『闇を闇から』番外編

segakiyui

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『その男』(15)

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「大変なことになりましたが、今後ともよろしくお願いいたします」
 元子が派手派手しい紅蓮とも言っていいスーツに身を包んで、儀式のように頭を下げる。
 並んだ顔は様々だ。
 能面のように無表情な高山、しきりと汗を拭いている細田、そして、滑らかな肌に磨いた眼鏡、一人山奥の庵にでも住んでいたように静かな顔の真崎。
「異論はあるが」
 高山が重く息を吐いた。ちらりと上げた視線は真崎に投げられている。
「この際、仕方ないな」
 桜木通販を襲った前代未聞の不祥事。
 経理の緑川課長が悪名高い買春行為に客として加わっていたばかりか、それに流れた費用も会社から横領していたという事実。
 経済界を揺るがすような大きな会社ではなかった。緑川は犯罪者だが、その背後にまだまだ芋づる式に引き上げられそうな組織と人間が存在していた。
 その二点だけで、表沙汰に騒がれることなく、緑川との法的取引で組織を潰す方を優先させた警察との間でかろうじて保たれることになった平穏。
「同じ幸運は二度はありません」
 席についた元子は珍しく冷ややかで生真面目だ。指に嵌めているダイヤさえ輝きをくすませている。
「社内のあれこれの噂もありますが」
 触れた事柄にぎくりと細田が身を竦ませる。
 緑川と阿倍野の付き合いあれこれを、よせばいいのに、実は全く知らなかったわけではなく、これこれこういう具合であったと御注進に及んで、元子から見事に減俸された。
「これ以上へたに動かすのもやぶ蛇でしょう」
 よって、新たな人員配置をもって、以後の体制を固め、二度と愚かな事件に関わらないように務めます。
「人事は高山さん」
「…」
 静かに高山が頷く。
「品質管理は細田さん」
「…せ、精一杯やらせて頂きます」
 細田がなおもにじみ出る汗をひたすら拭う。
「高山さんが動いて、空いた流通管理のポストは」
 元子がゆっくりと視線を上げた。
「真崎くん?」
「…はい」
 周囲の視線を一身に浴びて、しかも目を細めて微笑み返す神経は、どうしてどうしてたいしたものだ。
「あなたが課長を」
「お引き受けします」
 いきなりの抜擢、しかもそれまで総務の下に居たから全くの畑違い、それでも間髪入れずに答えたのは自信があるからか、予期していたせいか。
「大変よ?」
 あまりのあっさりぶりに元子がさすがに首を傾げた。
「高山さんだから仕切れていた部門でもあるしね」
「仕切ろう、などとは思っていません」
 それでも、この男が桜木通販で静かに穏やかに人脈を確保し、じりじりとその勢力範囲を広げていたのは、ここにいる誰もが意識していたことだ。
「僕が未熟なのはご存知の通り」
 隠しておけるような部署でもありませんしね。
 私ではなく、僕、と幼い一人称は意識してかそれとも。
「流通管理は、僕一人が頑張ってどうなるものではないでしょう」
 トップが示し、総務が束ね、人事が揃え、経理が制御し、品質が保証されてこその営業と流通。
「皆さんのご協力なしに、できるものは何一つない」
 これまで通り、これまで以上に。
「よろしくご指導下さい」
 すらりと立って深く頭を下げるその所作に、乱れはなく、驕りも感じられず。
「超一流の役者だな」
 高山の呟きが嫌みに聞こえないほど当たり前に響く。
「気負わなくていいわ」
 元子が満足した顔で笑った。
「総務も経理もまだまだこれからよ」
 笑いかけてくる元子に微笑を返した。
 だがその笑みが真崎ほど周囲に素直に受け取られなかったのはすぐわかった。

「策はあるのか」
 会議室に出たとたん、高山に捕まる。
「整えていけるのか」
「難しいところですね」
 溜め息をついて見せる。
「落ちた評判は取り戻せない」
「にしては、自信ありげだぞ」
「真崎さんほどではないですよ」
 高山はへたに受け答えしていると探られる。するりと話題をすり替える。
「高山さんの後はきつい」
「……俺がやっていたのは、上が安定している評価を背負ってだ」
 ぼそりと相手が呟いて、後から会議室から出て来る真崎を見やる。
「あいつがやるのは、マイナス位置からだ」
 表には出なくても、事件の不快感、それも色欲がらみの腐臭は早く広がり、なかなか消えない。
「緩くては困る、そういつかおっしゃってましたね」
 あの時、高山課長は既にご存知だったんですか。
「それをここで話させる気か?」
「……いえ」
 じろりと見上げてきた相手に苦笑を返した。
「しっかりと締めていきます」
「そうだな」
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