『ラズーン』第一部

segakiyui

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11.知将ゼランの陰謀(1)

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 きゅきゅっ、と音を立ててアシャは革袋の口を締めた。
「じゃあ、行ってくる」
「ん。頼むね、姉さま達のこと」
 粗末な寝床に横になっているユーノを見下ろし、ついつい険しくなった顔に気付いたのだろう、ユーノがにこりと微笑む。
「アシャが行ってくれるなら、安心して旅を続けられる」
「言っておくが」
 じろりと相手をねめつけがら、アシャは唸る。
「まだしばらく動くなよ? 本当なら俺が戻るまで絶対安静と言いたいところだが」
「はいはい」
 軽く片目をつぶって見せて、ユーノは苦笑する。
「医術師の言うことは大人しく聞いておくよ」
「既に聞かなかっただろうが」
 苦々しく遮るアシャにユーノがひきつる。額はうっすらと汗に濡れて、髪の毛がうるさそうに張りついている。
「ユーノ」
 アシャはベッドに腰を降ろした。ユーノの額から髪の毛を指でかきあげてやりながら、
「腕のいい戦士は自分の体調を常に最高に保っておくようにするものだ。傷は塞がってきているが、完全に接合するまで後2日はかかる」
 シェーランの花祭で襲われ、生死の境を彷徨って2日、飲み過ぎ食べ過ぎ体調を崩したようだと心配する周囲をなだめて過ごし、先を急ぐのでと半ば無理矢理に旅立って2日。今はシェーランの国境付近の森近く、元は誰かの住処だったのだろう、見捨てられた小さな廃屋を見つけて治療を続けてきた。ようやく食が戻ってきたのがまだ昨日のことなのに、どうにでもセレドに戻ってほしいとユーノが懇願し続けるのに、アシャは仕方なく旅立つことにしたのだが。
「それより前に動き回ったら、命の保証はできないからな」
 こんな脅しは無駄だろう、思いながら言い聞かせる。
 シェーランの人々の動揺を恐れ、追手が再び平安を脅かすのを警戒し、まるで囮になるようにシェーランから出ていくと聞かなかったユーノの強さ激しさが今はとにかく恨めしい。
 伊達に体は鍛えていない、百戦錬磨の訓練を課してくれた、そこのところはゼランに感謝してもいいが、無防備に背中を向けたユーノを容赦なく切り裂いたことを思うと、腹の底に冷えているのに滾りたつ黒い炎が蠢いてくる。痛み止めと鎮静剤を呑ませているからこそ落ちる眠りに、それでも何度ユーノが蘇った記憶に苦しんで眼を覚ましたか、その手を握るばかりの自分が、どうしてもっと早くこいつの側に居なかったのかと、そればかりを呪っているの
に気付いてからは、アシャも一層眠れなくなった。
「う…ん」
 僅かに眼を細めたユーノがアシャの指先に唇を開く。微かに乱れる呼吸はアシャに応じてではなくて、治り切らない傷の熱がまだ身内を焦がすせいだとわかっているが、それでも思わず誘われそうになる。
 離れたくない。
 アシャが離れてしまえば、またユーノが無茶をする、それがもうあからさまに想像できる。
 それでも、レアナがセアラが父母とセレドが、そう案じる主の声に逆らえるわけもなく。
「これは痛み止めだ」
 小さな袋を渡した。
「一度に2錠以上呑むな」
 身動きしにくくなる。
 そう付け加えたのは本当は偽りだ。2錠以上必要とする痛みは早急に対処が必要なはず、過剰投与は一時的に痛みを殺してくれるが、傷ついた心身をより消耗させるだけだから、あえてユーノが選ばないように制限をかけた。
「わかった」
 思ったとおりユーノはこくりとうなずいて、2錠だね、と確認している。2錠までは呑んでも動ける、そう計算している顔に溜め息をついた。
「それから、お前の剣はイルファに預けておく」
「え!」
 ユーノがぎくりとしたように目を上げる。
「だって、アシャっ」
「イルファの腕は知ってるはずだな? お前は養生するはずだから、剣は要らないはずだな?」
「う」
「不服か? じゃあ、大人しくしてもらうために、この薬も引き上げておくか?」
「あ」
 慌てて薬の小袋を握り込むユーノが、あつ、と眉を寄せた。
「そらみろ」
「今のは、違う」
「何が」
「今のは」
「今のは?」
「ちょっと、傷に擦れて」
 む、と唇を尖らせた相手と離れたくない、とまた思い、アシャは思わず顔を寄せる。驚いて固まる顔に拒まれる前に頬に軽く口付けして体を起こす。
「っ」
「すぐ戻る」
 言い捨ててさっさと背中を向けたのは、一瞬でも不愉快そうな顔を見たくなかったからだ。
 俺は一体何をしてる。
 自分でも混乱して熱くなりながら部屋の扉を開けると、不安そうなレスファートと数日ずっと彼をなだめ続けていたイルファが立っている。
「セレドに戻るのか」
「あいつの家族に異変があるかもしれない」
 背中越しに顎で示す。
「主人の言い付けには従わなくてはならないからな」
「ユーノ、だいじょうぶ? 入ってもいい?」
「ああ」
「ユーノ!」
 アシャの同意に少年はプラチナブロンドの髪を乱して慌てて部屋の中に駆け込んだ。
 ユーノ、ユーノ、ぼく、ユーノが死んじゃうかと思った、すごく心配したんだよぉ。
 泣き声になってしがみついてくるレスファートに、さすがに困った優しい声でユーノが応じる。
「ごめんね、もう無茶しないから」
「うん、うん…っ」
 わああ、とレスファートが泣き出したのは、心象に敏感な少年がどれほど側に居なくても、怪我の酷さを感じ取っていたせいだろう。
「……ああは言っているが」
 扉を閉めて、アシャはユーノの剣をイルファに渡した。
「あいつのことだから、また何かあったら飛び出すに決まってる。剣を預けておく。さすがに空手ではどうこうできないだろうから、動こうとしたら止めてくれ」
「やってはみるが」
 イルファが気難しく顔をしかめたまま唸った。
「本気で来られると無傷で、とはいかないぞ」
「おい」
「俺だって命は惜しい」
 あんな無謀な飛び込み方をしてくる奴をあしらえるほどの腕などない。
 むっつりと言い放ったイルファが常にない重々しさなのに、アシャは眉を上げた。
「イルファ?」
「何だ」
「お前、機嫌が悪くないか?」
「悪い」
「どうしたんだ?」
「今のは何だ」
「は?」
「最後に頬に口付けした」
「……見てたのか」
 思わず憮然とすると、
「俺にはそういう趣味などないと言ったくせに」
「何?」
「男を愛する趣味はないと言ったくせに」
「………ない」
「嘘つけ」
「じゃあ、あれは」
「あれは」
「あれは?」
「……親愛の、情だ」
「………親愛の情か」
「…………俺の居た国ではよくあることだ」
「………………俺には親愛は抱かないのか」
「…………………イルファ」
 じろりと相手を見遣った。
「からかっているのか?」
「わかるか?」
「……おい」
「まあ、冗談はおいて」
「………おい」
「どっちにせよ、あいつを俺一人では止めきれん」
 イルファが肩を竦める。
「へたすると、こっちが巻き込まれる」
「……仕方ない」
 アシャは溜め息を重ねて、イルファを手招きした。
 森近くの大木に翼を休めて待機しているサマルカンドを、戸口を開いて示してみせる。がく、とイルファの顎が落ちて口が開いた。しばらく茫然として白い巨大な、額に紅の十字の傷跡をつけた猛禽類を眺めていたが、おそるおそる引きつった顔でアシャを振り返る。
「あれを見張りにつけておく。いざとなったら、あいつも押さえにまわってくれるだろう」
「あれって……クフィラ、じゃないのか? 太古生物の?」
「そうだ」
「……とっくに滅んだはずじゃないのか?」
 レガと同じように、今この世界に居るとは知らない、ましてや、人の命令に応じるなどとは聞いたことがない。
「あんなのをどこで手に入れた? どうやって、従わせたりできた?」
「……俺の生まれた国ではたくさん居たんだ」
 アシャは顔を逸らせて低く呟き、革袋を背負ってさっさと小屋から歩き出した。
「たくさん……居るわけねえだろ? だって、あいつらは」
 人が生まれる前の世界に、居たはずじゃなかったのか。
 背中で響くイルファの声にアシャは苦い顔で舌打ちし、それにはもう応えなかった。

 数日後、セレドの国境を走り込んでいく一頭の馬があった。
 乗っているのは目立たぬ服装を裏切る金褐色の髪を輝かせたアシャ、紫の瞳を苛立ちに煌めかせ、街路を一筋に中央区へ突っ切っていく。驚きの目を見張る周囲に目もくれず、まっすぐに皇宮へと向かう。
「アシャ?!」
「どうなさったんですか!」
 入口で馬から飛び下り、口々に問う親衛隊に軽く会釈しただけで、アシャはずかずかと皇宮の奥へ踏み入った。顔見知りというだけで、息を荒げて明らかに不審な様子の自分を引き止めもしない守り、その緩みに今さらながらに不愉快な波が胸に動いたのは、緩みの全てを1人で背負っていた娘のことで。
 今遠くに、イルファに任せるしかなかった、床に伏している愛しい娘のことで。
 側を離れたくなどなかった。
 どうしても、と言うから。
 自分の家族を守れと主に命じられたから。
 この不快さを向ける相手はもちろん決まっている。
「ゼランっ!」
「…アシャ?」
 めったに響かせない大声にテラスに居たらしい人影が柔らかく問いながら広間に入ってくる。
「あなたですか?」
「……レアナ様」
 染み一つない白いドレスの裳裾をたおやかに引き寄せながら近付いてくる姿に、アシャは少し落ち着いた。
 よかった、とにかくレアナは無事だ。
 ほ、と小さく息を吐いたアシャの様子にレアナは不安そうに赤茶色の瞳を瞬かせた。
「どうしてここに? あの子、ユーノは一緒ではないのですか?」
「はい、レアナ様」
 ふわりと挙げられた手に軽く頭を下げて礼をとる。
「セアラ様、皇や皇妃様はどちらに」
「ああ」
 レアナは微笑む。
「このところよく晴れ作物の実りも豊か、みなも喜んでいると上納がありました。それを祝い、昨日は宴が開かれて、遅くまでそれぞれに楽しんでいましたから、まだお部屋で休まれておいでです」
「そう、ですか」
 じりっと胸を焦がしたのは、やはり旅の空の下で粗末なベッドに傷だらけの体を横たえていたユーノのことだ。
 皇も皇妃もユーノがどれほど危険な旅に出たか知らないはずもないのに、やはりここでは同じように宴が開かれ、賑やかな談笑とダンス、溢れるような料理と酒、きらびやかな宝石や色鮮やかな服装をまとって、ユーノの家族は平穏を楽しんでいる。
 胸が苦しくなる。
 あなた方のその幸福は一体誰によって満たされているのか。
 そうレアナに詰め寄り詰りたい。
 だがしかし、その思いは諸刃の剣となってアシャの口を封じる。
 目の前の優しげで柔らかな気配の女性を悲しませることを、きっと誰も望まない。世界の恐怖を知らないがゆえの美しさだとはいえ、その姿は人の心を慰める。
 それに、アシャもまた。
 ユーノのように傷ついている『銀の王族』がいるかもしれないと考えもしないで、いや、その可能性を考えたのに責務の重さに怯んで、結果自らを放逐し、ふらふらと諸国を流れていた。
 その甘さがユーノを追い詰めたのだとも言える、とまた同じ考えに舞い戻る。
 ならば背負うのか。背負いきれるのか、この世界を。
 いや。
「何があったのですか?」
 レアナに見上げられて、首を振る。
 きっとアシャにレアナを責める資格などないのだ。
「ゼランはどこに居ますか?」
「ゼラン?」
 ゼランなら夕べも一緒に。
 レアナは少し首を傾げた。
「ああ、そうですわ、さっき庭を横切って……急いでいたのでしょう、呼び掛けても応えなかったのですが」
「どちらへ行きました?」
 嫌な予感にアシャは身を翻す。慌てたようにレアナが呼び掛けてくる。
「何ごとですの」
「どちらに?」
「あ、たぶん、お父さまのお部屋かと」
 夕べも宴の途中で何か話し掛けていましたし。
「皇の」
 ち、と思わず舌打ちしてしまった。
「アシャ?」
「皇妃やセアラさまと居て下さい……私が呼ぶまでいらっしゃらないで頂きたい」
「…わかりました」
 緊迫したアシャの声にレアナが立ち止まる。振り捨てるように足を速めて廊下を抜け、奥まった皇の居室に向かう。相変わらず無防備に、見張り1人も立てていない皇の部屋の前、断ることば一つかけずに今にも室内に滑り込もうとするゼランを見つけた。
「待て!」
「っ」
 振り返ったゼランが訝しげな顔を見せる。だが、近付くアシャの形相に察するものがあったのだろう、顔を歪めると、懐に抱えていた手を引き抜きながら一気に部屋に飛び込もうとする。
 はっとしてアシャは声を張り上げた。
「セレディス4世!!」
 いきなりの叫びに部屋の中で物音が響く。それを力になおも声を放つ。
「曲者が狙っております!」
「ちいっ!」
 ゼランが素早く身を翻す。廊下を駆け抜け、テラスを飛び越え、庭から奥へ、おそらくは厩舎の馬を引き出して逃げ去ろうとしたのだろうが、アシャの動きのほうが早かった。立ち塞がるアシャに、かつて見ないほど醜悪な表情でゼランが立ち竦み、口を開く。
「そこをどけ」
 剣を抜き放ってきしるように唸った。
「大怪我をするぞ、若造が」
「……生憎」
 アシャはゆっくり両手を降ろして向き直る。
「主の命は家族を守れ、なのだ。ここでお前を逃がすわけにはいかんだろう」
 自分の顔が相手に負けず劣らず、殺意を満たして引きつれるのを感じた。
「随分なことも、してくれたじゃないか」
「……やはり、生きていたのか」
「ぬけぬけと」
 歯を噛み砕きそうな苛立ちをかろうじて押さえた。
「弄んで放置する気だったくせに」
「……仕留めるつもりだったのだが」
 ゼランは平然と言い放った。
「上空に妙な気配を感じたのでな、最後まで押し切れなかった」
 じろりとアシャを見遣る瞳には、ユーノの教師としての慈愛はない。
「裏切りもの」
「違う」
 アシャの罵倒に冷やかに応じる。
「もともとセレド側ではなかったのだ」
「何?」
「カザディノ王は様々な手を打つお人でな」
 レアナが大人しく嫁いでこないとわかってからは、あの手この手を企んだ。中の1つが刺客の潜入だ。
「皇の信頼を得て親衛隊に加えられ、いつしか隊長と呼ばれるまでになっていた。嫌いではなかったさ、ここの生活も。だが忘れたことなどない、自分の仕事を……もっともそればかりでもなかったが」
「カザド、だったのか」
 ユーノが常に緊張し警戒していた隣国の野望は、こんな間近で息を潜めていたのかと苦々しい顔になったアシャに、ゼランが剣を構える。
「もう一度言う、そこをどけ、さもないと」
 ふ、と短い気合いを漏らし一瞬にしてアシャに迫って振り降ろす剣、それでもいささかの驕りはあったのだろう、ギンッと歯が傷むような音を響かせて受け止めたアシャの短剣に、驚いたように目を見張る。
「ほ、う、これはこれは」
 お前はそんなものを使えたのか。
「てっきり旅役者崩れの優男とばかり思っていたぞ」
 レアナは無理でもユーノを美貌で垂らし込み、セレドをかっ攫う気かと思っていたから始めは警戒したが。
「あんな小娘に付き合ってラズーン行き、御苦労なことだと思っていた」
 さては、ただものではないのか?
 もう一度刃を鳴らしてお互いに距離を取る。隙はない、つくるしかない。
 アシャは引き抜いた金色の短剣をうっとうしそうに見下ろしながら呟いた。
「……なぜだ」
「何?」
「なぜ、ユーノに剣を教えた」
 ゼランが構えた剣をゆるりと回す。
「剣など教えなくても」
 あのまますぐに屠れただろうに。
 アシャの問いにゼランが微かに唇を歪めた。
「……才能だ」
 嘲笑を響かせる。
「才能?」
「あの子には天性の才能があった」
 これでもカザドでは鳴らした腕だ、多くの将の教師もした。だが。
「あれほどの才能は未だ見たことがなかった」
 その才能に揺さぶられ、カザドの刺客としての自分より、わずかに教師としての自分が優った。
「始めは誤った方向に導いて早々に潰しておくつもりだったのだが」
 ゼランは静かな目になった。
「ユーノの才能は、私の予想を上回った」
 お前にはわかるまい。
 低い声で続ける。
「自分が人生を費やして磨き上げたものを寸分違わず受け継ぎ、しかもそれをなお素晴らしく完成させてくれるだろう器に出会った教師の喜びなど」
 殺さねばならない、間違った方向に導かねば、この才能はやがて我が国の脅威となる、そうわかっていても。
「ためらった、それが5年前の仕損ないだ」
 吐き捨てる声にユーノのことばを思い出す。

「5年前、私を後ろから斬りつけたのはゼランだった」
 掠れた声、自分の愚かさを嘲笑おうとしてできない、傷みを含んだ痛々しい表情。
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 微かに震える唇は今にも泣きそうで、けれど絶対に泣くまいとする強い意志を含んで引き締められて。
「衝撃だった。父さまにも母さまにも守ってもらえないとわかってすがった、たった1人の相手に真っ向から裏切られて……私はその顔を忘れた、んだ……ううん、斬られてからの記憶を失ったんだね。………けれど」
 また襲われて、全く同じ状況で。
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 微かに背けた視線の暗さ。
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「なぜ、今になって」
 しかも旅立ってしまって、既にセレドを守ることができないユーノをなぜ再び傷つけた。
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 会話から一転、飛び込んできた剣先を普通ならば避けられない、だがしかし、アシャは。
「だから、裏切ったのか」
「くっ!」
 難なく受け止めてなおかつ跳ね返す、動きは緩やかな円を描くような動作、ゼランが不思議そうにそれを眺めた次の瞬間、顔色を変える。
「まさか、お前」
「2度も、あいつを裏切ったのか」
 するっと水が流れ込むようにアシャは引いたゼランに肉迫する。動きの先端に据えられた短剣は、まっすぐゼランの喉元に向かう。
「く、う!」「、ふっ」
 防ごうと力任せに突き出された拳、同時に振り回された剣を髪の毛一筋で躱したアシャの動きは止まらない、ばかりか、短剣を胸に抱えて回転した動きでゼランの腰への蹴り、とっさに腹を引いたゼランは膝蹴りがくると思った先で、折り畳まれていた膝から爪先までがばねのように一気に伸ばされたのに蹴られ、吹き飛んで転がる。
「がっ!」
「教師が聞いて呆れる」
 呼吸を乱しもしないアシャは容赦しない。そのまま間合いを詰めて、短剣を一気に相手の首へ、動きにつられて剣を振り上げた相手に微笑み、柄を片手で受け止めて、残った片手で翻した短剣をゼランの腹に突き立てる。悲鳴を上げた相手が痙攣しながら切れ切れに叫ぶ。
「そ、の…戦い、かた…は………ぐああっ」
「もう黙れ」
 柄から力が抜けたのをいいことに口を押さえ込んだのは、視界の彼方に、駆け寄ろうとして凍りついているレアナ達の姿を認めたからで。
「らずー……お…ぺ………っっ!」
 それでも漏れる呟きに、アシャは体重を乗せ刺し貫いてことばを封じた。ぐるんとゼランの瞳が白眼を剥く。が、鮮血が手元に溢れてこないのに、はっとしてアシャは相手を見た。
「アシャ……」
 低い呻きとともに、ゼランの白濁した瞳がふいにぎょろりと動いて見上げてきた。
 絶命しているはずだ。
 だがしかし、その瞳の奥に青白い燐光のようなものが躍る。
 アシャは目を細めた。
「ア……シャ……」
 にやりとゼランがいきなり嗤った。
「……『運命(リマイン)』…」
 ぞくりと不愉快な波が冷気を伴って背筋を這い上がる。
 ミネルバの出現以来、嫌な予感は増していた。だが、こんな間近に『運命(リマイン)』支配下(ロダ)の者がいるとは思ってもみなかった。
 舌打ちして始末をつけようとすると、ゼラン、いや、ゼランの見かけを被ったものがくつくつ嗤った。
「1つ……いいことを……教えてやろう…」
 黒い粘液に塗れた口がかぱかぱと開き、汚れた舌が蠢く。
「ユーノの剣には……大きな罠を……仕掛けてある…」
「何…?」
「こいつは……『あれ』をもっと教えたがった……だが……儂は『あれ』は要らなかった……」
 だから、さっさと手を打ったのだ、ラズーンのアシャ。
「いずれ我らに……刃向かう…『あれ』は………今頃……もう居ないかもしれないが……」
 今、『あれ』には我らの手が向かっているのだ。
 そう囁かれて血の気が引いた。
「ラズーンへは……行かせぬよ……『銀の王族』……ただ1人も……」
「くっ」
 万全の体勢でも『運命(リマイン)』には太刀打ちできないだろうに、今深手を負ったまま身動きできないユーノに魔手が迫っているという。
「愚か……もの」
 相手が嘲る。
「俺を……誘ったのか」
「……こいつを……使ってな」
 もう侵食が進んで使い勝手が悪くなっているこの男を始末する時期でもあったしな。
 嗤う『運命(リマイン)』の腹の傷から、ぬらぬらと溢れてきたのは腐臭を放つ黒い液体、口元からもそれを滴らせる相手に、アシャは凍った顔で短剣をなおも突き刺し、意識を集中した。
「そんな…ことを……しても…もう……遅い……ふ……ふ…は……はは…っ……っが…あ……あ…っ」
 短剣が突き刺さった部分から鈍い色の煙が立ち上る。それでも嗤う相手がやがてびくびく震えながら、内側から見えない炎に焼き尽されていくように開いた穴という穴から煙を上げて焦げ爛れていく。
 やがて短剣を抜き放った場所から滲むように広がった黒い染みに全身覆われていったゼランは、見ている間に得体の知れない焦げた塊となった。
「……アシャ……」
 唇を噛んで見下ろしていたアシャが背後からの声に振り返ると、真っ青な顔をしたセアラが近寄ってきている。
「ご覧にならないほうが」
「レアナ姉さまは、ね」
 言い捨てて側まで来たセアラの向こうで、どうやら気分が悪くなったらしいレアナが抱えられるように皇宮の中へ運び込まれていくのが見える。
「これ……何? ゼランじゃなかったの?」
 気丈に声を振り絞って、喉を鳴らしながらセアラが尋ねる。
「ゼランでした」
 薄い煙に覆われ、やがてうっすらと自ら潤み、その露で汚れを滴り落とした短剣を鞘に片付けながら、アシャは唸る。
「今はもう『運命(リマイン)』と呼ばれたもの、ですが」
「リマイン…」
「ラズーンを……この世界の存続を」
 望まないもの達、です。
「………何をしてるの、あなた達!」
 きっと振り返ったセアラが遠巻きにしている親衛隊を叱咤した。
「ゼランは魔物にとってかわられていた、これはその残骸よ! さっさと片付けなさい!」
「は、はい…っ」
 悲愴な顔をした兵士達が数人吐き戻しつつゼランの遺骸を片付けるのを背中に、セアラがアシャを見上げる。
「姉さまは?」
「……」
「このことを気付いたの、ユーノ姉さまね?」
「……セアラさま」
「じゃあ、すぐに戻って」
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「もうこっちは大丈夫よ。あなたが腕がいいのはわかった」
 だから、今あなたが守るのはユーノ姉さまよね?
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『ユーノの剣には……大きな罠を……仕掛けてある…』
『今、あれには我らの手が向かっている』
「では、セアラさま」
 レアナさま、皇宮のこと、お願いいたします。
「ユーノ姉さまほどちゃんとできなくても、頑張るから」
 ユーノ姉さまを、お願い。
 セアラの切ない声に大きく頷いて、アシャは再び馬上に戻った。
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主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

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