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1.審判
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『鏡よ、応えよ』
「どうしてよ!」
芽理は思わず口走った。混乱して引いていた血が、一気にうなりをあげて戻ってきつつあった。
「どうして、私が『あいつ』の花嫁にならなくちゃならないのよ!」
脳裏を掠める端整な顔。なのに、これほど不安が募るなんて。
「先方がそう望まれたんだ」
父親、豪三はいかめしい顔を作りながら、太った体をソファに押し込んだ。
「朝、校庭でおまえを見かけられた。あのときに、一目で気に入ったそうだ」
「一目、でぇ?」
口調が捩じれる。好きな相手に言われれば、これほど嬉しいことばもないだろうに、今の芽理には鳥肌が立つほど気持ち悪い。
「朝見て、昼に申し込み、ですって?」
ひんやりとしたあの瞳が胸を過る。その冷たさを撥ね除けるように首を激しく振りながら、
「冗談じゃないわよ! 結婚、すんのよ? 一緒に暮らすのよ?」
(あんな一瞬で気に入った? 何を? どこを? 私の何も知らないくせに?)
不安は募る一方だ。
「私の意志はどうなるのよ!」
「いいかげんにしろ!」
豪三は苛々と怒鳴りつけた。
「だだをこねるんじゃない。お前だって16だ、大人の世界の理屈は知ってるはずだ」
「知らないわよ、知りたくもわかりたくもないわよ! 私は父さんの思いどおりにはならないからね!」
売り言葉に買い言葉、勢いで負けるつもりはない。説得できないと思ったのだろう、父親は切り札を出して来た。
「誰が育てたと思ってるんだ! 母さん亡き後のわしの苦労に報いようって気はないのか、親不孝者!」
思わずぐっとことばを呑んだ。
母は彼女が5歳のときに他界している。それから11年間、男手一つで育ててくれた父親に感謝していないわけではない。
けれど、それとこれとは問題が違う。女の子の夢の中に『好きな人と一緒に暮らす』は上位にランクしている。
「とにかく、いや! あの人だけは、絶対いや!」
「何が不服だ!」
豪三はなおも声を荒げて芽理をののしった。
「財産も地位もある、頭も切れるし、見かけもいいし、若くて健康だ。これ以上、何がほしい!」
「でも!」
過熱した頭に反論が響き渡る。
(でも、あの人はきっと、誰も愛さない)
直感だが間違っていない確信がある。本能みたいなものだ。近づいて楽しい相手ではないと身体中が拒否している。
「そのうち、うまくいくようになる、結婚してよかったと、わしに言う日が来る…」
「来るわけないわよ! それに…まだ、16よ!」
言い含める声に芽理は抵抗した。
「っ、だから、言ってるだろう! あちらは、すぐに籍を入れないでもいい、ただ、一刻も早く家庭を作りたいだけだと言っておられるんだ。その時期もおまえに任せるとまでも、言ってくださってるんだぞ!」
「でも!」
芽理は必死に声を張った。
「バルディア、とかいう所へ行くんでしょ!」
「当たり前だ!」
「大学は?」
「行かんでいい!」
「どうしてよ!」
「何かしたいことがあるのか!」
さすがにことばに詰まった。何かしたいこと、なんて、この先ゆっくり考えるはずのものだったのに。豪さんが重く溜め息をつく。芽理が言い返せないのを十分に確かめてから、
「いいかげんにしろ。もう決まったことだ」
「………寄付金で、私を売るのね」
「、うるさいっ!」
恨み言が口をついたとたん、豪三が真っ赤になって立ち上がった。手を大きく振り上げる。
(殴られる!)
とっさに目を閉じ身を竦める。
カチャ。
ふいに隣室との境のドアのノブが静かに回った。
はっとして目を開け、ドアの方を見ながらのろのろと手を下ろす豪三の視線を追って芽理は振り向いた。
「よろしいですか?」
深い響きのバス。こんな状況でなければ、思わず聞き惚れたような甘い声音で滑らかな日本語がやんわりと割って入る。
ドアを開けたのは、他でもない、マース・アシュレイ本人だ。相変わらず冷ややかなほど落ち着いた表情で、たぬきの置き物でも見るように豪三を見た。
「あ、ああ、どうぞ」
中途半端な手の位置をごまかすように振った豪三に、マースは静かに付け加える。
「芽理と二人で話したいのですが」
「ああ、これは、どうも」
渡りに船とばかりに、そそくさと豪三が部屋を出て行こうとする。
「父さん!」
引き留める芽理をちらりと怖い顔をして見た後、豪三はドアの向こうに消えてしまった。
「座ってください、芽理」
マースは豪三が座っていた席に腰を下ろした。
「呼び捨てにしないでください」
父親の出て行ったドアの方を睨みつけたまま、芽理は応じた。
「座るんだ、芽理」
今度ははっきりとした命令口調だった。思わず振り返った芽理を、例の薄い色の瞳で貫いて、マースは続けた。
「君は僕の妻になった。呼び捨てにする権利はあるはずだ」
「私は納得していません」
芽理は精一杯憎たらしく吐き捨てた。
「君の父上から許可を頂いた。日本では父親に許可を得れば娘は得られる、そう聞いたが?」
「ばっかじゃない?」
嘲りを響かせてマースを振り返る。透き通るような薄青い視線が戻ってくるのを、激情の紅で迎え撃つ。
「そんなこと、誰から聞いたんですか」
「僕はどちらでも構わない」
マースはゆっくりと目を伏せた。ふっさりとしたまつげが陽を跳ねて瞳を影に隠す。
「僕は君を故郷へ連れて帰る。君はもうここにはいられないからね」
決定事項を伝えるように静かに付け加えた。
「言っとくけど」
芽理はマースをもう一度睨みつけた。まつげの長さや穏やかな声に遮らせるつもりなどない。皮肉な声で言い放つ。
「あなたが今までどう扱われてたかは知らないけど、私はあなたなんか大っきらいですからね」「僕もだ」
打てば響くように返ってきたことばに、ぎょっとして目を見開いた。
(ぼくもだ?)
想像もしなかった内容に反論する気力が奪われる。
(何、それ?)
「僕は、君を、愛さない」
マースは目を上げた。
淡い瞳が無表情に芽理をとらえる。冗談を言っているようには取れない。怒りも苛立ちもない、冷えきった瞳は芽理の存在を感知しているだけのマシンアイのようだ。
「…どういう、こと?」
低くつぶやいた芽理に、マースは片頬にだけ酷薄な笑みを浮かべた。
「僕には、花嫁が必要だった」
「それは聞いた」
「『花嫁』であればいい。別に愛はなくていい。形だけでいい」
何がおかしいのか、薄い皮肉な笑みが滲むように顔全体に広がっていく。細めた目はなおも温度を下げていく。
「君に愛してくれと求めるつもりもない。『仕事』を果たしてもらえれば」
相手の瞳がするりと全身を眺めた気がして、芽理は体が熱くなるのを感じた。
「この………ヘンタイ!」
ぎりぎり締め付けてくるような怒りの中でマースを罵倒する。
「自分が望めば誰だって、ほいほいうなずくなんて思ってるんじゃないでしょうね。自惚れんのもいい加減にして。シンデレラの王子役のつもり?」
「シンデレラ?」
マースは苦笑してふいに立ち上がった。怒りに震えながら立ちすくんでいる芽理の側を通り抜け、窓際へ近づいた。
窓の外には、九月といってもまだまだ強い日差しが照りつけている。校庭ではしゃぐ声が響いている。この部屋以外はいつも通りの日常が動いている。それをじっと見つめながら、マースは何も言わないで立っている。
ふいに自分だけがその世界から切り離されてしまったような心細さを、芽理は感じた。呑み込まれそうになって、慌てて声を張り上げる。
「アシュレイさん!」
「マースでいい」
「アシュレイ、さん」
ようやく返ったことばに、芽理は意地悪く冷たく問うた。
「それなら、どういうつもりで、私を選んだわけ?」
答えはおおかた予想がつくが、色ぼけ自信過剰のくそ男にへらへら笑ってなびく種類の女だとは思われたくない。
ふ、とマースの肩が緊張したように見えた。だが、それは一瞬、後はすべての答えを拒むように、広い背中はゆらぎもしない岩のように固まってしまう。
「答えてください」
「…君が…」
ゆるゆると、マースは振り返った。
長身の体は窓をほとんど遮っている。黒髪に陽が躍り、窓から入ってくる光がマースをシルエットにして、表情を隠している。
「君が絶対僕を愛さないだろうと思ったためだ」
深く重い声が答えた。
「は、ぁ?」
芽理は眉を寄せた。
「私が…絶対、あなたを愛さない、から? 」
(何よ、それ?)
相手のことばを繰り返し、意味に混乱したまま口を開いた。
「わからないな。結婚は愛する人とするものでしょう? そのためにあなたは、日本にまで花嫁を探しに来たんでしょう? 気に入った人をみつけるために?」
「愛する者と?」
くすりと、今度はまぎれもなく嘲りを含ませた笑い声を響かせ、マースは陽射しに向いた。不愉快そうに顔をしかめる芽理におどけるように眉を上げて見せ、
「それこそ、太古のおとぎ話だよ、芽理」
「アシュレイ、さん。言ってること、わかってる?」
芽理はますます眉を寄せた。
「それなら、どうして他の人を選ばなかったの? それこそ、あなたを愛さない人ですぐに結婚に同意する人なんか、いっぱいいるんじゃない?……」
(ううん、無理かもしれない)
ふと芽理は鏡子達の反応を思い出した。
マース・アシュレイは確かに見栄えのする容貌をしている。結婚を申し込まれただけで、舞い上がって、彼を好きになったりする者の方が多いかもしれない。
(でも、私はいやだ)
「父が何を言ったかは知らないけど」
芽理は一つ大きくうなずいて、自分の気持ちを確認し、声を励ました。
「私はあなたと結婚する気はありませんから」
マースはそれでも動じた様子一つない。淡々とした表情で芽理を凝視する。
「籍は後でもいい」
「そんなことじゃありません」
「バルディアはいいところだ」
「関係ありません」
芽理は大きく息を吸い込んだ。
(ちゃんと言わなきゃ……こいつってば全然わかってないんだ)
「私、結婚は、愛する人とするものだと思ってます。愛する、とても大切な人と、一緒に暮らしていくことだって」
マースは驚いたように顔を逸らせた。
陽が肩から差し込んで頬が光っている。淡い瞳に何かが揺れた。だが、すぐに目を伏せ、こともなげにマースは言った。
「それは残念だった」
「アシュレイさん!」
今度は、芽理は正面からマースを睨みつけた。
「子どもだと思ってバカにしてるんでしょう。あいにくと、子どもだってわかるんだから。愛する心をもっているかどうかぐらい」
「ほう…」
マースは片頬をひきつらせた。皮肉な笑み、と見えないこともない。
「じゃあ、僕にそれはあるのかな?」
「ない」
芽理ははっきりと言った。
「今まで誰も愛したことはないし、これからも絶対誰も愛さない人」
「当たっているな。他には?」
ふわり、と微かにマースは笑った。
「人の気持ちなんか考えてない」
「そうだな。それで?」
「自分が誘えば、誰でもついてくると思ってる」
「事実だ。まだあるのか?」
「嫌みが服を着てるのよ」
「なるほど」
「冷たくて、何の感情もない」
「確かに。それから?」
「自分勝手でわがままで…」
ことばを続けながら、芽理は奇妙な違和感に襲われた。
5歳下の小娘に悪口雑言の限りを尽くされながら、マースには一向にいらだった様子がない。それどころか、かえって、子守歌でも聞いているような安らかな表情になっている。あの淡青色の瞳さえ、こころなしか、頼りない甘いものをたたえている。
(まるで、とても好きな相手のおしゃべりを聞いているような…)
とくん、と芽理の胸の奥が小さく打った。
「どうした? もうネタ切れか?」
芽理が口をつぐんだのに、マースはすぐに表情を変えた。元通りの冷ややかな皮肉っぽい笑みを広げて、からかうように尋ねる。
「言う気がなくなった」
「どうして?」
「だって」
芽理は口ごもった。
「子どもみたいな顔したもん」
ぴくりとマースの眉が上がった。それをごまかすような素早い動作で髪をかきあげ、マースは肩をすくめた。
「何がよかったかはわからないが、気に入られたらしいな」
「誰がよ!」
芽理は目を剥いた。
(変なこと考えるんじゃなかった)
「いずれにせよ」
マースは平然とことばを継いだ。
「寄付金は既にお渡しした。もう銀行へ寄られたよ。支払いがあったようだな。いまさら、どうにもならない…それとも、君が払ってくれるのかな?」
マースが付け加えた額は、学園の一年分の予算を越えている。情けないやら恥ずかしいやらで顔が熱くなった。
(やっぱり父さんは、私をお金で売ったんだ)
くやしさに唇を噛む芽理に追い打ちをかけるように、マースは身を翻し隣室に向かいながら続けた。
「そっちがどう思うかは知らないが、覚えていてくれ」
一瞬立ち止まり、開いたドアに向かったまま言い切った。
「僕は君を決して愛さない」
バタン、と閉まったドア。
その永久に開かないように思えるドアの方が、ことばより温かみがあったかもしれない。
「どうしてよ!」
芽理は思わず口走った。混乱して引いていた血が、一気にうなりをあげて戻ってきつつあった。
「どうして、私が『あいつ』の花嫁にならなくちゃならないのよ!」
脳裏を掠める端整な顔。なのに、これほど不安が募るなんて。
「先方がそう望まれたんだ」
父親、豪三はいかめしい顔を作りながら、太った体をソファに押し込んだ。
「朝、校庭でおまえを見かけられた。あのときに、一目で気に入ったそうだ」
「一目、でぇ?」
口調が捩じれる。好きな相手に言われれば、これほど嬉しいことばもないだろうに、今の芽理には鳥肌が立つほど気持ち悪い。
「朝見て、昼に申し込み、ですって?」
ひんやりとしたあの瞳が胸を過る。その冷たさを撥ね除けるように首を激しく振りながら、
「冗談じゃないわよ! 結婚、すんのよ? 一緒に暮らすのよ?」
(あんな一瞬で気に入った? 何を? どこを? 私の何も知らないくせに?)
不安は募る一方だ。
「私の意志はどうなるのよ!」
「いいかげんにしろ!」
豪三は苛々と怒鳴りつけた。
「だだをこねるんじゃない。お前だって16だ、大人の世界の理屈は知ってるはずだ」
「知らないわよ、知りたくもわかりたくもないわよ! 私は父さんの思いどおりにはならないからね!」
売り言葉に買い言葉、勢いで負けるつもりはない。説得できないと思ったのだろう、父親は切り札を出して来た。
「誰が育てたと思ってるんだ! 母さん亡き後のわしの苦労に報いようって気はないのか、親不孝者!」
思わずぐっとことばを呑んだ。
母は彼女が5歳のときに他界している。それから11年間、男手一つで育ててくれた父親に感謝していないわけではない。
けれど、それとこれとは問題が違う。女の子の夢の中に『好きな人と一緒に暮らす』は上位にランクしている。
「とにかく、いや! あの人だけは、絶対いや!」
「何が不服だ!」
豪三はなおも声を荒げて芽理をののしった。
「財産も地位もある、頭も切れるし、見かけもいいし、若くて健康だ。これ以上、何がほしい!」
「でも!」
過熱した頭に反論が響き渡る。
(でも、あの人はきっと、誰も愛さない)
直感だが間違っていない確信がある。本能みたいなものだ。近づいて楽しい相手ではないと身体中が拒否している。
「そのうち、うまくいくようになる、結婚してよかったと、わしに言う日が来る…」
「来るわけないわよ! それに…まだ、16よ!」
言い含める声に芽理は抵抗した。
「っ、だから、言ってるだろう! あちらは、すぐに籍を入れないでもいい、ただ、一刻も早く家庭を作りたいだけだと言っておられるんだ。その時期もおまえに任せるとまでも、言ってくださってるんだぞ!」
「でも!」
芽理は必死に声を張った。
「バルディア、とかいう所へ行くんでしょ!」
「当たり前だ!」
「大学は?」
「行かんでいい!」
「どうしてよ!」
「何かしたいことがあるのか!」
さすがにことばに詰まった。何かしたいこと、なんて、この先ゆっくり考えるはずのものだったのに。豪さんが重く溜め息をつく。芽理が言い返せないのを十分に確かめてから、
「いいかげんにしろ。もう決まったことだ」
「………寄付金で、私を売るのね」
「、うるさいっ!」
恨み言が口をついたとたん、豪三が真っ赤になって立ち上がった。手を大きく振り上げる。
(殴られる!)
とっさに目を閉じ身を竦める。
カチャ。
ふいに隣室との境のドアのノブが静かに回った。
はっとして目を開け、ドアの方を見ながらのろのろと手を下ろす豪三の視線を追って芽理は振り向いた。
「よろしいですか?」
深い響きのバス。こんな状況でなければ、思わず聞き惚れたような甘い声音で滑らかな日本語がやんわりと割って入る。
ドアを開けたのは、他でもない、マース・アシュレイ本人だ。相変わらず冷ややかなほど落ち着いた表情で、たぬきの置き物でも見るように豪三を見た。
「あ、ああ、どうぞ」
中途半端な手の位置をごまかすように振った豪三に、マースは静かに付け加える。
「芽理と二人で話したいのですが」
「ああ、これは、どうも」
渡りに船とばかりに、そそくさと豪三が部屋を出て行こうとする。
「父さん!」
引き留める芽理をちらりと怖い顔をして見た後、豪三はドアの向こうに消えてしまった。
「座ってください、芽理」
マースは豪三が座っていた席に腰を下ろした。
「呼び捨てにしないでください」
父親の出て行ったドアの方を睨みつけたまま、芽理は応じた。
「座るんだ、芽理」
今度ははっきりとした命令口調だった。思わず振り返った芽理を、例の薄い色の瞳で貫いて、マースは続けた。
「君は僕の妻になった。呼び捨てにする権利はあるはずだ」
「私は納得していません」
芽理は精一杯憎たらしく吐き捨てた。
「君の父上から許可を頂いた。日本では父親に許可を得れば娘は得られる、そう聞いたが?」
「ばっかじゃない?」
嘲りを響かせてマースを振り返る。透き通るような薄青い視線が戻ってくるのを、激情の紅で迎え撃つ。
「そんなこと、誰から聞いたんですか」
「僕はどちらでも構わない」
マースはゆっくりと目を伏せた。ふっさりとしたまつげが陽を跳ねて瞳を影に隠す。
「僕は君を故郷へ連れて帰る。君はもうここにはいられないからね」
決定事項を伝えるように静かに付け加えた。
「言っとくけど」
芽理はマースをもう一度睨みつけた。まつげの長さや穏やかな声に遮らせるつもりなどない。皮肉な声で言い放つ。
「あなたが今までどう扱われてたかは知らないけど、私はあなたなんか大っきらいですからね」「僕もだ」
打てば響くように返ってきたことばに、ぎょっとして目を見開いた。
(ぼくもだ?)
想像もしなかった内容に反論する気力が奪われる。
(何、それ?)
「僕は、君を、愛さない」
マースは目を上げた。
淡い瞳が無表情に芽理をとらえる。冗談を言っているようには取れない。怒りも苛立ちもない、冷えきった瞳は芽理の存在を感知しているだけのマシンアイのようだ。
「…どういう、こと?」
低くつぶやいた芽理に、マースは片頬にだけ酷薄な笑みを浮かべた。
「僕には、花嫁が必要だった」
「それは聞いた」
「『花嫁』であればいい。別に愛はなくていい。形だけでいい」
何がおかしいのか、薄い皮肉な笑みが滲むように顔全体に広がっていく。細めた目はなおも温度を下げていく。
「君に愛してくれと求めるつもりもない。『仕事』を果たしてもらえれば」
相手の瞳がするりと全身を眺めた気がして、芽理は体が熱くなるのを感じた。
「この………ヘンタイ!」
ぎりぎり締め付けてくるような怒りの中でマースを罵倒する。
「自分が望めば誰だって、ほいほいうなずくなんて思ってるんじゃないでしょうね。自惚れんのもいい加減にして。シンデレラの王子役のつもり?」
「シンデレラ?」
マースは苦笑してふいに立ち上がった。怒りに震えながら立ちすくんでいる芽理の側を通り抜け、窓際へ近づいた。
窓の外には、九月といってもまだまだ強い日差しが照りつけている。校庭ではしゃぐ声が響いている。この部屋以外はいつも通りの日常が動いている。それをじっと見つめながら、マースは何も言わないで立っている。
ふいに自分だけがその世界から切り離されてしまったような心細さを、芽理は感じた。呑み込まれそうになって、慌てて声を張り上げる。
「アシュレイさん!」
「マースでいい」
「アシュレイ、さん」
ようやく返ったことばに、芽理は意地悪く冷たく問うた。
「それなら、どういうつもりで、私を選んだわけ?」
答えはおおかた予想がつくが、色ぼけ自信過剰のくそ男にへらへら笑ってなびく種類の女だとは思われたくない。
ふ、とマースの肩が緊張したように見えた。だが、それは一瞬、後はすべての答えを拒むように、広い背中はゆらぎもしない岩のように固まってしまう。
「答えてください」
「…君が…」
ゆるゆると、マースは振り返った。
長身の体は窓をほとんど遮っている。黒髪に陽が躍り、窓から入ってくる光がマースをシルエットにして、表情を隠している。
「君が絶対僕を愛さないだろうと思ったためだ」
深く重い声が答えた。
「は、ぁ?」
芽理は眉を寄せた。
「私が…絶対、あなたを愛さない、から? 」
(何よ、それ?)
相手のことばを繰り返し、意味に混乱したまま口を開いた。
「わからないな。結婚は愛する人とするものでしょう? そのためにあなたは、日本にまで花嫁を探しに来たんでしょう? 気に入った人をみつけるために?」
「愛する者と?」
くすりと、今度はまぎれもなく嘲りを含ませた笑い声を響かせ、マースは陽射しに向いた。不愉快そうに顔をしかめる芽理におどけるように眉を上げて見せ、
「それこそ、太古のおとぎ話だよ、芽理」
「アシュレイ、さん。言ってること、わかってる?」
芽理はますます眉を寄せた。
「それなら、どうして他の人を選ばなかったの? それこそ、あなたを愛さない人ですぐに結婚に同意する人なんか、いっぱいいるんじゃない?……」
(ううん、無理かもしれない)
ふと芽理は鏡子達の反応を思い出した。
マース・アシュレイは確かに見栄えのする容貌をしている。結婚を申し込まれただけで、舞い上がって、彼を好きになったりする者の方が多いかもしれない。
(でも、私はいやだ)
「父が何を言ったかは知らないけど」
芽理は一つ大きくうなずいて、自分の気持ちを確認し、声を励ました。
「私はあなたと結婚する気はありませんから」
マースはそれでも動じた様子一つない。淡々とした表情で芽理を凝視する。
「籍は後でもいい」
「そんなことじゃありません」
「バルディアはいいところだ」
「関係ありません」
芽理は大きく息を吸い込んだ。
(ちゃんと言わなきゃ……こいつってば全然わかってないんだ)
「私、結婚は、愛する人とするものだと思ってます。愛する、とても大切な人と、一緒に暮らしていくことだって」
マースは驚いたように顔を逸らせた。
陽が肩から差し込んで頬が光っている。淡い瞳に何かが揺れた。だが、すぐに目を伏せ、こともなげにマースは言った。
「それは残念だった」
「アシュレイさん!」
今度は、芽理は正面からマースを睨みつけた。
「子どもだと思ってバカにしてるんでしょう。あいにくと、子どもだってわかるんだから。愛する心をもっているかどうかぐらい」
「ほう…」
マースは片頬をひきつらせた。皮肉な笑み、と見えないこともない。
「じゃあ、僕にそれはあるのかな?」
「ない」
芽理ははっきりと言った。
「今まで誰も愛したことはないし、これからも絶対誰も愛さない人」
「当たっているな。他には?」
ふわり、と微かにマースは笑った。
「人の気持ちなんか考えてない」
「そうだな。それで?」
「自分が誘えば、誰でもついてくると思ってる」
「事実だ。まだあるのか?」
「嫌みが服を着てるのよ」
「なるほど」
「冷たくて、何の感情もない」
「確かに。それから?」
「自分勝手でわがままで…」
ことばを続けながら、芽理は奇妙な違和感に襲われた。
5歳下の小娘に悪口雑言の限りを尽くされながら、マースには一向にいらだった様子がない。それどころか、かえって、子守歌でも聞いているような安らかな表情になっている。あの淡青色の瞳さえ、こころなしか、頼りない甘いものをたたえている。
(まるで、とても好きな相手のおしゃべりを聞いているような…)
とくん、と芽理の胸の奥が小さく打った。
「どうした? もうネタ切れか?」
芽理が口をつぐんだのに、マースはすぐに表情を変えた。元通りの冷ややかな皮肉っぽい笑みを広げて、からかうように尋ねる。
「言う気がなくなった」
「どうして?」
「だって」
芽理は口ごもった。
「子どもみたいな顔したもん」
ぴくりとマースの眉が上がった。それをごまかすような素早い動作で髪をかきあげ、マースは肩をすくめた。
「何がよかったかはわからないが、気に入られたらしいな」
「誰がよ!」
芽理は目を剥いた。
(変なこと考えるんじゃなかった)
「いずれにせよ」
マースは平然とことばを継いだ。
「寄付金は既にお渡しした。もう銀行へ寄られたよ。支払いがあったようだな。いまさら、どうにもならない…それとも、君が払ってくれるのかな?」
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(やっぱり父さんは、私をお金で売ったんだ)
くやしさに唇を噛む芽理に追い打ちをかけるように、マースは身を翻し隣室に向かいながら続けた。
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貴継は、顕人にすべてをバラすと明日実を脅し、ちゃっかり、明日実の家に居座ってしまうのだが――。
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