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『その男』(18)
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「どこに行ったんだろうね」
富崎がきょろきょろし、戸口を振り返った、その瞬間。
「どうしたんですか?」
伊吹が総務に入ってくるのを見て、体が強張った。
「書類なんだ」
「大事なやつ……この机のあたりに落ちたらしいんだ」
木崎が指差すのに頷いて、伊吹はすたすたと近づいてくると、
「この辺にないですか」
棚の辺りを覗き込み、
「ありました」
「えええっ!」
どよめきが上がる。
敵だ。
体が瞬時に判断した。
こいつは敵、それも誰よりも先に手を打たなければならない敵。
メール便を届けに来ただけ、皆が書類を探しているのも今初めて知った、なのに、何が起こったのか見抜いた裏には勘ではなくて、正確な記憶力と鋭い観察、しかも冷静でしなやかな思考が備わっている。
ましてや、この脳裏に広がるイメージは、伊吹美並が、単に他部部署のアルバイトとして関わっているのではなく、自分のミスに繋がる場所に偶然のように、しかも必ず現れているという畏怖。
「よかったな」
高山が薄笑いを浮かべてこちらを振り向き、伊吹に密かな賛嘆の目を向ける。
「よかったですね」
富崎もほっとしたように笑いかけ、伊吹に好ましげな視線を送る。
ちりん。
頭上で鳴った風鈴に、ほっとする間もなく手から抜け落ちた足の感触。
違う違う違う。
そんなものを求めてはいなかった。そんなものに終わるはずはなかった。自分が得られるのはもっと素晴しいもの、もっと豊かなもの、もっともっともっと。
なのに、視線は擦り抜け、賞讃は流れ、残ったのは寒々しいこの空間。
足下に紅蓮の血が広がる、なぜ、どうして、どこが。
どこがまずかった、何が。
「…だ」
敵だ。すぐに手を打たねば。
伊吹を調べ、社内で動きを封じるために動かねば。
そして、それが不可能ならば。
「どうされたんですか?」
訝しげに見つめてくる相手ににっこりと微笑み返す。
「いや、そんなとこにあったとは気づかなかった、ありがとう」
ちりん。
もう一度。
「いえ、どういたしまして」
取り込むまでだ、紅蓮の闇に。
けれど、どこからどうやって。
清冽すぎて、相子や阿倍野に使った手は使えない。
大輔も今回は使えそうになかった、格が違いすぎる、そういう感覚。
けれど、意外に簡単なところに手があった。
富崎がきょろきょろし、戸口を振り返った、その瞬間。
「どうしたんですか?」
伊吹が総務に入ってくるのを見て、体が強張った。
「書類なんだ」
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木崎が指差すのに頷いて、伊吹はすたすたと近づいてくると、
「この辺にないですか」
棚の辺りを覗き込み、
「ありました」
「えええっ!」
どよめきが上がる。
敵だ。
体が瞬時に判断した。
こいつは敵、それも誰よりも先に手を打たなければならない敵。
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ましてや、この脳裏に広がるイメージは、伊吹美並が、単に他部部署のアルバイトとして関わっているのではなく、自分のミスに繋がる場所に偶然のように、しかも必ず現れているという畏怖。
「よかったな」
高山が薄笑いを浮かべてこちらを振り向き、伊吹に密かな賛嘆の目を向ける。
「よかったですね」
富崎もほっとしたように笑いかけ、伊吹に好ましげな視線を送る。
ちりん。
頭上で鳴った風鈴に、ほっとする間もなく手から抜け落ちた足の感触。
違う違う違う。
そんなものを求めてはいなかった。そんなものに終わるはずはなかった。自分が得られるのはもっと素晴しいもの、もっと豊かなもの、もっともっともっと。
なのに、視線は擦り抜け、賞讃は流れ、残ったのは寒々しいこの空間。
足下に紅蓮の血が広がる、なぜ、どうして、どこが。
どこがまずかった、何が。
「…だ」
敵だ。すぐに手を打たねば。
伊吹を調べ、社内で動きを封じるために動かねば。
そして、それが不可能ならば。
「どうされたんですか?」
訝しげに見つめてくる相手ににっこりと微笑み返す。
「いや、そんなとこにあったとは気づかなかった、ありがとう」
ちりん。
もう一度。
「いえ、どういたしまして」
取り込むまでだ、紅蓮の闇に。
けれど、どこからどうやって。
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