『周一郎舞台裏』〜『猫たちの時間』5〜

segakiyui

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2.シーン202ーーシーン118(3)

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「え?」
 垣は汗が流れ続ける顔を大道具の隅から突き出した。
 『滝』役だけでは暮らしは成り立たない。映画撮りの合間には、こうやっていろいろな部署のスタッフに頼まれる下働きや雑用をこなし、ちょっとした稼ぎを得ている。
「だからぁ、あんたぐらい? 暇なの?」
 ことばを省略し、語尾を微妙に上げる口調で、垣より1、2歳しか違わない相手は、顎をしゃくった。
「何だって?」
「だからさぁ」
 始めっから言わなきゃなんないわけ? 何なの、その物忘れの酷さ、そういうあからさまな冷笑を無視して、相手を見上げ続けると、
「修一さんにぃ、監督が渡し忘れたものがあんだって。演技上の注意点? メモ? とかそういうの?」
 垣に聞かれても困る。
「どうしてもぉ、明日までに直してほしいもんなんだって?」
 メールとか他にもあるだろに、何メモ、って。
 嘲笑するような口調は強くなる。
 垣は知っている。このスタッフは若くて力があるのは取り柄だが、チームとして働けないと言われている。だからこうして使いっ走りを任せられてしまう。
「ケータイ、繋がんなかったのか」
「出ないんだよ、修一さんは。高野か、佐野かが出るんだけどさ、そっちも何でか出ないって」
 それって避けられてるって言うことだよな?
 思わず突っ込みたくなったのを我慢し、再びトンカチを握り直す。
「まだ仕事中かもしんないしぃ」
「スケジュール確認したのか」
「修一さんは『売れっ子』だからな」
 男はにやにやと嗤った。
 顔もいいから、『あっちこっちで売って』んじゃねえの?
「……」
 思わず垣は手を止める。
 確かに修一は俺様だし、年齢と中身のギャップはあるし、外面の良さはかなりのものだが、『あっちこっちで売る』ようなまねをするようには思えない。
(というか、そんな必要ねえだろ)
 修一の才能や境遇を自分と引き比べるのが嫌さに、ありがちでスキャンダラスなネタに結びつけて溜飲を下げておこうという魂胆が丸見えでうんざりした。
「なあ暇なら、持ってけよ、これ」
「…脚本(ほん)?」
「渡せばわかるって」
 トンカチを降ろし、受け取った脚本をぱらぱらと捲ってみる。
 あちらこちらに書き込み訂正があるばかりか、明らかに中身を刷り直した分もあり、どうやら大幅な改稿があったことがうかがえた。しかも数カ所は明日撮ろうとしていた部分で、これをやるには修一のスケジュールそのものを弄る可能性があるだろう。
「…ああ…なるほど…」
「じゃ、頼んだぜ」
「おい!」
 男は垣が呑み込んだ気配を見て取ると、さっさと姿を消した。
「…ちぇっ」
 高野も佐野も薄々これに気づいているのだろう。スケジュールの急な変更を修一は嫌がる。ただでさえお天気屋なところがあるのに、今日この変更を押しつけられたら、監督には勿論、話を届けたスタッフにも激怒して八つ当たりしかねない。
 それでなくても、最近伊勢と修一の関係には微妙な齟齬がある。
『こんなの届けたら詰られんのがオチだよな?』『あいつでいいんじゃね? ほら、しょっちゅう修一にやられてるし?』
 そういう会話が知らぬところで成り立っていたわけだ。
「……そうだな、行ってみるか」
 垣は溜め息をついて、額に巻いていたタオルを取り、落ちる汗を拭った。
「ひょっとしたら、友樹夫妻に会えるかも知れないしな」
 そんなことは200%ない。
 そう思いつつ、自分を誤摩化しながら、垣はのっそりと立ち上がった。


「それじゃ、おやすみなさい」
「おやすみ」
 いつものように佐野が声をかけ、高野とともに修一の部屋から出て行ったのは、もう23時近かった。
「ふ…ぅ」
 映画撮りでは26時、27時なんてスケジュールもある。時間が遅いのはそれほど苦痛じゃない、映画に没頭していれば、それほど続いた時間でさえ、もっと続けばと思うことがある。
「……感覚ないし」
 ソファにぐったりと埋まり込みながら、右手をのろのろとマッサージする。痺れて固まって、自分のものではないようだ。
 今日一日で書いた色紙は、500枚は越えたかもしれない。続いたグラビア撮影では、異常に細部に拘るカメラマンと、指示を全く理解出来ない照明スタッフの組み合わせという史上最悪のカップリング、同じことを数時間ぶっ続けにやらされ、しかも挙げ句に『笑顔がないよ、修一くん、お客が見たくない顔だ』なんて、自分の仕事が何なのか、何をやってるのかわかってないんじゃないか。気持ちよく笑わせて気分を乗せてきっちり撮って仕上げてくれる人もいるのに。
(あいつらサイアク)
 くたくただった。いや、体はもうここから動きたくないほどくたくただったが、神経の方は苛々とした不快感で詰まっていて、細かな一本一本まで逆立っているような気がして、全く落ち着けない。
「…………」
 無言で部屋の隅のボックスにうずたかく積まれた『プレゼント』と『手紙』の束を見やる。ホームページの掲示板に書き込んだりや公的なアドレスに切々と心情を送りつけたりしてくるファンも多いが、今もこういう『直接的に』届く方法を好むファンも多い。
『出来る限り目を通して、ファンサービスに努めて下さい』
 佐野のことばが鼓膜に突き刺さっている。
「……疲れたって……」
 はあ、と大きく息を吐いて天井を見上げ、目を閉じた。
「『ると』…」
 修一はぼんやりと呼んだ。
「あれを何とかしなきゃね。明日になったらまた増えるからさ」
 呟きながらも、ぐったりとした四肢は石化の呪文をかけられたようにぴくりとも動かない。深々と息を吐き出しつつ、思い出す。
(学校もしばらく無理だな)
 ひょっとすると卒業式まで行けないかも知れない?
「……ちぇ…」
 修一の進学を受け入れてくれる高校は既に決まっていた。だが、日々、年を追うごとに殺人的になってくるスケジュールのどこに、学校の時間をひねり出せというのだろう。
「『ると』……疲れたよ。もう、動きたくない」
 溜め息とともにぼやいて、それがどれほど贅沢なことかと考える。動かなくては生活できない。この部屋の中までは高野の手は届かない。
 しばらくぼんやりとソファに身を任せていた修一は、閉じていた目を開き、のろのろと体を起こした。居間を見回し、青灰色の猫のぬいぐるみが、いつの間にか、プレゼントと手紙の側に置かれているのに苦笑する。
「おまえをそこに連れてったの、佐野さんだろ、『ると』。あの人のやりそうなことだよな」
 佐野は『ると』が修一の心にどんな位置を占めているのか熟知している。
「……乗るしか、ないんだよね…」
 ゆらりと足下をふらつかせながら、修一は立ち上がってぬいぐるみの側に近寄った。こちらを見上げている金目の猫に笑いかけ、その近くにぺたりと腰を降ろして、つん、とぬいぐるみの額を突く。ころんと他愛なく後ろに転がるぬいぐるみに少し笑い声をたてて起こしてやり、溜め息を一つついて仕事にかかった。
「1つ、手編みのマフラー、編み目がたがた。1つ、手編みじゃないマフラー、凄い配色。1つ、ペア手袋…2つとも送ってくるのは訳わかんないな。1つ、焦げたクッキー、賞味期限不明。1つ、瓶詰めのキャンディ、甘いの好きだって言ったけ?」
 一休みして、溜め息を再び。色とりどりのリボンと包み紙が辺りに散らばっていく。
「1つ、ミニカーの置物、ガキじゃないし。1つ、マフラー、じーさん用か? 1つ、ミニカー、ああ車の模型嫌いじゃないって言ったっけ。1つ、バスタオル、イニシャル入り、何考えてんだか。1つ、野球帽、人の趣味を決めつけてるね。1つ、金鎖、趣味悪。1つ、銀製キーホルダー、何だろこの鍵……自宅とか? はぁ」
 プレゼントの中身に罵倒を繰り返しながらも、何を贈られたか、何が多かったか、情報データはきちんと頭に入っている。インタビューで尋ねられることもあるし、返答によってはとんでもないプレゼントを回避できるのだから、もちろん、無駄な作業ではない。
 それでも似たようなものばかり出て来て、20個近く開けたところで飽きた。包み紙とリボンの海に溺れかけていた『ると』を抱き上げて救出し、場所を移動する。
「手紙も似たような内容なんだろな、『ると』」
 呟きながら手を伸ばす。
 掲示板の書き込みやメールの返事は、基本はテンプレートとそのバージョン替えだ。専門のスタッフがそれ相応に対応してくれているし、書き込みや送られたメールで特徴のあるものは知らせてくれる。もちろん、怪しげなものは省いてくれるし、有害なものーー時に、修一をキャラクターにした、二度と読みたくないような凄まじい小説が贈られてくるーーは削除してくれ、以後、その相手とのやりとりを封じてくれる。
 ただ手紙はこだわりのある相手からのものが多く、書式やレターセットの意匠に凝る相手もいるので、全部は読めないけれど目は通してます的な対応をするために、修一に直接送られてくるのが常だった。だからこそ、注意はしていたのだが。
「っっ!」
 手近の分厚い手紙の封を切ろうとして、顔をしかめた。
「、ドジった」
 指先に走った鋭い痛み、取り落とした封書の上部にきらりと光るもの、よく見るとカミソリの刃のようだ。握った指先から見る見る赤い液体が膨れ上がり、手紙の束の上に落ちる。
「くそ…」
 やっぱりちょっとボケ過ぎだ、と周囲を見回したとたん、がちゃりと玄関に続く廊下とリビングの境の扉が開いてぎょっとした。
「あの」
 指先をきつく握ったまま振り返り、居心地悪そうにもぞもぞと内懐から何かを出そうとしている垣を見つける。
「…垣さん」
 何でこんなところに居るの?
 思わずそう尋ねようとした矢先、
「チャイムを鳴らしたんですけど、答えがなかったので、あの、けど、不法侵入するつもりはさらさらなくてですね…」
 言いかけた垣の目が修一に、続いてその指先に止まる。見る見る目を見開いた垣は、
「怪我をしたのか!」
 呆気にとられる修一にお構いなし、散らばったリボンや包み紙を容赦なく踏みつけて飛び込んでき、傷を覗き込んだ。
「垣、」
「何ぼうっとしてる!」
 きつい調子で一声、近くのリボンを掴み、指の根本をきつめに縛る。
「えーと、それから何か押さえるもの…と、これでいいか」
 プレゼントの中にあったタオルに目をつけ、それで修一に指を押さえておくように命じた。 
「救急箱は!」
「あ、あの、そこの棚、かな」
 勢いに押されて思わず応えると、再びリボンや包み紙を蹴散らしてそちらへ駆け寄り、目当てのものをすぐに見つけて戻ってくる。
「おい指出しな」「う、うん」
 思ったほど深くはなかったし、すぐに止血できていたから、くるりくるりと二重三重に巻かれたカットバンは照れくさかったけれど。
(垣さん…)
 なおもその上から包帯を巻き付けてくれる垣に、『滝志郎』の姿が重なった。
 自分を必ず受け止めてくれる相手、他人の事を自分の事のように心配するお人好し、驚きとくすぐったさ、疑いと喜びが交錯する、こんな人が本当にいるのかという想い……。
(周一郎もこんな気持ちだった? 滝に初めて構ってもらった時……?)
「よし、これで大丈夫だ」
「……ありがとう」
 何だかかなり包帯を巻き過ぎという感じがしなくもないが。
「慣れてるんだね」
「そりゃ、よく怪我するからな」
 ははっ、と垣はいささか自嘲じみた笑い声を上げた。芝居でも、カメラが回っていない時でも見ない顔、結構渋くていい味がある。
(大人なんだ)
 どれほど修一に振り回されていようと、役者の世界で駆け出しも駆け出し、駆け出しの皮一枚みたいなところにいようと、修一の知らない時間、修一の産まれていなかった世界を生きてきた経験がどこかで滲む。
「…そっか…」
 周一郎はひょっとすると、その鋭い感性でお人好しで頼りない滝の存在の中に、それでも自分より十数年生きてきた時間のようなものを感じ取ったのかも知れない。
「…びっくりして…どうしようかと思ってた」
 自分のことばがひどく素直に響いた。
 界部朋子と演っているのだ、これぐらいのことは想定内のはずだった。人気稼業なのだ、どこかで恨みを買うのも当然だ。そう言った『通常ならば理不尽な悪意』を、いつの間にか呑み込んで鈍くなってしまっていた。
 それを一気に蹴散らされた、傷ついて当然だなんて思っちゃいけないと。
「こっちこそびっくりしたぞ、脚本(ほん)を届けに来たらお前が…」
 垣のことばが途切れて顔を上げる。相手は引き攣った茫然とした顔でのろのろと周囲を見回している。
「垣さん?」
「す、すまん!」
 飛び上がるように立ち上がった。
「掃除道具はあるか? これ、プレゼントだったんだよな?」
 慌てた口調で尋ねつつ、自分が蹴り飛ばしたと思しき箱やリボンや包み紙を急いでまとめにかかる。
「踏み潰したり壊したりしたかな、しまった、目に入ってなかった」
「……放っておいていいよ、高野さんが掃除してくれる」
「そうはいかんだろう!」
 これら皆、お前を応援したり憧れたり励ましたりしてくれている人達からのものなんだぞ。
「うわ…、そのタオルもか……しまったなあ…」
 しまったしまったと呟きながら、プレゼントの山を部屋の隅に片付けにかかる。
「応援したり憧れたり励ましたり、ね」
 そうとばかりも限らないんだけどな、と修一は赤く染まった封筒を用心深く取り上げる。宛名はよく見れば男文字、差出人の名前はない。普通ならば、選り分けられているはずのものだ。
 ずきずきし始めた指でもう一度、封筒の縁に煌めく刃の近くをそっと撫でた。
「サディステックな励まし方だよな」
 そろそろとテーブルの上に置く。高野に見せて一言は言ってやろう。今からこれじゃ、この先の展開にどんな物騒なものが送られてくるかわかったもんじゃない。
「けど、一体どうして手を切ったんだ?」
 あちらこちらに散らばっていた包装紙をまとめ、プレゼントを箱に分けて片付け、意外に手際良く部屋を整えた垣が戻ってくるのに、苦笑して応える。
「嫉妬」
「は?」
「手紙にカミソリが仕掛けてあった」
「かみそり? 手紙? ……何の冗談だ」
「と思うよねえ、実際」
 どう考えても三文小説だ。けれど、それにあっさり引っ掛かって怪我をした修一は、三文小説以下なんだろう。
「界部朋子とラブ・シーンを演ったからだろ」
「……ラブ・シーンって…」
 濡れ場ってわけでもないのに?
 訝しげで不審げな垣の声にくすくす嗤う。
「そんなことで?」
「そういうファンも居るってこと」
 ゆっくりと『ると』を抱き上げ立ち上がり、ソファに戻った。溜め息一つ、気持ちを切り替える。
「それより、垣さん、一体何の用だったの?」
「あ、そうそう」
 垣は戸口に放り出していたナップサックに近づいて口を開いた。
「これ、監督から」
「監督?」
 自分の声があからさまに不快そうだ。
「君の演技に対する注文だってさ」
「ちぇっ」
 修一は舌打ちした。
 またかよ。この上にどんな不満がある。
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