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『迷子の迷子の』(4)
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「凄いね」
広々とした入り口には誰もいない、門番さえも。
招くように両側から競り上がっていく真っ白な絨毯を敷かれた階段、その先は正面に浮かぶ半透明の扉の中へ。
「行こうか」
「はい、京介」
微笑む京介に確信する、そうかこれは、あの、未来へ続くための階段。
「一段、二段」
「、く」
数えて踏みしめると、側で京介が顔を歪める。
見下ろすその足先がいつの間にか霜で覆われて凍りつきそうになっている。見上げた顔色は真っ青で、血の気が引いた唇も白い。
氷の王子。
雪の魔女に捉えられ、心を凍らせ感情を閉じ込め、身動きできずに、成長と命の温もりを諦めた。
「三段、四段」
「、は」
涙が零れ落ちる。きっと痛い、身を焼くほどに。安全圏など何もない、誰にも頼れない、何も期待しない、そう決めた心が、それでもひょっとして、と繋いで振り向く期待の視線を受け止められるほど、自分は深くなれただろうか。
「五段、六段」
「ん…っ」
小さく呻くその声を、ベッドでも聞いた、繰り返した数々の危機、乗り越えてきた数々の出来事、その闇の中できっと、こうやって繰り返し京介は堪えて進んで来てくれた、それに報いるほどの自分をちゃんと見つけてきただろうか。
「課長……京介…」
喘ぎながら俯いた。
「京介……」
大丈夫なのか、本当に。
「……京介……っ」
涙に潤む視界を必死に瞬く。
本当に、それは京介の願いなのか。本当は自分のエゴでしかないのではないのか。
こんなに苦しんで頑張ってくれている相手に、なおも努力と労苦を強いる、自分の存在はそれほど大したものなのか。
美並はどこまで行っても京介を苦しめ、京介を傷つける、そういう存在でしかないものを、ごまかして、見ないふりして、甘えて、嘯いて、幻の救済を描いてみせているだけではないのか。
誰よりも、誰よりも美並が消えた方が、京介は真実幸せになったのではないか。
今ならまだ間に合う、今ならきっとまだ。
京介を無事に手放せる。
「だめ、伊吹…っ」
ぎゅっ、とふいに手を強く握りしめられた。
「進んで」
「でも」
「前に」
「だって」
「前に」
「だって…っ」
振り返ってしまった、見てしまった、京介の足下に引きずられている、重くて大きい真っ黒な鎖、絡みついて自由を奪い、温かさを食い破る、凍える傷みに震え始めている歩みを。
こんな傷みを背負わせるために生きてきたんじゃない。
「京介……っっっ」
手を、離して。
「離さないっ」
叫びが響き渡る。
「離すもんか」
地鳴りのように周囲を押し包む轟音の中、鮮烈に聞こえる京介の声。
「君は、真崎…っ、美並なんだから…っっ!」
「あ、あっ!」
踏み出す京介の足下に深紅の花が開く。たわみ歪んだ鎖がその花に触れてぼろぼろと崩れ砕けていく。
「進ませて…っ」
吐き出されたのは懇願。
「まだ、先に行けるから……っ!」
思わず握り返す、自分の熱を移すように。
「あ…」
その瞬間、理解した。
私の命は、あなたのもの。
あなたが進むと行っている、ならば、私に何が選べようか。
振り仰ぐ、揺らめく視界に、炎を纏った黄金の翼、それに縁取られた京介の横顔、汗にまみれて。
「京介……」
「大丈夫」
「……京介……っ」
「大丈夫だよ、美並」
「……きょう……すけえ………」
このままでいいというのだろうか。
「わた…し……ぃ…」
このままの、美並でいいと。
「来て、美並」
笑う京介にしがみつく、抱き締められる、黄金の羽根でなお熱く。
鮮血を散らせて、なお艶やかなその人に、今改めて魂ごと奪われる。
「…い…く……っっ」
約束は永遠。
誰も破ることのできない、その扉が、今、開かれる。
「あああ……っ」
初めて、知った。
美並はずっと、京介が消えるのが、怖かったのだ。
広々とした入り口には誰もいない、門番さえも。
招くように両側から競り上がっていく真っ白な絨毯を敷かれた階段、その先は正面に浮かぶ半透明の扉の中へ。
「行こうか」
「はい、京介」
微笑む京介に確信する、そうかこれは、あの、未来へ続くための階段。
「一段、二段」
「、く」
数えて踏みしめると、側で京介が顔を歪める。
見下ろすその足先がいつの間にか霜で覆われて凍りつきそうになっている。見上げた顔色は真っ青で、血の気が引いた唇も白い。
氷の王子。
雪の魔女に捉えられ、心を凍らせ感情を閉じ込め、身動きできずに、成長と命の温もりを諦めた。
「三段、四段」
「、は」
涙が零れ落ちる。きっと痛い、身を焼くほどに。安全圏など何もない、誰にも頼れない、何も期待しない、そう決めた心が、それでもひょっとして、と繋いで振り向く期待の視線を受け止められるほど、自分は深くなれただろうか。
「五段、六段」
「ん…っ」
小さく呻くその声を、ベッドでも聞いた、繰り返した数々の危機、乗り越えてきた数々の出来事、その闇の中できっと、こうやって繰り返し京介は堪えて進んで来てくれた、それに報いるほどの自分をちゃんと見つけてきただろうか。
「課長……京介…」
喘ぎながら俯いた。
「京介……」
大丈夫なのか、本当に。
「……京介……っ」
涙に潤む視界を必死に瞬く。
本当に、それは京介の願いなのか。本当は自分のエゴでしかないのではないのか。
こんなに苦しんで頑張ってくれている相手に、なおも努力と労苦を強いる、自分の存在はそれほど大したものなのか。
美並はどこまで行っても京介を苦しめ、京介を傷つける、そういう存在でしかないものを、ごまかして、見ないふりして、甘えて、嘯いて、幻の救済を描いてみせているだけではないのか。
誰よりも、誰よりも美並が消えた方が、京介は真実幸せになったのではないか。
今ならまだ間に合う、今ならきっとまだ。
京介を無事に手放せる。
「だめ、伊吹…っ」
ぎゅっ、とふいに手を強く握りしめられた。
「進んで」
「でも」
「前に」
「だって」
「前に」
「だって…っ」
振り返ってしまった、見てしまった、京介の足下に引きずられている、重くて大きい真っ黒な鎖、絡みついて自由を奪い、温かさを食い破る、凍える傷みに震え始めている歩みを。
こんな傷みを背負わせるために生きてきたんじゃない。
「京介……っっっ」
手を、離して。
「離さないっ」
叫びが響き渡る。
「離すもんか」
地鳴りのように周囲を押し包む轟音の中、鮮烈に聞こえる京介の声。
「君は、真崎…っ、美並なんだから…っっ!」
「あ、あっ!」
踏み出す京介の足下に深紅の花が開く。たわみ歪んだ鎖がその花に触れてぼろぼろと崩れ砕けていく。
「進ませて…っ」
吐き出されたのは懇願。
「まだ、先に行けるから……っ!」
思わず握り返す、自分の熱を移すように。
「あ…」
その瞬間、理解した。
私の命は、あなたのもの。
あなたが進むと行っている、ならば、私に何が選べようか。
振り仰ぐ、揺らめく視界に、炎を纏った黄金の翼、それに縁取られた京介の横顔、汗にまみれて。
「京介……」
「大丈夫」
「……京介……っ」
「大丈夫だよ、美並」
「……きょう……すけえ………」
このままでいいというのだろうか。
「わた…し……ぃ…」
このままの、美並でいいと。
「来て、美並」
笑う京介にしがみつく、抱き締められる、黄金の羽根でなお熱く。
鮮血を散らせて、なお艶やかなその人に、今改めて魂ごと奪われる。
「…い…く……っっ」
約束は永遠。
誰も破ることのできない、その扉が、今、開かれる。
「あああ……っ」
初めて、知った。
美並はずっと、京介が消えるのが、怖かったのだ。
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