『segakiyui短編集』

segakiyui

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SSS87『別れの日』

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「ヒュー!」
 振り返った僕の目に、ロード・ベルトを滑っていく人々の流れの向こう岸、立ち尽くしているリャノが映る。泣きそうな顔をして、リャノはもう一度僕の名を呼んだ。
「ヒュー!」
 それから嫌々と言いたげに片手を持ち上げ、やがて吹っ切るようにまっすぐ上に伸ばして、流れの向こうから手を振った、もう一方の手で目元をぐいと擦り、次の瞬間、無鉄砲ないつものやり方で、ハイスピードベルトに飛び乗って瞬く間に遠くへ運ばれながら、じっとこちらを見つめていた。子どもみたいに荒っぽくて、それでも優しかったリャノ。
(好きだったよ)
 僕は心の中で呟いた。家はもう目の前で、二段階段を上がると、帰宅を待っていたらしいミニロボットのコーストが、どんとぶつかるようにしがみついて、電子音の泣き声をたてた。
「コースト…」
 僕は弱ってしまって奥を見た。悲しげな笑いを浮かべた父母が、僕の姿を目に刻み込もうとするように見つめている。リャノの目と同じだ、と今更じんと来て、慌てて言った。
「ただいま! 父さん! 母さん!」
 僕のキスを黙って受けた母が、今にも崩れそうな笑みを浮かべた。
「お前の好きなものを作っておいたよ。私にしか作れない味」
「ありがとう」
 僕はテーブルの上のものを一つ摘んで上に上がった。いつもなら飛んでくるお小言がなかった。足元にまとわりつくコーストを何とか宥めながら部屋に入ると、静かな声が僕を包んだ。
「おかえり、ヒュー」
「ただいま、ティース」
「学校はどうだった?」
「参ったよ、みんな湿っぽくって」
「そういう君も泣きそうだぞ」
 ちかっとティースの電子眼が瞬いた。ティースは部屋を僕のために整えてくれるコンピューターだ。
「もう、お別れだね」
「そうなるね、ヒュー」
 ティースは静かに応じた。僕は膝を抱えてベッドに座り、ティースの体にもたれた。
「ココアでもいるかね?」
「……ん…いいや、母さんの手料理食べなきゃ」
「何かすることがあったら言ってくれないか」
「ちょっとしゃべっていようよ」
「私は構わないが」
「ティースはアマリアが怒っていると思うかい?」
「君がパートナーに選んだ娘だね?」
「うん。アマリアは誰からも好かれていたから」
「君からもね」
「からかわないでよ」
「彼女にOKは取ったんだろう?」
「3日前。プロポーズなんて初めてだったから、困ったよ。ティースも教えてくれなかったし」
「人間は本能的に知っていると思ったんだ」
「君らと違ってね」
「ああ。……でも、君の気にしていることだけど、アマリアなら大丈夫だよ。芯の強い良い娘だ、優しくて温かいし、彼女なら新世界の母体に向いているよ」
「新世界、かあ…」
「不安そうだね」
「そりゃ、わからないもの。赤ん坊が生まれなくなったのは知ってるけど、それがどうして、こんな制度に発展したのかわからないよ」
「赤ん坊が何の外的要因もなしに生まれにくくなってきたのは20年前±6ヶ月だ。何が原因かは未だにわかっていない。ただ、このままでは間違いなく人類は滅亡してしまうと結論された。地球総合政府は原因究明とともに試験管ベビー……かつて試みられた母親の子宮を利用するものではなく、完全に人工的に赤ん坊を作る試みを始めた。だが、このような『種の限界』に対する試みには、多くの副産物が生まれやすい。今回の副産物は『精神均衡(サイコ・バランス)』だった」
「ミスター・アサノの『精神均衡(サイコ・バランス)理論』だね? それなら学校で習ったよ」
「人間の中には、ポジティブな精神力とネガティブな精神力とがあり、それが力学的な均衡を保つことによって生への原動力……種の存続を促す力となるという『精神均衡(サイコ・バランス)理論』は現象科学では証明しきれなかったため、長い間その素晴らしさが認められなかった。だが、彼に従ってミラトーが実験を行い、この説の正しさを証明した。アサノの精神均衡定数を用いてネガティブな方へ助長させていった人間は、ごく少数を除いて個体としての存続を嫌い、あるいは種としての存続さえ拒否した。人類滅亡に対して効果的な手を打てなかった地球総合政府は、アサノ・ミラトー理論を試みることに集中した。人類の中で他よりもポジティブな精神力を持つと思われた少年少女を選び、そのポジティブな精神力を助長する訓練を施した後、地球外のスペースコロニーで新たに人類世界を作り上げることにした。少年少女は最終的な記憶処理をされ、地球との連絡を一切絶たれてコロニーへ送り込まれる。地球の記憶は消され、新世界に必要な知識だけを『冬眠装置(スリーパー)』の中で催眠学習させられる。彼らが意識を取り戻した頃には、新世界で新たな人類として暮らし始めている……。私の中にあるデータはこの程度だ、ヒュー」
「ここのことをすっかり忘れてしまうなんて信じられないよ、ティース」
 僕はゆっくりと首を振った。
「君のことや父さんや母さんのことやコーストのことやリャノのことや……この地球のことまで忘れてしまうなんて」
「みんなそう言っていただろう。しかし忘れたのだよ。また、忘れたほうがいい。そうでなければ、君は新世界に『精神均衡(サイコ・バランス)』を崩したまま入ったことになって、ひどく苦しい思いをするよ。……抹殺される可能性さえあるんだ」
「そんな主人を持ったことがあるの、ティース?」
「忘れたよ。私はいつも頼むことになっている。記憶消去コードを言ってもらうようにね」
「でも、そんなことをしたら、『ティース』は死ぬじゃないか」
「その方が私にとっては『優しい』ことになる。それにコンピューターとはそういうものだよ」
 僕はしばらく取り止めがないことを考えていた。生死や宇宙や大地のこと。そして、もう行く時間だとわかった。
「…もう下に降りるよ、ティース。母さんのご飯、食べときたいんだ」
「そうした方がいいよ」
「それじゃ、ティース」
「ティースじゃない、DOOP LH5-305だよ」
「…うん」
 僕は涙が滲んでくるのを慌てて擦り、ティースの電子眼に向き直った。
「僕、変に見えるかい?」
「……」
 電子眼がくるくると僕を見つめた。
「いいや、おかしくないよ。立派だ、ヒュー」
 僕はまだ躊躇っていた。僕の教師、兄貴、友人、ティース。
「それじゃあ、頼む」
 ティースは促した。
「うん……『さよなら、DOOP LH5-305』」
 ふっと電子眼から光が消えた。ティースはいなくなってしまった。僕は部屋を出、次に『こんにちは、DOOP LH5-305』と話しかける人間のことを考えた。ずっと昔、僕が恐る恐る声を掛けたように、誰が今度は『DOOP』に声を掛けるんだろう。
 家族との食事を済ませ、迎えのエア・カーに乗り込んだ僕は、不思議と父母との別れよりもティースやコーストとの別れの方が悲しかったのを感じていた。これが『ネガティブな精神力』なのかも知れない。ぼんやりと眠くなってくるうちに、僕は上空から降りてくる宇宙船の煌めきを見た気がした。
『さよなら、ヒュー』
 僕は小さく呟いた。
 次に君が見る世界が美しいといいね。

                               終わり
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