ぷくぷくした、ふわふわした、小さな体、小さな手足。
パンッ!!
どうしたのだろう、突然、風船が弾けた。風船の上に乗っかるように体を丸めていた鏡子は、いきなり支えを外されて、がくんと地面にのめってしまった。
お腹のあたりがぽっかりしている。たった今まで風船があったのを、体全部が覚えていて、なくなってしまったのにまだまだあるようで、何か奇妙にぽかりとしている。
「こういう……ことかなあ…」
鏡子は呟いた。
割れてしまった風船。いなくなってしまった赤ちゃん。それが鏡子のせいだと言う。破れた上靴、泥の詰まった下駄箱、ゴミが入った机も落書きされたノートさえ、鏡子が悪いからだと言う。
「う…あん…」
鏡子は小さく声を出してみた。
体の中に一杯詰まった、苦しくて切ないものを吐き出したかった。いきなり目の中と頭の中が熱くなり、ぼろぼろ涙が零れてきた。
お腹を抱えて前にのめったまま、鏡子はしばらく泣き続けた。泣いて泣いて、このまま涙でみんな溶けて、水になって地面に染み込んで消えてしまいたいと思った。
どれほどそうやって泣いていただろう。それとも、少し眠ってしまったのか。
目を開けると、片桐サンの言っていたポプラの木が正面にあった。地面に頬をつけたまま、そっと見上げていく。やがて、それでは見えなくなって、鏡子は体を起こした。
ポプラは風に揺れていた。葉の一枚一枚が、それぞれ違う形になって動いている。枝は少し揺れながら、葉っぱを纏めて掴んでいる。
光が跳ねる。葉に、枝に、幹に。そしてそれらの間にある、何か透き通った眩いものにキラキラ跳ねている。
鏡子を涙を拭くのも忘れて、その木に見入っていた。
ふいに、もう、自分は、あきちゃんやヒロくんのことが好きじゃないんだ、と思った。そして、あきちゃんやヒロくんも、もう鏡子のことを好きじゃない。だから、あんなことをしても平気だったのだ。だから、鏡子はとても悲しくて辛かったのだと思った。
クラスメイトのことを一人一人思い出す。それから、同じように、自分はもう、みんなを好きじゃないんだと思った。
「友達って……いないんだ……」
友達のいない学校。鏡子が好きじゃない人と、鏡子を好きじゃない人しかいない学校。平田先生も、もう鏡子を好きじゃない。
そんな所へどうやって行けと言うんだろう。
鏡子はぼんやりとポプラを見上げ続けていた。
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