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『彼女』の舞台は『アイスを買ってあげる』というアニメの歌で始まって、子ども達をどんどんのせながら進んでいた。
途中から子ども達のリクエストに従って、ちょっと掠れた優しい声で次々と歌っていって、一体何曲覚えてるんだろうと言うほど、どんなリクエストにもすぐに応じた。
子ども達は『タロン隊長』を見つけてはしゃぎ、無伴奏で何でも歌ってくれる『彼女』に夢中になり、興奮して顔を紅潮させて『彼女』を囲んでいる。
消灯時間までもう10分もなかったけれど、それでもまだ『彼女』はリクエストを受け、子ども達の誰も部屋からでていかない。
その『彼女』を部屋の一番後ろで壁にもたれて腕組みしながら見ている正志の耳には、曲よりも何よりも『彼女』のことばが繰り返し響いている。
『正志くん、婚約者のこと、そこまで大事に考えたことあったの?』
考えたよ。
大事に考えたから婚約して。
大事に考えたから婚約破棄も受け入れた。
僕だって辛かったんだ。けど、駄目だって言うから。僕じゃ駄目だって言うから。
唇を噛んでちょっと熱くなった目を慌てて瞬きして熱を逃がした。
それをなんで名前も知らない女なんかに。
なんで三上なんかと比較されて。
そりゃさっきは何も言えなかったけど。
僕だって。僕だって。
「はい、じゃあ、次のリクエストは」
『彼女』が軽く息を弾ませながらにこにことプレイルームを見渡す。汗に濡れた金髪が少しほやんと額に垂れ下がってきていて、その影が小さな額に柔らかく落ちている。
「はぁい、あの、あのね、『一輪……」
「何も歌うなっ!」
「っ!」
ふいにきつい叫びがプレイルームの入り口から響いて、正志はぎょっとして振り向いた。はっとしたように振り返る『彼女』と静まり返った部屋の中にもう一度、
「今、何も歌うなっ!」
今にも泣きそうな叫びが響く。
「伊藤くん」
田中主任が急いで立ち上がって駆け寄る。伊藤と呼ばれた小学校の5、6年に見える男の子は、両手のこぶしを握りしめて、田中主任の方を見もせず、まっすぐ『彼女』を睨みつけて怒鳴った。
「晶子がしんどいんだから、今は歌うなっっ!!」
伊藤という名前は確か吐血したという子どもだ。男の子は兄か弟か、どっちかっていうと兄貴の方か。じゃあ、今その子が苦しくて、ここにも来れないのか。
正志は緊張したまま『彼女』を見た。
どうするんだろう。
凍りついた子ども達の顔に怯えが走っている。
一瞬は忘れていたけれど、誰もが思っているのだ、いつ同じ状況が自分に降り掛かるかわからない、と。
近くに居た母親に身を擦り寄せた子どもがいる。不安そうに看護師の手を握った子どもが居る。
ふと急に近づいた温もりに気づいて目を降ろすと、ピンクのパジャマの女の子が固まったまま、正志のセーターの袖口を掴んで側に寄ってきていた。
はっとしてしゃがみ込み、正志は相手の肩を引き寄せた。細くて小さくて震えている、その温かみが掌から染み通ってくる。
「大丈夫だよ」
思わず口を突いたことばに女の子は首を振り、呟いた。
「晶子ちゃん、しんどいの」
途中から子ども達のリクエストに従って、ちょっと掠れた優しい声で次々と歌っていって、一体何曲覚えてるんだろうと言うほど、どんなリクエストにもすぐに応じた。
子ども達は『タロン隊長』を見つけてはしゃぎ、無伴奏で何でも歌ってくれる『彼女』に夢中になり、興奮して顔を紅潮させて『彼女』を囲んでいる。
消灯時間までもう10分もなかったけれど、それでもまだ『彼女』はリクエストを受け、子ども達の誰も部屋からでていかない。
その『彼女』を部屋の一番後ろで壁にもたれて腕組みしながら見ている正志の耳には、曲よりも何よりも『彼女』のことばが繰り返し響いている。
『正志くん、婚約者のこと、そこまで大事に考えたことあったの?』
考えたよ。
大事に考えたから婚約して。
大事に考えたから婚約破棄も受け入れた。
僕だって辛かったんだ。けど、駄目だって言うから。僕じゃ駄目だって言うから。
唇を噛んでちょっと熱くなった目を慌てて瞬きして熱を逃がした。
それをなんで名前も知らない女なんかに。
なんで三上なんかと比較されて。
そりゃさっきは何も言えなかったけど。
僕だって。僕だって。
「はい、じゃあ、次のリクエストは」
『彼女』が軽く息を弾ませながらにこにことプレイルームを見渡す。汗に濡れた金髪が少しほやんと額に垂れ下がってきていて、その影が小さな額に柔らかく落ちている。
「はぁい、あの、あのね、『一輪……」
「何も歌うなっ!」
「っ!」
ふいにきつい叫びがプレイルームの入り口から響いて、正志はぎょっとして振り向いた。はっとしたように振り返る『彼女』と静まり返った部屋の中にもう一度、
「今、何も歌うなっ!」
今にも泣きそうな叫びが響く。
「伊藤くん」
田中主任が急いで立ち上がって駆け寄る。伊藤と呼ばれた小学校の5、6年に見える男の子は、両手のこぶしを握りしめて、田中主任の方を見もせず、まっすぐ『彼女』を睨みつけて怒鳴った。
「晶子がしんどいんだから、今は歌うなっっ!!」
伊藤という名前は確か吐血したという子どもだ。男の子は兄か弟か、どっちかっていうと兄貴の方か。じゃあ、今その子が苦しくて、ここにも来れないのか。
正志は緊張したまま『彼女』を見た。
どうするんだろう。
凍りついた子ども達の顔に怯えが走っている。
一瞬は忘れていたけれど、誰もが思っているのだ、いつ同じ状況が自分に降り掛かるかわからない、と。
近くに居た母親に身を擦り寄せた子どもがいる。不安そうに看護師の手を握った子どもが居る。
ふと急に近づいた温もりに気づいて目を降ろすと、ピンクのパジャマの女の子が固まったまま、正志のセーターの袖口を掴んで側に寄ってきていた。
はっとしてしゃがみ込み、正志は相手の肩を引き寄せた。細くて小さくて震えている、その温かみが掌から染み通ってくる。
「大丈夫だよ」
思わず口を突いたことばに女の子は首を振り、呟いた。
「晶子ちゃん、しんどいの」
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