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14.ダノマの赤い華(2)
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レスファートの傷を庇いつつ移動して翌々日、ダノマは鮮やかな緑青石造りの門と、きらびやかな衛兵で4人を迎えた。
「旅人か?」
門の手前で馬から降りたユーノ達に、緑のマントを翻して衛兵の1人が近付いてくる。銀の鱗状の金属片を綴りあわせた鎧に、明るい日射しが跳ねる。
「ラズーンのもとに」
アシャが慣れた挨拶をするのに、相手はまばゆそうな目をして笑った。
「これは………なんと見事な客人だな」
快活な声をかけてきながら、腰についている剣を押さえ詫びるように肩を竦める。
「すまないな、常ならここまでの警戒はしていないのだが、今日は特別な日なのでな」
「特別な日?」
「ああ……ダノマの赤い華と呼ばれる美人が、ここに居城を構える、国の第三王子に嫁ぐんだ」
浅黒い顔が寂しそうに翳った。滲むのは、優しく切なげな表情、アシャが何ごとか察したように頷く。
「なるほど特別な日だ」
「そうとも」
ふっきるように頷いた男は、アシャからイルファ、ユーノ、レスファートへと視線を移した。
「ところでどういう関係なのだ、兄弟、にしては顔が似てないな」
「ああ、それぞれに母親が違う」
しらっと返したアシャに男はなるほどなあ、父親はよほど稼ぎがよかったのだな、と素直に応じた。
「実は父親も違うのだぞ」
「なるほど……と、待て、それは兄弟とは言わないだろう」
イルファが口を挟んでようやく我に返る。
「けれど互いに支えあって旅をしている」
「う、む」
なら家族と言えるかもしれんな、とこれまたまっすぐな回答だ。
「一番末の者が怪我をしたので、しばらくここで養生しようと思っている」
「そうか……長くなりそうなのか?」
男はゆっくりとレスファートに歩み寄った。物怖じせずに見上げる澄んだ瞳に嬉しそうに笑み返す。
レスファートは頭を下げて、丁寧に挨拶した。
「ラズーンのもとに。あなたにとってよき日でありますように」
「おお、偉いぞ、坊や」
男が破顔してぐるぐるとレスファートの頭を撫でながら包帯の巻かれた足を覗き込む。
「名前は? そこか、怪我をしたのは」
「レスファート。でもみんなレスって呼ぶよ」
親しげに振る舞われて、レスファートも笑み綻んだ。
「かなり大きな傷だな……歩けないのか?」
「すこし、ひきずってなら」
「………どうしてこんな子供がこれほどの傷を?」
「ボクが無茶をしたんだ」
ユーノは溜め息まじりに口を出した。ここへ来るまでに何度か答えた内容を繰り返す。
「剣の稽古をつけてやるーって、考えもなく、さ」
「おまえが?」
男が呆れた顔になる。
「『幼子の案内で真昼に迷う』だぞ。たいした腕もないのにそんなことをするからだ」
説教口調で眉を寄せた。
「今度おじさんにも稽古をつけてあげようか?」
格言を口にした相手に、ユーノは微笑んでみせる。
「ははあ、なるほど……えらく跳ねっ返りだな、あんたの弟は」
男が苦笑しながらアシャを振り向く。
「そうなんだ、こいつの母親というのがまた強気な女で」
アシャが頷いて笑う。
「『草猫の激怒』のような女性だった」
「『草猫の激怒、砦を焼く』か。いるよな、普段は大人しいのに、かっとすると暴走する類の女は」
「無茶ばかりして困ってる、何ならもうちょっと説教してやってくれ」
誰を思い出しているのか吹き出した男は楽しそうに続けた。
「なるほど、じゃあ弟の気性は母親譲りなんだな」
「『母親の血は父親に優る』ってやつだ」
俺達はこんなに穏やかな気性なのにな、と付け加えたイルファに男が瞬きする。
「『母親の血』? そんな格言あったか?」
「今俺が作った」
「覚えてろよ」
ぼそりとユーノが呟くのに男がまた笑い出す。
「まあ、ここでは大人しくしていてくれよ。ダノマへようこそ、と言いたいところだが……さて宿があるかな?」
「え?」
「今言った通り、今日は特別な日だ。近隣から多くの人間が集まっている。街の宿はほぼいっぱいだぞ」
「うーむ」
さすがに予想外だったのだろう、アシャが唸って眉を寄せた。頭の中で素早く他の街をあたっている顔でしばらく考え込んでいたが、ほ、と小さく吐息をついて諦めたように首を振った。
「せめてちゃんと眠れる場所さえあればいいんだが」
「野宿、というのも数日は無理だぞ」
男は心配そうにレスファートを見た。
「王族の婚儀だ、俺達も巡視警備を申し渡されているし、怪しげな者を見過ごすわけにもいかん」
「街を出るか?」
イルファが鬱陶しそうに頭を掻いた。
「必要なものを調達して?」
「しかし」
「……もし、よければ」
男は静かに口を挟んだ。
「あまりきれいな所ではないが、俺の家に来ないか。この子の怪我も気になるし、街の外をうろつかれて不愉快な連中と揉め事を起こされても困る」
そう言いつつ、男の視線はユーノの方を眺めている。
「10日ぐらいなら文句を言う者もいない。両親は死んでいるし、妹と2人暮しだ。この数日の警備の間、ひょっとすると碌に家に戻れないかも知れないから、1人にしておくよりは賑やかでいい」
「そりゃ、ありがたい!」
こちらが与太者だったらどうするのだと思わず突っ込みそうになったユーノを遮って、イルファが満面笑顔になった。
「食い物さえもらえるなら、家の仕事も手伝うぞ、何でも言ってくれ」
「イルファ!」
「ははは、それは頼もしい」
男は明るく笑って門の中を振り返り、正面の道を2区画行って右に曲がったところ、大きなジェブの樹があるから、すぐにわかる、と家を教えた。
「それでは、遠慮なく甘えさせてもらう」
「問題がなければ、今夜は交代して1度家に戻る。それまで適当にやっていてくれ。俺の名はアオク、ジェブのアオクと呼ばれている」
「俺はアシャ、こっちがイルファで、そっちがユーノだ」
「わかった、跳ねっ返りがユーノだな、覚えておく」
アオクは悪戯っぽく応じて、後でな、と手を振って、次の旅人に向かっていく。
「いい人でよかったね」
嬉しそうに言ったレスファートをもう1度馬に乗せ、手綱をゆっくり引きながらユーノは頷いた。
「足は?」
「だいじょうぶ……前より強くなったでしょ、ユーノ」
「うん」
誇らしげに胸を張るレスファートに笑い返し、側で妙にむっつりしているアシャに気付く。
「どうしたの?」
「あいつ、ユーノの名前だけ再確認したな」
「うん、それが?」
どういうつもりだ、と陰鬱に呟く相手に首を傾げた。
「どういうつもりって…」
「そりゃ決まってるだろ」
イルファが不思議そうに応じる。
「放っておくと何をしでかすかわからない跳ねっ返りだからだろ。『草猫の激怒砦をぶっ壊す』ような」
「違うって」
「しかし、まあ賑やかなところだな」
ユーノがぶすりと言い返したのを気にした様子もなく、イルファはきょろきょろ周囲を見回した。
「まあな、ここはいつも賑やかなところだよ」
アシャが気持ちを切り替えようとするように頷く。
「いつもって……前にも来たことがある?」
「俺の仕事を忘れたのか、ユーノ?」
にやりと笑って見返してくる瞳はきらきら鮮やかに輝いている。
「ラズーンのもと、旅に身を委ねるアシャと申します、様々な国、様々な人々の間を巡り、生涯をかけてたった1人の主を探しているのです」
後半は即興の台詞だろうが澄ました口調は滑らかそのもの、なるほどその手で女を口説き落としていたのか、とイルファが納得したように頷いた。
「しかしなあ」
「何だ、まだ何かあるのか」
「ここはダノマだぞ? お前の旅装は知ってるし、馬も何もなかっただろう? 袋1つで旅をしていたと言ってたが、袋に入っていたのも医術具に下着程度……よくこんな所まで動き回れたなあ。旅人の話を俺も聞いたことがあるが、よほどの歳でも国にして6~7つ、お前ぐらいの若さじゃ徒歩なら4つ……5つが限度じゃないか」
「徒歩ならな」
アシャは奇妙な笑みを浮かべた。さりげなく表情を隠すように目を伏せると、金の睫に日射しが跳ねて幻のように目元を霞ませる。
「だから徒歩ばかりではなかったということさ」
「馬か? 竜か? いやそれをどうやって調達……ああ!」
イルファが大きく頷く。
「女か!」
「おい」
「なるほどなあ、女はどこにでもいるからな! 女経由で何でも手に入るってやつだな!」
「待て」
「いや、お前の場合男でもいいか!」
「……イルファ」
それ以上続けると往来で晒しものにしてやるぞ、と低い声で唸ったアシャにユーノは吹き出す。
「ユーノ……」
「ごめん、いや、確かにありそうだと思って」
「……おい」
ユーノの応対にアシャが一層どんよりとした顔になった。そこへ、
「ほら、ユーノ、見て、あれ!」
レスファートが嬉しそうに声を上げて、前方を指差した。
黄土色の天幕(カサン)を地面に立てた4本の棒に張り、異国から来た高価な布を並べている女が居た。色とりどりの生地に、不思議な郷愁を呼び起こす紋様、花弁1枚1枚を細かく描いた図柄が鮮やかに散りばめられている。金糸銀糸の縫い取りがある白い布を肩に掛けて見せながら、声を張り上げた。
「さあさあ、これをごらん! 遠くソクーラの街、ネデブの里からの織物だよ。ソクーラ娘の気立てのように柔らかくて、ネデブ男より強いんだよ。手触りは天上都市ラズーンの神々の肌に優るよ!」
商品に絶対の自信があるのだろう、誇らしげに輝く笑顔、豊かな胸元を覗き込もうとする男を軽くあしらいながら、ふわりと布を翻してみせる。
「こいつはどうだい! この艶! この形!」
隣で、黒い肌にはしばみ色の瞳を光らせた男が喚いている。
「マルランからの陶磁器、ラズーンの空よりも美しいと言われてる青色だ! 贈り物に最適なのは言うまでもない、恋人にお上げ、そこの人!」
呼び掛けられた娘がひょいと肩を竦めてみせる。
「誰かがいりゃあね」
「そりゃあいるさ」
「いれば、こんなところでサークを織ってないわ」
周りに居た人々が娘の軽妙な返しにどっと湧く。『サークを織る』とは暇つぶしをするの意だからだ。
「トカルの民芸品だよ! 買ってみればよくわかるよ! 木馬の彫りはトカルの手先一番の職人が彫ったよ。子供の健康をラズーンに祈って作ったよ。色を彫り込める技はトカルだけだよ!」
同じような別の天幕(カサン)の下で、胡座を組んだ少年が両手に小さな木彫りの馬を握って振り回しながら、声を励まし叫んでいる。木馬のたてがみに植えつけられた白い毛が鮮やかな緑や赤や青の模様に乱れる。その横では、
「ディスティンの絹織りはいかがかな。この青と紫のレースはどうじゃ。上品で優しい婦人には、これに優るものはなし」
白い鬚をしごきながら白髪の頭に茶色の布を巻きつけ、薄茶色の布で体を包んだ老人が、よく通る声で呼び掛けている。
「この首飾りを御覧よ! 金と銀の透かし彫り、キャサランからはるばる野を越え山を越え、幾百日もかかって運ばれてきたものだ!」
「アグナイの粉だよ! 白くてさらさら。まじりっけなし! 料理によし、お菓子によし、味は絶品、皇宮の料理長が使ってるんだ!」
「シラカの宝石は私しか売ってないよ! 海の碧、空の青、夕焼けの朱とバラ色、山の紫に泉の白亜を封じ込め、天の祈りと地の恵みの中でゆるゆると育てた宝石だ! この深みをごらん! 輝きをごらん!」
道の両側一杯に店を広げた物売りの声の中を、4人はきょろきょろしながら進んでいく。行き交う人々が慌ただしく道を横切り、広い通りを馬に乗った旅人がすれ違っていく。様々な服装、様々な顔が明るく活気に満ちた街に溢れ返っている。
「う……ふぅ…」
教えられた通り、2区画行ってから右の小路へ入ったユーノは、興奮で高ぶっていた気持ちを吐き出すように吐息をついた。
「すごい人だったねえ」
はしゃいだ声を上げるレスファートの頬も紅潮している。
「ぼく、あんなの見たの、はじめて」
王子様育ちのレスファートにとっても、何もかも珍しい物ばかりだったらしい。
トカルの民芸品は噂にも聞くし、レアナにキャサランの金細工やシラカの宝石を貢いできた王族はいるけれど、それがこんなに無造作に溢れるように売られているとは、ユーノも想像しなかった。
周囲の熱気に煽られて猛りがちなヒストを引きながら、レスファートを見上げて苦笑する。
「すごかったな。夜もあれなら眠れないかもしれない」
「食い物の店が少なかったな」
イルファが残念そうにつぶやく。
「婚儀だからな、街路が汚れないように手配されているんだろう」
アシャが苦笑する。
「なんで街路が汚れる」
イルファが納得できないように首を傾げる。
「食い残しとか捨てるやつが」
「食い残すやつの気がしれん」
「お前のようなやつばかりなら、食い物屋も気が楽だろうよ」
アシャが肩を竦め、ユーノはくすくす笑う。
「こっちへ入ると一気に人通りが少なくなるね」
「あ…あれだよね、ジェブ」
レスファートが指を指す。
通りの右側に、確かに道の中央近くまで枝を伸ばしているジェブの樹がある。奥に立派な石造りの建物があった。
「なかなかいい家だ」
イルファが感心して頷く。
街で一番よくある緑青色の石をふんだんに使った平屋、通りに面した部分は日射しに満たされた明るい庭になっている。建物の壁は植物の浮き彫りをほどこした上品ながら凝ったものだ。玄関の右、通りの近くに、ジェブが黒く見えるほど深い緑の葉を繁らせている。
玄関の左には馬繋ぎになっている緑色の石柱と手摺がある。それに手綱を結びつけながら、ユーノは建物に人の気配がないのに眉を寄せた。
「留守かな」
「別に留守でいいんだろ、入ろうぜ。アオクがいいと言ったんだし、俺は腹が減った」
「おい」
アシャが止める間もなく、イルファがずかずかと家の中へ入っていく。建物の立派さのわりには戸締まりもしてなかったらしく、あっさり扉を開いて踏み込むイルファに、アシャが慌てて後を追う。見送って、ユーノはジェブの樹を振り仰いだ。
「大きいね」
脚を引きずりながら、レスファートがそちらに近寄っていく。
高く伸び上がる滑らかな枝、日射しを浴びて温かそうに輝く幹に触れながら、ユーノを振り返った。
「ぼく、ならったことあるよ、2年に1度、赤い花をつけるんだ」
深い緑の、僅かに丸みを帯びた肉厚の葉の隙間から、木漏れ日がレスファートの髪を淡いクリーム色に光らせる。
「ボクは違うことを知ってるよ」
笑ってユーノは手を伸ばし、葉を1枚ちぎり取った。軽く表面を服に擦って唇に当てる。薄く開いた唇から息を吹き出すと、微かなまろい音が零れるように響いた。
「わ」
レスファートが顔を輝かせた。
目を伏せて、ユーノは幼い頃に聞き覚えた素朴な曲を吹いた。単純な音律が繰り返し、微妙な揺れをまといながら空気を震わせ広がっていく。繰り返し、そしてまたもう一度。
「すごいや。どうして? ね、どうして鳴るの? どうして鳴らすの?」
レスファートがわくわくとユーノの手元を覗き込んできた。
「うん、ほらこうして、ね」
ぴちりと音をたてて、ユーノはもう1枚、レスファートに合う大きさのものを選んで、ジェブの葉をちぎった。アシャの与えた痛み止めが効いているのだろうが、脚の痛みを忘れたように目を輝かせてユーノを見上げるレスファートの口に、葉の表面を擦ってから当ててやる。
「ここを押さえて」
「ん?」
「そうそう、そのまま息を吹き込んで」
ぶひゃあっっ。
「ふえ!」
「ふふっ、もう少し鋭く吹き込まないと」
ぷふーっ……ぴぃーっ……ピューっ…。
「うん、その調子」
『ユーノさま、お上手ですぞ』
ふいに声が耳の底に蘇る。
(ゼラン)
嬉しそうに笑った鬚面、見上げるとさすがはユーノさま、何でも覚えが早くておられる、と目を細めて見下ろした。
『ゼランも誇りに思っております、よい方に仕えられた、と』
葉笛を教えられながら、ゼランの望むことを為せたのが嬉しくて、ユーノも誇らしく笑み返した。施政に忙しく、安定を深く願う父親は、ユーノの成長をどこか離れた距離でしか見ていない。その代わりのように、ユーノに戦い方を教え、人の従え方を教え、統率することを教えてくれたゼランはまた、心を慰めるものも教えてくれた男だった。
「……」
胸に広がる冷え冷えとした傷み、あの笑顔も優しいことばも全ては幻だったのだろうか。ユーノに葉笛を教えた時さえも、ゼランは何かを秘めてユーノの命を狙っていたのだろうか。
(でも、もういない)
なぜかゼランを恨む気にはなれなかった。
静かに葉笛の旋律を繰り返す。
今はただ哀しい。
何が悪かったのかわからないまま、隔てられて失ってしまったものが、懐かしく愛しい思い出にも繋がっているとわかって。
「きれいだね……ユーノ…」
溜め息まじりにレスファートが呟いて我に返る。
「ん?」
自分を見上げる素直な目の色に瞬きする。
「何が?」
ジェブの葉は確かにつやつやと美しい、そう見上げた耳に、
「なにもかも………音も……曲も…………ユーノもとってもきれい……」
「っ」
思わず振り向くと、レスファートはうっとりとした表情で繰り返す。
「ユーノがとてもきれい…」
「あ、ありがとう」
耳のあたりまで熱くなった気がして、まいったなもう、と呟きながら、ユーノは幹にもたれていた体を起こした。
「お礼に何か楽しいのを吹こう」
急いで頭の中から拾い出したのは明るい舞踏曲、簡単な動きを繰り返す、夜会によく使われるものだ。
(そういえば私)
この踊りの男役しか知らないんだっけ。
まだ夜はだめだと制されてむくれるセアラの相手を勤めて、広間から離れた庭で踊った。
『姉さま、もっと』
セアラがねだる。
『もっといっぱい踊らせて』
広間の不細工な男より誰よりも姉さまがいい、だってこれほど見事に踊らせてくれる。
セアラの紅潮した笑顔がレスファートに重なる。
(無事でいて)
どんな危険も引き受ける、だからどうか。
(笑っていて)
大事な大事な愛しい人々。
どさどさどさっ!
「!」
レスファートがびくっとして、物音に振り向いた。
葉笛を止めてそちらを見ると、手にしていたらしい包みを見事に全部、玄関に続く石畳に落としてしまったらしい娘が突っ立っている。よく見ると、さっき商人と『サークを織って』いた娘だ。
「あ」
「ご、ごめんなさい! もう、私ったら!」
娘はユーノの視線に真っ赤になって、慌てて散らばった包みを拾い上げ始めた。
「あんまり綺麗な音だったから」
つい見愡れてて、そう言いながら、もっと多くのことを言いたそうにユーノを見つめる。
「あの」
君はひょっとしてここの。言いかけたユーノのことばを遮るように手を振って、娘はくるりと薄紫のドレスの裾を翻した。急ぎ足に玄関に向かい、はっとしたように肩越しに笑みを零す。
「あの、ジェブの葉、お好きなだけどうぞ!」
それだけ言うと、ますます赤くなって家の中へ駆け込むように入っていく。
「ユーノ、あれ」
「うん、アオクの妹って……あ」
今家の中には、アシャとイルファが。
「まずいな、今」
「きゃああああっっ!」
何よあんた達、ここを近衛隊長アオク・デシュランの家と知ってるのっ!
悲鳴に続いてあがった罵倒とがしゃんっ、と何かが投げつけられたような音に、ユーノは思わず首を竦めた。
「旅人か?」
門の手前で馬から降りたユーノ達に、緑のマントを翻して衛兵の1人が近付いてくる。銀の鱗状の金属片を綴りあわせた鎧に、明るい日射しが跳ねる。
「ラズーンのもとに」
アシャが慣れた挨拶をするのに、相手はまばゆそうな目をして笑った。
「これは………なんと見事な客人だな」
快活な声をかけてきながら、腰についている剣を押さえ詫びるように肩を竦める。
「すまないな、常ならここまでの警戒はしていないのだが、今日は特別な日なのでな」
「特別な日?」
「ああ……ダノマの赤い華と呼ばれる美人が、ここに居城を構える、国の第三王子に嫁ぐんだ」
浅黒い顔が寂しそうに翳った。滲むのは、優しく切なげな表情、アシャが何ごとか察したように頷く。
「なるほど特別な日だ」
「そうとも」
ふっきるように頷いた男は、アシャからイルファ、ユーノ、レスファートへと視線を移した。
「ところでどういう関係なのだ、兄弟、にしては顔が似てないな」
「ああ、それぞれに母親が違う」
しらっと返したアシャに男はなるほどなあ、父親はよほど稼ぎがよかったのだな、と素直に応じた。
「実は父親も違うのだぞ」
「なるほど……と、待て、それは兄弟とは言わないだろう」
イルファが口を挟んでようやく我に返る。
「けれど互いに支えあって旅をしている」
「う、む」
なら家族と言えるかもしれんな、とこれまたまっすぐな回答だ。
「一番末の者が怪我をしたので、しばらくここで養生しようと思っている」
「そうか……長くなりそうなのか?」
男はゆっくりとレスファートに歩み寄った。物怖じせずに見上げる澄んだ瞳に嬉しそうに笑み返す。
レスファートは頭を下げて、丁寧に挨拶した。
「ラズーンのもとに。あなたにとってよき日でありますように」
「おお、偉いぞ、坊や」
男が破顔してぐるぐるとレスファートの頭を撫でながら包帯の巻かれた足を覗き込む。
「名前は? そこか、怪我をしたのは」
「レスファート。でもみんなレスって呼ぶよ」
親しげに振る舞われて、レスファートも笑み綻んだ。
「かなり大きな傷だな……歩けないのか?」
「すこし、ひきずってなら」
「………どうしてこんな子供がこれほどの傷を?」
「ボクが無茶をしたんだ」
ユーノは溜め息まじりに口を出した。ここへ来るまでに何度か答えた内容を繰り返す。
「剣の稽古をつけてやるーって、考えもなく、さ」
「おまえが?」
男が呆れた顔になる。
「『幼子の案内で真昼に迷う』だぞ。たいした腕もないのにそんなことをするからだ」
説教口調で眉を寄せた。
「今度おじさんにも稽古をつけてあげようか?」
格言を口にした相手に、ユーノは微笑んでみせる。
「ははあ、なるほど……えらく跳ねっ返りだな、あんたの弟は」
男が苦笑しながらアシャを振り向く。
「そうなんだ、こいつの母親というのがまた強気な女で」
アシャが頷いて笑う。
「『草猫の激怒』のような女性だった」
「『草猫の激怒、砦を焼く』か。いるよな、普段は大人しいのに、かっとすると暴走する類の女は」
「無茶ばかりして困ってる、何ならもうちょっと説教してやってくれ」
誰を思い出しているのか吹き出した男は楽しそうに続けた。
「なるほど、じゃあ弟の気性は母親譲りなんだな」
「『母親の血は父親に優る』ってやつだ」
俺達はこんなに穏やかな気性なのにな、と付け加えたイルファに男が瞬きする。
「『母親の血』? そんな格言あったか?」
「今俺が作った」
「覚えてろよ」
ぼそりとユーノが呟くのに男がまた笑い出す。
「まあ、ここでは大人しくしていてくれよ。ダノマへようこそ、と言いたいところだが……さて宿があるかな?」
「え?」
「今言った通り、今日は特別な日だ。近隣から多くの人間が集まっている。街の宿はほぼいっぱいだぞ」
「うーむ」
さすがに予想外だったのだろう、アシャが唸って眉を寄せた。頭の中で素早く他の街をあたっている顔でしばらく考え込んでいたが、ほ、と小さく吐息をついて諦めたように首を振った。
「せめてちゃんと眠れる場所さえあればいいんだが」
「野宿、というのも数日は無理だぞ」
男は心配そうにレスファートを見た。
「王族の婚儀だ、俺達も巡視警備を申し渡されているし、怪しげな者を見過ごすわけにもいかん」
「街を出るか?」
イルファが鬱陶しそうに頭を掻いた。
「必要なものを調達して?」
「しかし」
「……もし、よければ」
男は静かに口を挟んだ。
「あまりきれいな所ではないが、俺の家に来ないか。この子の怪我も気になるし、街の外をうろつかれて不愉快な連中と揉め事を起こされても困る」
そう言いつつ、男の視線はユーノの方を眺めている。
「10日ぐらいなら文句を言う者もいない。両親は死んでいるし、妹と2人暮しだ。この数日の警備の間、ひょっとすると碌に家に戻れないかも知れないから、1人にしておくよりは賑やかでいい」
「そりゃ、ありがたい!」
こちらが与太者だったらどうするのだと思わず突っ込みそうになったユーノを遮って、イルファが満面笑顔になった。
「食い物さえもらえるなら、家の仕事も手伝うぞ、何でも言ってくれ」
「イルファ!」
「ははは、それは頼もしい」
男は明るく笑って門の中を振り返り、正面の道を2区画行って右に曲がったところ、大きなジェブの樹があるから、すぐにわかる、と家を教えた。
「それでは、遠慮なく甘えさせてもらう」
「問題がなければ、今夜は交代して1度家に戻る。それまで適当にやっていてくれ。俺の名はアオク、ジェブのアオクと呼ばれている」
「俺はアシャ、こっちがイルファで、そっちがユーノだ」
「わかった、跳ねっ返りがユーノだな、覚えておく」
アオクは悪戯っぽく応じて、後でな、と手を振って、次の旅人に向かっていく。
「いい人でよかったね」
嬉しそうに言ったレスファートをもう1度馬に乗せ、手綱をゆっくり引きながらユーノは頷いた。
「足は?」
「だいじょうぶ……前より強くなったでしょ、ユーノ」
「うん」
誇らしげに胸を張るレスファートに笑い返し、側で妙にむっつりしているアシャに気付く。
「どうしたの?」
「あいつ、ユーノの名前だけ再確認したな」
「うん、それが?」
どういうつもりだ、と陰鬱に呟く相手に首を傾げた。
「どういうつもりって…」
「そりゃ決まってるだろ」
イルファが不思議そうに応じる。
「放っておくと何をしでかすかわからない跳ねっ返りだからだろ。『草猫の激怒砦をぶっ壊す』ような」
「違うって」
「しかし、まあ賑やかなところだな」
ユーノがぶすりと言い返したのを気にした様子もなく、イルファはきょろきょろ周囲を見回した。
「まあな、ここはいつも賑やかなところだよ」
アシャが気持ちを切り替えようとするように頷く。
「いつもって……前にも来たことがある?」
「俺の仕事を忘れたのか、ユーノ?」
にやりと笑って見返してくる瞳はきらきら鮮やかに輝いている。
「ラズーンのもと、旅に身を委ねるアシャと申します、様々な国、様々な人々の間を巡り、生涯をかけてたった1人の主を探しているのです」
後半は即興の台詞だろうが澄ました口調は滑らかそのもの、なるほどその手で女を口説き落としていたのか、とイルファが納得したように頷いた。
「しかしなあ」
「何だ、まだ何かあるのか」
「ここはダノマだぞ? お前の旅装は知ってるし、馬も何もなかっただろう? 袋1つで旅をしていたと言ってたが、袋に入っていたのも医術具に下着程度……よくこんな所まで動き回れたなあ。旅人の話を俺も聞いたことがあるが、よほどの歳でも国にして6~7つ、お前ぐらいの若さじゃ徒歩なら4つ……5つが限度じゃないか」
「徒歩ならな」
アシャは奇妙な笑みを浮かべた。さりげなく表情を隠すように目を伏せると、金の睫に日射しが跳ねて幻のように目元を霞ませる。
「だから徒歩ばかりではなかったということさ」
「馬か? 竜か? いやそれをどうやって調達……ああ!」
イルファが大きく頷く。
「女か!」
「おい」
「なるほどなあ、女はどこにでもいるからな! 女経由で何でも手に入るってやつだな!」
「待て」
「いや、お前の場合男でもいいか!」
「……イルファ」
それ以上続けると往来で晒しものにしてやるぞ、と低い声で唸ったアシャにユーノは吹き出す。
「ユーノ……」
「ごめん、いや、確かにありそうだと思って」
「……おい」
ユーノの応対にアシャが一層どんよりとした顔になった。そこへ、
「ほら、ユーノ、見て、あれ!」
レスファートが嬉しそうに声を上げて、前方を指差した。
黄土色の天幕(カサン)を地面に立てた4本の棒に張り、異国から来た高価な布を並べている女が居た。色とりどりの生地に、不思議な郷愁を呼び起こす紋様、花弁1枚1枚を細かく描いた図柄が鮮やかに散りばめられている。金糸銀糸の縫い取りがある白い布を肩に掛けて見せながら、声を張り上げた。
「さあさあ、これをごらん! 遠くソクーラの街、ネデブの里からの織物だよ。ソクーラ娘の気立てのように柔らかくて、ネデブ男より強いんだよ。手触りは天上都市ラズーンの神々の肌に優るよ!」
商品に絶対の自信があるのだろう、誇らしげに輝く笑顔、豊かな胸元を覗き込もうとする男を軽くあしらいながら、ふわりと布を翻してみせる。
「こいつはどうだい! この艶! この形!」
隣で、黒い肌にはしばみ色の瞳を光らせた男が喚いている。
「マルランからの陶磁器、ラズーンの空よりも美しいと言われてる青色だ! 贈り物に最適なのは言うまでもない、恋人にお上げ、そこの人!」
呼び掛けられた娘がひょいと肩を竦めてみせる。
「誰かがいりゃあね」
「そりゃあいるさ」
「いれば、こんなところでサークを織ってないわ」
周りに居た人々が娘の軽妙な返しにどっと湧く。『サークを織る』とは暇つぶしをするの意だからだ。
「トカルの民芸品だよ! 買ってみればよくわかるよ! 木馬の彫りはトカルの手先一番の職人が彫ったよ。子供の健康をラズーンに祈って作ったよ。色を彫り込める技はトカルだけだよ!」
同じような別の天幕(カサン)の下で、胡座を組んだ少年が両手に小さな木彫りの馬を握って振り回しながら、声を励まし叫んでいる。木馬のたてがみに植えつけられた白い毛が鮮やかな緑や赤や青の模様に乱れる。その横では、
「ディスティンの絹織りはいかがかな。この青と紫のレースはどうじゃ。上品で優しい婦人には、これに優るものはなし」
白い鬚をしごきながら白髪の頭に茶色の布を巻きつけ、薄茶色の布で体を包んだ老人が、よく通る声で呼び掛けている。
「この首飾りを御覧よ! 金と銀の透かし彫り、キャサランからはるばる野を越え山を越え、幾百日もかかって運ばれてきたものだ!」
「アグナイの粉だよ! 白くてさらさら。まじりっけなし! 料理によし、お菓子によし、味は絶品、皇宮の料理長が使ってるんだ!」
「シラカの宝石は私しか売ってないよ! 海の碧、空の青、夕焼けの朱とバラ色、山の紫に泉の白亜を封じ込め、天の祈りと地の恵みの中でゆるゆると育てた宝石だ! この深みをごらん! 輝きをごらん!」
道の両側一杯に店を広げた物売りの声の中を、4人はきょろきょろしながら進んでいく。行き交う人々が慌ただしく道を横切り、広い通りを馬に乗った旅人がすれ違っていく。様々な服装、様々な顔が明るく活気に満ちた街に溢れ返っている。
「う……ふぅ…」
教えられた通り、2区画行ってから右の小路へ入ったユーノは、興奮で高ぶっていた気持ちを吐き出すように吐息をついた。
「すごい人だったねえ」
はしゃいだ声を上げるレスファートの頬も紅潮している。
「ぼく、あんなの見たの、はじめて」
王子様育ちのレスファートにとっても、何もかも珍しい物ばかりだったらしい。
トカルの民芸品は噂にも聞くし、レアナにキャサランの金細工やシラカの宝石を貢いできた王族はいるけれど、それがこんなに無造作に溢れるように売られているとは、ユーノも想像しなかった。
周囲の熱気に煽られて猛りがちなヒストを引きながら、レスファートを見上げて苦笑する。
「すごかったな。夜もあれなら眠れないかもしれない」
「食い物の店が少なかったな」
イルファが残念そうにつぶやく。
「婚儀だからな、街路が汚れないように手配されているんだろう」
アシャが苦笑する。
「なんで街路が汚れる」
イルファが納得できないように首を傾げる。
「食い残しとか捨てるやつが」
「食い残すやつの気がしれん」
「お前のようなやつばかりなら、食い物屋も気が楽だろうよ」
アシャが肩を竦め、ユーノはくすくす笑う。
「こっちへ入ると一気に人通りが少なくなるね」
「あ…あれだよね、ジェブ」
レスファートが指を指す。
通りの右側に、確かに道の中央近くまで枝を伸ばしているジェブの樹がある。奥に立派な石造りの建物があった。
「なかなかいい家だ」
イルファが感心して頷く。
街で一番よくある緑青色の石をふんだんに使った平屋、通りに面した部分は日射しに満たされた明るい庭になっている。建物の壁は植物の浮き彫りをほどこした上品ながら凝ったものだ。玄関の右、通りの近くに、ジェブが黒く見えるほど深い緑の葉を繁らせている。
玄関の左には馬繋ぎになっている緑色の石柱と手摺がある。それに手綱を結びつけながら、ユーノは建物に人の気配がないのに眉を寄せた。
「留守かな」
「別に留守でいいんだろ、入ろうぜ。アオクがいいと言ったんだし、俺は腹が減った」
「おい」
アシャが止める間もなく、イルファがずかずかと家の中へ入っていく。建物の立派さのわりには戸締まりもしてなかったらしく、あっさり扉を開いて踏み込むイルファに、アシャが慌てて後を追う。見送って、ユーノはジェブの樹を振り仰いだ。
「大きいね」
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「ボクは違うことを知ってるよ」
笑ってユーノは手を伸ばし、葉を1枚ちぎり取った。軽く表面を服に擦って唇に当てる。薄く開いた唇から息を吹き出すと、微かなまろい音が零れるように響いた。
「わ」
レスファートが顔を輝かせた。
目を伏せて、ユーノは幼い頃に聞き覚えた素朴な曲を吹いた。単純な音律が繰り返し、微妙な揺れをまといながら空気を震わせ広がっていく。繰り返し、そしてまたもう一度。
「すごいや。どうして? ね、どうして鳴るの? どうして鳴らすの?」
レスファートがわくわくとユーノの手元を覗き込んできた。
「うん、ほらこうして、ね」
ぴちりと音をたてて、ユーノはもう1枚、レスファートに合う大きさのものを選んで、ジェブの葉をちぎった。アシャの与えた痛み止めが効いているのだろうが、脚の痛みを忘れたように目を輝かせてユーノを見上げるレスファートの口に、葉の表面を擦ってから当ててやる。
「ここを押さえて」
「ん?」
「そうそう、そのまま息を吹き込んで」
ぶひゃあっっ。
「ふえ!」
「ふふっ、もう少し鋭く吹き込まないと」
ぷふーっ……ぴぃーっ……ピューっ…。
「うん、その調子」
『ユーノさま、お上手ですぞ』
ふいに声が耳の底に蘇る。
(ゼラン)
嬉しそうに笑った鬚面、見上げるとさすがはユーノさま、何でも覚えが早くておられる、と目を細めて見下ろした。
『ゼランも誇りに思っております、よい方に仕えられた、と』
葉笛を教えられながら、ゼランの望むことを為せたのが嬉しくて、ユーノも誇らしく笑み返した。施政に忙しく、安定を深く願う父親は、ユーノの成長をどこか離れた距離でしか見ていない。その代わりのように、ユーノに戦い方を教え、人の従え方を教え、統率することを教えてくれたゼランはまた、心を慰めるものも教えてくれた男だった。
「……」
胸に広がる冷え冷えとした傷み、あの笑顔も優しいことばも全ては幻だったのだろうか。ユーノに葉笛を教えた時さえも、ゼランは何かを秘めてユーノの命を狙っていたのだろうか。
(でも、もういない)
なぜかゼランを恨む気にはなれなかった。
静かに葉笛の旋律を繰り返す。
今はただ哀しい。
何が悪かったのかわからないまま、隔てられて失ってしまったものが、懐かしく愛しい思い出にも繋がっているとわかって。
「きれいだね……ユーノ…」
溜め息まじりにレスファートが呟いて我に返る。
「ん?」
自分を見上げる素直な目の色に瞬きする。
「何が?」
ジェブの葉は確かにつやつやと美しい、そう見上げた耳に、
「なにもかも………音も……曲も…………ユーノもとってもきれい……」
「っ」
思わず振り向くと、レスファートはうっとりとした表情で繰り返す。
「ユーノがとてもきれい…」
「あ、ありがとう」
耳のあたりまで熱くなった気がして、まいったなもう、と呟きながら、ユーノは幹にもたれていた体を起こした。
「お礼に何か楽しいのを吹こう」
急いで頭の中から拾い出したのは明るい舞踏曲、簡単な動きを繰り返す、夜会によく使われるものだ。
(そういえば私)
この踊りの男役しか知らないんだっけ。
まだ夜はだめだと制されてむくれるセアラの相手を勤めて、広間から離れた庭で踊った。
『姉さま、もっと』
セアラがねだる。
『もっといっぱい踊らせて』
広間の不細工な男より誰よりも姉さまがいい、だってこれほど見事に踊らせてくれる。
セアラの紅潮した笑顔がレスファートに重なる。
(無事でいて)
どんな危険も引き受ける、だからどうか。
(笑っていて)
大事な大事な愛しい人々。
どさどさどさっ!
「!」
レスファートがびくっとして、物音に振り向いた。
葉笛を止めてそちらを見ると、手にしていたらしい包みを見事に全部、玄関に続く石畳に落としてしまったらしい娘が突っ立っている。よく見ると、さっき商人と『サークを織って』いた娘だ。
「あ」
「ご、ごめんなさい! もう、私ったら!」
娘はユーノの視線に真っ赤になって、慌てて散らばった包みを拾い上げ始めた。
「あんまり綺麗な音だったから」
つい見愡れてて、そう言いながら、もっと多くのことを言いたそうにユーノを見つめる。
「あの」
君はひょっとしてここの。言いかけたユーノのことばを遮るように手を振って、娘はくるりと薄紫のドレスの裾を翻した。急ぎ足に玄関に向かい、はっとしたように肩越しに笑みを零す。
「あの、ジェブの葉、お好きなだけどうぞ!」
それだけ言うと、ますます赤くなって家の中へ駆け込むように入っていく。
「ユーノ、あれ」
「うん、アオクの妹って……あ」
今家の中には、アシャとイルファが。
「まずいな、今」
「きゃああああっっ!」
何よあんた達、ここを近衛隊長アオク・デシュランの家と知ってるのっ!
悲鳴に続いてあがった罵倒とがしゃんっ、と何かが投げつけられたような音に、ユーノは思わず首を竦めた。
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