『ラズーン』第一部

segakiyui

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9.シェーランの山賊(コール)(1)

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 『太陽の池』を発って数日後、一行はシェーランに入った。
 とっぷり暮れた日に、ひさしぶりに家屋の宿を探しにかかる。
「ごめん! 旅の者だが一番の宿を…」
「はいはい……」
 細く扉を開けた相手はぎょっとした顔で固まり、次の瞬間顔を強ばらせて、ばたん、と手荒く閉めてしまった。
「おい! 怪しい者ではない!」
 どんどん、と戸を叩いてイルファが喚くと、中から悲鳴のような叫びが応じる。
「嘘をつけ! 早くどっかへ行ってくれ! 山賊(コール)の手伝いなんか真っ平だ!!」
「山賊(コール)?」
 アシャが眉をひそめるのに、イルファの様子を見守っていたユーノは訝しく目を向けた。
「何…コールって?」
「シェーランの辺境貿易商人……まあ、平たく言えば山賊、だ。ここ数年は大人しかったはずなんだが…」
「それで、なぜ俺を見て戸を閉めねばならん?」
 ぼそりと言ったイルファに、思わず笑いを噛み殺す。
「なんだ、それは」
「ごめん」
「謝ってなお笑ってるとはどういうことだ……お前までなんだ、アシャ」
「すまん」
「くそっ」
 確かにイルファは筋骨たくましい大男、それが唐突にのっそりと戸口に立たれては、どう見たってただの旅の者には見えない。ふくれっ面になったイルファに、レスファートが生真面目な顔で慰める。
「見えないってふべんだね。イルファ、こんなにやさしいのに」
「そう、そうですとも!」
 たちまち相好を崩したイルファは、少年を軽々と抱き上げ、
「王子…レスだけですよ、俺に同情してくれるのは」「うわあ…」
 嫌がるレスファートにすりすりと頬をすり寄せる。
 まあ確かにいじけようともいうものだろう、7軒目の宿を断られては。
「…まいったなあ。早く宿を見つけないと」
 ユーノは呟き、疲れた顔のレスファートに目をやる。馬に乗り慣れている彼女と違って、レスファートはかろうじて馬に引っ掛かっている程度、いくらイルファが抱えるように乗せていても、子供の体にはかなりの疲労になる。
(私だって始めは困ったものなあ)
 ユーノは苦笑しながら遠い日を思い出した。

 ゼランにねだって馬に乗せてもらったのは、確か7歳の誕生日の頃だった。鐙に届かぬ足を伸び上がるようにして踏ん張り、国民の前をパレードしたのは良かったが、翌日は腰が痛くて体がばらばらになりそうなほどきしんで泣きそうだった。
 それでも強がって馬の練習は止めなかったのは意地もあったが、温かな馬の体に深い安らぎを感じたからだったかもしれない。
(平和だったなあ、あの頃は)
 もう10年になる。20歳まで3年、それから10年で30歳、それから10年で40歳。
 夢物語のような遠い未来。
(20歳まで、か)
 その頃まで生きるためにはまだまだ鍛練と幸運が必要だろう。とにかく、今、この旅を生き抜いて、レスファートを守り抜いて、アシャを守り抜いて……そして?
「…」
 胸の裏を走る痛み。
 そして、の先に何がある?

「……がたのもうか」
 我に返ると、イルファの胸あたりに抱き上げられたレスファートが尋ねていた。
「そうだな。それなら、泊めてもらえそうだ」
 アシャがくすくす笑いながら答える。
「俺のどこが悪い」
「お前が悪いんじゃないさ。恨むなら、お前に似ている山賊を恨むんだな」
 取りなしになってないアシャの一言に、イルファはいよいよむくれてしまった。
「どうするって?」
 ユーノの問いにアシャが苦笑した。
「ああ、レスが頼んでみようってことになった」
「うん、それならいいや」
 うなずいて、不服そうなイルファに確認する。
「その間、イルファは隠れてるんだろ?」
「どういう意味だ!」
 イルファは真っ赤になって唇を曲げた。
「大体、成熟した男の魅力というものはだなあ、おい、聞いてるのか、ユーノ!」
「はいはい、聞いてるよ」
 くすくす笑ったユーノは下から服を引っ張られて呼ばれた。いつの間にか降ろされていたレスファートに顔を向ける。
「何、レス?」
「ユーノならだいじょうぶだよ。いっしょにいこ」
「レス~」
 イルファが情けない顔になってレスファートを見る。
「それはあんまりといえばあんまりな」
「わかった。じゃ、イルファ、隠れててね」
「ユーノっ!」
 また顔を赤くして怒鳴るイルファに、しいっ、また次のところも駄目になっちゃうよ、と唇に指を当てる。ううう、と唸ってイルファが背中を向けたのに、レスファートと頷きあって別の家に向かう。
「少し離れたところの方がいいな」
「さっきのを聞いてるかもしれないもんね」
 城を出てからわずかしかたっていないが、レスファートの顔付きはずいぶんしっかりしてきている。その変化の激しさが旅のきつさを教えているようで、胸が痛んだ。
「ここは?」
「よさそうだ」
 窓の木戸の透き間から温かそうな光が漏れてくる。人の話し声もしている。
 生業としての宿屋ではなさそうだが、家もまあまあの大きさで納屋もあるから、最悪ならばそちらで一晩過ごさせてもらえればいい。
 そっと近づいて扉を叩き、こんばんは、とユーノは声をかけた。続いてレスファートがこんばんは、ここを開けてください、と高い声で頼む。
 話し声が止み、扉がきしんだ音をたててそろそろと開いた。外に立っているのがユーノとレスファートの2人と気づくと、男は訝しい顔をしながらも扉を大きく開いてくれた。
「どうしたんだね、こんな夜更けに」
「ラズーンの下に。旅の者です。小さな子供がいるので、一晩休ませて頂けないでしょうか?」
「ああ……こんな子を連れての旅か、それは大変だな」
 男の視線がレスファートに落ちる。レスファートがまっすぐに男を見上げて、深くお辞儀した。
「どうか一ばん休ませてください」
「あらあら、そりゃ、無理だよ、こんな子が野宿だなんて」
 奥から出てきた妻らしい女がレスファートを見て顔を和らげる。
「さあさ、入りなさい、夕飯は食べたの?」
 レスファートに尋ねるのに、心得た少年は心配そうに見上げる。
「あの、兄もいるんです」
「え?」
「見かけはごついんですが、優しい兄が2人。呼んで来てもいいでしょうか?」
 すかさずユーノが付け加えた。
「あ、ら、そう」
 女は一瞬ためらったが、レスファートが不安そうに瞬きするのに、にっこりと笑い返した。
「いいよ、連れておいで」
「ありがとうございます! じゃあ、ボク、呼んできますね!」
 レスファートを残し、離れた木陰で待っていたアシャとイルファを呼びに戻ると、一瞬2人が複雑な顔でユーノを振り返った。
「……何かあったの?」
「いや、何でもない、うまくいったか?」
 アシャがさらりと流す。
「うん、連れておいでって。ごついけど、優しい兄だって紹介したから」
 ユーノはちろりとイルファを見やった。
「大人しくしててね、イルファ。この前の時みたいに、呆れられるほどご飯のお代わりしないでよ?」
「人を食欲の権化みたいに言うな」
「この前、家人の飯まで欲しがったからだろう」
「……注意しよう」
 アシャが苦笑しながら付け加え、イルファはむっつりとまた唇を曲げた。

「怪物?」
 遅い夕食の席についていたアシャ達は家の主人の話にスープから顔を上げた。
 聞き間違いではなかったのかと眉をひそめるのに応じて主人は話を続けた。
「確かに、私達は山賊(コール)と呼んでいますが、本当はあいつらはケトル山の洞穴に住む怪物なんです」
 ケトル山は街から少し離れたところにある峻厳な山で、別名『鳴く山(コール)』と呼ばれている。山のあちらこちらに口を開ける洞穴に細い風穴が通じているために、一定方向から風が吹くと、山がさまざまな唸り声をたてる、それを「山が鳴いている」と言うらしい。
「あ、ほら!」
 主人の促しにレスファートがびくりと震えて食事の手を止めた。
 うおおおおおお……うふおおおおおぉ。
 地底から沸き上がったように聞こえた声は静まり返った村を走り、地鳴りのように床を揺さぶって駆け抜けていく。
「あんな音……さっきまで聞こえなかった…よ?」
「そうだね」
 怯えた顔でレスファートがユーノを見上げる。
「風向きによるんですよ。これぐらいの時間になると大きく聞こえてきます」
 主人のことばを追うように、今度は細く震える娘の悲鳴のような声が家の透き間から忍び入ってきた。
 ひぃやあああぁああ。
「ユーノぉ」
 レスファートは完全に食事を止めてしまった。母の背後に隠れる小さな子供のように、椅子の上で隣のユーノに身を寄せる。ひそめた眉の下でアクアマリンの瞳が大きく見開かれ、ユーノ達の見えぬものを追うように虚空を彷徨い、部屋のあちこちを見回した。
「レス?」
「ユーノ……いや……あの『音』……いやだ……」
 やがてレスファートは色を失った唇を震わせて訴え、ユーノにしがみついた。
「どうしたの、レス」
 小さく首を振って応えない、その肩ががたがた揺れている。
 レスファートのただならぬ様子に腰を浮かせたアシャは、再び響いた声に耳を澄ませたが、突然戸口を振り返った。片手を剣に伸ばし、1本をイルファへ放り、もう1本を抜き放つ。
「な、なにを…」
 ぎょっとする主人に顎をしゃくって隠れていろ、と示した。
「あれは山賊(コール)の合図だ」
「山賊(コール)?!」
 主人が叫び、耳をすませた後、慌てて首を竦めた。ようやく、娘の声に似た、布を引き裂くような風音に混じって、とぎれとぎれに波打つ笛の音が聞こえたらしい。
 素早く戸口へ動いて待ち構えるイルファが鋭い一瞥を投げてくる。
 アシャは頷き間合いをはかる。
 3…2…1……。
「っ!!」「ひやああっっ!」
 声にならない主人の悲鳴、奇妙な叫び声と一緒に赤ん坊の頭ぐらいはある鉄球が木戸を砕いて飛び込み、すぐに鎖に引き戻されていった。間一髪、身を伏せたアシャの頭の位置をはかったように、再び鉄球が割れた木戸から躍り込む。
「アシャ!」
「大丈夫だ!」
 前方に身を投げると同時に転がり、アシャはユーノを振り返った。レスファートを守るようにと合図すると、こくりと頷いたユーノの目の前、くるくる回りながら飛んできた斧が今度は椅子を砕いて転がる。レスファートを抱いて伏せながらユーノが剣を抜き放つ。
「アシャ!」
 背後の窓から躍り込んできた男にイルファが怒鳴り声を上げた。そのイルファも組みついてきた男を殴りつけ、鉄球を奪って逆襲しようとしたが、顔を歪めて鉄球を落とす。
「なんつー重さだ!」
「ふっ」
 背中を急襲されたアシャは小さく息を吐いて、身を沈めて壁際に引いた。男により接近するような動作、間合いを取り損ねた相手が怯んだ一瞬に、脇から背後へ、柄まで通れとばかりに貫いて剣で突き上げる。
「ぐええっ」
 呻き声を上げて男がアシャを越えて前に崩れ落ちた、息をつく間などない、砕かれた木戸から、蹴り破られた窓から、イルファが重さに耐えかねて落とした鉄球を軽々振り回しながら男達が飛び込んでくる。首から手、足首まで覆う黒服、毛皮を片肩から腰へ巻きつけた逞しい体格、大きさで言えばイルファがかろうじて張り合えるぐらいか。
(こいつら、山賊(コール)じゃないな)
 首に突き出された剣を跳ね上げながら、アシャは顔をしかめた。
 圧倒的な体格差を繰り出す剣1本でしのぐのは慣れたことだが、以前戦ったときはこれほど手強くなかった。何より見かけは山賊(コール)なのだが、どろんと曇った目には生気がなく、振るう暴力とあまりにも対照的に醒めている。
(それに、この怪力)
 振り回される鉄球、剣を絡ませたときに押し込んでくる肩を砕くような強圧。
(人間の力『以上』のようだが)
 考えを巡らせている間にも空を走った鉄球がユーノ達を襲う。手から剣を叩き落とされ、顔を歪めたユーノは視線を近くのテーブルに走らせながら、片手にレスファートを抱えて飛び退る。その足から毛ほども離れていない床が鉄球で砕かれる。
 きらりと目を光らせたユーノが鉄球に繋がった鎖を蹴りつけ、相手が引き戻そうとした間を崩した瞬間、身を躍らせてテーブルを倒し、陰にレスファートを放り出す。
 少年が小さな悲鳴を上げながら、テーブルと壁の隙間に落ち込んだとたん。
「イルファ、こっちに剣!」
「おぅ…っ?」
 数人片付けて手薄になったところへ有無を言わせず命じられた声に、思わずイルファが剣をユーノに投げてからうろたえる。
「えっ、わっ、わっ」
「ありがとっ!」
 テーブルの後ろに逃げ込んだレスファートを狙って鉄球を投げようとした山賊(コール)にユーノは襲いかかる。野生の獣を思わせる猛々しさでひきしまった顔、小柄な体が宙を舞い、躍り上がったしなやかな腕にはイルファの重い剣、全体重をのせて山賊(コール)の肩から袈裟がけに剣を浴びせる。もちろん一撃で崩れるような相手ではない、が鮮血を散らせた相手の動きが止まった。
「!」
 足を床に着けるや否や、再び気合いを込めてユーノは跳んだ。一旦切り降ろして開いた傷口を容赦なくもう1度切り裂く。響いた山賊(コール)の絶叫を気にした様子もなく、行き掛けの駄賃とばかりにイルファに走り寄りながら倒れてきた相手にとどめをさし、そのまま血まみれの剣をイルファに放る。
「返すよ、イルファ!」
「う、わっ、わっ!」
 獲物を失いおたおたしていたイルファはユーノの凄まじい動きに茫然としていたが、突然投げ返された剣を危うく受け止め、間一髪突っ込んできた敵を防いだ。
「何するんだ、馬鹿野郎っ!」
「ごめんっ」
 ユーノがイルファの所へ走り寄ったのは何も相手のことを考えたのではなく、単にその近くに飛ばされた自分の剣があったからだ。それと気付いて、イルファが一層派手なののしり声を上げる。
「死の女神(イラークトル)に喰われっちまえ!」
「やなこった!」
 ユーノの叫びにこのっ、と苛立ったイルファが怒りを山賊(コール)に叩きつける。その合間を舞うユーノは致命傷こそ与えられないものの、手首や足首、喉などを傷つけ確実に相手の動きを奪っていく。
(どうやら、しのげそうだな)
 微かに苦笑しながら、アシャは飛びかかってきた山賊(コール)を1人戸口の外へ蹴り出し、もう1人を一緒に引きずり出した。外にまだ手が残っていてはたまらないと思ったせいだが、形勢不利と見たのか、それとも同時にどこかの家を襲って当初の目的は達成したのか、本来ならば闇に構えているはずの本隊の姿がない。
 代わりに。
「っ」
 目の前に立ち塞がった影に目を上げ、アシャはたじろいだ。
 白馬に跨がった女性が1人、こちらを静かに見下ろしている。波打つ金色の髪、豊かな胸とくびれた腰、躯に巻き付く薄水色のドレス。白い指先が上品に手綱をそっと押さえて
いる。
 美しい女性だった。
 その顔が虚ろな骸骨でさえなければ。
「ミネルバ……」
『そなた、こんなところにおったのか、アシャ』
 闇夜の果て、死の国から聞こえるような震える昏い響きが嗤った。
 アシャは苦い顔で剣をおさめた。
 敵ではないが、味方でもない。いや、この相手に剣でどうこうできるわけもない。
 何せかつては『ラズーン』にその存在ありと知らしめた『泉の狩人(オーミノ)』の精鋭だ。
「あなたが出てきているとは思わなかった」
 相手の背後にある巨大な力を思ってうんざりする。
『私とて同じこと』
 ミネルバはまた嗤った。命の営みを、光の世界を嘲る響きのまま、
『そなたがここにいるとは思わなんだ。………「あちら」へはもう戻らぬつもりか?』
「……そのつもりだったが……ひょんなことから戻ることになりそうだ。それより」
 相手の冷酷さに負けないように冷たい目で馬上を見上げる。
「あなたの意図はなんだ? シェーランの山賊どもに組みしているのか」 
 ミネルバがふわりと髪を靡かせて、俯きがちに顔を揺らした。それまでの冷笑とは違った苦みを含んだ笑いの気配を漂わせる。
 手綱を少し引いたせいか、白馬が顔を振り向かせると、顔の中央にたった1つ輝く巨大な金色の目が無表情にアシャを見つめ返してきた。
『私は関わっていない……この私がラズーン支配下(ロダ)に関わるわけがなかろう。ここに居るのは、支配下(ロダ)にしては珍しい精神波が漏れていたせいだ。そなた…だけではなさそうだな』
 ミネルバはアシャの背後を見遣った。
「『運命(リマイン)』を追っているのか?」
『私が追うのはいつもそれだけだ……だが、どうしてそなたに会う羽目になったのかな』
 ミネルバは面白がった。
 突然、背中から殺気を満たした塊が突っ込んできた。とっさに身を翻したアシャは、
「話している場合ではないがな」
 とん、と軽く背を打って、男をミネルバの前に押し出してやった。
『無精をするな、「ラズーン」のアシャともあろう手練が』
 ミネルバは呆れたように呟いた。それでも背中を押されてたたらを踏みながら飛び出してきた男を凝視する気配、ぽっかり空いた眼窩の奥に何かが揺らめいたように見えた次の瞬間、男がことばにならない悲鳴を発した。仰け反り痙攣しながら倒れてくる男を無造作に避ける。哀れとは思うが、考えている通りなら遅かれ早かれまともな死に様には至らない。
 見下ろすと、倒れ込んだ男の目があった部分が黒く焦げ爛れていた。異臭が漂い、ひくひくする男の手足が生き物の動きを越えた不気味さだ。
『ふ、ふ…』
 ミネルバが嘲笑を響かせ、顔をしかめるアシャをちろりと見た。
『それほど毛嫌いするな……同じ源に拠るものではないか』
「……」
『それほど己の出自を嫌っておるそなたが、なぜまたラズーンへ戻る気になったか、わかったぞ』
 じろりとアシャが見返すのに、相手は楽しそうに背後を見つめる。
『……なるほど「銀の王族」か。ラズーンの客だな?』
「付き人、になった」
『ほう……それはそれは………あれは娘、か?』
「………そうだ」
『娘が耐えられるのか?』
「……あいつなら大丈夫だろう、それに」
 万が一のことがあっても俺が。
 さすがにそれは口に出さず唇を引き締めて振り返る。
 家の中の騒動は見る見る片付いていく。覆いかぶさってきた山賊(コール)の顎を派手に蹴り上げ、仰け反ったところに切り込むユーノの双眸は燃える黒炎、激しく美しい光に思わず見愡れて立ち竦む。
『……えらく惚れ込んだものだな』
 ぼそりとミネルバが呟いてアシャは我に返った。
『伊達に視察官(オペ)をしているわけではなかろうから、そなたの目を疑いはせぬが……それにしてもそなたらしくない。氷のアシャと言われた勇士とは思えぬな、腑抜けた顔をしおって』
 無表情に振り返ると、相手は軽く肩をすくめた。
『まあ、よい。そなたの心の熱さは私が知っておる……美しい仮面の下に滾る激情も、な』
「何が言いたい」
『何も。ただ、それに囁きかけることができる乙女が今までおらなかっただけのことだろうよ。さあ、もう行くがよい。あの者達もそろそろ不審に思うぞ』
 ミネルバは手綱から手を離し、足下に転がっている男の屍体に向かって指で招いた。ふわ、と重さのないもののように浮かんだそれを、くすくす笑いながら白馬の背に引き寄せる。
『これはもらっておこう。騒ぎを起こすのは好まぬ。いくら支配下(ロダ)とはいえ、こんな死に方では冗談にもできぬしな』
「……このあたりに『運命(リマイン)』は居たのか、ミネルバ?」
『それを知ってどうする』
 ミネルバが間髪入れずに問い返し、アシャは口を噤んだ。
『己の運命に立ち向かう気になったのか、アシャ』
「……」
『気持ちも定まらぬのに、敵の所在を確かめても仕方なかろう。それとも…』
 微かに微かに柔らかな微笑みの気配が滲む。
『あの娘のために、命を賭ける、か?』
(ユーノの、ために?)
 もう一度家の中を振り返る。飛び散る汗に紅潮した頬、鋭い視線は闘志を失っていない。
「……彼女に俺は必要じゃない」
『く……くく』
 ミネルバが失笑した。
『必要とされないのがそれほど苦痛か、ラズーンのアシャ?』
「っ」
『それこそ……』
 その先をミネルバは続けないまま、そっと馬の背の載せた男の体を指で撫でた。
『私の今宵の花婿はこの者にしておこうよ。………ほう、そなたなしでもしのいだぞ。中々の手練を同道したと見えるな、アシャ。ラズーンへの旅を楽しむがよい』
 暗く魔的な笑いを辺りに満たして、白馬がゆっくり歩み去る。幻のような姿がみるみる夜闇に溶け込み消えるのに、アシャは重い溜め息をついて身を翻した。
(簡単に言ってくれる)
 ユーノを愛しいと思うことも、守りたいと思うことも、実は命を賭けることと大差がない。アシャの生まれが、世界の流れが、否応なくユーノを、アシャを奔流に巻き込んでいくからだ。流れから外れ、世界の滅亡には関わらず、自分達の復讐のために『運命(リマイン)』を狩る輩に、世界で必死に生き延びようとする命の厳しさがどれほどわかると言うのか。
 だが、その思いが諸刃の剣であることにも気がついた。
 アシャもまた、全うすべき仕事を全うせずにラズーンを離れた者だ、それが遠く遥かな場所でユーナ・セレディスという少女を生死の境に追い詰めていることも知らずに。
 そしてそれは、今こうして、故郷を同じくする者とやりとりしている間に、ユーノが修羅場の中に置き去られているのと同じことでもある。
(俺に、その資格はある、のか?)
 ユーノを腕に抱き締める、資格が。
「ちっ」
 思った瞬間に胸を過った傷みに忌々しく舌打ちして急ぎ家の中に戻ったが、中ではほとんど始末がついてしまっている。
「アシャ! どこ行ってたんだ!」
 すばやく見咎めたイルファがむくれる。
「1人だけ楽してやがったな!」
「外の敵を確かめてたんだろうが」
「ほんとか?」
「う」
 イルファだけではない、レスファートの微妙な視線に思わず口ごもるアシャの前でぱちん、と音を立てて剣を片付けたユーノがちらっと見遣ってくる、その視線が一番堪えた。
「俺だってな、」
「お願いですっ!」
 思わず弁解しようとした矢先、家の隅で震えていた主人ががばりと床に両手をつく。
「は?」
「山賊(コール)をやっつけてもらえないでしょうか!」
「え」
「お願いします! お願いします! お願いします!」
 ぎょっとするアシャ達に主人はひたすら喚き続けた。
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