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17.しゃべり鳥(ライノ)(1)
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「ユーノ! レスファート!」
勢いよく駆けさせてきた馬を止め、アシャは周囲を見回した。
「ユーノ! どこだ!」
叫んで耳をすませるが辺りは静まり返り、時々鳴き鳥(メール)の柔らかな声が響いているだけ。穏やかで優しげな風景の中、自分の声だけがきりきりと尖っているのに気づいて苦笑し、表情を改める。
(いつも、置き去られる)
不愉快で、そして不安だ、ラズーンのアシャともあろうものが。
(あいつの顔が見えないことが)
またどこかで傷ついているのではないか、命を脅かすほどの痛みも堪えて一人耐えているのではないか。
そしてそこには必ずユーノを傷つける存在が居る。
「…ちっ」
その存在を考えたとたん、身内に走った青白い怒りに舌打ちした。
どんどん手に負えなくなってくる、この苛立ちと怒り。無鉄砲で誰かが苦しんでいると聞けば我が身を省みず飛び込んでしまうユーノがいては、忍耐力がどれだけあっても足りない。今だって、ただの想像にしか過ぎないユーノの危機に、体が既に反撃体制を整えてしまう。
(まったく)
ぐしゃりと前髪を掴んだ。
「いっそ、縛りつけておいてやるか?」
アシャの側に、お前の居場所はここだと身動き一つできないように?
「……詰られる、な」
ユーノに力の限り罵倒されて、アシャの人格も疑われそうだ。ひょっとすると嫌われるほどに。
「っ」
ユーノに嫌われる、そう考えたとたんに一瞬自分が竦んだのに気づき、絶望的な気分になった。
「…………終ってる」
周囲では何度も見たことがある、女一人に振り回されてするべきことも考えるべきことも及ばなくなって、人生を誤っていく愚かな男達。アシャは、出生のことも自覚している、華やかな外見を身を飾る道具としてしか考えない女性達も知っている。レアナの真摯に魅かれはしたが、胸の内を焼き焦がすような衝動にまさか自分が落ち込むななどとは考えもしなかったのに。
「……ユーノ!」
軽く首を振って固着しかけた思考を振り切る。もう一度、気を取り直し、声を張り上げ密度を増やした木立の中を抜けていく。きらきらと日差しが細かな結晶を散らすような輝きの中、風が静かに枝々を渡る。
「……」
その枝の一つに見覚えのあるものを見つけてアシャは眉を寄せた。
緑色の蔓で編まれた、人1人入るほどの鳥籠のようなもの。
気づいて見回すと、あちらこちらに風に微かに揺れながら、緑の鳥籠が吊られている。
しゃべり鳥(ライノ)が居る。
なおも不快感が広がった。
「ここは……巣、か」
あの種族はことのほか清冽を嫌う、特にユーノのように内側から零れる揺らぎない潔さを。万が一ユーノが捕まったら、扱いは十分予想できる。それにユーノがどれほど傷つくかも。
早く見つけなければ。
「やだーっ!」
不意に甲高い叫びが響き渡ってはっとした。
正面の木立の間から、額に『白い星(ヒスト)』をいただいた栗毛の馬が、普段の振る舞いからは信じられないほど静かな足取りでやってくる。
だが、その背中にはじたばたじたばたと激しくもがくものがあり、それがうっとうしいのだろう、時折ヒストは上下に強く顔を振り、立ち止まりかけては思い直したようにまたぽくぽくと歩を進めてくる。
「レス?」
「やだやだやだーっ、ユーノぉっ!」
声は今にも泣きじゃくりそう、慌てて馬を駆け寄らせてみると、急いで見上げてきたレスファートはヒストの背中に紐でしっかり括り付けられていた。体と紐の間に毛布はかませてあるものの、暴れ続けたらしい少年はぎりぎり締め上げられた状態、アシャを見るとぼろぼろ涙を零しながら訴える。
「ほどいて、アシャ、ユーノ一人でかごの中なの! つかまったの! ぼくが、ぼくが……っ」
しゃくりあげて顔を歪める。
「へましたの! こんちくしょうなことしたの! ユーノ助けて、アシャ、ユーノがあの『おばさん』たちに!」
イルファ譲りの罵倒まじりのことば、中でも今の状況ではひたすらにまずい一言にアシャはひきつった。
「………『おばさん』……って」
これは何となくわかってきたぞ、と溜め息まじりにレスファートの紐を切り解いてやりながら確認する。
「ひょっとして、鳥籠に入ってた女達、か?」
「うん!」
レスファートはようやく自由になった体のあちこちをさすりながら、大きくうなずく。
「『おばさん』ってほどじゃなかっただろう?」
「『おばさん』!」
「………それをしゃべり鳥に向かって言ったのか?」
「アシャ、あの『おばさん』たち知ってるの?!」
「他に何か言ったか?」
「ユーノがきれいだっていった!」
「……それで?」
「ぼくのユーノは、『おばさん』たちのだれよりきれいだっていった!」
まちがってないもん、ぼく。
唇を尖らせるレスファートは、プラチナブロンドを日差しに煌めかせ、確かに汚れてはいるけれど、十分輝いて美しい子供だ。
「………致命的だな」
溜め息をついて口を押さえた。
しゃべり鳥(ライノ)は己の容姿が他の存在よりも美しいことに全ての基準を拠っている。ましてや、どこからどう見ても、王子様然として可愛いレスファートが崇拝に近い愛情を注ぎ、他の誰よりも美しいと保証する相手が、一般的に見れば茶色の髪を跳ねさせ荒々しい挙動の汚れた服の子供であるなどは、彼女達にとって論外だ。
「そしたら、『おばさん』がぼくをつかまえて!」
レスファートが語る事の顛末にどんどん溜め息が重なる。
「そりゃ……無理だろう…」
「それでね、ユーノはキスせずにとびらをあけて、そしたら『おばさん』がユーノのことを『銀の王族』だろうって」
「……」
ぴくり、とアシャは動きを止めた。
「『銀の王族』ってなに?」
「…………それだけ綺麗だってことだよ」
「ふうん?」
いささか訝しげなレスファートをヒストにしっかり座らせる。
まあ当たらずとはいえ、外れてもいないよな、真実の意味では。
胸の中で続けたことばは口には出さない。
確かに綺麗、だ。この世界を覆った破滅の影響を限りなく排除した存在、200年祭を越えるための最後の布石、そしてまた、『運命(リマイン)』の跳梁と太古生物の復活を制御する唯一の鍵として、その中身は磨き抜かれている。
「しかし………まずいな」
しゃべり鳥(ライノ)がユーノを『銀の王族』と気づいたのなら、なおさらやすやすと手放しはしないだろう。ラズーンとの取引に使うとは思えないが,他者の幸福を誰より妬む一族なのだ、ラズーンにより幸福であるよう『条件付け』されている存在だと知れば、あっさり返して何かを手にいれることより、自分達の側に置いて弱って死んでしまうまで、からかい嘲笑うほうを選ぶだろう。
「鳥籠の鍵を持ってくれば、ユーノを放すと言ったんだな?」
「うん、でも」
再びじわじわとレスファートの瞳に涙が盛り上がった。
「どうしても見つからないなら、ユーノのことはいいから、さきにいけって…」
「……だろうな」
「でも! そんなのぼくはいやだからっ!」
絶対絶対嫌だからね!
激しい口調で言い募るレスファートに、
「俺もだよ」
ぽん、と頭を軽く叩く。
「俺達があいつを放っていくわけないだろ?」
「う…うん」
「ただ、鳥籠の鍵、だな」
「ユーノはアシャなら知ってるかもっていってた」
「うーむ」
物質としての鍵、など聞いたことがない。しゃべり鳥(ライノ)達を自由にできるのは、扉を開ける鍵ではなく、彼女らと心を通わせることで彼女らを受け入れ引っ張り出そうとする精神の器なのだ。
視察官(オペ)は職務権限上、開けと命じるだけで開くことができる。『銀の王族』の中にも鳥籠の中の存在に強く心を寄せることで、扉を開くことができる者も居る、だが。
「開いても、出るかどうかはまた別、だからな」
「開いても、出るかどうかは、べつ?」
レスファートがきょとんとした顔になる。
「どうして? 『おばさん』たち、すごく外に出たがってたよ?」
「出たがってるのは正しいが、出るかどうかは違うんだ」
そこのところが難しいんだがな、と苦笑すると、わけわかんない、とレスファートは眉を寄せた。
「でもそれなら、かぎがあっても、いみないよね?」
「そうだ」
鍵があろうとなかろうと、しゃべり鳥(ライノ)が鳥籠から出られないのは別の理由による。外側からの救出者が強くそれを望んでも、実は成功する確率はかなり低く、逆に反撃されることさえあるのだ。
(しゃべり鳥(ライノ)達はユーノを手放す気はない、と見たほうがいいか)
考え込んでいると、視界の端にひらりと白いものが舞った。視線を上げて、木立の向こうに慌てて隠れた絶世の美女を見つける。
「あの人がみはり」
「なるほど」
相手はアシャの凝視にどぎまぎしたように頬を染めて唇に指先をあててはにかんだ。
「はぐれ鳥、か」
「はぐれ?」
「鳥籠から出られたしゃべり鳥(ライノ)をそう呼ぶんだよ」
「でも」
あの人は自由なんでしょ?
「どうだかな」
アシャはヒストの手綱を握った。
「はぐれってことは……もどるってこと?」
レスファートが利発な発想を見せる。
「……そういうことだ」
いずれは彼女も再び鳥籠に戻るのだろう、おそらくはそう遠くない未来に。
「……せっかく自由になったのに、どうして?」
「……彼女達がしゃべり鳥(ライノ)だと言われる所以だよ」
世の中には寒風も大雨もあるってことさ、とアシャが応じると、レスファートは少し目を細めた。
「さむかったり、ぬれたりするのはきらいってこと?」
「それに痛かったり,苦しかったりも嫌いってことだ」
「そんなの」
レスファートはふいと何かを思い出すように空を見上げた。
「旅なんかできないよ」
「その、通りだ」
一旦イルファのところに戻ってユーノを助ける作戦を練るぞ。
アシャのことばにレスファートは考え込んだ目をしたままうなずいた。
しばらくして、アシャ達は急ごしらえの天幕(カサン)の影で額をつきあわせていた。
「えっ」
「しっ、レス」
イルファが制するのに、レスファートは慌てて口を噤み、少し離れた木立にもたれて今にも近づいてきそうな気配でちらちらとこちらを見ているライノに目をやった。
「鳥かごのかぎ、ないの?」
声を潜めてそっと尋ね直し、うなずくアシャにより不安そうな顔になる。
「じゃあ……ユーノは?」
っていうか、じゃあなんであの『おばさん』たちはかぎを持ってこいなんていったの?
わけがわからないという顔で、アシャとイルファを交互に見る。
「たぶん、しゃべり鳥(ライノ)の狙いは、ユーノを閉じ込めることにあったんだろう」
おそらくは閉じ込めるだけではなく、嘲笑いいたぶることに。
さすがにそれは口にせずに、アシャは鋭い視線をライノに走らせる。
「なんで?」
レスファートはますます困惑した顔になった。
「ユーノ、あの人たちに何もわるいことしてないよ?」
「ああ、レス」
イルファがなるほど、と言った顔でうなずいた。
「世の中には、ただ自分の気に食わない相手が居るだけで攻撃していいと考えてる馬鹿がいるんだ」
「なんで??」
そんなことして何が楽しいの?
「何が楽しいんだろうな?」
イルファが肩を竦める。
「うまいもんを食って寝たほうがよっぽど楽しいのにな?」
「……で、どうやって助けるか、だが」
アシャはなお声を低めた。
「鳥籠の鍵がないのはしゃべり鳥(ライノ)も百も承知だろう。それを条件にしたということは、存在しないものを探し回る俺達の姿を見て楽しむことも考えてるんだろう」
「悪趣味だな」
「ひどいよ」
「一番厄介なのは、あそこにいるライノだ。俺達が鍵を探し回らなかったり、別の行動をとればすぐに仲間の所へ戻って、それを理由にユーノをいたぶるつもりだと思う」
「ああ、だから」
「レスファートを連れてできるだけ遠くにあいつをひきつけておいてくれ。その間に俺はユーノを助ける」
「うん、わかった」
「よし」
二人が急いで立ち上がる。
「如何にも知っている、見つけてるって感じでいいよな?」
「ないとは知っていても」
ひょっとしたらとライノは考えるかもしれない。
「それを利用する」
「まかせて」
レスファートが頬を紅潮させてうなずいた。
「なんなら、ぼく、『おばさん、こっちにあったみたい!』ってさけぼうか」
「………それは最後の手段にとっとこうぜ、レス」
おそらくそれなら確実にライノは追いかけてくるだろう、別な意味で。
子供っていうのは無邪気で残酷だな、とつぶやくイルファに苦笑しながら、アシャはじゃあ、頼む、と二人を送り出した。
「レス、あそこだってよ!」
「ああ、なんだ、あれだったんだ!」
天幕(カサン)を飛び出しながら、イルファとレスファートが声高に言い合う。
「急がなくちゃなくなるんじゃないか」
「ぼくも行く! だってユーノを早くたすけなくちゃ!」
「………うーむ」
天幕(カサン)の影でアシャは密かに片付けを始めながらひやひやする。
白々しいほどのやりとり、あれで本当にうまくライノが乗ってくれるのだろうかと心配になったが、突然の動きに誘われて、ライノは慌てて馬に飛び乗って駆け出していく二人の後を追っていく。
「……よし…」
白く薄衣が木立の彼方へゆっくりと消えていくのを見てとって、アシャは急いで天幕(カサン)をたたんだ。馬にまとめ、跡形もなく周囲を始末する。
視察官(オペ)に詳しい者が居る場所で長居をするつもりはさらさらなかった。どんなことからアシャの正体が明らかになるかわからない。ましてや、相手は太古生物、遠く『運命(リマイン)』に繋がる存在でもあるだけに、万が一あの男が出てくると話がもっとややこしくなる。
「……」
脳裏を過ったその猛々しい風貌に、アシャは懐かしさと淋しさが胸に広がっていくのを感じた。
なぜ袂を分かったのか、それはもうどうにもならないものではあるのだろうし、おそらく二度と相容れることはないだろうが、それでも一度は近しい存在だったのだ。
「ヒスト!」
呼ぶと栗毛の馬は渋々と言った様子で近づいてきた。主人不在の今は仕方なしに従ってやる、そういう気配でアシャの側にやってくる。
「ユーノを迎えにいくぞ」
「っ、ふ、うっ」
当然だろう、そう言いたげな鼻息に苦笑し、アシャは馬に跨がり、ヒストがついてきているのを確認しつつ、木立の密集する奥へと向かう。
(馬鹿なことを考えていなければいいが)
レスファートをヒストに括って戻したやり方は、ユーノが旅に同行することを諦めた可能性を示す。あれほどセレドの安泰と家族の幸福を願っているのだ、その全てを諦めるなどと言うことはあり得ない。
(まさか)
ひやりとしたものが背中を滑り落ちた。
もしユーノがラズーンへの旅を諦めるとしたら、どういう理由があるだろう。自分が脱出不可能と考えた、それならまだいい、そんな発想はこれからすぐに潰してやれる。
もっと問題なのは、『自分がラズーンに行かなくてもセレドが安泰であり、家族が幸福であろう』と判断したかもしれないことだ。
(しゃべり鳥(ライノ)達は俺のことを知っているか?)
馬を走らせながら急いで過去の記憶を検索する。
直接に顔を合わせたことはないはずだ。顔を合わせただけではわからない、それと紹介されるか説明されなくては、アシャをその人だと思う者はいないはずだ、まさかラズーン以外で、まさかこんな世界の端々で、『アシャ』が居るはずなどないのだから。
けれどもし、諸候に贈られたしゃべり鳥(ライノ)が居て、その誰かがこの巣へ戻ってきていたなら? 諸候の中にはラズーンへ入った者もいるだろう。アシャに行き会ったものもいないとは言い切れない。
もしユーノがそういうしゃべり鳥(ライノ)からアシャが何者であるか聞いていて、それで自分がラズーンに行くまでもないと判断したならば、それは確かに正しいと言わざるを得ない。ユーノ自身がラズーンの中枢に赴くよりもうんと確実に、セレドの忠誠やカザドの非道は『太皇(スーグ)』に伝わるだろう、それこそ目で見ていたようにはっきりと。
(まだだ)
まだ早い。
不安定に打ち出した心臓に舌打ちする。
ユーノがアシャの存在の意味に触れて、変わらず付き合い続けてくれるためにだけでも、2人の関係はまだうんと浅くて薄い。
(もっと強く)
もっとくっきりアシャの姿を刻まなくては。
でなければ、ユーノは彼の正体を知ったとたん、自分とは一切関わりがない相手だと判断してしまうに違いない。
「…くそっ」
せっかくここまで近づいたのに。
ようやく剣という色気も何もあったものではない、けれどユーノにとってはかけがえのないものを通して、重なる1つの未来を育もうとしているのに。
「…きれいでしょ」
「あたしはきれいでしょ…」
アシャが駆け抜けていくのに気づいたのだろう、周囲の鳥籠から次第に騒がしくしゃべり鳥(ライノ)が呼びかけ始めた。ちらりと視線を上げると、枝々にぶら下がった緑の鳥籠から、似たような金髪碧眼の美女達が籠にしがみついて髪を垂らしかけ、アシャに指を伸ばしている。
「待って!」
「待ってあなた! きれいでしょ!」
「ねえ見て、きれいでしょあたし!」
鳴き鳥(メール)のように愛らしくは響かない、甲高い声がじりじりと互いを押さえるように音量を上げていく。
「きれいでしょ!」
「きれいでしょ!」
「ねえきれいでしょ!」
アシャはゆっくり速度を落とした。続いてヒストがアシャを置き去って走り抜けようとしたが、鼻息荒く立ち止まり、どうして主人の元へ直行しないのかと言いたげに鼻を鳴らす。
「聞きたいことがある!」
アシャは声を張り上げた。
一瞬にして周囲がぴたりと口を閉ざし、アシャを凝視したまま固まる。何かを言いかけた唇も半開き、見開いた目にきらきら光る輝きは宿っているが、鳥籠を持つ指がきつく曲げられ、まるで数十の人形の籠に取り囲まれたような不気味さだ。
「俺の主人をお前達の仲間が捕らえている! どこに居るのか、教えてほしい!」
「……主人」
くすり、と小さな声が笑った。
「主人、主人?」
「あれが、あのみっともない男の子が」
くすくす、と笑い声が波のように広がり、合間に蔑んだ冷たい声が吐き捨てる。
「知ってるけどね」
「ここじゃないわ残念」
「ここにいたら嗤ってやったのに」
「思う存分、締め上げてやったのに」
「……」
ぴくり、と自分の指が無意識に震えたのを感じた。
締め上げた?
(なるほど)
目を伏せ、少し息をつく。
(かなり不愉快な状況になってるってことだな)
だが、素直に教えてくれるような連中でもない。へたに扱えば、ユーノの鳥籠ごと木の上に引き上げられ隠されて、飢え死にするまで放置される。それでも彼女達は平然と言うはずだ、別に何も悪いことなどしていない、ただちょっと風に鳥籠が揺れたから、枝の上に落ち着かせただけなのだと。
ユーノが酷い目にあったとしたら、それは見つけられなかったアシャのせいなのだ、と。
「知ってるわよ、でもそれを教えたら扉を開けてくれる、視察官(オペ)?」
間近にあった鳥籠がするすると降りてきて、中の美女がにこやかに笑った。
「視察官(オペ)?」
「あなたを知らないしゃべり鳥(ライノ)はいないわ」
隣の鳥籠からくつくつと笑い声が響いた。
「ラズーンのアシャ、剣に優れ詩に満たされ」
「光溢れる笑顔、氷石の心」
「数々の美姫も溶かすことが叶わない」
「あなたを手に入れるのは栄誉だわ」
周囲の鳥籠からそれぞれに美女が体をくねらせ笑いかける。薄衣を肩から落とす者もいれば、きわどく胸をさらしつつ白い腕で抱いてみせる者、揃えた脚を緩やかに伸ばし、金色の髪をかきあげ微笑み、ただその光景だけを見れば、艶やかな美女に囲まれ誘惑されている至福の時と見えないこともない。
だが。
「本当に外に出たいのか?」
アシャは冷ややかに問いかけた。
「出たい、出たいわ!」
間近の美女はすがるようにアシャを見つめる。
「……では出してやろう」
アシャは馬を下り、その鳥籠の側に近寄った。籠の隙間から手を差し入れ、相手の美しい髪を掬い上げながら、
「代わりに俺の主人の居所を教えてくれたらな」
アシャに髪を愛撫されて、うっとりとした顔でしゃべり鳥(ライノ)は目を細めて見上げてくる。綻ぶように開いた唇が濡れ濡れと光った。
「あの子なら!」
側の鳥籠から叫びが上がった。
「あたしが知ってるわ!」
「あの子は奥よ!」
「もっと奥!」
「あたしに触って!」
「あたしよ、ねえ!」
「……誰が一番よく知っているんだ?」
アシャは静かに微笑んで、目の前の美女の瞳を覗き込む。
「あたしに決まってるわ」
相手は笑みを深めた。
「あの子は右の木立の奥よ。一番大きな木の中程、汚い鳥籠に入っている、でもねえそんなことより」
アシャの手にしがみつこうとした指から、するりとアシャは手を抜いた。
「ありがとう」
「あん…」
名残惜しげに唇を尖らせる美女に目を細め、アシャは片手を上げて少し揺らせる。念じるほどでもなく、指先から一瞬、金のオーラがきらめいて流れ、固く閉まっていた扉がいきなり緩んでぽかりと口を開けた。
「さあ、開いた」
アシャは微笑んだ。
「約束を守ったぞ」
勢いよく駆けさせてきた馬を止め、アシャは周囲を見回した。
「ユーノ! どこだ!」
叫んで耳をすませるが辺りは静まり返り、時々鳴き鳥(メール)の柔らかな声が響いているだけ。穏やかで優しげな風景の中、自分の声だけがきりきりと尖っているのに気づいて苦笑し、表情を改める。
(いつも、置き去られる)
不愉快で、そして不安だ、ラズーンのアシャともあろうものが。
(あいつの顔が見えないことが)
またどこかで傷ついているのではないか、命を脅かすほどの痛みも堪えて一人耐えているのではないか。
そしてそこには必ずユーノを傷つける存在が居る。
「…ちっ」
その存在を考えたとたん、身内に走った青白い怒りに舌打ちした。
どんどん手に負えなくなってくる、この苛立ちと怒り。無鉄砲で誰かが苦しんでいると聞けば我が身を省みず飛び込んでしまうユーノがいては、忍耐力がどれだけあっても足りない。今だって、ただの想像にしか過ぎないユーノの危機に、体が既に反撃体制を整えてしまう。
(まったく)
ぐしゃりと前髪を掴んだ。
「いっそ、縛りつけておいてやるか?」
アシャの側に、お前の居場所はここだと身動き一つできないように?
「……詰られる、な」
ユーノに力の限り罵倒されて、アシャの人格も疑われそうだ。ひょっとすると嫌われるほどに。
「っ」
ユーノに嫌われる、そう考えたとたんに一瞬自分が竦んだのに気づき、絶望的な気分になった。
「…………終ってる」
周囲では何度も見たことがある、女一人に振り回されてするべきことも考えるべきことも及ばなくなって、人生を誤っていく愚かな男達。アシャは、出生のことも自覚している、華やかな外見を身を飾る道具としてしか考えない女性達も知っている。レアナの真摯に魅かれはしたが、胸の内を焼き焦がすような衝動にまさか自分が落ち込むななどとは考えもしなかったのに。
「……ユーノ!」
軽く首を振って固着しかけた思考を振り切る。もう一度、気を取り直し、声を張り上げ密度を増やした木立の中を抜けていく。きらきらと日差しが細かな結晶を散らすような輝きの中、風が静かに枝々を渡る。
「……」
その枝の一つに見覚えのあるものを見つけてアシャは眉を寄せた。
緑色の蔓で編まれた、人1人入るほどの鳥籠のようなもの。
気づいて見回すと、あちらこちらに風に微かに揺れながら、緑の鳥籠が吊られている。
しゃべり鳥(ライノ)が居る。
なおも不快感が広がった。
「ここは……巣、か」
あの種族はことのほか清冽を嫌う、特にユーノのように内側から零れる揺らぎない潔さを。万が一ユーノが捕まったら、扱いは十分予想できる。それにユーノがどれほど傷つくかも。
早く見つけなければ。
「やだーっ!」
不意に甲高い叫びが響き渡ってはっとした。
正面の木立の間から、額に『白い星(ヒスト)』をいただいた栗毛の馬が、普段の振る舞いからは信じられないほど静かな足取りでやってくる。
だが、その背中にはじたばたじたばたと激しくもがくものがあり、それがうっとうしいのだろう、時折ヒストは上下に強く顔を振り、立ち止まりかけては思い直したようにまたぽくぽくと歩を進めてくる。
「レス?」
「やだやだやだーっ、ユーノぉっ!」
声は今にも泣きじゃくりそう、慌てて馬を駆け寄らせてみると、急いで見上げてきたレスファートはヒストの背中に紐でしっかり括り付けられていた。体と紐の間に毛布はかませてあるものの、暴れ続けたらしい少年はぎりぎり締め上げられた状態、アシャを見るとぼろぼろ涙を零しながら訴える。
「ほどいて、アシャ、ユーノ一人でかごの中なの! つかまったの! ぼくが、ぼくが……っ」
しゃくりあげて顔を歪める。
「へましたの! こんちくしょうなことしたの! ユーノ助けて、アシャ、ユーノがあの『おばさん』たちに!」
イルファ譲りの罵倒まじりのことば、中でも今の状況ではひたすらにまずい一言にアシャはひきつった。
「………『おばさん』……って」
これは何となくわかってきたぞ、と溜め息まじりにレスファートの紐を切り解いてやりながら確認する。
「ひょっとして、鳥籠に入ってた女達、か?」
「うん!」
レスファートはようやく自由になった体のあちこちをさすりながら、大きくうなずく。
「『おばさん』ってほどじゃなかっただろう?」
「『おばさん』!」
「………それをしゃべり鳥に向かって言ったのか?」
「アシャ、あの『おばさん』たち知ってるの?!」
「他に何か言ったか?」
「ユーノがきれいだっていった!」
「……それで?」
「ぼくのユーノは、『おばさん』たちのだれよりきれいだっていった!」
まちがってないもん、ぼく。
唇を尖らせるレスファートは、プラチナブロンドを日差しに煌めかせ、確かに汚れてはいるけれど、十分輝いて美しい子供だ。
「………致命的だな」
溜め息をついて口を押さえた。
しゃべり鳥(ライノ)は己の容姿が他の存在よりも美しいことに全ての基準を拠っている。ましてや、どこからどう見ても、王子様然として可愛いレスファートが崇拝に近い愛情を注ぎ、他の誰よりも美しいと保証する相手が、一般的に見れば茶色の髪を跳ねさせ荒々しい挙動の汚れた服の子供であるなどは、彼女達にとって論外だ。
「そしたら、『おばさん』がぼくをつかまえて!」
レスファートが語る事の顛末にどんどん溜め息が重なる。
「そりゃ……無理だろう…」
「それでね、ユーノはキスせずにとびらをあけて、そしたら『おばさん』がユーノのことを『銀の王族』だろうって」
「……」
ぴくり、とアシャは動きを止めた。
「『銀の王族』ってなに?」
「…………それだけ綺麗だってことだよ」
「ふうん?」
いささか訝しげなレスファートをヒストにしっかり座らせる。
まあ当たらずとはいえ、外れてもいないよな、真実の意味では。
胸の中で続けたことばは口には出さない。
確かに綺麗、だ。この世界を覆った破滅の影響を限りなく排除した存在、200年祭を越えるための最後の布石、そしてまた、『運命(リマイン)』の跳梁と太古生物の復活を制御する唯一の鍵として、その中身は磨き抜かれている。
「しかし………まずいな」
しゃべり鳥(ライノ)がユーノを『銀の王族』と気づいたのなら、なおさらやすやすと手放しはしないだろう。ラズーンとの取引に使うとは思えないが,他者の幸福を誰より妬む一族なのだ、ラズーンにより幸福であるよう『条件付け』されている存在だと知れば、あっさり返して何かを手にいれることより、自分達の側に置いて弱って死んでしまうまで、からかい嘲笑うほうを選ぶだろう。
「鳥籠の鍵を持ってくれば、ユーノを放すと言ったんだな?」
「うん、でも」
再びじわじわとレスファートの瞳に涙が盛り上がった。
「どうしても見つからないなら、ユーノのことはいいから、さきにいけって…」
「……だろうな」
「でも! そんなのぼくはいやだからっ!」
絶対絶対嫌だからね!
激しい口調で言い募るレスファートに、
「俺もだよ」
ぽん、と頭を軽く叩く。
「俺達があいつを放っていくわけないだろ?」
「う…うん」
「ただ、鳥籠の鍵、だな」
「ユーノはアシャなら知ってるかもっていってた」
「うーむ」
物質としての鍵、など聞いたことがない。しゃべり鳥(ライノ)達を自由にできるのは、扉を開ける鍵ではなく、彼女らと心を通わせることで彼女らを受け入れ引っ張り出そうとする精神の器なのだ。
視察官(オペ)は職務権限上、開けと命じるだけで開くことができる。『銀の王族』の中にも鳥籠の中の存在に強く心を寄せることで、扉を開くことができる者も居る、だが。
「開いても、出るかどうかはまた別、だからな」
「開いても、出るかどうかは、べつ?」
レスファートがきょとんとした顔になる。
「どうして? 『おばさん』たち、すごく外に出たがってたよ?」
「出たがってるのは正しいが、出るかどうかは違うんだ」
そこのところが難しいんだがな、と苦笑すると、わけわかんない、とレスファートは眉を寄せた。
「でもそれなら、かぎがあっても、いみないよね?」
「そうだ」
鍵があろうとなかろうと、しゃべり鳥(ライノ)が鳥籠から出られないのは別の理由による。外側からの救出者が強くそれを望んでも、実は成功する確率はかなり低く、逆に反撃されることさえあるのだ。
(しゃべり鳥(ライノ)達はユーノを手放す気はない、と見たほうがいいか)
考え込んでいると、視界の端にひらりと白いものが舞った。視線を上げて、木立の向こうに慌てて隠れた絶世の美女を見つける。
「あの人がみはり」
「なるほど」
相手はアシャの凝視にどぎまぎしたように頬を染めて唇に指先をあててはにかんだ。
「はぐれ鳥、か」
「はぐれ?」
「鳥籠から出られたしゃべり鳥(ライノ)をそう呼ぶんだよ」
「でも」
あの人は自由なんでしょ?
「どうだかな」
アシャはヒストの手綱を握った。
「はぐれってことは……もどるってこと?」
レスファートが利発な発想を見せる。
「……そういうことだ」
いずれは彼女も再び鳥籠に戻るのだろう、おそらくはそう遠くない未来に。
「……せっかく自由になったのに、どうして?」
「……彼女達がしゃべり鳥(ライノ)だと言われる所以だよ」
世の中には寒風も大雨もあるってことさ、とアシャが応じると、レスファートは少し目を細めた。
「さむかったり、ぬれたりするのはきらいってこと?」
「それに痛かったり,苦しかったりも嫌いってことだ」
「そんなの」
レスファートはふいと何かを思い出すように空を見上げた。
「旅なんかできないよ」
「その、通りだ」
一旦イルファのところに戻ってユーノを助ける作戦を練るぞ。
アシャのことばにレスファートは考え込んだ目をしたままうなずいた。
しばらくして、アシャ達は急ごしらえの天幕(カサン)の影で額をつきあわせていた。
「えっ」
「しっ、レス」
イルファが制するのに、レスファートは慌てて口を噤み、少し離れた木立にもたれて今にも近づいてきそうな気配でちらちらとこちらを見ているライノに目をやった。
「鳥かごのかぎ、ないの?」
声を潜めてそっと尋ね直し、うなずくアシャにより不安そうな顔になる。
「じゃあ……ユーノは?」
っていうか、じゃあなんであの『おばさん』たちはかぎを持ってこいなんていったの?
わけがわからないという顔で、アシャとイルファを交互に見る。
「たぶん、しゃべり鳥(ライノ)の狙いは、ユーノを閉じ込めることにあったんだろう」
おそらくは閉じ込めるだけではなく、嘲笑いいたぶることに。
さすがにそれは口にせずに、アシャは鋭い視線をライノに走らせる。
「なんで?」
レスファートはますます困惑した顔になった。
「ユーノ、あの人たちに何もわるいことしてないよ?」
「ああ、レス」
イルファがなるほど、と言った顔でうなずいた。
「世の中には、ただ自分の気に食わない相手が居るだけで攻撃していいと考えてる馬鹿がいるんだ」
「なんで??」
そんなことして何が楽しいの?
「何が楽しいんだろうな?」
イルファが肩を竦める。
「うまいもんを食って寝たほうがよっぽど楽しいのにな?」
「……で、どうやって助けるか、だが」
アシャはなお声を低めた。
「鳥籠の鍵がないのはしゃべり鳥(ライノ)も百も承知だろう。それを条件にしたということは、存在しないものを探し回る俺達の姿を見て楽しむことも考えてるんだろう」
「悪趣味だな」
「ひどいよ」
「一番厄介なのは、あそこにいるライノだ。俺達が鍵を探し回らなかったり、別の行動をとればすぐに仲間の所へ戻って、それを理由にユーノをいたぶるつもりだと思う」
「ああ、だから」
「レスファートを連れてできるだけ遠くにあいつをひきつけておいてくれ。その間に俺はユーノを助ける」
「うん、わかった」
「よし」
二人が急いで立ち上がる。
「如何にも知っている、見つけてるって感じでいいよな?」
「ないとは知っていても」
ひょっとしたらとライノは考えるかもしれない。
「それを利用する」
「まかせて」
レスファートが頬を紅潮させてうなずいた。
「なんなら、ぼく、『おばさん、こっちにあったみたい!』ってさけぼうか」
「………それは最後の手段にとっとこうぜ、レス」
おそらくそれなら確実にライノは追いかけてくるだろう、別な意味で。
子供っていうのは無邪気で残酷だな、とつぶやくイルファに苦笑しながら、アシャはじゃあ、頼む、と二人を送り出した。
「レス、あそこだってよ!」
「ああ、なんだ、あれだったんだ!」
天幕(カサン)を飛び出しながら、イルファとレスファートが声高に言い合う。
「急がなくちゃなくなるんじゃないか」
「ぼくも行く! だってユーノを早くたすけなくちゃ!」
「………うーむ」
天幕(カサン)の影でアシャは密かに片付けを始めながらひやひやする。
白々しいほどのやりとり、あれで本当にうまくライノが乗ってくれるのだろうかと心配になったが、突然の動きに誘われて、ライノは慌てて馬に飛び乗って駆け出していく二人の後を追っていく。
「……よし…」
白く薄衣が木立の彼方へゆっくりと消えていくのを見てとって、アシャは急いで天幕(カサン)をたたんだ。馬にまとめ、跡形もなく周囲を始末する。
視察官(オペ)に詳しい者が居る場所で長居をするつもりはさらさらなかった。どんなことからアシャの正体が明らかになるかわからない。ましてや、相手は太古生物、遠く『運命(リマイン)』に繋がる存在でもあるだけに、万が一あの男が出てくると話がもっとややこしくなる。
「……」
脳裏を過ったその猛々しい風貌に、アシャは懐かしさと淋しさが胸に広がっていくのを感じた。
なぜ袂を分かったのか、それはもうどうにもならないものではあるのだろうし、おそらく二度と相容れることはないだろうが、それでも一度は近しい存在だったのだ。
「ヒスト!」
呼ぶと栗毛の馬は渋々と言った様子で近づいてきた。主人不在の今は仕方なしに従ってやる、そういう気配でアシャの側にやってくる。
「ユーノを迎えにいくぞ」
「っ、ふ、うっ」
当然だろう、そう言いたげな鼻息に苦笑し、アシャは馬に跨がり、ヒストがついてきているのを確認しつつ、木立の密集する奥へと向かう。
(馬鹿なことを考えていなければいいが)
レスファートをヒストに括って戻したやり方は、ユーノが旅に同行することを諦めた可能性を示す。あれほどセレドの安泰と家族の幸福を願っているのだ、その全てを諦めるなどと言うことはあり得ない。
(まさか)
ひやりとしたものが背中を滑り落ちた。
もしユーノがラズーンへの旅を諦めるとしたら、どういう理由があるだろう。自分が脱出不可能と考えた、それならまだいい、そんな発想はこれからすぐに潰してやれる。
もっと問題なのは、『自分がラズーンに行かなくてもセレドが安泰であり、家族が幸福であろう』と判断したかもしれないことだ。
(しゃべり鳥(ライノ)達は俺のことを知っているか?)
馬を走らせながら急いで過去の記憶を検索する。
直接に顔を合わせたことはないはずだ。顔を合わせただけではわからない、それと紹介されるか説明されなくては、アシャをその人だと思う者はいないはずだ、まさかラズーン以外で、まさかこんな世界の端々で、『アシャ』が居るはずなどないのだから。
けれどもし、諸候に贈られたしゃべり鳥(ライノ)が居て、その誰かがこの巣へ戻ってきていたなら? 諸候の中にはラズーンへ入った者もいるだろう。アシャに行き会ったものもいないとは言い切れない。
もしユーノがそういうしゃべり鳥(ライノ)からアシャが何者であるか聞いていて、それで自分がラズーンに行くまでもないと判断したならば、それは確かに正しいと言わざるを得ない。ユーノ自身がラズーンの中枢に赴くよりもうんと確実に、セレドの忠誠やカザドの非道は『太皇(スーグ)』に伝わるだろう、それこそ目で見ていたようにはっきりと。
(まだだ)
まだ早い。
不安定に打ち出した心臓に舌打ちする。
ユーノがアシャの存在の意味に触れて、変わらず付き合い続けてくれるためにだけでも、2人の関係はまだうんと浅くて薄い。
(もっと強く)
もっとくっきりアシャの姿を刻まなくては。
でなければ、ユーノは彼の正体を知ったとたん、自分とは一切関わりがない相手だと判断してしまうに違いない。
「…くそっ」
せっかくここまで近づいたのに。
ようやく剣という色気も何もあったものではない、けれどユーノにとってはかけがえのないものを通して、重なる1つの未来を育もうとしているのに。
「…きれいでしょ」
「あたしはきれいでしょ…」
アシャが駆け抜けていくのに気づいたのだろう、周囲の鳥籠から次第に騒がしくしゃべり鳥(ライノ)が呼びかけ始めた。ちらりと視線を上げると、枝々にぶら下がった緑の鳥籠から、似たような金髪碧眼の美女達が籠にしがみついて髪を垂らしかけ、アシャに指を伸ばしている。
「待って!」
「待ってあなた! きれいでしょ!」
「ねえ見て、きれいでしょあたし!」
鳴き鳥(メール)のように愛らしくは響かない、甲高い声がじりじりと互いを押さえるように音量を上げていく。
「きれいでしょ!」
「きれいでしょ!」
「ねえきれいでしょ!」
アシャはゆっくり速度を落とした。続いてヒストがアシャを置き去って走り抜けようとしたが、鼻息荒く立ち止まり、どうして主人の元へ直行しないのかと言いたげに鼻を鳴らす。
「聞きたいことがある!」
アシャは声を張り上げた。
一瞬にして周囲がぴたりと口を閉ざし、アシャを凝視したまま固まる。何かを言いかけた唇も半開き、見開いた目にきらきら光る輝きは宿っているが、鳥籠を持つ指がきつく曲げられ、まるで数十の人形の籠に取り囲まれたような不気味さだ。
「俺の主人をお前達の仲間が捕らえている! どこに居るのか、教えてほしい!」
「……主人」
くすり、と小さな声が笑った。
「主人、主人?」
「あれが、あのみっともない男の子が」
くすくす、と笑い声が波のように広がり、合間に蔑んだ冷たい声が吐き捨てる。
「知ってるけどね」
「ここじゃないわ残念」
「ここにいたら嗤ってやったのに」
「思う存分、締め上げてやったのに」
「……」
ぴくり、と自分の指が無意識に震えたのを感じた。
締め上げた?
(なるほど)
目を伏せ、少し息をつく。
(かなり不愉快な状況になってるってことだな)
だが、素直に教えてくれるような連中でもない。へたに扱えば、ユーノの鳥籠ごと木の上に引き上げられ隠されて、飢え死にするまで放置される。それでも彼女達は平然と言うはずだ、別に何も悪いことなどしていない、ただちょっと風に鳥籠が揺れたから、枝の上に落ち着かせただけなのだと。
ユーノが酷い目にあったとしたら、それは見つけられなかったアシャのせいなのだ、と。
「知ってるわよ、でもそれを教えたら扉を開けてくれる、視察官(オペ)?」
間近にあった鳥籠がするすると降りてきて、中の美女がにこやかに笑った。
「視察官(オペ)?」
「あなたを知らないしゃべり鳥(ライノ)はいないわ」
隣の鳥籠からくつくつと笑い声が響いた。
「ラズーンのアシャ、剣に優れ詩に満たされ」
「光溢れる笑顔、氷石の心」
「数々の美姫も溶かすことが叶わない」
「あなたを手に入れるのは栄誉だわ」
周囲の鳥籠からそれぞれに美女が体をくねらせ笑いかける。薄衣を肩から落とす者もいれば、きわどく胸をさらしつつ白い腕で抱いてみせる者、揃えた脚を緩やかに伸ばし、金色の髪をかきあげ微笑み、ただその光景だけを見れば、艶やかな美女に囲まれ誘惑されている至福の時と見えないこともない。
だが。
「本当に外に出たいのか?」
アシャは冷ややかに問いかけた。
「出たい、出たいわ!」
間近の美女はすがるようにアシャを見つめる。
「……では出してやろう」
アシャは馬を下り、その鳥籠の側に近寄った。籠の隙間から手を差し入れ、相手の美しい髪を掬い上げながら、
「代わりに俺の主人の居所を教えてくれたらな」
アシャに髪を愛撫されて、うっとりとした顔でしゃべり鳥(ライノ)は目を細めて見上げてくる。綻ぶように開いた唇が濡れ濡れと光った。
「あの子なら!」
側の鳥籠から叫びが上がった。
「あたしが知ってるわ!」
「あの子は奥よ!」
「もっと奥!」
「あたしに触って!」
「あたしよ、ねえ!」
「……誰が一番よく知っているんだ?」
アシャは静かに微笑んで、目の前の美女の瞳を覗き込む。
「あたしに決まってるわ」
相手は笑みを深めた。
「あの子は右の木立の奥よ。一番大きな木の中程、汚い鳥籠に入っている、でもねえそんなことより」
アシャの手にしがみつこうとした指から、するりとアシャは手を抜いた。
「ありがとう」
「あん…」
名残惜しげに唇を尖らせる美女に目を細め、アシャは片手を上げて少し揺らせる。念じるほどでもなく、指先から一瞬、金のオーラがきらめいて流れ、固く閉まっていた扉がいきなり緩んでぽかりと口を開けた。
「さあ、開いた」
アシャは微笑んだ。
「約束を守ったぞ」
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