『闇を闇から』番外編

segakiyui

文字の大きさ
13 / 48

『迷子の迷子の』(2)

しおりを挟む
「……ここは?」
 突然出現した人ごみに違和感を感じる間もなく、電車の中に流されて、そのまま京介の待つホームに運ばれるはずだったのに。
「……海…ですね」
 窓の外はどう見ても、広大な夜の海。夜光虫だろうかクラゲだろうか、波間に浮かぶ青白い光が揺れて波打ちながら、静かで柔らかな波音とともに上下する。
「……しかも、誰もいなくなってる」
 さっきまであれほど居た乗客は、現れた時と同じように唐突に姿を消してしまった。
 がらんと静まり返った車内は、妙に黄色っぽい光に満ちていて、前を向いても後を向いても、人っ子一人見当たらない。ばかりか、気になって開いた携帯は圏外表示、京介の番号にも応答はなし。
「やっぱりこれは」
 夢、でしょうね。
 自分の嫌になるような落ち着きぶりといい、異常事態に動じていない感覚といい、どうも美並の中のクール系が表に立っている様子で、すべての気配が微妙に遠い。
「……とりあえず、駅に止まるまで」
 深緑の天鵞絨の座席に腰を降ろした。ふわんと軽く沈む感触、そのまま背後に流されてぽすんと背もたれに体を預けて。
「……京介」
 窓の外を眺めてみる。
 ざぶん、ざぶん、と静かに列車に打ち付けるリズムが、列車の振動と重なって眠気を誘うはずだろうに、冴え返った頭はますます遠い記憶を呼び覚ましていく。
 いつだったか、同じことがあったような気がする。
 どこまでもどこまでも続く線路を走る列車に、ただ一人乗って。
 どこへ行くともなく、どこへ辿り着くのでもなく。
 高校の頃だろうか、もっと昔だろうか。
 間違えて乗った電車だった。疲れてぼんやりしているうちに、はっと気づけば周囲に乗客がいなくなっていて、慌てて立ち上がって通り過ぎた駅名を確認し、電車の中の路線図を確認して、自分が幾つも駅を飛ばす快速に乗ってしまっていること、しかもそれは途中分岐して、かなり家から離れていってしまうことに気づいた。
 帰りの電車賃。いやそもそも、帰りの電車はあるんだろうか。財布を確かめ、車掌に確認してみようかと席を立ちかけ、いいや、と再び腰を降ろした。
 どこへ行っても変わらない。
 どこに辿り着く当てもない。
 自分一人の人生を抱えて、この先ずっと一人で行くだけだ、誰も巻き込まずに、誰とも関わらずに、そうすることが一番自分にも周囲にも幸福なことなんだ。
 寂しくはなかった。哀しくもなかった。ただただ、そう思っただけだった。
 どこで野たれ死ぬことになっても後悔しない、ならば、この電車がどこへ向かおうと、帰りの電車がなかろうと、そんなこと、たいした違いじゃない。
 結果最終駅まで乗るつもりだった車輌は途中で繋ぎ直されて、分岐して一回りして、美並は何と元の駅まで戻されるという不思議にあった。
 ふりだしに戻された、そう思った。
 やり直しなさいってことか、と。
 今ならわかる。
 あれは絶望、だったのだ。
 生きたまま、全てを諦めて、死ぬまで呼吸していよう、そう思ってただけで、死んでるのと変わらなかった。
 美並。
 甘い声が耳の中に響いて視界が滲んだ。
 今はだめだ。
 絶望し切れない。寂しくてならない。恋しくてならない。こんなところで消えたくない。京介の所に戻りたい。
「京介」
 呟いて唇を噛み、次の駅は、と顔を上げた矢先、窓の外に後ろ姿が見えた。
「っ、京介っ?」
 考える間もなく立ち上がる、走って降り口に向かい、海の中にぽっかり浮かんだ真っ白なホームに止まった列車のドアを、側にあった開閉装置を殴りつけて開いて飛び降りた。
「京介!」
 間違いない、あの背中、あの翻る髪、あの柔らかな立ち姿、振り返る笑顔も想像できる。
 がしゃん、と背後で扉が閉まって、走り去ろうとする列車のさっきまで座っていた場所から、ゴミ袋を被ったまま窓に張り付いているぬいぐるみのクマが見えた。ちらりと横目で見やって、後は振り向かず、ホームから細く続いている白い道の岬の突端に立っているような京介に、まっすぐまっすぐ走っていく。
「京介!」
 そこに居て。
 居なくならないで。
 私をどうか受け止めて。
 駆けていく視界がどんどん大きく広くなっていくように見えた。星の瞬く夜空がうんと高くなる。仄白く光る京介の後ろ姿に手を伸ばし、掴んで引っ張った時、なぜか京介は美並を彼方から見下ろすように見えた。
「君?」
 困惑した笑顔。少し眉を下げて、京介は静かにかがみ込み、美並と目線を合わせて首を傾げて微笑む。
「どうしたの? 一人?」
 そうして美並は気づく、自分の指も手もうんとうんと小さいことに。
「わたし」
 声も小さくか細くて、今にも泣きそうに響いた。
「きょうすけ」
 相手の瞳が見開く。星を宿して煌めく虹彩、ああ、神様、なんて綺麗な瞳だろう。なのに、そこに映っているのは、おかっぱ頭の小さな女の子でしかない。
 再びの、絶望。
 けれどそれを打ち破る、天使の宣言、ファンファーレ。
「美並」
 にっこり笑って抱き締めてくれた京介が続ける。
「凄く可愛いけど……もう少し大きくなってくれないと、できないよ?」
「っ!」
「った!」
 にぎりこぶしは京介の脳天にヒット。
「ひどいよ、伊吹さん」
 唇を尖らせて京介は美並を抱き上げ、どこへ行こうか、お姫さま、と囁いた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

処理中です...