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『迷子の迷子の』(2)
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「……ここは?」
突然出現した人ごみに違和感を感じる間もなく、電車の中に流されて、そのまま京介の待つホームに運ばれるはずだったのに。
「……海…ですね」
窓の外はどう見ても、広大な夜の海。夜光虫だろうかクラゲだろうか、波間に浮かぶ青白い光が揺れて波打ちながら、静かで柔らかな波音とともに上下する。
「……しかも、誰もいなくなってる」
さっきまであれほど居た乗客は、現れた時と同じように唐突に姿を消してしまった。
がらんと静まり返った車内は、妙に黄色っぽい光に満ちていて、前を向いても後を向いても、人っ子一人見当たらない。ばかりか、気になって開いた携帯は圏外表示、京介の番号にも応答はなし。
「やっぱりこれは」
夢、でしょうね。
自分の嫌になるような落ち着きぶりといい、異常事態に動じていない感覚といい、どうも美並の中のクール系が表に立っている様子で、すべての気配が微妙に遠い。
「……とりあえず、駅に止まるまで」
深緑の天鵞絨の座席に腰を降ろした。ふわんと軽く沈む感触、そのまま背後に流されてぽすんと背もたれに体を預けて。
「……京介」
窓の外を眺めてみる。
ざぶん、ざぶん、と静かに列車に打ち付けるリズムが、列車の振動と重なって眠気を誘うはずだろうに、冴え返った頭はますます遠い記憶を呼び覚ましていく。
いつだったか、同じことがあったような気がする。
どこまでもどこまでも続く線路を走る列車に、ただ一人乗って。
どこへ行くともなく、どこへ辿り着くのでもなく。
高校の頃だろうか、もっと昔だろうか。
間違えて乗った電車だった。疲れてぼんやりしているうちに、はっと気づけば周囲に乗客がいなくなっていて、慌てて立ち上がって通り過ぎた駅名を確認し、電車の中の路線図を確認して、自分が幾つも駅を飛ばす快速に乗ってしまっていること、しかもそれは途中分岐して、かなり家から離れていってしまうことに気づいた。
帰りの電車賃。いやそもそも、帰りの電車はあるんだろうか。財布を確かめ、車掌に確認してみようかと席を立ちかけ、いいや、と再び腰を降ろした。
どこへ行っても変わらない。
どこに辿り着く当てもない。
自分一人の人生を抱えて、この先ずっと一人で行くだけだ、誰も巻き込まずに、誰とも関わらずに、そうすることが一番自分にも周囲にも幸福なことなんだ。
寂しくはなかった。哀しくもなかった。ただただ、そう思っただけだった。
どこで野たれ死ぬことになっても後悔しない、ならば、この電車がどこへ向かおうと、帰りの電車がなかろうと、そんなこと、たいした違いじゃない。
結果最終駅まで乗るつもりだった車輌は途中で繋ぎ直されて、分岐して一回りして、美並は何と元の駅まで戻されるという不思議にあった。
ふりだしに戻された、そう思った。
やり直しなさいってことか、と。
今ならわかる。
あれは絶望、だったのだ。
生きたまま、全てを諦めて、死ぬまで呼吸していよう、そう思ってただけで、死んでるのと変わらなかった。
美並。
甘い声が耳の中に響いて視界が滲んだ。
今はだめだ。
絶望し切れない。寂しくてならない。恋しくてならない。こんなところで消えたくない。京介の所に戻りたい。
「京介」
呟いて唇を噛み、次の駅は、と顔を上げた矢先、窓の外に後ろ姿が見えた。
「っ、京介っ?」
考える間もなく立ち上がる、走って降り口に向かい、海の中にぽっかり浮かんだ真っ白なホームに止まった列車のドアを、側にあった開閉装置を殴りつけて開いて飛び降りた。
「京介!」
間違いない、あの背中、あの翻る髪、あの柔らかな立ち姿、振り返る笑顔も想像できる。
がしゃん、と背後で扉が閉まって、走り去ろうとする列車のさっきまで座っていた場所から、ゴミ袋を被ったまま窓に張り付いているぬいぐるみのクマが見えた。ちらりと横目で見やって、後は振り向かず、ホームから細く続いている白い道の岬の突端に立っているような京介に、まっすぐまっすぐ走っていく。
「京介!」
そこに居て。
居なくならないで。
私をどうか受け止めて。
駆けていく視界がどんどん大きく広くなっていくように見えた。星の瞬く夜空がうんと高くなる。仄白く光る京介の後ろ姿に手を伸ばし、掴んで引っ張った時、なぜか京介は美並を彼方から見下ろすように見えた。
「君?」
困惑した笑顔。少し眉を下げて、京介は静かにかがみ込み、美並と目線を合わせて首を傾げて微笑む。
「どうしたの? 一人?」
そうして美並は気づく、自分の指も手もうんとうんと小さいことに。
「わたし」
声も小さくか細くて、今にも泣きそうに響いた。
「きょうすけ」
相手の瞳が見開く。星を宿して煌めく虹彩、ああ、神様、なんて綺麗な瞳だろう。なのに、そこに映っているのは、おかっぱ頭の小さな女の子でしかない。
再びの、絶望。
けれどそれを打ち破る、天使の宣言、ファンファーレ。
「美並」
にっこり笑って抱き締めてくれた京介が続ける。
「凄く可愛いけど……もう少し大きくなってくれないと、できないよ?」
「っ!」
「った!」
にぎりこぶしは京介の脳天にヒット。
「ひどいよ、伊吹さん」
唇を尖らせて京介は美並を抱き上げ、どこへ行こうか、お姫さま、と囁いた。
突然出現した人ごみに違和感を感じる間もなく、電車の中に流されて、そのまま京介の待つホームに運ばれるはずだったのに。
「……海…ですね」
窓の外はどう見ても、広大な夜の海。夜光虫だろうかクラゲだろうか、波間に浮かぶ青白い光が揺れて波打ちながら、静かで柔らかな波音とともに上下する。
「……しかも、誰もいなくなってる」
さっきまであれほど居た乗客は、現れた時と同じように唐突に姿を消してしまった。
がらんと静まり返った車内は、妙に黄色っぽい光に満ちていて、前を向いても後を向いても、人っ子一人見当たらない。ばかりか、気になって開いた携帯は圏外表示、京介の番号にも応答はなし。
「やっぱりこれは」
夢、でしょうね。
自分の嫌になるような落ち着きぶりといい、異常事態に動じていない感覚といい、どうも美並の中のクール系が表に立っている様子で、すべての気配が微妙に遠い。
「……とりあえず、駅に止まるまで」
深緑の天鵞絨の座席に腰を降ろした。ふわんと軽く沈む感触、そのまま背後に流されてぽすんと背もたれに体を預けて。
「……京介」
窓の外を眺めてみる。
ざぶん、ざぶん、と静かに列車に打ち付けるリズムが、列車の振動と重なって眠気を誘うはずだろうに、冴え返った頭はますます遠い記憶を呼び覚ましていく。
いつだったか、同じことがあったような気がする。
どこまでもどこまでも続く線路を走る列車に、ただ一人乗って。
どこへ行くともなく、どこへ辿り着くのでもなく。
高校の頃だろうか、もっと昔だろうか。
間違えて乗った電車だった。疲れてぼんやりしているうちに、はっと気づけば周囲に乗客がいなくなっていて、慌てて立ち上がって通り過ぎた駅名を確認し、電車の中の路線図を確認して、自分が幾つも駅を飛ばす快速に乗ってしまっていること、しかもそれは途中分岐して、かなり家から離れていってしまうことに気づいた。
帰りの電車賃。いやそもそも、帰りの電車はあるんだろうか。財布を確かめ、車掌に確認してみようかと席を立ちかけ、いいや、と再び腰を降ろした。
どこへ行っても変わらない。
どこに辿り着く当てもない。
自分一人の人生を抱えて、この先ずっと一人で行くだけだ、誰も巻き込まずに、誰とも関わらずに、そうすることが一番自分にも周囲にも幸福なことなんだ。
寂しくはなかった。哀しくもなかった。ただただ、そう思っただけだった。
どこで野たれ死ぬことになっても後悔しない、ならば、この電車がどこへ向かおうと、帰りの電車がなかろうと、そんなこと、たいした違いじゃない。
結果最終駅まで乗るつもりだった車輌は途中で繋ぎ直されて、分岐して一回りして、美並は何と元の駅まで戻されるという不思議にあった。
ふりだしに戻された、そう思った。
やり直しなさいってことか、と。
今ならわかる。
あれは絶望、だったのだ。
生きたまま、全てを諦めて、死ぬまで呼吸していよう、そう思ってただけで、死んでるのと変わらなかった。
美並。
甘い声が耳の中に響いて視界が滲んだ。
今はだめだ。
絶望し切れない。寂しくてならない。恋しくてならない。こんなところで消えたくない。京介の所に戻りたい。
「京介」
呟いて唇を噛み、次の駅は、と顔を上げた矢先、窓の外に後ろ姿が見えた。
「っ、京介っ?」
考える間もなく立ち上がる、走って降り口に向かい、海の中にぽっかり浮かんだ真っ白なホームに止まった列車のドアを、側にあった開閉装置を殴りつけて開いて飛び降りた。
「京介!」
間違いない、あの背中、あの翻る髪、あの柔らかな立ち姿、振り返る笑顔も想像できる。
がしゃん、と背後で扉が閉まって、走り去ろうとする列車のさっきまで座っていた場所から、ゴミ袋を被ったまま窓に張り付いているぬいぐるみのクマが見えた。ちらりと横目で見やって、後は振り向かず、ホームから細く続いている白い道の岬の突端に立っているような京介に、まっすぐまっすぐ走っていく。
「京介!」
そこに居て。
居なくならないで。
私をどうか受け止めて。
駆けていく視界がどんどん大きく広くなっていくように見えた。星の瞬く夜空がうんと高くなる。仄白く光る京介の後ろ姿に手を伸ばし、掴んで引っ張った時、なぜか京介は美並を彼方から見下ろすように見えた。
「君?」
困惑した笑顔。少し眉を下げて、京介は静かにかがみ込み、美並と目線を合わせて首を傾げて微笑む。
「どうしたの? 一人?」
そうして美並は気づく、自分の指も手もうんとうんと小さいことに。
「わたし」
声も小さくか細くて、今にも泣きそうに響いた。
「きょうすけ」
相手の瞳が見開く。星を宿して煌めく虹彩、ああ、神様、なんて綺麗な瞳だろう。なのに、そこに映っているのは、おかっぱ頭の小さな女の子でしかない。
再びの、絶望。
けれどそれを打ち破る、天使の宣言、ファンファーレ。
「美並」
にっこり笑って抱き締めてくれた京介が続ける。
「凄く可愛いけど……もう少し大きくなってくれないと、できないよ?」
「っ!」
「った!」
にぎりこぶしは京介の脳天にヒット。
「ひどいよ、伊吹さん」
唇を尖らせて京介は美並を抱き上げ、どこへ行こうか、お姫さま、と囁いた。
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