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17.しゃべり鳥(ライノ)(2)
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「開いた…わね…」
しゃべり鳥(ライノ)はすぐに扉の外へ出ようと体を起こした。が、何かに気づいたように唐突に動きを止める。
「どうした? 出ないのか?」
これでは狭すぎるとでも?
アシャは静かに再び片手を上げる。
「ひ…」
美女が小さな悲鳴を上げて背後へ後じさった。澄んだ瞳をこれ以上は無理なほど見開いて、なおも動く扉にどんどん体を退いていく。
「いや…」
微かな震えが白い指先を走った。腕が見る見る粟立つ。色を失った唇が細かく震え出し、懇願と媚に紅潮していた頬も削いだように固まっていく。
「いや……視察官(オペ)…」
掠れた声が零れ落ちた。
「閉じて………」
「ほぅ?」
アシャは目を細めた。
「開いてほしいと言わなかったか?」
「いやよ……閉じて…」
美女は全身震え出している。額から伝った汗が醜い跡を残しながら、だらだらとしゃべり鳥(ライノ)の顔を流れ落ちていく。
「閉じて……閉じて…っ!」
「何を馬鹿なことを!」
「扉が開いたのに!」
「いやよいやよいやっ!」
周囲のしゃべり鳥(ライノ)が憤った声を上げて、鳥籠をそれぞれに揺さぶった。甲高い声がきいきいと響き渡り、アシャは苦笑しながら周囲を見渡す。興奮に歪んだ顔、焦って叫ぶ唇、血走って睨みつける瞳。ついさきほどまで艶笑に囲まれ、この世の楽園とも思われたが、今はもうがなりたてる青猿(グッダ)の群れに飛び込んだようだ。
「よく聞こえなかったな」
アシャはにこやかに微笑しながら、なおも上げた手に力を集めた。扉がぎしぎしと音をたてなおも開く。
「もっと開いて、そう言ったのか?」
鳥籠が激しく揺れる。今にも粉々に砕けそうだ。
「いやあああっっ!」
中のしゃべり鳥(ライノ)が身悶えて叫んだ。
「閉じて閉じて閉じて,いやっ、怖い怖い怖いっっ!」
怯えて引き攣った声はしわがれ、怨嗟を含んで猛々しい。
「閉じてええええっっ!」
「……暴れると壊れるぞ」
アシャは冷ややかに吐き捨てた。大きく震えた相手が漏れ出す悲鳴を必死に押さえようとする。怯え切った瞳が恨みを込めて見返すのに微笑みを返した。
「視察官(オペ)!」
「あたしの扉を開けて!」
「こっちよあたし!」
「その子なんかほっといてあたしを!」
周囲がはっとしたように叫び出すのに首を振る。
「無理だな」
しゃべり鳥(ライノ)は1人では鳥籠の外へ出られない。受け入れてくれ引っ張り出してくれる誰かがいないと、自分の居場所である鳥籠から離れることなど不可能なのだ。
そうやって鳥籠の中の安寧に慣れ、外を羨み出られない自分を哀れみ、やがて身動きできなくなって年老いて、鳥籠の中で朽ちていく。
そうした仲間をしゃべり鳥(ライノ)達はすぐに見捨てる。動けなくなり騒げなくなると、容赦なく高い木の上に吊るし上げて初めから居なかったように振る舞い、やがて年月とともに腐った鳥籠が緩んだ蔓とともに地上に落ちて土に返る。
しゃべり鳥(ライノ)の一生はそういうものだ。
だがそういうしゃべり鳥(ライノ)がいつどこで生まれ、どうして鳥籠の中に棲まうようになるのか、おそらく誰も知らないだろう、ましてやそれが、演出されたものかもしれないとは思いもしないことだろう。
アシャはしゃべり鳥(ライノ)に見える世界の惨さを噛みしめながら、優しく空中を撫でて鳥籠の扉を閉じた。
そのとたん。
「ひどいわ、視察官(オペ)!」
今の今まで鳥籠の奥で震えながら口を押さえて縮こまっていた美女が、まるでそんなことなどなかったように激しい勢いで閉じた扉に捕まって顔を寄せてきた。
「何てことをするの! 今出ようとしていたのよ!」
「そうよ!」
「そうよその子は出ようとしていたの!」
周囲も同調したように叫ぶ。
「今出るところだったのに! なぜ扉を閉めたの!」
美女は口を極めてののしり始める。
「これみよがしに開いておいて、出ようとした目の前で閉じるなんて!」
なんてひどいことができるの、視察官(オペ)!
目に涙を浮かべて詰るしゃべり鳥(ライノ)は今しがたの記憶をすっかり失ったようにも見えた。
「酷いことをするのね視察官(オペ)!」
「力があるからって、心を弄んでいいってことじゃないわ!」
「嫉妬したのね、視察官(オペ)!」
「あたし達があまりに美しいから、他の男に盗られるかもしれないから、閉じ込めておきたくなったんでしょう!」
「それでもひどい!」
「ひどいわ視察官(オペ)!」
「……」
アシャはゆっくり周囲を見回した。
これで本気なのだ。
本気でしゃべり鳥(ライノ)達は自分達が心底願って今にも叶えようとしていた望みを、アシャが潰したと考えているのだ。自分達が怯えて選ばなかった道を、アシャが遮ったから塞がれたと思っている。そしてなお、それは自分達のせいではなく、アシャの中にあるつまらない独占欲のせいだと、つまりはアシャの悪意だと信じている。
「残酷な視察官(オペ)!」
「それほどの思いを向けられてしまうかわいそうで綺麗なあたし達!」
「きれいでしょ!」
「きれいすぎるって罪ね!」
「きれいでしょ!」
世界を自分のために歪めてしまう。
しゃべり鳥(ライノ)は見かけとは裏腹に、太古生物の、そしてそれを生み出した遥か彼方の人々の、まさにその本質そのものだ。
アシャは切ないような苦々しいような思いでしゃべり鳥(ライノ)を眺めていた。
(俺も同じだ)
世界のありようを認めず、自分の望むものだけを信じたくて、ラズーンを離れ、こうして1人辺境にまぎれようとしたアシャ自身と。
風に揺れる鳥籠の1つに虚ろな目をして、出してくれ出してくれと叫びつつ鳥籠を揺らす自分が見えた気がして、胸の底が冷えていく。
(寒い)
命の熱が奪われたようだ。力を使いすぎたせいではなくて、自分の本質を突きつけられて、胸が寒くて心が凍える。
(熱が、欲しい)
唇を噛んで騒ぎ続けるしゃべり鳥(ライノ)達に背中を向けると、
「知らないわよ!」
険しい声が引き止めた。
「あの子がどうなっても知らないから! あなたのせいよ!」
背中から槍で貫かれたような気がした。
脳裏を横切る花祭の光景。鮮血に塗れたユーノを腕に殺意に翻弄されかけた。
「あなたのせいだわ、視察官(オペ)!」
「あなたがあの子を窮地に追いやるのよ!」
振り返る自分の顔から表情がなくなっているのはわかっている。
「自分勝手に人を哀れむ視察官(オペ)!」
「あなた自身を哀れめばいい!」
「あの子を助けられないあなたを!」
「ざまあみろ!」
「あははは、ざまあみろ!」
きびすを返してアシャは馬まで戻った。
「……いくぞ、ヒスト」
(そんなことは)
「…わかってるさ」
食いしばった口の間から苦い呻きが零れた。
来ない、か。
小さく吐息をつくと、ユーノは目を閉じて背後の籠にもたれかかった。棘は確かに背中を刺すが、それよりもどこからも響いてこない蹄の音を、耳を澄ませて待っていた自分の胸がちくちくと痛い。
「そりゃ……そうだよな…」
思わず呟いて、それがイルファの口調と似ているのに苦笑する。
リリリリリリリリ……。
リュリュリュリュ………リリリ……。
楽しげに歌う鳴き鳥(メール)の声に目を開く。揺れた近くの籠の影にアシャの姿を見た気がして、それが何のことはない、しゃべり鳥(ライノ)の髪が風になびいただけと気づき、一瞬泣きそうになった。
当たり前じゃないか。
美しくか弱そうな姿をしていても、しゃべり鳥(ライノ)は太古生物。締め上げる髪の力はさっき体感したばかりだし、今も両手足に絡み付いて、ユーノを鳥籠に押し付けている金髪は緩む気配さえ見せない。周囲でしゃべり鳥(ライノ)達はまるでユーノが居ることを忘れたように、肌を撫でたり、囁き合ったり、衣服を整えたりしているのに。
「…来る、はず、ない」
見捨てろと言った。レスファートの意識を失わせて無理矢理ヒストに連れ帰らせた。
「だから」
空を見上げる。
鳴き鳥(メール)が長くて柔らかそうな尾を引きながら、彼方の空へ飛び去っていく。
自力で生き延びるしかない、今までと同じように。
ただ今度は、見捨てられたのではない、自分が救出を拒んだのだ。
(今までも?)
ふいに、それまで考えもつかなかった可能性に気がついた。
今までもひょっとして、助けてくれようとした誰かが居たのだろうか。ユーノは1人で生きることに手一杯で、救いの手を知らず知らずに拒んでいてしまったのだろうか。
だからこんなところで、1人死ぬしかなくなるんだろうか。
ゆっくり視線を向けた先、崩れ朽ちた鳥籠の残骸がある。
何のことはない、ユーノだって、同じなのかもしれない、しゃべり鳥(ライノ)達と。
きゅ、と唇を引き締めた。
(出よう)
そうだ、見捨てられたんじゃない。きっとレスファートは待っている。アシャは心配し、イルファがユーノが帰ることを思って食事を準備してくれているかもしれない。
(戻ろう)
追い詰められて始めた旅だった。他に誰も名乗り出ることがなかったから、危険を背負って旅立った道にアシャが付き添い、レスファートとイルファが同行してくれた。
けれど今度はユーノが彼らの元へ戻るのだ。彼らと一緒に旅をすることを選ぶのだ。
幸い剣は奪われなかった。間合いを計れば髪の毛を切り解き、籠を破り、地上へ飛び降りることもできるだろう。ユーノの背にして数倍の高さだが、下草は厚い、うまく行けば、すぐ走り出せる。
呼吸を整え、そろそろと体を動かして剣を掴もうとしたその矢先、ざわり、と周囲が妙な気配に満ちた。すぐに続いたのは、凍りつくような沈黙、それも次第に緊張を高めていく。
「?」
ユーノは周囲を見回して、しゃべり鳥(ライノ)達が全て一方向を見ているのに気がついた。人形じみた整った顔だがそれぞれ違う造形なのに、全く同じような表情で動きを止めて目を見開いている。
促されるようにそちらを見やって、はっとした。
木立の間をよろめくようにやってくる、白い薄衣のライノ。髪はばらばら、手足にはかすり傷と出血の跡、ぎらぎらした青い瞳は怒りに満ちてまっすぐにユーノを見据えている。
(レスは無事か)
頭をよぎった疑問はすぐに解消された。
「よくも、あたし達を虚仮にしてくれたわね」
苛立ったきりきりした声が響く。
「あたしを遠くへ誘い出して、その隙に彼を呼ぶなんて」
「え」
どき、と胸が打った。
「とぼけるんじゃないわ、視察官(オペ)がついてるなら、どうして言わなかったの」
道理で『銀の王族』がこんなところに1人でふらふらしてるなんておかしいと思った。
「視察官(オペ)?」
「視察官(オペ)ですって!」
冷ややかに吐き捨てたライノに周囲がざわめいた。
「おぺ?」
「知らないとは言わせないわ」
ライノが傲然とした仕草で傷がついた顎を上げて見せた。
「ラズーンから放たれた目、『銀の王族』の守り手、世界の規範を遵守する監視者」
しかも、この子についているのは、誰だと思う?
不愉快そうで憎々しげな声。
「誰?」
「誰なの、ライノ!」
「言って、いえまさか、まさかライノ!」
しゃべり鳥(ライノ)達が次第に興奮しながらことばを交わす。
「まさかアシャなの!」
「っ」
会話の流れから予想はしたが、その名前が出たとたん周囲に上がった叫び声にユーノは圧倒された。
「アシャ!」
「アシャですって!」
「ラズーンのアシャ!」
「アシャがこの辺境に? いえ、ええ、そんなことどうでもいいわ!」
美女達が見る見る頬を染め、嬉しそうに笑いながらはしゃぐ。
ラズーンの、アシャ。
「……視察…官……」
なるほど、それなら辻褄も合う。
いくらラズーンの使者から地図を受け取ったとは言え、描かれた単純な道筋とは段違いの複雑な行程を戸惑うことなく導くことも、ラズーンやそれに関わること、様々な国の状況や暮らしに詳しいこと、何より年齢を遥かに越えた経験が会話の端々に見え隠れするのも、視察官(オペ)なら当然だ。
(じゃあますます、私なんて)
要らないじゃないか?
アシャがレアナを求めてセレドに降りてくれるなら、いや確かに視察官(オペ)がどこかの国に属することなどあり得ないけど、レアナへの執着を見れば、全く不可能というわけでもないのだろう。
「視察官(オペ)さえいれば簡単じゃない」
「この子なんて要らないわ」
「そうよ、視察官(オペ)、それもアシャだなんて」
しゃべり鳥(ライノ)達はいそいそと身繕いにかかる、それを静かに見回したライノが低い声で唸った。
「ええそう、アシャよ」
ひと呼吸おき、十分に効果を考えた口調で、
「それにもう、鳥籠を1つ、開いたわ」
「なんてこと!」
怒りの声が追随した。
「誰の鳥籠を? あたしの方がきれいなのに!」
「何を言ってるの、アシャはあたしを望むはずよ!」
「きれいでしょ!」
「なんてこと!」
「あたしのはずよ!」
「選ばれるのはあたしのはず!」
(鳥籠を開いた?)
ずき、と胸が疼いてユーノは眉を寄せた。
鳥籠を開くということは、キスをしたということだ。
(アシャが)
他の誰かと。
確かにこれほど美しいしゃべり鳥(ライノ)達に懇願されれば、しかもその手段がキスだというのなら、並の男なら当然、アシャであろうと誘惑に落ちても無理はないのだろうけど。
(アシャのばか)
唇を噛む。
「レアナ姉さまはどうするんだよ…」
お門違いの恨み言だ。本当に言いたいのはきっと。
「ええそうよ」
ライノがちらりとユーノを見やる。
「アシャはその子の居場所を引き換えにと望んだの」
「……え…?」
続いたことばに混乱して、やがて水が砂地にしみ込むように意味が通ってくる。
アシャがユーノの居場所を知るために、交換条件としてしゃべり鳥(ライノ)とキスしたって?
「まさか」
「まさか? 残念ながら本当よ」
思わず呟いたユーノにライノは苛立った。
「しかも教えてあげたのに、すぐに扉を閉じてあたし達の好意を裏切ったの」
「なんてこと!」
「こんなきれいなあたし達を!」
「いくら視察官(オペ)でも許せない!」
「まだあるわ」
ライノは唇を歪めた。
「その子を助けるために、アシャは今こちらへ向かっている」
ふいにしゃべり鳥(ライノ)達は静まり返った。ゆっくりと無言で首を回す。彫像の群れが自分達を縛りつけていた鎖に唐突に気づいたように。
「……」
古びて今にもねじ切れそうなからくり人形が、ぎ、ぎ、ぎ、ぎ、と鈍い音をたてながら振り返り、ことりと動きを止める。
そんな気配で、しゃべり鳥(ライノ)達が首だけ振り返った姿勢のままで固まる。
「……」
沈黙の凝視。
大きく見開いた瞳は石のようだ。喜びも怒りも消え失せた虚ろな表情。
風も止まった。鳴き鳥(メール)も歌わない。木立の葉も鳥籠も世界が全て静止する。
こちらを見ている動かない顔、それぞれぽっちりと様々に赤い唇が、たった1つの意識に操られるように全く同時にことばを紡ぐ。
「お前の、ために?」
動かぬ空気、まとわりつく濃度には覚えがある。クノーラスの居城でドヌーに四方を固められたあの瞬間と同じ。
(殺気!)
とっさに体が動いて剣を手元に引き寄せた次の瞬間、
「っあ!」
黄金の矢のように次々と伸びてきた髪が鳥籠の中に突き刺さり、ユーノの服を裂いた。必死に振り払った腕は絡みついた髪の毛に引き延ばされ、脚を掴まれ引きずられ、勢いに転がりそうになったのを堪えたとたん、喉に巻き付いた一房に容赦なく締め上げられて倒される。
「っっっ」
もぎ取られそうになった剣を力に逆らって抱え込むが、一層強く喉を締められ、見る間に頭が加熱した。
「はっ…」
呼吸ができない、肺が焼けつく。
「ん、うっ!」
意識を飛ばしかけたとたん別方向から違う髪に引っ張られた。そのままあちこちからしゃべり鳥(ライノ)が好き勝手に統制なく引きずろうとする。逆に喉の圧力が弱まって剣を振る隙ができた。
「、の…っ」
激しい頭痛と弾けそうなこめかみの拍動を堪えて剣を振り切る。肉を斬ったような不快な感触、持ち主のしゃべり鳥(ライノ)が自分の鳥籠の中で悲鳴を上げて転がる。拮抗していた力を断たれて、違う方向に吹っ飛ぶように引き寄せられる。同時にそちらから引っ張っていた別のしゃべり鳥(ライノ)も籠にぶつかり髪が強く引っ張られ、鋭い叫びを上げる。
「きゃああっ!」
「この馬鹿!」
「許せない、醜いくせに!」
一瞬緩んだ攻撃の手、だが次に伸びてきた無数の金髪が掴んだのは鳥籠そのものだった。
「こうしてやる!」
「落としてやる!」
「潰れてしまえ!」
「壊れてしまえ!」
呪詛の声と一緒に周囲から交互に激しく引っ張られて、鳥籠の中でユーノは剣を抱き込んで転がり回った。
「く…うっ」
籠の棘が突き刺さり、無数の傷とむずがゆく痺れる痛みを晒した部分に残していく。顔を庇うのもままならない。目を傷つけまいと固く瞼を閉じた隙に剣を奪われ、揺さぶられる鳥籠の中で躍らされ、悪意の蛇となってしなる髪に叩かれる。
「、うっ」
衝撃に吐きそうになる、揺さぶられる鳥籠が今にも壊れそうにぎしぎし鳴りながら、地上激突すれすれまで落とされ、また跳ね上げられる。さすがに抵抗できなくなって四つん這いになった瞬間、もう一度首を髪で包まれ仰け反った。
「ぐ…っ」
今度はちょっとやそっとでは外せない、喉に幾重にも巻かれた髪に爪を立て、指を押し込み隙間を作ろうとするが、緩く痺れた全身は震えるだけで力が入らない。
「いい気味!」
「あははいい気味!」
「きれいでしょ、あたし達!」
「ぐしゃぐしゃ!」
「もっと汚くなっちゃえ!」
「消えろ!」
「消えてしまえ、あたし達の目の前から!」
「いなくなってしまえ、アシャの側から!」
「あ、ぐっ」
喘ぎながら開いた口から空気が入ってこない。朦朧とする視界がとらえた空は晴れやかに青い、それが見る見る薄黄色く濁っていく。
(く、そ)
引きずられて鳥籠の上部へゆっくり首を吊り下げられていく、もがいた脚の爪先が空を蹴るが、もう届かない。
せめて籠に、足が、かかれば。
霞む意識でなおも暴れる、その次の瞬間、
「きゃああっっっっ!」
引き裂くような悲鳴が響いた。
「なに!」
「何なの!」
「視察官(オペ)?」
「アシャ?」
「ひ、いいいいい!」
およそしゃべり鳥(ライノ)が上げるとは思えない悲痛で掠れた悲鳴が再び響き、ぼんやり目を開けたユーノの視界で1つの鳥籠が枝から離れて転がり落ちた。
「何をしたの視察官(オペ)!」
「今何を!」
「何をしたのか、と?」
恐怖に震えた詰問に、異様に静かな声が応じる。
「何をしているか、と聞くべきだな」
とん、と軽く跳ね上がった姿が長剣を引き抜き、近くの鳥籠を支えていた太くよじれた蔓草を切断する。
「いやあああっっ!」
絶叫する声が鳥籠から響き渡る。どさっと重い音をたてて転がり落ちた鳥籠はそれぞれに歪んで崩れ、ひくひくもがいて出ようとするしゃべり鳥(ライノ)が、また小さく悲鳴を上げながら壊れかけた鳥籠の中に縮こまる。
「まだ足りないか?」
淡々とした声はうろたえも揺れてもいない。
「彼を離せ」
「っく!」
ぎり、っと逆に締め上げられて仰け反った。
「ひどいわ!」
「ひどいわ視察官(オペ)!」
「離せ、と言ったはずだが?」
次は誰の籠を落とす?
耳鳴りの彼方にアシャの声が妙にはっきり聞こえた。
「いや!」
「あたしじゃないわよ!」
「あたしじゃない!」
「っ、うっ」
ふいに喉が解放され、ユーノは鳥籠の中で崩れ落ちた。
「っごふっ、はっ、はっ」
大量の空気にむせ返り、必死に呼吸を整えながら、滲んだ視界でアシャを探す。
(いた…)
風に黄金の髪を舞わせながら、周囲の美女よりよほど華やかな容貌の男は、長剣を抜き身で下げたまま目を細めて微笑んでいる。だが、アシャのこれほど性質の悪そうな意地悪い笑みを、ユーノは見たことがない。
「離せ、と言った」
冷徹な響きを宿して、アシャは穏やかに繰り返した。
「もっと仲間を落としたいのか」
「ライノ!」
「やめさせて!」
「やめさせてライノ!」
「卑怯よ、視察官(オペ)」
顔色を無くしつつ、ライノが反論した。
「約束はどうしたの? 鳥籠の鍵はどこにあるの?」
「俺がここに居る」
アシャはおどけた動作で緩やかに両手を広げた。
「それで鍵があるのと同じだろう」
薄い笑みが唇を覆う。
「何なら鳥籠を落とす代わりに片端から開けてやってもいいが?」
そうなると、さて、誰が一番最初に俺のものになるかが大変そうだな?
冷笑を含んだ声音は傲慢、長剣を納めてゆっくり髪をかきあげる仕草は美しい絵のようだが、端麗な顔に満ちている表情はとても美女を前にした男のものではなく、むしろ。
(こんな顔も、できたのか)
吐き戻しかけて濡れた口を手の甲で拭いながら、ユーノは呆気にとられる。
(まるで)
泥土の中に埋まっている踏み潰された何かの幼虫でも見ているような、強烈な嫌悪。
視線に晒されると、前に居ることすら罪悪のように感じる、アシャが美しいだけに一層。
「……アシャ」
「無事だったか?」
だが、その顔はユーノの声に振り向いたとたん、幻のように消え失せた。
紫の瞳が光を跳ねて、不安そうに頼りなく揺れる。
「……あまり無事でもなさそうだな?」
「…いや……大丈夫、だから…」
思わずしゃべり鳥(ライノ)をかばってしまった。
「大丈夫だよ、アシャ」
(あまりにも、ひどくないか?)
背筋がぞくぞくする。
(今の顔で消えろ、とか言われたら)
ユーノは絶対二度とアシャに顔を合わせられない。
周囲のしゃべり鳥(ライノ)達も、アシャが見せた不快感に呑まれたように沈黙している。
「彼の鳥籠を降ろしてもらおうか」
気配を感じ取っているだろうに、アシャは淡々と命じた。
「…わかったわ」
ライノが合図して、ゆっくりと鳥籠が降りていく。アシャの目の前まで降ろされて、だが、それ以上降ろされない。
「?」
訝しげにライノを振り向くアシャに、相手は目を細めた。
「あなたがあたし達を嫌っているのはよくわかったわ、視察官(オペ)」
だからと言って、その子をあっさり渡すつもりはない。
「あなたにも約束を守ってもらうことにする」
「鳥籠を開けてほしいなら」
「開けてもあなたはあたし達を見下すだけなんでしょう」
周囲のしゃべり鳥(ライノ)達が意図に気づいたらしく、陰鬱な声で嗤った。
「だからあなたに似合いの相手に約束を果たしてもらうわ」
その子の扉を視察官(オペ)の能力では開けないで。
「キスしておやりなさいな」
「えっ」
ユーノは、凍った。
しゃべり鳥(ライノ)はすぐに扉の外へ出ようと体を起こした。が、何かに気づいたように唐突に動きを止める。
「どうした? 出ないのか?」
これでは狭すぎるとでも?
アシャは静かに再び片手を上げる。
「ひ…」
美女が小さな悲鳴を上げて背後へ後じさった。澄んだ瞳をこれ以上は無理なほど見開いて、なおも動く扉にどんどん体を退いていく。
「いや…」
微かな震えが白い指先を走った。腕が見る見る粟立つ。色を失った唇が細かく震え出し、懇願と媚に紅潮していた頬も削いだように固まっていく。
「いや……視察官(オペ)…」
掠れた声が零れ落ちた。
「閉じて………」
「ほぅ?」
アシャは目を細めた。
「開いてほしいと言わなかったか?」
「いやよ……閉じて…」
美女は全身震え出している。額から伝った汗が醜い跡を残しながら、だらだらとしゃべり鳥(ライノ)の顔を流れ落ちていく。
「閉じて……閉じて…っ!」
「何を馬鹿なことを!」
「扉が開いたのに!」
「いやよいやよいやっ!」
周囲のしゃべり鳥(ライノ)が憤った声を上げて、鳥籠をそれぞれに揺さぶった。甲高い声がきいきいと響き渡り、アシャは苦笑しながら周囲を見渡す。興奮に歪んだ顔、焦って叫ぶ唇、血走って睨みつける瞳。ついさきほどまで艶笑に囲まれ、この世の楽園とも思われたが、今はもうがなりたてる青猿(グッダ)の群れに飛び込んだようだ。
「よく聞こえなかったな」
アシャはにこやかに微笑しながら、なおも上げた手に力を集めた。扉がぎしぎしと音をたてなおも開く。
「もっと開いて、そう言ったのか?」
鳥籠が激しく揺れる。今にも粉々に砕けそうだ。
「いやあああっっ!」
中のしゃべり鳥(ライノ)が身悶えて叫んだ。
「閉じて閉じて閉じて,いやっ、怖い怖い怖いっっ!」
怯えて引き攣った声はしわがれ、怨嗟を含んで猛々しい。
「閉じてええええっっ!」
「……暴れると壊れるぞ」
アシャは冷ややかに吐き捨てた。大きく震えた相手が漏れ出す悲鳴を必死に押さえようとする。怯え切った瞳が恨みを込めて見返すのに微笑みを返した。
「視察官(オペ)!」
「あたしの扉を開けて!」
「こっちよあたし!」
「その子なんかほっといてあたしを!」
周囲がはっとしたように叫び出すのに首を振る。
「無理だな」
しゃべり鳥(ライノ)は1人では鳥籠の外へ出られない。受け入れてくれ引っ張り出してくれる誰かがいないと、自分の居場所である鳥籠から離れることなど不可能なのだ。
そうやって鳥籠の中の安寧に慣れ、外を羨み出られない自分を哀れみ、やがて身動きできなくなって年老いて、鳥籠の中で朽ちていく。
そうした仲間をしゃべり鳥(ライノ)達はすぐに見捨てる。動けなくなり騒げなくなると、容赦なく高い木の上に吊るし上げて初めから居なかったように振る舞い、やがて年月とともに腐った鳥籠が緩んだ蔓とともに地上に落ちて土に返る。
しゃべり鳥(ライノ)の一生はそういうものだ。
だがそういうしゃべり鳥(ライノ)がいつどこで生まれ、どうして鳥籠の中に棲まうようになるのか、おそらく誰も知らないだろう、ましてやそれが、演出されたものかもしれないとは思いもしないことだろう。
アシャはしゃべり鳥(ライノ)に見える世界の惨さを噛みしめながら、優しく空中を撫でて鳥籠の扉を閉じた。
そのとたん。
「ひどいわ、視察官(オペ)!」
今の今まで鳥籠の奥で震えながら口を押さえて縮こまっていた美女が、まるでそんなことなどなかったように激しい勢いで閉じた扉に捕まって顔を寄せてきた。
「何てことをするの! 今出ようとしていたのよ!」
「そうよ!」
「そうよその子は出ようとしていたの!」
周囲も同調したように叫ぶ。
「今出るところだったのに! なぜ扉を閉めたの!」
美女は口を極めてののしり始める。
「これみよがしに開いておいて、出ようとした目の前で閉じるなんて!」
なんてひどいことができるの、視察官(オペ)!
目に涙を浮かべて詰るしゃべり鳥(ライノ)は今しがたの記憶をすっかり失ったようにも見えた。
「酷いことをするのね視察官(オペ)!」
「力があるからって、心を弄んでいいってことじゃないわ!」
「嫉妬したのね、視察官(オペ)!」
「あたし達があまりに美しいから、他の男に盗られるかもしれないから、閉じ込めておきたくなったんでしょう!」
「それでもひどい!」
「ひどいわ視察官(オペ)!」
「……」
アシャはゆっくり周囲を見回した。
これで本気なのだ。
本気でしゃべり鳥(ライノ)達は自分達が心底願って今にも叶えようとしていた望みを、アシャが潰したと考えているのだ。自分達が怯えて選ばなかった道を、アシャが遮ったから塞がれたと思っている。そしてなお、それは自分達のせいではなく、アシャの中にあるつまらない独占欲のせいだと、つまりはアシャの悪意だと信じている。
「残酷な視察官(オペ)!」
「それほどの思いを向けられてしまうかわいそうで綺麗なあたし達!」
「きれいでしょ!」
「きれいすぎるって罪ね!」
「きれいでしょ!」
世界を自分のために歪めてしまう。
しゃべり鳥(ライノ)は見かけとは裏腹に、太古生物の、そしてそれを生み出した遥か彼方の人々の、まさにその本質そのものだ。
アシャは切ないような苦々しいような思いでしゃべり鳥(ライノ)を眺めていた。
(俺も同じだ)
世界のありようを認めず、自分の望むものだけを信じたくて、ラズーンを離れ、こうして1人辺境にまぎれようとしたアシャ自身と。
風に揺れる鳥籠の1つに虚ろな目をして、出してくれ出してくれと叫びつつ鳥籠を揺らす自分が見えた気がして、胸の底が冷えていく。
(寒い)
命の熱が奪われたようだ。力を使いすぎたせいではなくて、自分の本質を突きつけられて、胸が寒くて心が凍える。
(熱が、欲しい)
唇を噛んで騒ぎ続けるしゃべり鳥(ライノ)達に背中を向けると、
「知らないわよ!」
険しい声が引き止めた。
「あの子がどうなっても知らないから! あなたのせいよ!」
背中から槍で貫かれたような気がした。
脳裏を横切る花祭の光景。鮮血に塗れたユーノを腕に殺意に翻弄されかけた。
「あなたのせいだわ、視察官(オペ)!」
「あなたがあの子を窮地に追いやるのよ!」
振り返る自分の顔から表情がなくなっているのはわかっている。
「自分勝手に人を哀れむ視察官(オペ)!」
「あなた自身を哀れめばいい!」
「あの子を助けられないあなたを!」
「ざまあみろ!」
「あははは、ざまあみろ!」
きびすを返してアシャは馬まで戻った。
「……いくぞ、ヒスト」
(そんなことは)
「…わかってるさ」
食いしばった口の間から苦い呻きが零れた。
来ない、か。
小さく吐息をつくと、ユーノは目を閉じて背後の籠にもたれかかった。棘は確かに背中を刺すが、それよりもどこからも響いてこない蹄の音を、耳を澄ませて待っていた自分の胸がちくちくと痛い。
「そりゃ……そうだよな…」
思わず呟いて、それがイルファの口調と似ているのに苦笑する。
リリリリリリリリ……。
リュリュリュリュ………リリリ……。
楽しげに歌う鳴き鳥(メール)の声に目を開く。揺れた近くの籠の影にアシャの姿を見た気がして、それが何のことはない、しゃべり鳥(ライノ)の髪が風になびいただけと気づき、一瞬泣きそうになった。
当たり前じゃないか。
美しくか弱そうな姿をしていても、しゃべり鳥(ライノ)は太古生物。締め上げる髪の力はさっき体感したばかりだし、今も両手足に絡み付いて、ユーノを鳥籠に押し付けている金髪は緩む気配さえ見せない。周囲でしゃべり鳥(ライノ)達はまるでユーノが居ることを忘れたように、肌を撫でたり、囁き合ったり、衣服を整えたりしているのに。
「…来る、はず、ない」
見捨てろと言った。レスファートの意識を失わせて無理矢理ヒストに連れ帰らせた。
「だから」
空を見上げる。
鳴き鳥(メール)が長くて柔らかそうな尾を引きながら、彼方の空へ飛び去っていく。
自力で生き延びるしかない、今までと同じように。
ただ今度は、見捨てられたのではない、自分が救出を拒んだのだ。
(今までも?)
ふいに、それまで考えもつかなかった可能性に気がついた。
今までもひょっとして、助けてくれようとした誰かが居たのだろうか。ユーノは1人で生きることに手一杯で、救いの手を知らず知らずに拒んでいてしまったのだろうか。
だからこんなところで、1人死ぬしかなくなるんだろうか。
ゆっくり視線を向けた先、崩れ朽ちた鳥籠の残骸がある。
何のことはない、ユーノだって、同じなのかもしれない、しゃべり鳥(ライノ)達と。
きゅ、と唇を引き締めた。
(出よう)
そうだ、見捨てられたんじゃない。きっとレスファートは待っている。アシャは心配し、イルファがユーノが帰ることを思って食事を準備してくれているかもしれない。
(戻ろう)
追い詰められて始めた旅だった。他に誰も名乗り出ることがなかったから、危険を背負って旅立った道にアシャが付き添い、レスファートとイルファが同行してくれた。
けれど今度はユーノが彼らの元へ戻るのだ。彼らと一緒に旅をすることを選ぶのだ。
幸い剣は奪われなかった。間合いを計れば髪の毛を切り解き、籠を破り、地上へ飛び降りることもできるだろう。ユーノの背にして数倍の高さだが、下草は厚い、うまく行けば、すぐ走り出せる。
呼吸を整え、そろそろと体を動かして剣を掴もうとしたその矢先、ざわり、と周囲が妙な気配に満ちた。すぐに続いたのは、凍りつくような沈黙、それも次第に緊張を高めていく。
「?」
ユーノは周囲を見回して、しゃべり鳥(ライノ)達が全て一方向を見ているのに気がついた。人形じみた整った顔だがそれぞれ違う造形なのに、全く同じような表情で動きを止めて目を見開いている。
促されるようにそちらを見やって、はっとした。
木立の間をよろめくようにやってくる、白い薄衣のライノ。髪はばらばら、手足にはかすり傷と出血の跡、ぎらぎらした青い瞳は怒りに満ちてまっすぐにユーノを見据えている。
(レスは無事か)
頭をよぎった疑問はすぐに解消された。
「よくも、あたし達を虚仮にしてくれたわね」
苛立ったきりきりした声が響く。
「あたしを遠くへ誘い出して、その隙に彼を呼ぶなんて」
「え」
どき、と胸が打った。
「とぼけるんじゃないわ、視察官(オペ)がついてるなら、どうして言わなかったの」
道理で『銀の王族』がこんなところに1人でふらふらしてるなんておかしいと思った。
「視察官(オペ)?」
「視察官(オペ)ですって!」
冷ややかに吐き捨てたライノに周囲がざわめいた。
「おぺ?」
「知らないとは言わせないわ」
ライノが傲然とした仕草で傷がついた顎を上げて見せた。
「ラズーンから放たれた目、『銀の王族』の守り手、世界の規範を遵守する監視者」
しかも、この子についているのは、誰だと思う?
不愉快そうで憎々しげな声。
「誰?」
「誰なの、ライノ!」
「言って、いえまさか、まさかライノ!」
しゃべり鳥(ライノ)達が次第に興奮しながらことばを交わす。
「まさかアシャなの!」
「っ」
会話の流れから予想はしたが、その名前が出たとたん周囲に上がった叫び声にユーノは圧倒された。
「アシャ!」
「アシャですって!」
「ラズーンのアシャ!」
「アシャがこの辺境に? いえ、ええ、そんなことどうでもいいわ!」
美女達が見る見る頬を染め、嬉しそうに笑いながらはしゃぐ。
ラズーンの、アシャ。
「……視察…官……」
なるほど、それなら辻褄も合う。
いくらラズーンの使者から地図を受け取ったとは言え、描かれた単純な道筋とは段違いの複雑な行程を戸惑うことなく導くことも、ラズーンやそれに関わること、様々な国の状況や暮らしに詳しいこと、何より年齢を遥かに越えた経験が会話の端々に見え隠れするのも、視察官(オペ)なら当然だ。
(じゃあますます、私なんて)
要らないじゃないか?
アシャがレアナを求めてセレドに降りてくれるなら、いや確かに視察官(オペ)がどこかの国に属することなどあり得ないけど、レアナへの執着を見れば、全く不可能というわけでもないのだろう。
「視察官(オペ)さえいれば簡単じゃない」
「この子なんて要らないわ」
「そうよ、視察官(オペ)、それもアシャだなんて」
しゃべり鳥(ライノ)達はいそいそと身繕いにかかる、それを静かに見回したライノが低い声で唸った。
「ええそう、アシャよ」
ひと呼吸おき、十分に効果を考えた口調で、
「それにもう、鳥籠を1つ、開いたわ」
「なんてこと!」
怒りの声が追随した。
「誰の鳥籠を? あたしの方がきれいなのに!」
「何を言ってるの、アシャはあたしを望むはずよ!」
「きれいでしょ!」
「なんてこと!」
「あたしのはずよ!」
「選ばれるのはあたしのはず!」
(鳥籠を開いた?)
ずき、と胸が疼いてユーノは眉を寄せた。
鳥籠を開くということは、キスをしたということだ。
(アシャが)
他の誰かと。
確かにこれほど美しいしゃべり鳥(ライノ)達に懇願されれば、しかもその手段がキスだというのなら、並の男なら当然、アシャであろうと誘惑に落ちても無理はないのだろうけど。
(アシャのばか)
唇を噛む。
「レアナ姉さまはどうするんだよ…」
お門違いの恨み言だ。本当に言いたいのはきっと。
「ええそうよ」
ライノがちらりとユーノを見やる。
「アシャはその子の居場所を引き換えにと望んだの」
「……え…?」
続いたことばに混乱して、やがて水が砂地にしみ込むように意味が通ってくる。
アシャがユーノの居場所を知るために、交換条件としてしゃべり鳥(ライノ)とキスしたって?
「まさか」
「まさか? 残念ながら本当よ」
思わず呟いたユーノにライノは苛立った。
「しかも教えてあげたのに、すぐに扉を閉じてあたし達の好意を裏切ったの」
「なんてこと!」
「こんなきれいなあたし達を!」
「いくら視察官(オペ)でも許せない!」
「まだあるわ」
ライノは唇を歪めた。
「その子を助けるために、アシャは今こちらへ向かっている」
ふいにしゃべり鳥(ライノ)達は静まり返った。ゆっくりと無言で首を回す。彫像の群れが自分達を縛りつけていた鎖に唐突に気づいたように。
「……」
古びて今にもねじ切れそうなからくり人形が、ぎ、ぎ、ぎ、ぎ、と鈍い音をたてながら振り返り、ことりと動きを止める。
そんな気配で、しゃべり鳥(ライノ)達が首だけ振り返った姿勢のままで固まる。
「……」
沈黙の凝視。
大きく見開いた瞳は石のようだ。喜びも怒りも消え失せた虚ろな表情。
風も止まった。鳴き鳥(メール)も歌わない。木立の葉も鳥籠も世界が全て静止する。
こちらを見ている動かない顔、それぞれぽっちりと様々に赤い唇が、たった1つの意識に操られるように全く同時にことばを紡ぐ。
「お前の、ために?」
動かぬ空気、まとわりつく濃度には覚えがある。クノーラスの居城でドヌーに四方を固められたあの瞬間と同じ。
(殺気!)
とっさに体が動いて剣を手元に引き寄せた次の瞬間、
「っあ!」
黄金の矢のように次々と伸びてきた髪が鳥籠の中に突き刺さり、ユーノの服を裂いた。必死に振り払った腕は絡みついた髪の毛に引き延ばされ、脚を掴まれ引きずられ、勢いに転がりそうになったのを堪えたとたん、喉に巻き付いた一房に容赦なく締め上げられて倒される。
「っっっ」
もぎ取られそうになった剣を力に逆らって抱え込むが、一層強く喉を締められ、見る間に頭が加熱した。
「はっ…」
呼吸ができない、肺が焼けつく。
「ん、うっ!」
意識を飛ばしかけたとたん別方向から違う髪に引っ張られた。そのままあちこちからしゃべり鳥(ライノ)が好き勝手に統制なく引きずろうとする。逆に喉の圧力が弱まって剣を振る隙ができた。
「、の…っ」
激しい頭痛と弾けそうなこめかみの拍動を堪えて剣を振り切る。肉を斬ったような不快な感触、持ち主のしゃべり鳥(ライノ)が自分の鳥籠の中で悲鳴を上げて転がる。拮抗していた力を断たれて、違う方向に吹っ飛ぶように引き寄せられる。同時にそちらから引っ張っていた別のしゃべり鳥(ライノ)も籠にぶつかり髪が強く引っ張られ、鋭い叫びを上げる。
「きゃああっ!」
「この馬鹿!」
「許せない、醜いくせに!」
一瞬緩んだ攻撃の手、だが次に伸びてきた無数の金髪が掴んだのは鳥籠そのものだった。
「こうしてやる!」
「落としてやる!」
「潰れてしまえ!」
「壊れてしまえ!」
呪詛の声と一緒に周囲から交互に激しく引っ張られて、鳥籠の中でユーノは剣を抱き込んで転がり回った。
「く…うっ」
籠の棘が突き刺さり、無数の傷とむずがゆく痺れる痛みを晒した部分に残していく。顔を庇うのもままならない。目を傷つけまいと固く瞼を閉じた隙に剣を奪われ、揺さぶられる鳥籠の中で躍らされ、悪意の蛇となってしなる髪に叩かれる。
「、うっ」
衝撃に吐きそうになる、揺さぶられる鳥籠が今にも壊れそうにぎしぎし鳴りながら、地上激突すれすれまで落とされ、また跳ね上げられる。さすがに抵抗できなくなって四つん這いになった瞬間、もう一度首を髪で包まれ仰け反った。
「ぐ…っ」
今度はちょっとやそっとでは外せない、喉に幾重にも巻かれた髪に爪を立て、指を押し込み隙間を作ろうとするが、緩く痺れた全身は震えるだけで力が入らない。
「いい気味!」
「あははいい気味!」
「きれいでしょ、あたし達!」
「ぐしゃぐしゃ!」
「もっと汚くなっちゃえ!」
「消えろ!」
「消えてしまえ、あたし達の目の前から!」
「いなくなってしまえ、アシャの側から!」
「あ、ぐっ」
喘ぎながら開いた口から空気が入ってこない。朦朧とする視界がとらえた空は晴れやかに青い、それが見る見る薄黄色く濁っていく。
(く、そ)
引きずられて鳥籠の上部へゆっくり首を吊り下げられていく、もがいた脚の爪先が空を蹴るが、もう届かない。
せめて籠に、足が、かかれば。
霞む意識でなおも暴れる、その次の瞬間、
「きゃああっっっっ!」
引き裂くような悲鳴が響いた。
「なに!」
「何なの!」
「視察官(オペ)?」
「アシャ?」
「ひ、いいいいい!」
およそしゃべり鳥(ライノ)が上げるとは思えない悲痛で掠れた悲鳴が再び響き、ぼんやり目を開けたユーノの視界で1つの鳥籠が枝から離れて転がり落ちた。
「何をしたの視察官(オペ)!」
「今何を!」
「何をしたのか、と?」
恐怖に震えた詰問に、異様に静かな声が応じる。
「何をしているか、と聞くべきだな」
とん、と軽く跳ね上がった姿が長剣を引き抜き、近くの鳥籠を支えていた太くよじれた蔓草を切断する。
「いやあああっっ!」
絶叫する声が鳥籠から響き渡る。どさっと重い音をたてて転がり落ちた鳥籠はそれぞれに歪んで崩れ、ひくひくもがいて出ようとするしゃべり鳥(ライノ)が、また小さく悲鳴を上げながら壊れかけた鳥籠の中に縮こまる。
「まだ足りないか?」
淡々とした声はうろたえも揺れてもいない。
「彼を離せ」
「っく!」
ぎり、っと逆に締め上げられて仰け反った。
「ひどいわ!」
「ひどいわ視察官(オペ)!」
「離せ、と言ったはずだが?」
次は誰の籠を落とす?
耳鳴りの彼方にアシャの声が妙にはっきり聞こえた。
「いや!」
「あたしじゃないわよ!」
「あたしじゃない!」
「っ、うっ」
ふいに喉が解放され、ユーノは鳥籠の中で崩れ落ちた。
「っごふっ、はっ、はっ」
大量の空気にむせ返り、必死に呼吸を整えながら、滲んだ視界でアシャを探す。
(いた…)
風に黄金の髪を舞わせながら、周囲の美女よりよほど華やかな容貌の男は、長剣を抜き身で下げたまま目を細めて微笑んでいる。だが、アシャのこれほど性質の悪そうな意地悪い笑みを、ユーノは見たことがない。
「離せ、と言った」
冷徹な響きを宿して、アシャは穏やかに繰り返した。
「もっと仲間を落としたいのか」
「ライノ!」
「やめさせて!」
「やめさせてライノ!」
「卑怯よ、視察官(オペ)」
顔色を無くしつつ、ライノが反論した。
「約束はどうしたの? 鳥籠の鍵はどこにあるの?」
「俺がここに居る」
アシャはおどけた動作で緩やかに両手を広げた。
「それで鍵があるのと同じだろう」
薄い笑みが唇を覆う。
「何なら鳥籠を落とす代わりに片端から開けてやってもいいが?」
そうなると、さて、誰が一番最初に俺のものになるかが大変そうだな?
冷笑を含んだ声音は傲慢、長剣を納めてゆっくり髪をかきあげる仕草は美しい絵のようだが、端麗な顔に満ちている表情はとても美女を前にした男のものではなく、むしろ。
(こんな顔も、できたのか)
吐き戻しかけて濡れた口を手の甲で拭いながら、ユーノは呆気にとられる。
(まるで)
泥土の中に埋まっている踏み潰された何かの幼虫でも見ているような、強烈な嫌悪。
視線に晒されると、前に居ることすら罪悪のように感じる、アシャが美しいだけに一層。
「……アシャ」
「無事だったか?」
だが、その顔はユーノの声に振り向いたとたん、幻のように消え失せた。
紫の瞳が光を跳ねて、不安そうに頼りなく揺れる。
「……あまり無事でもなさそうだな?」
「…いや……大丈夫、だから…」
思わずしゃべり鳥(ライノ)をかばってしまった。
「大丈夫だよ、アシャ」
(あまりにも、ひどくないか?)
背筋がぞくぞくする。
(今の顔で消えろ、とか言われたら)
ユーノは絶対二度とアシャに顔を合わせられない。
周囲のしゃべり鳥(ライノ)達も、アシャが見せた不快感に呑まれたように沈黙している。
「彼の鳥籠を降ろしてもらおうか」
気配を感じ取っているだろうに、アシャは淡々と命じた。
「…わかったわ」
ライノが合図して、ゆっくりと鳥籠が降りていく。アシャの目の前まで降ろされて、だが、それ以上降ろされない。
「?」
訝しげにライノを振り向くアシャに、相手は目を細めた。
「あなたがあたし達を嫌っているのはよくわかったわ、視察官(オペ)」
だからと言って、その子をあっさり渡すつもりはない。
「あなたにも約束を守ってもらうことにする」
「鳥籠を開けてほしいなら」
「開けてもあなたはあたし達を見下すだけなんでしょう」
周囲のしゃべり鳥(ライノ)達が意図に気づいたらしく、陰鬱な声で嗤った。
「だからあなたに似合いの相手に約束を果たしてもらうわ」
その子の扉を視察官(オペ)の能力では開けないで。
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「えっ」
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