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『その男』(19)
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「先日はうちの伊吹のことを配慮して頂きありがとうございました」
「ああ、あれ」
真崎が頭を下げてきて、探していた答えを感じ取る。
「いいよ、これで貸し借りなしってことだから」
「貸し借り、なし?」
「伊吹さんには助けてもらってるからね、二度も」
二度、をわざわざ強調する。
「阿倍野さんのお子さんのことですか」
カフェラテを一口呑み込んで、問い返してくる真崎にいつかの開店直前のコンビニを思った。
「さすが情報通」
こんなところに扉を開かせるポイントがあったとは。
あっちこっちのことをあいかわらずよく聞き込んでるなあ、と呟いて、さりげなくもう一歩近づく。
「まるで名探偵みたいだよね、彼女。アベちゃんからちょっと話を聞いただけで、何がどうなってるのかすぐ教えてくれたって、彼女も不思議がってた」
真崎のカフェラテを持つ指先に緊張が走った。
「君が手放したがらないのはよくわかるよ、ましてや高山さんのとこじゃなあ……俺だって、あの人は苦手だ」
世間話を織り交ぜつつ、こちらの弱みを晒したように見せかける。
「伊吹さんならうまくやるかも知れないけどね」
まだ閉まっている扉の前をゆっくりと往復してみせ、店員の注意を惹き付ける。
「もう一回っていうのは、俺が世話になったんだけど」
あつ、と小さく漏らした真崎の注意は、明らかに伊吹に反応している。
「何だ、この子って、そう思った」
きらり、と一瞬確かに真崎の瞳が、眼鏡の奥で物騒な光を帯びた。無言になったのは、受け答えできないほどこちらの情報に引っ掛かっているせいだろう。
もう少しで扉が開きそうだ。開店時間にはまだ早いが、店の準備は整っている。店員もこちらを眺めている。横目で観察していた視線に真崎が応じた。
「…なんです?」
「彼女と結婚するって?」
「……ええ」
「結婚したら、同一部署は駄目だよ?」
「そうですね」
「経理にもらえないかって、頼んでみようと思ってるんだけど」
扉をノックしてみる。入れそうかな?
じろり、と見たことのない冷ややかな険のある視線が戻ってきて、嬉しくなった。
初めての客が何を買うのか、興味が出てきてくれたらしい。こちらを値踏みをしているのがわかる。店内の品揃えとこちらの外見、財布の中身と嗜好を天秤にかけて考えている。
「頭がいい子だよね?」
「ええ」
「仕事もきちんとやる」
「そうです」
「誠実で、丁寧だ」
「………」
「家庭を守るには最高の人かもしれないね?」
「………それが?」
扉が開いた。
真崎の顔が削いだように無表情に冷たくなる。仕事場での容赦ない判断を聞いてはいる、けれど社内では当たり障りなく卒なく対応するこの男が、いつかの大輔に向けたような冷淡さを向けてくる。
「…そういう顔もできるんだ、真崎さん」
なるほど、まだまだ見せていない部分がたくさんあるということだ。
「感情がないのかと思ってたけど」
「僕にだって感情ぐらいありますよ」
「会議で見せてもらった」
もっと見せてもらおうか。品揃えだけではない、人員配置、防犯システム、各種連絡網の整備具合。トラブルが起きたとき、どれぐらいの速度でどこまで動きを変えてくるのか。連携はどうだ? 教育は? 最後の責任はどこに押しつけられることになっている?
この店の弱点は伊吹美並、だが、もっとも効果的に壊すにはどうすればいい?
「……総務や人事に動かすぐらいなら、俺のところがましじゃない? もっとも伊吹さん次第だけど」
こくこくこくこく、ごくん。
「……」
いきなり、真崎が一気にカフェラテを飲み干し、ぐしゃり、と紙コップを握り潰した。にっこり笑う顔は、一転して華やかで荒々しい。
「決定権は僕にはない……もちろん、あなたにも」
これはこれは。
理解する。
真崎を制するのには刃物はいらない。伊吹を支配下にいれればいい。
方法は決まった。
「ああ、あれ」
真崎が頭を下げてきて、探していた答えを感じ取る。
「いいよ、これで貸し借りなしってことだから」
「貸し借り、なし?」
「伊吹さんには助けてもらってるからね、二度も」
二度、をわざわざ強調する。
「阿倍野さんのお子さんのことですか」
カフェラテを一口呑み込んで、問い返してくる真崎にいつかの開店直前のコンビニを思った。
「さすが情報通」
こんなところに扉を開かせるポイントがあったとは。
あっちこっちのことをあいかわらずよく聞き込んでるなあ、と呟いて、さりげなくもう一歩近づく。
「まるで名探偵みたいだよね、彼女。アベちゃんからちょっと話を聞いただけで、何がどうなってるのかすぐ教えてくれたって、彼女も不思議がってた」
真崎のカフェラテを持つ指先に緊張が走った。
「君が手放したがらないのはよくわかるよ、ましてや高山さんのとこじゃなあ……俺だって、あの人は苦手だ」
世間話を織り交ぜつつ、こちらの弱みを晒したように見せかける。
「伊吹さんならうまくやるかも知れないけどね」
まだ閉まっている扉の前をゆっくりと往復してみせ、店員の注意を惹き付ける。
「もう一回っていうのは、俺が世話になったんだけど」
あつ、と小さく漏らした真崎の注意は、明らかに伊吹に反応している。
「何だ、この子って、そう思った」
きらり、と一瞬確かに真崎の瞳が、眼鏡の奥で物騒な光を帯びた。無言になったのは、受け答えできないほどこちらの情報に引っ掛かっているせいだろう。
もう少しで扉が開きそうだ。開店時間にはまだ早いが、店の準備は整っている。店員もこちらを眺めている。横目で観察していた視線に真崎が応じた。
「…なんです?」
「彼女と結婚するって?」
「……ええ」
「結婚したら、同一部署は駄目だよ?」
「そうですね」
「経理にもらえないかって、頼んでみようと思ってるんだけど」
扉をノックしてみる。入れそうかな?
じろり、と見たことのない冷ややかな険のある視線が戻ってきて、嬉しくなった。
初めての客が何を買うのか、興味が出てきてくれたらしい。こちらを値踏みをしているのがわかる。店内の品揃えとこちらの外見、財布の中身と嗜好を天秤にかけて考えている。
「頭がいい子だよね?」
「ええ」
「仕事もきちんとやる」
「そうです」
「誠実で、丁寧だ」
「………」
「家庭を守るには最高の人かもしれないね?」
「………それが?」
扉が開いた。
真崎の顔が削いだように無表情に冷たくなる。仕事場での容赦ない判断を聞いてはいる、けれど社内では当たり障りなく卒なく対応するこの男が、いつかの大輔に向けたような冷淡さを向けてくる。
「…そういう顔もできるんだ、真崎さん」
なるほど、まだまだ見せていない部分がたくさんあるということだ。
「感情がないのかと思ってたけど」
「僕にだって感情ぐらいありますよ」
「会議で見せてもらった」
もっと見せてもらおうか。品揃えだけではない、人員配置、防犯システム、各種連絡網の整備具合。トラブルが起きたとき、どれぐらいの速度でどこまで動きを変えてくるのか。連携はどうだ? 教育は? 最後の責任はどこに押しつけられることになっている?
この店の弱点は伊吹美並、だが、もっとも効果的に壊すにはどうすればいい?
「……総務や人事に動かすぐらいなら、俺のところがましじゃない? もっとも伊吹さん次第だけど」
こくこくこくこく、ごくん。
「……」
いきなり、真崎が一気にカフェラテを飲み干し、ぐしゃり、と紙コップを握り潰した。にっこり笑う顔は、一転して華やかで荒々しい。
「決定権は僕にはない……もちろん、あなたにも」
これはこれは。
理解する。
真崎を制するのには刃物はいらない。伊吹を支配下にいれればいい。
方法は決まった。
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